2006/12/03

◆拾い物だった「ALWAYS 3丁目の夕陽」

にしても、思いがけず良く出来た、いい映画だった。4chの金曜ロードショーで何気なく見た「ALWAYS 3丁目の夕陽」。拾い物だった。いつも夕食後にテレビで見る映画はほとんど途中でゴロンと寝てしまうのだが、しっかり見終えた。
カメが中学時代の昭和33年、東京・下町の庶民の生活と風景を再現してちょっと懐かしくはあったが、山の手育ちのカメの記憶からはほとんど消えている。都電も確かに走っていたが、その風景は覚えていないのだ。東京タワーは見えなかった。駄菓子屋で買い食いしたこともない。一体、カメは何をしていたのか。石原慎太郎が太陽の季節で芥川賞を受賞したことだけは記憶にあるのだが、他の記憶はすっかり飛んでいる。
予備知識なしに観たのだが、まぁ、旧いアルバムを眺めている感じだった。日本人が大好きなよくある人情話で、子役が何より良かったし、大人が食われていた。薬師丸ひろ子は母親役になっていたが、幾つになったのか、相変わらず可愛く、嬉しかった。ただ、集団就職で上京してきた堀北真希の容姿は貧しい時代背景とちょっと違和感があった。
また、ビッグコミックオリジナルの連載漫画「三丁目の夕日(西岸良平)」が原作とも知らなかった。何とも、情けない次第なのだが、もう30年ほど前から漫画のパワーを認識していたカメには、なるほどと納得できた。
邦画でも、これだけの作品を作れるんだ・・・と、世知に疎くなったカメはいたく感心しながらも、ロスタイムの長さについ溜め息がでた。

2006/12/02

◆慌てず、焦らず、急がず・・・がカメの流行語大賞

にしても、慌てず、焦らず、急がず・・・の方がカメの06年流行語大賞にずっと相応しい。昨日発表された恒例の流行語大賞のトップテンと大賞を見て、そう思った。
トップテンのうち「たらこ・たらこ・たらこ」「脳トレ」「ミクシィ」「メタボリックシンドローム(メタボ)」の4つは、恥ずかしながら聞いたことがなかった。脳トレだけは、聞いたことがあるような、イメージはできるが、その内容をきちんと捉えてはいなかったし、そんなに流行しているとの認識もなかった。アァ~、なんとも・・・。
イナバウアー(荒川静香)なんて、とても大賞に該当するとも思えない。マスコミで散々繰り返されただけで、首をひねってしまう。カメの耳は右から左に抜けていっただけだ。何より、言葉に新しい内容が何もない。トリノオリンピックの金メダルフィーバーの象徴なのだろうが・・・。
エロカッコイイ、エロカワイイ(倖田來未)は、カメの秘かなお気に入りだ。あの未成熟なエロサは下手なアダルト物などより役立ちそうで、一枚ぐらい買ってみようかと思いつつ、なんせレコード店などには足を踏み入れたことがないので二の足を踏み、いまだに手に入れていないが・・・。カメが流行語大賞の審査員だったら、間違いなく一票を投じていた。
シンジラレナ~イ(トレイ・ヒルマン)とハンカチ王子(斎藤佑樹)の2つは、いかにも流行語大賞らしくて、カメにもしっくりくる。居酒屋などでも口にしたくなる言葉だ。
あと、品格(藤原正彦)と格差社会(山田昌弘)の2つは、はてさて、元々ある言葉で、とても今年流行したとは、ねぇ・・・。数合わせ、苦し紛れに選定したとしか思えなかった。
やっぱり、繰り返しになるが、慌てず、焦らず、急がず・・・の3原則がカメの胸には最もズシンと響く。

2006/12/01

◆「1日は長いが、1年は早い」とはカメの箴言

にしても、はや12月・・・、時の流れは何とも速い。齢を重ねるごとにそのスピードは加速される。
かつて、仕事中に何気なく「1日は長いが、1年は早い」と呟き、耳にした同僚から「そうなんだよなぁ、箴言だな」といたく感心されたことがある。
当時はどうということのない仕事で、ただ待ち時間がやたら長い深夜勤務が続いていて、それは偽りのない実感だった。

光陰矢のごとし、ともいわれるが、時間の長さは時計の刻む物理的時間と、メンタルな時間の2つの時間がある。
子供のころ、早く大人になりたいと思っているときの時間は途方もなく長いが、いざ大人になってしまうと時間の経過はあっという間になる。これは、心理学的にいえば、外界からの刺激量の多寡によるものだ。
子供のころは、見るもの聞くもの全てが新鮮で、常に脳細胞が刺激されているのだが、歳を取るとともに外界の刺激は徐々に薄らいでいく。何だ、またか・・・となって、脳細胞は初体験の時のようには反応しなくなるし、さらに歳を経るとそうした外界の刺激にめったに反応しなくなってくる。
例えば、昨日の食事のメニューを思い出せるかどうか・・・。カメなどは思い出そうとしても、まったく覚えていない。加齢によるいわば脳障害の症状で、困ったことだが、生活に支障はない。
最近、体験したのが時空を駆ける、時空を飛ぶ感覚だ。先日の本ブログで報告したが、脳の時間軸がすっぽり抜け落ちる感覚で、ちょっとした快感だった。
1カ月ぶりで顔を出した居酒屋でも、何か昨日ものぞいたような気がすることがある。物理的な時間は1カ月のご無沙汰であっても、心理的には昨日もこうして女将の顔を見てビールを飲んだばかりのような気がする。女将にしてみれば、もっと頻繁に顔を出してよ・・・となるのだが、カメは毎日来ているはずなのにと勝手に思う。
今春、親父の23回忌をやったが、えっ、もう23年も経ったのかと、その長い時間の経過には思い至らない。もし、親父が亡くなったときに子供が生まれていれば、もう成人式も終わっているわけなのだが・・・。
人生50年、夢幻の如くなり・・・と、以降はロスタイムと決め込んでいるカメは、その物理的時間と心理的時間の乖離に唖然とするばかりだ。

2006/11/30

◆ロダンの考える人のポーズをとっていた・・・

にしても、気がついたらロダンの考える人のポーズをとっていた。右手の甲を右頬にあてウゥーンと呻きながら断続的に荒い息を吐き出し、洋式便器に座ったカメの目の前は霞んでいた。もう一度大きく吸い込み、息を止めて飲み込みつつ踏ん張ると、メリメリ音を立てるように太く硬いモノが押し出されてきた。
昨日の正午前のことで、便秘は前々日から始まっていた。
カメの場合、毎朝、起き抜けに座るのが日課になっている。歯磨き、洗顔の前、新聞を持ち込み、煙草に火を点け、一面下のコラムを読みながら・・・。それがないと1日が始まらない。
で、大体は快便なのだが、このところ年に2、3回は便秘するようになった。因果関係ははっきりしないが、寝酒のつまみにカシューナッツを食べると、便秘につながるような気がしている。前回の体験からの推測だが、今回もやはりカシューナッツを食べていた。
前日の朝も便意は催すものの排出されない。力むのは嫌いなため、新聞の一面に目を通しただけで無理しなかった。と、その日は一日中、残糞感につきまとわれ、突然便意に襲われる。その度に座り、時に力んでみるのだが、ウンともスンともいわなかった。さすがに、ヤバイと思い、寝る前にスティックパックの便秘薬を飲み、念のため牛乳を0.5Lほど飲んだ。
で、昨日朝、起きて座って、力んだものの駄目。そこで、便秘薬をもう1パック飲んで待つことにしたのだ。
その“作品”たるや、1回では流されず、さすがに見事なもので、われながら感嘆。ついデジカメを持ち出して収録、本ブログにアップしようとしたのだが、その画像を眺めつつ考えに考えた挙句、スカトロならいざ知らず・・・と、アップは断念した。
とはいえ、その見事さは何ともいいようがなく、露出癖もあるカメは誰かに見て欲しく、欲しくて・・・ウフッ。ご連絡をいただければメールに添付して送ることに致します。希望者はどうぞ・・・ウフッ。

2006/11/29

◆自民の復党問題は“悪女の深情け”

にしても、外道カメは「Web人間」を宣言したくなった。自民党の復党問題を見ていて、そう思った。
筋を通すとか、情だとか、いかにも日本的なやりとりを連日テレビで見せられていると、本当にイライラする。
そもそも、復党問題が起こってくること自体、あまりにも日本的な、日本人が大好きな情の世界であり、悪女の深情けなのだろうが、何ともみっともない。直後に新党を結成した造反組もいるし、その方がずっと潔いし、好感が持てる。主義・信条を貫くのが政治家の本分であるし、国士だ。
いまさら復党願と誓約書を提出するなんて、未練がましいし、それを求める方も求める方で、どっちもどっちだ。新党結成、或いは再編、院内会派など素人でも思いつく選択肢はある。そうした再チャレンジもしないで復党とは、情けない。
このコップの中の嵐、永田町だけの話ではない、夫婦、家族、学校、会社などあらゆる社会に共通する。そして、筋だ、情だ・・・といいながら、結局は情に流されてしまう。
あくまでも頑なに筋を通したのが小泉純一郎前総理であり、奇人・変人だからこそ筋を通せた。それゆえに歴代第3位の長期政権を維持できたのである。
いまの地球上に住む人間をまとめて地球人と呼べば、対するのは宇宙人かもしれないが、その中間にWeb人間が出現しているような気がする。
「Web人間」は一般の地球人とは価値観がかなり違う。どんな人間かといえば、地縁、血縁に頼らず、情に疎く、孤独を愛し、無情の世界に浸り、デジタル・マニュアル思考に耽り、無の空間であるWeb世界を遊弋し、ひたすらリラクゼーションを希求する、いまのカメが典型である。

2006/11/28

◆淫らな妄想に歯止めをかけ悶々と・・・

にしても、淫らな妄想に歯止めをかけ悶々とするのも、ちょっとした快感で御座います。
新橋のとある居酒屋が22日から28日まで丸々1週間店を休んでしまったので御座います。 他のお客さまはどうあれ、カメの行きつけの店で、カウンターに椅子が8つ、4、5人は座れるテーブル席が1つとこじんまりして、可愛い癒し系の女将が1人で切り盛りし、その女将の手料理が何といっても人気の店なので御座います。何より、これまでGWと正月を除いて平日に休んだことはないお店で御座います。
なのに、お店で一体何が起こったのか。こんな時期に、こんなに長期間休むとは、とカメは気がかりなので御座います。何か、それを決意させる何かが隠れている、と考えるのも自然の流れで御座います。 妄想のタネは幾らも御座います。
女将はいま・・・どこで、誰と、何を・・・と妄想が広がる、おっと膨らむばかりで御座います。当然で御座いましょう、何といっても横恋慕するスケベなカメなので御座います。
あの顔、この顔、ひょっとしてあの顔、いや、この顔と、次々と浮かんでは消える常連のお客さまの顔・・・、そんなお店ではないはずなのに・・・と。
といって、さてさて、どんな妄想が、どこまで許されるのか・・・。カメが勝手な妄想を膨らませれば、それはそれは嫌らしく、淫らで、ふしだらな官能の図が広がっていくので御座います。
でも、でも、次の木曜日、カメが恥ずかしくて顔を出せないようなことになってはと、つい歯止めをかけてしまうので御座います。ウフッ。

2006/11/27

◆2DDフロッピーデスク読み込みソフトは断念


にしても、脳細胞がグズグズになったカメの場合、過去はモノで探すしかない。靴箱を空けたら懐かしの3.5インチのFDディスク(MF2DD)が大量に見つかった。机の引き出しからも出てきた。もう10年以上前に愛用していたワープロ専用機で作ったデータの数々である。
各種のカードリーダーが出回っているのだから、MF2DDをいま使っているパソコンで読み込む方法があるはず・・・と期待して、Webにあれこれアクセスしてみたら、なるほど、あった。ワープロ専用機で作成したMF2DDのデータをパソコンのアプリケーションに移すソフトだ。やっぱり、そうしたニーズはあるのだと嬉しくなった。で、そのソフトと外付けFDドライブのセット価格が1万7430円也。かなり高価だ。食指は動いたものの、とりあえず旧いワープロ専用機を引っ張り出して電源を入れFDを挿入してみた。もう、操作は完全に忘れている。といって、マニュアルはどこにいったものか、探す気にもならず、勝手にあれこれ推測しながらキーを押してみたら、やはり単純に反応してくれた。で、FD4、5枚の内容をチェックしてみたが、期待していたデータは見つからなかった。いずれも、仕事で作ったデータばかり。懐かしいことは、懐かしいが・・・、いまさらのデータばかりで、改めて、いまのパソコンに取り込んだところで意味なし・・・と気がついた。実は、その時代に個人的な徒然記など認めていたような気がしたのだが・・・、時間をかけて探しても、それは単なる郷愁でしかないと判定、よって、FD変換ソフトは必要ないと判断した。
確かに、過去は過去として存在したのだが、過去に遡ることは思いとどまった。
過去に遡るにも金がかかるとあっては・・・、やはりケチなのだろう。これで、ちょっとした出費を抑えられることにはなるか・・・と納得した。

2006/11/26

◆至上命題はいまの体型維持なのだが・・・

にしても、ヘルスメーターを買わねばなるまい。Gパンを穿く際、腹の出っ張りがちょっと気になりだしたのだ。
Gパンのウエストは「33」インチで、この10数年変っていない。1インチ=2.54cmで計算すると83.82cmだが・・・、34インチはあると思っていた。で、先ほど確認してみたら、はて、さて・・・確かに33インチだったのでカギ括弧をつけた。
Gパン以外のスラックスは86cmか、92cmのものもある。かつて、82cmの時代が長くあり、その後86cmと92cmを行ったり来たりした時期があり、現在に至っている。さすがに、92だとブカブカ、86ではきつい。Gパンではウレタン混紡タイプに逃げ込んだこともあったが、やはり楽なためつい油断してしまうので、綿100%に戻している。
ただ、ロスタイムに入ったカメはウエストが入らなくなったからといって、新しいサイズのGパンを買う気はもうない。というより、買えないといったほうが正しい。もったいないし、1本買えば、2本、3本と買わざるを得なくなる。それに、Gパンのウエストが変るということは、あれも、これも・・・だ。
いまは、食つなぐだけで一杯、一杯だ。とにかく、カメにとっては、いまの体型を維持することは至上命題である。先日、有楽町に出かけた際、駅前の家電量販店をのぞいてみて、驚いた。せいぜい、5000円止まりと思っていたのに、体重のほか体脂肪率、筋肉率、骨格筋率、骨格筋レベル、内臓脂肪レベル・・・など検査項目の機能を増やし、品揃えは1万円前後から上になっていて、大好きな衝動買いはできなかった。
さて、どうするか? 
いまさら、食事に配慮したり、ヘルスメーターに乗ったり、体のケアーに励むなんて・・・、それより、好きなもの、旨いものを腹一杯食って、太りに太って、棺桶に収まりきれなくなってもいいんじゃないの・・・との声も聞こえてきた。

2006/11/25

◆死滅した脳で時空を飛ぶ奇妙な感覚を実感・・・


にしても、脳細胞の死滅度を自ら実感した。23日夜のこと。夕食時に発泡酒を飲んだら、そのまま1時間足らず寝込んでしまった。8時過ぎに目覚めて、おっ、そうだとテレビのチャンネルを「6」にして、ぼんやり見ていた。確か、9時から明石家さんまの新番組・・・と思っていたのだが、9時直前の番宣で流れたのは「渡る世間は・・・」だった。はて、さて??? そんなはずはないよな、放映時間が変わったのか、他のチャンネルだったか、と新聞のテレビ蘭を確認したら、9時からはやっぱり「渡る世間は」だった。またまた???
そんなぁと、脳細胞を揺らしながら前日22日の新聞を見たら、確かにあったのだが・・・。
さんまの新番組は昨日のことだったのだ。それにしても、なぜ・・・こんなことに!!! ちょうどカメの脳が24時間すっぽり抜けた格好だ。軽い目眩がした。それは、ちょっとした快感で、心地良かった。
前夜、何をしていたのか・・・。微かな記憶をたどってみると、前夜の食事で久々に豚バラの焼肉をたらふく食って発泡酒を飲んで、やはり寝込んでいて、目覚めたときにはさんまの新番組のことをすっかり忘れていたのだ。なるほど、なるほど、だ。
さんまの新番組はどうしても見なければならないテレビでもないのだが、このところ面白いテレビがなく、新聞のテレビ欄を眺めては、その日見たい番組をチェックしていただけに、ちょっと残念ではあった。
この奇妙な体験、22日夜から23日夜までの生活時間がカメの脳から喪失していたことになるようだ。
テレビ番組で時間を知覚している? カメの脳に時間軸はもはや喪失しているのかもしれない。「渡る世間」の番宣を目にしたときは、ボーっとした脳で何故、何故と、不思議な感覚に捉われた。
時空を駆ける、時空を飛ぶとは、こんな感覚をいうのかもしれない。

2006/11/24

◆狂犬病はマイペンライとはいかない?


にしても、邦人男性36年ぶり狂犬病発症とのニュースが相次ぎ、タイ・バンコクでの写真を思い出した(左)。
タイも野良犬は多い。写真はバンコクの市街地、高級デパートなどが林立する並びのショッピングセンターの入り口で日向ぼっこをする犬だ。他にも、街中いたるところに展開される屋台が並ぶ歩道には餌を求めてウロウロする犬をよく見かけたが、いずれもおとなしく、吠えたり、暴れたり、絡み付いてくるといったケースは見なかったし、怖いイメージはなかった。
今回、日本で発症した狂犬病は2人、フィリピンで犬に噛まれた京都市と横浜市のいずれも60歳代の男性だから、バンコク移住を目論むカメは無関心ではいられない。2人とも手を噛まれ帰国後に発症しているが、その状況は伝えられていないので、ちょっと気にかかる。頭でも撫ぜようとしたのだろうか。餌でも与えようとしたのか。
外務省・海外安全ホームページによると、狂犬病は南極大陸を除く全ての大陸で発生が確認されている感染症で、アフガニスタン、バングラデシュ、ブラジル、ボリビア、中国、コロンビア、エクアドル、エルサルバドル、グアテマラ、ハイチ、インド、インドネシア、メキシコ、ミャンマー、ネパール、パキスタン、ペルー、フィリピン、スリランカ、タイ、ベトナム、イエメンでは感染のリスクが高い。
列挙された国名の順番に意味があるのかどうか、最初はタイの名前を見落としてちょっとほっとしたが、念の為、もう一度目を凝らして後ろの方に見つけ、やっぱり・・・だった。
また、毎年、世界中で5万人以上が狂犬病で死亡していて、犬に限らず、猫やイタチなど他の哺乳動物からも感染することがあり、狂犬病の動物から咬まれることで、その傷口からウイルスが体内に侵入。人の場合の潜伏期間は9日~数年(通常20~60日程度)で、発病した場合はほぼ100%死亡する。
症状は発熱、頭痛、嘔吐などに始まり、次いで筋肉の緊張、痙攣、幻覚があらわれる。犬の遠吠えのような唸り声をあげ、涎を大量に流し、昏睡、呼吸麻痺が起き、死に至るそうだ。
何とも恐ろしい病気のようで、マイペンライとはいかないようなのだが・・・、ま、恐いことを知っただけでも良しとするか。

2006/11/23

◆公然わいせつ罪で逮捕・・・なんて不運

にしても、公然わいせつ罪で逮捕・・・なんて不運というしかない。
さる18日夜、東京・池袋の「ハプニングバー」で、わいせつな行為を客に見せたとして、航空自衛隊の現役自衛官(30歳)が公然わいせつの現行犯で警視庁に逮捕されたという。
ハプバー大好きなカメにとっては見逃せない事件で、これまでにも何度か同様のニュースを目にしているが、その都度、ほんとにこれは犯罪になるのか、疑問に思いつつ、これは犯罪にはならないと固く信じているのだが・・・。
自衛官逮捕のニュースによると、自衛官は店内で知り合った女性と約1時間にわたりわいせつな行為をしていたところ同庁の捜査員に現行犯逮捕され、また、同様の行為をしていた客6人も逮捕するとともに店の経営者(63歳)も、公然わいせつほう助の現行犯で逮捕したそうだ。
その状況は目に浮かぶが、夕方の電車に乗っていて、サラリーマンが手にしている日刊ゲンダイの見出しが目に入ってきた。ハプバーで「ここまでやると捕まる」「やっていいコト、悪いコト」・・・だって。これまでにも何度かハプバーの摘発はニュースになっているが、これはKC庁に完全に狙われたとしかいいようがない。いわば、一罰百戒だろう。
公然わいせつは「6月以下の懲役若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料」でしかない。逮捕されて、名前が載る方が痛手だ。現役自衛官となれば、なおさら、多分、懲戒処分の対象にもなるだろう。なんとも、不運としかいいようがない。
ハプバーでたまに、お客同士で公然わいせつが話題になることがあった。カメは、誰でも不特定多数のお客さんが入ってこられるバーではなく、会員制のバーだから「公然」には当たらない・・・と説明していたのだが・・・。それに対し別のお客さんから異論はでてこなかったが、といって、納得したようにも見えなかった。で、カメはそれでももし摘発されたら、法廷で「公然」について主張してみせるよ・・・とも。それは、いまでも変わらない。
特別な審査もなく事実上誰でも会員になれるような場合は「不特定」とみなされるようだし、ストリップ・ショーの場合など入場料を払えば誰でも入れるので「公然」に該当するそうだが、いずれもハプバー同様、被害者は存在しない。自衛官とわいせつ行為に及んだ女性も同意の上なのだ。それが、逮捕に至るのだから、何とも不思議なことだ。
「公然」に限らず、最近の法律の解釈、運用には不可解なことが多くなっている。特に、地検による「国策捜査」にいたっては、唖然、呆然といわざるを得ない。これは、何より、地検の驕りだと思う。

2006/11/22

◆氷雨、曇天から一転しての小春日和・・・

にしても、お天気、太陽光のパワーは凄い。氷雨、曇天から一転しての快晴、この時季は小春日和ともいうが、今日で2日目・・・。
お日様、ただ、それだけで起き抜けのカメはウキウキ、ワクワクしてくる。単純といえば単純だが、カメのお肉はそれに敏感に反応する。実に、太陽光に対する生体反応が正直で、カメはそれに素直に従っているだけだ。
さて、では、何をするかって・・・。国家ニートのカメに「ねばならない」ことはない。せいぜい洗濯ぐらい・・・、おっと、本ブロクのアップがあった。そう、この2ヶ月ほど、実に毎日欠かさずアップしている。飽きっぽいカメにしては珍しいこと。といいつつ、このところ、実はそれがプレッシャーにもなってきているのだが・・・。サイトマップも上手くアップできず、AdSenseも上手くいかない。英語の苦手なカメの悩みは多い。
この快晴、久々だと思ってメモで確かめてみたら、何のことはない、2日ぶりで、そんなに曇天や氷雨が長続きしていたわけではなかった。先の土曜の朝にはベランダに布団を干していたのだが、もうすっかり忘れていた。
ことほど左様に、いまのカメはその日その日のお天気のままに過ごしているようだ。ま、脳を全く使っていないということ。実のところ、脳を使いたくても、もはや脳細胞の140%は死滅しているとの脳細胞死滅度テストの結果もあって・・・。その評価によれば、もう既に死んでいるのに、それを認識できない状態なのだそうだ。トホホ・・・。
氷雨、曇天から一転しての小春日和、それに木枯らしが加わって、冬は間近かに迫ってきた。
東南アジアはタイ、バンコクなら、年間通してほぼ毎日が夏日だ。だから、カメは何よりバンコクを気に入っている。そろそろ、訪泰の準備にかからねば・・・なんて思いついた。バンコクなら全てはマイペンライでやり過ごせる。

2006/11/21

◆リアリティの質も時代によって変化する?


にしても、ビデオで映画を見て久々に癒された。チャールズ・ブロンソンの「狼よさらば」(1974年製作)で、映画館で見たような記憶もあったが、新鮮で、面白い、楽しめる人間ドラマだった。
主人公はニューヨークの会社員。ある日、電話が入り、妻と娘が病院に運び込まれたという。病院へ駆けつけた時には妻は死亡、妻が何者かに襲われた挙げ句に殺され、娘も暴行されたことを聞かされて憤り、悲しみに打ちひしがれる。そんな時、ひょんなことから銃を手に入れ、彼はその銃を密かに携え、公園で襲いかかってきたチンピラを射殺。これをきっかけに沈鬱な状態が吹っ切れ、以来、次々とチンピラたちを仕留めていく・・・。
何より、ストーリー展開にリアリティを感じ、何とも懐かしく、近ごろの映画と違い旧き良き時代の映画らしい映画で、嬉しくなった。
例えば、ダイ・ハードでのブルース・ウィリスのように目茶目茶タフなスーパーマンではなく、といってダ・ヴィンチ・コードのように難解ではなく、まさにカメが好きな浅田次郎作品の読後感に似ている。
近ごろの映画は、もう旧来のエンターティメントのネタが出尽くしたのか、奇想天外な作品を狙いすぎているようだ。それもSFX技術などの進歩によって可能になっている。
が、カメはそれら全てにリアリティを感じられない。文字通りの絵空事、バアーチャル世界であって、人間臭さを感じられないのだ。これは、エンターティメントに対する嗜好による差もあるだろうが・・・、なるほど70年代の映画は確かにリアリティがあった。
もっとも、リアリティも時代によって変容するものなのかもしれない。カメのセンスは70年代なのかもしれないと思う。
このリアリティは浅田次郎の作品群ではしっかりと継承されているが、その作品が映画化されるとそれは喪失してしまう。ま、映画なんてそんなものといえば、それまでだが・・・。
多分、いまはバーチャルの世界が本流となり、リアリティは過去の遺物になっているようだ。そう考えると、近ごろの殺伐とした世相も、おためごかしの連鎖も、なんとなくその構図が見えてくる気がする。

2006/11/20

◆懐かしの横浜・清正公通りは消えていた・・・


にしても、横浜・伊勢佐木町通りに近い長者町の清正公通りはアーチ型の看板と洒落た雑居ビルの名前にしか残っていなかった。それも、アルファベッドで・・・。
今日の昼下がり、伊勢佐木町にある有隣堂本店に行った際、懐かしの清正公通りに寄ってみたのだが、その景色は一変、かつての面影は何も残っていなかった。
30年ほど前、横浜勤務の3年余、清正公通りにはよく通ったものだ。当時はいまの洒落たビルの一角は細い路地が入り組んで、小さなスナック、居酒屋が軒を並べ、サラリーマンの憩いの場だったのだが・・・。ちなみに、清正公とはあの加藤清正のことだ。
再開発の話は当時から耳にしていたが、カメなど安サラリーマンは一様に、いつまでもこの小さな飲み屋の一角はなくならない、いつまでも続くような気がしていた。行きつけのスナックのママがお婆ちゃんになった姿も水割りの肴にわいわい楽しんでいたものだ・・・なんて思い出すうちに、当時の飲み仲間の顔なども浮かんできて懐かしさが募り、お目々がちょっとウルウル・・・。
この寒空の元、有隣堂へでかけたのには、朝刊で見たある雑誌広告の刺激的な見出しがきっかけ。ところが、その雑誌は年間予約購読制のため、簡単には手に入らない。とにかく、今日中に読んでおきたくて、ホームページをチェックしてみたら、テスト販売とかで、八重洲ブックセンター本店をはじめ都心のビジネス街にある書店の名前が挙げてあった。交通費を計算すると横浜・有隣堂が最も安いし、時間もかからない。
で、目指す雑誌を見つけたものの、定価1000円(税込み)に、さて、さて・・・。立ち読みしてみたら、おどろおどろしい見出しとは裏腹に、カメが知っていることばかり・・・、なんだぁ、とホッとして、雑誌は買わずに清正公通りに寄ってみた次第・・・。
パソコンで悟った、慌てず、焦らず、急がずの3原則を改めて認識した。

2006/11/19

◆Qちゃんの生写真をアップしたかったが・・・


にしても、氷雨にはさすがにカメも参った。今日昼過ぎにスタートした東京国際女子マラソン。Qちゃんの生写真をアップしようと意気込んでいたのだが、この雨と寒さに迷いに迷った挙句、テレビ観戦を決め込んだのだ。慙愧、慙愧ではあるが・・・。
実は、カメのマンションは第1京浜沿いにあり、国際マラソンの折り返し点である大森海岸交番までは自転車で10分足らず。これまでも、何度か自転車で出かけている。いつもマンションでテレビ観戦しながら、トップ集団が品川・八ツ山橋を通過したあたりで出かければ十分間に合っていた。
生のマラソン観戦は実に難しいが、一度間近に見てみると癖になる。何とも速い。選手は凄いスピードで目の前を通過していくから、人垣の隙間からいまかいまかとのぞいていて、あっという間だ。それでも、選手の息遣いは伝わってくるし、汗と水で体に張り付いたユニホーム姿は艶かしい。
Qちゃんが優勝した昨年も同じころ自転車に乗ったのだが、折り返し点に向かう自転車がやたら多く、Qちゃん人気の高さに驚かされたものだ。歩道に人が溢れていて、自転車の置き場所を探すのにひと苦労し、のぞき窓もなかなか見つけられなかった。
今回は行きつけの居酒屋でQちゃんを生で見に行くぞ!と吹聴もしていただけに、これまでの反省を生かし、国立競技場でのスタートをテレビで見届けて直ぐにでかけ、デジカメを手に最前列に座り込んで胸躍らせながらQちゃんを待つつもりだったのだが・・・。それに、ゴルフのラウンド前夜と同様、天気予報にも気を配り、雨の降り出しは昼過ぎ、それもレースが終了してからと勝手な予想をしていた。
確かに朝起きたとき、空は重く暗い雲が覆っていたが、やっぱり・・・だった。
テレビ観戦で、白い帽子を目深にかぶり、サングラス姿で土佐礼子の後ろにつけたQちゃんの走りにはいつもの軽快な爽やかさが見られなかった。後半、失速してから、アップでとらえられたQちゃんの表情に34歳の年齢を感じてしまったのは、カメだけだろうか。

2006/11/18

◆おためごかしの連鎖はもうやめてはどうか・・・

にしても、おためごかしの連鎖はもうやめにしてはどうか。本音で喋ることが憚られる世の中はやはり、どうかと思う。核論議だけではない。教育も、医療も、福祉も、少子高齢化も、格差是正も、そうだ。
こんな隔靴掻痒の論議がいつから好きになったのか。もっと、直に患部を引っ掻きまわしてもいいんじゃないか。人権だ、弱者だ、環境だ・・・などタブー視するのはもういい。腫れ物に触るような論議からは、何もうまれない。甘えを増長させるだけだ。
福祉行政について「供給が需要を喚起する」とさる方は喝破した。その通りだと思うし、それは福祉だけにとどまらない。ありとあらゆる分野で、その法則は当てはまる。
一方で、自己責任とか、結果責任とかが問われるようになってきた。かつては、なかった価値観だ。まあまあ、なあなあで済ませてきたものが、そうは問屋がおろさなくなったのだ。
いずれも、欧米化とか、グローバルスタンダードといった、これまで日本にはなかった価値観の積極的な導入、浸透によって、旧き良き日本伝来の価値観があっという間に破棄させられた格好で、何とも釈然としないし、おかしいと思う。これらも世界の潮流といわれれば、そうなのだろうが、何が何でもそうした流れに身を委ねることはあるまい。
日本のいまの現実をなぜ直視しようとしないのか。現実を踏まえながらの具体的な議論がなぜ出来ないのか。抽象的な観念論を披露し合うのは、議論のための議論・・・ゲームでしかなく、具体的な、身になる結論は得られない。ストレスが溜まるばかりだ。
カメは、こうした無益な論議ではない、おためごかしの連鎖を一気にひっくり返す、外道の外道たる腹案を一つ抱えているのだが、稿を改める。

2006/11/17

◆面白くないTV番組・・・中古ビデオ楽しむ


にしても、近ごろテレビ番組が面白くない。
ゴールデンタイムから深夜にかけて、どこの局を選んでもお笑い芸人が跋扈して、同じ顔を何度も見せられるのには辟易する。内容も、作り方も各局とも似たり寄ったりで、いまは、オーバーなナレーション付きの再現ドラマが全盛。そのテーマ設定も下手な誇張が目立ち、腹立たしいだけだ。その手法がバラエティ、ワイドショーだけでなく、報道、ニュース番組まで侵食しているから呆れて、不快感が募る。
先日、近くのレンタルビデオ店で中古ビデオを販売していて、のぞいてみたら何かのキャンペーンとかで、1本100円だった。そんなに多くはなかったが、その中から5本ほど買って、バカバカしいだけのテレビを見ないでビデオを鑑賞したら、これが結構面白い。
以降、中古ビデオを販売している店があれば、のぞいてはあれこれ面白そうなものを手に入れている。ジャンルはミステリーが多いのだが・・・。1本100円は、そのキャンペーン時だけだった。一番安い店は3本500円。あとは1本200円から300円。500円になると、根がケチだけにちょっと手を出せない。それでも、もう全部で30本は超したか・・・。
かつて、若いころは映画好きだった。ロードショーは見ないで、もっぱら2本立て、3本立てで500円ぐらいだった。
でも、この2、30年間はほとんど見ていない。10年ほど前だったか、ロードショーで法廷物を見に行ったところ、冒頭の法廷内のシーンを見つめていて、気がついたらまだ法廷内のシーンが続いている。あれあれと・・・気がついたら、その間ぐっすり寝込んでいたのだ。1800円の入場料は高かった。そんなことが、何度か続いて、映画館から足が遠のいていた。
いまはシルバー料金だから、1000円で見られるようになったのだが、映画館に出かけたくなるほど魅力的な映画の宣伝に触れていない。やはり、娯楽の選択肢が増え、特にカメの場合、それはパソコンであり、Webの世界だ。社会的現象になるほどの映画が登場すれば、考えるだろうが・・・。
もう、予告編に騙されたくはない。いったん映画館に入ってしまえば、途中で出るのも癪の種だ。
中古のビデオなら、居ながらにして見られるし、途中で止めて、そのままにも、もう一度見ることもできる。
溜まり始めたこの中古ビデオ、実はどう廃棄しようかと、悩み始めている。

2006/11/16

◆淋しい? 独りの方が気楽でいいじゃない・・・

にしても、先夜久しぶりに飲んだあと終電で帰って部屋に着き、電気をつけ、テレビのスイッチを入れ、ほっとした。つくづく、独り暮らしはやっぱりいいよなぁと、思った。
誰もいない、誰も待っていない、暗い冷たい部屋に帰った時、淋しくない?とは、よく聞かれるが、どう答えたものか、戸惑うことも多いのだが、ひと言でいえば、淋しくない。実は、淋しいという情緒が欠落しているといった方が正確かもしれない。
どうして淋しいの? 気楽でいいじゃない・・・とも続けるのだが、怪訝な表情を浮かべる方が多い。それは、それで理解はできるのだが・・・。
それは、生命保険とか不動産会社が提唱する家族団らんCMのイメージであり、旧来からの家族、夫婦、親子の絆からくる呪縛だ。その絆の太さ、細さが淋しさを感じさせるのだろうか。そうした呪縛から解放されているのが外道であり、その選択は個々人の生きざまで、外道はやはり少数派だ。
さて、その実態はどうかといえば、ほのぼのとした一家団らんは、CMだけのいわばバーチャル世界だろう。その乖離があまりにも大きいため、その狭間で人はみな悩み苦しみ、もがき、のた打ち回っている。
それが人生とも、人間らしいともいえるのだが、その呪縛の中で、ある人はストレスを溜め込んでガンに侵されたり、ある人は自暴自棄になって破壊行動に突っ走ったり、ある人は八方塞りになって自らの命を絶ったりして、マスコミの格好の餌食となる。
だから、大半の人は一家団らんからはみ出したり、肌のぬくもりが感じられないと、淋しいと感じるのだろう。いつも誰かにすがっていたいのだ。その最高の形が愛とか、幸福といったものなのだろうが、これらは抽象的な概念で、捉え方は人それぞれだ。当事者がどう思うか、どう感じているか・・・であり、それも多くは他人との関わり、相対的な自己評価でしかない。
他人の目を気にせず、他人への気配り、思いやりといった配慮を止め、自分だけ、自分さえ良ければいい自己中心、我が侭、勝手気まま・・・実のところ、カメはそんな生きざまを続け、いまに至っている。
他人は他人、自分は自分・・・を徹底すると外道というわけだ。外道を名乗ったのは、つい最近のことである。

2006/11/15

◆背任罪なんて、サラリーマンの勲章・・・

にしても、いくつになっても同級生の動静は気になるようだ。先日も本ブログにアップしたが、カメの同級生は小市民ばかりで著名人はいないし、大企業の社長は勿論、役員に昇任したという話も聞いたことがない。
ところが、今春、背任容疑で逮捕された同級生がいた・・・と、昨夕、高校時代の同級生からメールが入った。彼の中学時代の同級生で、当時、一緒に麻雀をして遊んだ仲間だという。東京の中堅信金の理事長になっていたそうだ。
Webで検索してみると、確かにあった。暴力団幹部が関係する会社に約4億円を融資し、大半を焦げ付かせたとして信金の会長と暴力団総長らとともに警視庁に逮捕されていた。
容疑によると、会長と総長が旧い付き合いで、同級生の理事長がどこまで関わっていたかは不明だが、当然、断るに断われなかったのだろう。想像するに、同級生は相当怖い思いをしたと思う。
それだけでなく、信金では他にも同様の暴力団がらみの案件は多かったはずだ。それに直接、間接に関わりながら、胃の痛みを抑えつつ、会長の信任を得て理事長の椅子を禅譲されたのだろう。聞くも涙、語るも涙・・・それこそ棺桶の中まで持ち込まなければならないような話もかなりあるはずだ。
カメも、メールを送ってきた同級生も、サラリーマンの落ちこぼれで、そうした胃が痛くなるほど仕事に没入したことはないし、どちらかといえば、そうしたガチンコ・サラリーマンを冷ややかに眺めて過ごしてきた。
カメは、逮捕された理事長とは面識がないが、これも人生・・・、同級生に筋金入りの金融マンもいたのか、と感心しきりだ。
背任なら5年以下の懲役、 もしくは50万円以下の罰金だが、多分、執行猶予はつくはずだし、マスメディアが判決まで報じるほどの事件でもない。人の噂も75日、関心を持ち続けるのは情報量が少ない同級生同士ぐらいか・・・。
一昨年だったか、千葉のゴルフ場でオープンコンペに参加した際、一緒にラウンドした初対面の初老の男性は貫禄があり、話も面白く、プレイはシングル級で大物の風格を漂わせていた。
帰って、その方の氏名をWebで検索してみたら、やはり・・・、ゼネコンの元取締役で5年ほど前の贈収賄事件で逮捕され、有罪。執行猶予中のラウンドだったのだ。
カメにとって、談合とか、贈収賄とか、横領、背任といった行為は如何に一生懸命仕事をしたか、それこそサラリーマンの勲章に思えるのだが・・・。

2006/11/14

◆慌てず、焦らず、急がずはリラクゼーション・・・

にしても、慌てず、焦らず、急がず・・・はカメの久々の箴言ではないか。これは、パソコンとの付き合い方で悟ったもので、昨日付けのブログにアップして、その含蓄に我ながら感心した。
実は、日常生活でも、それを無意識に実践していることに思い当たったのだ。あらゆる動作がノロノロ、グズグズ・・・、テンポが遅い。ま、何かしなくてはならないことがないのだから、それでも不都合、不具合はない。
いつごろからだったか、起床から体が目覚めるまでに最低1時間はかかっている。タバコに火を点け、新聞を手に、トイレでしゃがみ、次に歯磨き、洗顔、頭皮にトニックを噴射してセット、入れ歯の装着・・・、あとは、アイスコーヒーを飲みながら、タバコを吸いながら新聞に目を通す。これらが朝の定番メニューでたっぷり1時間はかかる。パソコンを開くのは、その後だ。
身体機能の衰えは否めない。そのつもりでも、その通り体が反応しない。ゴルフに例えれば、イメージと実際のスイングが合致せずバラバラというわけ。そこでイライラしても、どうにもならない。結果は、結果で、そんなもの。それは、しょうがないことなのだ。
日々、脳細胞も急ピッチで死滅しているのを実感する。先日は、Webで見つけた脳年齢テストにトライしてみたら、脳細胞はすでに全滅していて、本人が死んでいることにも気付いていない、生体反応だけで生きている・・・との評価に唖然としながらも納得したものだ。
何かをしようと思いついて立ち上がったものの、何をするか失念しているなんてことは日常茶飯事だ。でも、慌てず、焦らず、急がず・・・、目に入った、別のことをして事なかれ、である。
自転車に乗って街に出ても、キョロキョロしてなかなか真っ直ぐ進んでいない。ペタルを目いっぱい踏んでスピードを出すとちょっとした恐怖感に襲われる。ランチタイムの食堂に入っても、食事に時間がかかる。かつては早飯で鳴らしていたというのに、後から合席した若いサラリーマンの方が先に立ち上がる。駅前にある立ち食いソバ屋で食券を買おうと自販機に硬貨を投入したままボタンを押すのに時間がかかり、後ろに行列ができることも多い。肉ソバを食べるつもりが、自販機のボタンを探すうちに他のメニューが目に入って迷ってしまうのだ。
振り返れば、同様のケースはまだまだ数え切れないほどだ。でも、この慌てず、焦らず、急がず・・・3要素のお陰でまだ生き永らえている。まさに、この3要素は、いまのカメの信条であるリラクゼーションに通じている。

2006/11/13

◆週末の土日、一歩も部屋を出ずに過ごす

にしても、先の週末(11、12日)は気がつけば、一歩も部屋を出ずに過ごしていた。土曜日はほぼ終日雨、昨日曜日は晴れたものの木枯らし1号が吹いて(昨年と同じ日)やたら寒かったとはいえ、珍しいことだ。
何をしていたかといえば、2日間ともWebだ。すでにPC歴は10年を超すが相変わらずの超初心者、HTMLの世界はチンプンカンプンだ。でも、いまは慌てず、焦らず、急がず・・・を3大モットーにできるほどには進化していると思う。
で、この1ヶ月余のテーマは、このブログのサイトマップ作成なのだが・・・。Googleウェブマスターのマニュアルを読みながらあれこれトライしているのだが、さっぱり進まない。それも、同じことを何度か繰り返してもいる。
11日の土曜日は、ノルマのブログをアップした昼過ぎからGoogle検索で別の入り口を探したところ「簡単にサイトマップ作成できるツール」を見つけ、新規にトライしてみたら・・・。何と、何と、何も理解できないままに手順に従っていたら、夕方には「サイトマップXMLが完成しました! おめでとうございます」とのメッセージ。
思わずにっこりしたが、続いての難題・・・。それをサーバーにアップロードしなければならない。これが、また理解不能だ。
Q&Aで「ツールを使いサイトマップの作成は出来ましたが、そのサイトマップをどのようにサーバーにUPしたら良いのでしょうか?」とカメと同レベルのQを見つけ期待したが、回答はなし・・・。この世界の怖さだが、あまりにもレベルの低いQは無視される。
いったん休憩して、「FFFTP」を使ったファイルのアップロードにたどりつく。で、こんなメモを作成・・・。
「でもなあ、今回は徐々に進んでいる、手応えを感じながら、だ。もう、一息・・・。ここで、面倒臭くなっては、また、振り出し、や」
そのうち、「お客様の URL が追加されました」。で、「確認ファイルが見つかりませんでした」。日付が変わって「該当するページが見つかりませんでした」。
12日もブログをアップした昼下がりから続き・・・。
その結果は「確認メタ タグを検出しましたが、コンテンツが適切ではありませんでした。完全に Google で必要とするコンテンツにしていただきますよう、お願いいたします」とのメッセージの繰り返しに終始した。
この間、TVで52歳・中嶋常幸の4年ぶりのツアー優勝、伊藤園レディスでの白戸由香の自滅、ヒルマン監督の胴上げ、ジャンクスポーツ、行列のできる法律相談所は“ながら視聴”。12日の日付が変わって直ぐのメモに「眠いよ、もう・・・」と書いていた。

2006/11/12

◆「社畜」をGoogleで検索してみたら・・・

にしても、サラリーマンは玩具にされている。
カメが最初に会社に入った昭和40年代の初め、定年は55歳だった。それが60歳に引き上げられたもののバブルの崩壊後はリストラが進行、それは空文化していたが、今度は改正高年齢者雇用安定法(平成18年4月施行)によって企業に65歳までの段階的な雇用延長が義務づけられた。
カメは幸い?該当しないが、何とも身勝手なルール改正だと思う。
でも、団塊の世代に属するサラリーマンは何となくホッとしていることだろう。漠然とした不安に駆られながらも定年後の絵を描けないサラリーマンがほとんどだ。社畜と呼ばれ、唯々諾々とするばかりで、自我も尊厳をも喪失してしまっている悲しきサラリーマンの性である。
社畜という言葉は「日本のサラリ-マンは、会社第一主義で自閉症ならぬ社閉症に陥り、会社に飼われた家畜ならぬ社畜となって、会社と社会、あるいは自分と社会との関係を見失ってしまう」と喝破した評論家、佐高信の造語だ。
くだいて云えば、会社に飼いならされ会社の言いなりになって、一般的な倫理観を失ったサラリーマンを揶揄する。
実は、この言葉、初めて聞いたときは鳥肌が起ったものだ。社内で、この言葉を使うことはタブーだと思った。取引先の大企業の役員は「一生懸命、会社のために寝食を忘れて仕事をしている社員に対する冒涜だ。こんなことをいう奴は許せない」と烈火のごとく怒って同意を求められたが、曖昧に応ずるしかなかった。
昨日、本ブログに「人生半分」について書いていて、社畜を思い出し、念の為、Googleで検索してみたところ、結果は多いのか、少ないのか・・・約 6万3100 件。そのうちの幾つかをチェックしてみたが、カメと同様サラリーマンの落ちこぼれだろう、社畜を肯定しながらも自嘲気味なものが多かった。カメはこの言葉を吐いたら、もうオシマイよ・・・とタブー視していただけに、ちょっと意外だったし、嬉しくもあった。
カメは、わが身を振り返り、社畜にならず、なれなくて、本当によかったと改めて思う。

2006/11/11

◆「人生半分」・・・サラリーマン症候群の歌?

にしても、先夜、カラオケスナックで初めてサラリーマン症候群ともいえる歌を聴いて目頭が熱くなった。湯原昌幸の「人生半分」・・・。サラリーマン失格のカメには泣ける? 笑える歌詞だった。

おまえも知ってのとおり/いつもガムシャラだった/雨の日も風の日もろくに休まず眠らずに/家族の笑顔を励みにしながら/会社に尽くしてきたのは云うまでもない・・・人生半分/まだまだ半分/人生半分50で始まる夢がある・・・この先まだまだ続く人生/今やっと見えてきた気がする・・・
だって、さ。
歌っていたのは、まさにこの歌詞と同世代の常連のサラリーマン。真面目なんだろうな、と思う。一生懸命サラリーマンをしている・・・と思うと、泣けてくるのだ。
我慢に我慢を重ねて、それに慣れて、それが当たり前になって・・・、そうならないとサラリーマンは続けられない。それが、まさにサラリーマン症候群であり、それが嫌でカメは辞めた、落ちこぼれた、とも。
サラリーマンのどこがそんなにいいの? とは触れてはいけないと、わかってはいても聞いてみたくなる。そのくせ、「人生半分50で始まる夢がある」なんてフレーズに自らの本来の想いを託しているのだろうが、実は、サラリーマン症候群の症状は、そんなに軽いものではない。重症だ。幾つになっても、抜けられない。抜けたくもないのだ。もう体の芯まで沁み込んでいる。
退職しても、サラリーマン症候群を引きずったままで、まず治らない。治りたくないのだ。時に、居酒屋で会社の同窓会などに居合わせることがある。その席を見ても、相変わらずそこには上下関係が存在し、それが心地いいのだろう、活き活きして見えるのだ。昔に戻って安心でき、癒されるのである。
「50で始まる夢がある」なんて夢には誰も触れようともしない。50でロスタイム入りなんて外道の発想なんだよなぁと思うが、カメはカメでそれを気に入っている。

2006/11/10

◆自殺予告は“おためごかし”の連鎖だ

にしても、マスメディアは“おためごかし”の煽り屋だ。文部大臣宛ての自殺予告の手紙が2通になったが、まだまだ増えそうな雲行きだ。
これはまさに“おためごかし”の連鎖ではないのか。改めていうまでもないが、家庭、学校、社会、それぞれの絆がズタズタに切れてしまった結果、やはり、それぞれが“おためごかし”を決め込んでいる。何とも、腹立たしい連鎖だ。
大臣に手紙を送るという発想が生まれてくるのは、まさにマスメディアの責任だろう。表面は人のためにするように見せかけて、実は自分の利益を図ることしか考えていない“おためごかし”の煽り屋の正体がとうに露呈しているのだ。
いまや、子供の目から見れば・・・、大人にも通じるが、何より、個々人にとっての両親、友達、先生、上司、社長といった存在がその役割を果たしていない。子供と直接、生で関わることを避けている。見て見ぬ振りである。悩みを抱えた子供は孤立するばかりだ。
そうした関係、或いは愛とか信頼、喜怒哀楽とかは、メディアが提供する低俗なドラマや、ニュース、ワイドショーで展開される劇画的、簡略化された建前、おためごかしの世界を通じて何となくイメージするしかない。それも、バーチャルの世界と承知の上で・・・だ。
だから、子供も大人も、実際の自分の周囲の現実を現実として受け入れられず、また、その現実と向き合うことが出来なくなって、人と人の関係はもう煩わしいだけになっている。
自分の悩みを誰にも相談できず、大臣に手紙を送ることによってしか、みんなにその悩みを打ち明けられなくなっているのだ。その手紙を巡って、役人が右往左往し、大臣がテレビを通じて呼びかけたり・・・の茶番劇を見て秘かに溜飲を下げたところで、その悩みの解決にはならない。
悩みは当事者が一人で悩み苦しんで、結論を出すしかない。甘ったれるな、だ。ほっとけばいい。生きようが、死のうが・・・自己責任に任せればいい。外道のカメはそうしているし、そのつもりだ。
自殺予告の手紙を報じるマスコミはただその現象を面白がっているだけだ。

2006/11/09

◆これが見納め? 夕陽と富士山


にしても、夕陽を浴びる富士山の雄姿は、怖れ多くも悠然として、何ともいえず恭しい。アップした画像は昨夕、東京・蒲田にあるマンション10階からデジカメで撮った。
夕陽と日の出はどう違うのか。カメは断然夕陽のほうが好きだ。今春、ホームページを立ち上げようと、その背景に夕陽のイメージを探したが、フリーのサイトだからなのか、なかなか見つからない。やっと見つけて、どれにしようか迷ったのだが、夕焼け空と朝焼け空の区別がつかなかった。
結局、不満なまま選んでみたのだが、居酒屋でよく一緒になるビデオプロダクションの社長に聞いてみると、その区別はつかない・・・とのこと。
なぁ~んだ、なのだが、カメには朝焼けにはギラギラした透明感があり、夕焼けはギラギラ感がなく、落ち着いて穏やかな温かみを感じるのだが、如何だろうか。
竜巻から一夜明けての秋晴れの夕方、カメの住むマンションから富士山が見えることを思い出し、日の入りの時間を新聞で探したが、これまで天気図の下あたりにあったはずなのに見当たらない。はて、いつからなくなったのか。
Webで天気のコンテンツを探してみたが、日の出、日の入りの時刻は、やはりない。結局、天文台のホームページで見つけたのだが、一体どうしたことか。釣りのページなら掲載されているのかもしれないが・・・。
富士山はマンション10階廊下の外れから、西方に望める。デジカメを持って待機した画像は、ご覧の通りだ。欲をいえば、富士山の背後に夕陽が沈むカットが欲しかったのだが・・・。
やはり、富士山に注ぐ夕陽はあくまでも暖かく、優しく、心が和む。富士山には悠々自適の余裕まで感じた。
太陽は何事もなかったように、また明日の夜明け、日の入りを未来永劫に知らせてくれる。カメは、この夕陽と富士山をあと何回見ることができるのだろうか。これが、見納めになるかもしれない。あぁ~。

2006/11/08

◆なるほど、なるほど、久々の“堀江節”楽しむ


にしても、久々の“堀江節”を楽しめた。なるほど、なるほど、ねぇ・・・である。
ライブドア(LD)事件の第21回公判が昨日、東京地裁で開かれホリエモンに対する被告人質問が始まり、ホリエモンは宮内亮治被告について「辞められたら困るので腫れ物に触るように扱った」と供述、「軍隊じゃないんで(私が)グループ全体を強力に指揮統括していたというのは実態と違う」と検察側の構図を否定し、実際は宮内被告の顔色をうかがいながらの経営だったことを強調したそうだ。これまでの公判でも、LDの経営戦略は大学のサークルのノリだったとも伝えられたが、多分、その通りだろう。
ただ、浅学菲才、付和雷同型のカメはLDの株価の動きに魅入られ、昨年秋から持ち株を全部LDに乗り換える準備をしていた。その時、500円前後で入手したLD株が確か200株ほどあり、カメの他の保有株全てをLD株にしようと決断したのだった。加熱相場の雰囲気に呑まれ、いずれ近いうちに急騰間違いなしと確信したのだ。
が、当時の株価は700円超で推移していてなかなか踏ん切りがつかず、模様眺めを続けていた。それでも、ちょこちょこ、10株、20株と買い増しして、全部で500株ほど集めただろうか。
年が明けて、根拠はないが何となくキナ臭さは感じたものの、LDに便乗して高値で売り逃げすればいいやと思っていた矢先に、突然、地検の強制捜査が入って茫然自失である。やられた! それはないよなぁと地検の不当捜査と感じ、ホリエモンには“出る杭は打たれる”かと同情したものだ。
ノリとも知らず、LD便乗したカメの自己責任ではあるのだが、ニッポン放送に始まるホリエモンがらみの損はトータルで100万円ほどにはなろうか。もっとも、強制捜査が入らなければ、カメの損はもっと膨らんでいたかもしれないとも思う。
それでも、ホリエモンへの憎しみはない。あくまでも、愛すべき、可愛らしい得なキャラだ。逮捕についても不思議だし、不当と感じた。検察の傲慢、思い上がりもここまで・・・と何とも不快だった。
その後、ダイヤモンド社から刊行された田中慎一氏による「ライブドア監査人の告白 私はなぜ粉飾を止められなかったのか」を読んで、検察の筋書きがやっと読めた。ノリだ、何だかんだといったところで、決算書に社長として署名押印したら、知らなかった、報告を受けていなかった・・・では通らない。確かに、ホリエモンは粉飾など知らなかったと思う。
でも、結果責任は負わなければならないわけで、ホリエモンの有罪判決はやむを得ないだろう。ロスタイムに入っているカメと違い、ホリエモンはいまハーフタイム・・・、後半も奇想天外なプレーでファンを沸かせて欲しい。

2006/11/07

◆ミネラルウォーター飲んで結果的に禁酒状態・・・

にしても、このところ自宅でアルコールを飲まなくなった。夕食時、就寝前に飲むのが習慣になっていたのだが・・・。もちろん、ビール、ウィスキー、焼酎の買い置きはあるのに、なぜか。もったいない、金がかかるからではない。
ミネラルウォーターを飲むようになってからのようだ。当初は、ウィスキー、焼酎をミネラルウォーターで割って飲んでいた。そのために、2Lのペットボトルを買っていたのだが、なかなか減らない。で、ミネラルウォーターを生のまま朝から飲むようになった。と、案外と旨い。つい、そのまま、ミネラルウォーターだけを飲み続けている。
タバコと違って、アルコールはそんなに量を飲む方ではない。何となく飲んでいた。軽い酔い心地を楽しむ程度だ。日本酒、ワインは頭にきて、駄目だ。
ある量を超すと、コップのビールをチビチビと飲む。友人にウィスキーみたいに飲んでいると、呆れられたこともある。
それでも気分がいいと、居酒屋やスナックで時に足をとられるほどに酔うこともあり、それはそれで気持ちのいいものだ。
結果的には、禁酒状態になるのだが、体調に何か変化があるのかといえば、まだはっきりしていない。ただ、微弱ながらこれまでなかった朝勃ちが見られるようになり、不思議に感じている。この因果関係について結論を出すのにはまだ時間がかかりそうだ。
それより何より、ミネラルウォーターを買って飲むなんて、カメにとっては信じられないことだ。かつて、イザヤ・ベンダサンが指摘したように“水と安全はただ”と思って暮らしてきたのだ。が、最近の水道水は、カメの歳、体調にもよるのかもしれないが、あまり旨くない。タイはバンコクに行くとペットボトル詰めのミネラルウォーターがないと暮らせない。バンコクではアイスコーヒーや水割りウィスキーの氷も水道水で製氷しているとあってコップから取り出す人も多いし、オーダーの際、氷の有無を聞かれることがある。
日本ミネラルウォーター協会のホームページにアクセスしてみたら、ミネラルウォーター市場は平成元年からの13年間で10倍あまりに拡大しており、今やミネラルウォーターは生活必需品となりつつあるそうだ。
「shop99」でカメの手が2Lのペットボトルに伸びるのも、時代の流れなのかな、とも感じる。

2006/11/06

◆ゴーストライターは影の存在でしかないのに


にしても、役者の格の違い、器の違いを思い知らされた。だから、キャスティングの段階ですでに失敗作・・・、お粗末でしたとしかいいようがない。松本幸四郎主演のテレビ朝日系スペシャルドラマ「信長の棺」、珍しく原作を読んでいて、期待して見たのに・・・、幸四郎の存在感が原作をぶち壊してしまった。
幸四郎の役回りは織田信長の実在の側近であり、いわば信長のゴーストライターである太田牛一なる事務官なのに、その存在感があまりにも大きすぎる。

ゴーストライターとは、そもそも影の存在、黒子役だ。天下をうかがう巨大な存在である信長役がTOKIOの松岡昌宏あたりでは勝負にならない。主従関係が逆転して見え、それだけでドラマに入っていけない。何とも、がっかりした。これは、プロデューサーの責任だろう。何より、幸四郎の役どころではないのだ。原作を読んでいるからこその感想だ。

小泉首相が愛読したと知って、「信長の棺」は読んでみた。
信長、秀吉、家康の話は、カメでもこれまであれこれ親しんできただけに、その生涯、時代背景など、ある程度は知っている。
ところが、火を放たれ全焼した本能寺の焼け跡のどこを捜しても、不思議なことに信長の遺骸は発見されなかったという・・・ゴーストライターがその謎に迫っていくという新たな視点に驚かされ、久々にワクワクして読んだ。
と同時に、作者・加藤廣、75歳の処女小説と聞いて、よくぞ!参った・・・と感服したものだ。
加藤さんがテレビドラマ化された「信長の棺」を見ていたら、感想を聞いてみたいものだ。

2006/11/05

◆日本で2番目に旨いラーメン見つけた・・・


にしても、久々に旨いものを食った。嬉しくて、嬉しくて、目蓋が熱くなった。感激だった。
近所の商店街にある中華料理店の広東麺・・・。肉、筍、白菜、キクラゲ、椎茸たっぷりのうま煮が載った細麺のラーメンで、豚バラ肉の厚切りがふんだんに使っているのが嬉しい。スープはうま煮のタレをベースにしていて、コクがありながら、さっぱりしている。カメにとっては、まさに感涙のラーメンだ。
700円は決して安くはないが、懐かしい味とコクで、やっと旨いものにたどりついた感じだ。
元々、ラーメンは大好き・・・。が、このところのラーメンブームに乗って相次いで登場する新興ラーメンではない。昔ながらの鶏がらスープに縮れ細麺タイプ・・・。
東京は荻窪生まれのカメは、いわばラーメンのメッカで育ったようなもので、当時ラーメンは御馳走だったし、その味についてはちょっと一言ある。なんせ、本当に旨い、癖になる、荻窪を離れてからも思い出す、日本一のラーメンだ。もっとも、それはあくまでもカメ個人の味覚である。それを吹聴するつもりはない。でも、マスコミでラーメン特集などが始まった当初はよく紹介されていて、秘かにほくそ笑んだものだ。
東京に札幌ラーメンが進出、その後は新興のラーメンが次々に登場して、その度にカメは一度はその味を試しているが、もはや、それらはラーメンではないと思った。まず何より高価で、ラーメンとは呼べない別の料理だ。だから、一度は試食してみるが、リピートする店は少ない。
そのうち気がついた。ラーメンに関して「日本一」というのは実に人さまざまで、ほぼ全員がそれぞれの「日本一」を持っているのだ。かつて、通勤途上の東京駅八重洲口にちょっと気に入っているラーメン店があり、スポンサー筋のエライさんに「日本で二番目に旨いラーメン屋」といってそこに案内し、感心されたこともある。
入れ歯の所為で食べる楽しみを失ったカメに、今回見つけた広東麺は何よりのご馳走になりそうだ。

2006/11/04

◆曇り空には体の生理が反応しない・・・

にしても、曇り空には体の生理が反応しない。眠ったままだ。今朝は8時にいったん目覚めたものの、再びそのまま寝て起きたのは10時10分だった。
早起きしてもやらなければならないことは何もない。おっと、このブログのアップだけだ。それに予定もないとあっては、寝るっきゃないか・・・。
もっとも、目覚めたときに晴れていると、自然に体が反応して起きてしまう。体は正直なものだと思う。生体のリズムは太陽の活動と連動しているのだ。

かつて、数年間、深夜勤務が続き、明け方、タクシーで帰宅する日々が続いた。で、寝て、勤務は夕方からだった。日没から日の出までが仕事という太陽活動とはまったく逆の生活リズムだ。
その当時、気付いたことだが、帰宅時間は午前3時から4時ごろで、蒲団に入るのが4時前だと直ぐに眠れるのだが、4時を過ぎてしまうとなかなか寝付けない。
夏場など、日の出の時間と重なることが多くなる。と、体は疲れているはずなのに、体が日の出を感じて目覚めてしまい、寝るのに苦労したものだ。なるほど、生体のバイオリズムは太陽活動と連動しているのだと実感して、帰宅後は日の出前に床に着くようにしていた。
何としても、太陽には逆らえない。何とも巨大な宇宙のパワーだ。
体だけではなく脳までも同様に反応する。晴れていると、それだけでウキウキ、ワクワクしているし、何となく活力が湧いてくるし、何か嬉しくなる。
曇っていたり、雨だと、体からは腐臭が漂ってくるようだし、気分は鬱陶しく、全てがダラダラと推移する。
外道の世界に足を踏み入れても、カメの生体は太陽のパワーに束縛され、支配されている。こればかりは、どうあがいてみても、どうすることも出来ない。

2006/11/03

◆同級生になぜ著名人が少ないのか・・・

にしても、秋の褒章で桂三枝(63歳)が紫綬褒章を受章したそうで、改めてカメの同級生に著名人が少ないことを認識した。
昔から、この世代に著名人がいないのは時代背景が大きな要因になっていると感じていた。敗戦時は乳飲み子でその記憶はなく、小中学校時代は親も学校も価値観の大きな変革期でどうしつけたらいいか、どう教育したらいいのか、その指針を失い戸惑っていた時代だ。確固とした信念、信条をもてない時代だったからだろう、のんべんだらり、右顧左眄しながら、何となく育ってしまった気がする。
それを痛感させられるのは、60年安保と大学紛争だ。60年安保の際は高校生で何を騒いでいるのか理解できなかったし、大学紛争の際は京都にいてパチンコ三昧、いまもそうだが、自我が確立していなかった。
社会人になってから、60年安保を体験した先輩と大学紛争を体験した後輩をみて、強くそれを感じさせられたものだ。
カメの世代はほとんどが日和って、シラケていて、そうした体験をしている先輩、後輩が何とも逞しく映ったものだ。そんな時、マスコミを通じて初めて同級生の名前を見たのが青木功(1942.8生まれ)で、いささか誇らしく思ったものだ。が、文学芸術分野からは現れなかった。
その後、桂三枝(1943.7生まれ)、米長邦雄(1943.6生まれ)が同じ歳と知ったのだが、カメは早生まれだから、学年は一つ下だ。
同学年を認識したのは、小沢一郎(1942.5生まれ)が脚光を浴びてからだ。小泉純一郎(1942.1生まれ)も同級生かと思ったが、ちょうど1年上だった。ちなみに、Webで検索したら、何と作家の広瀬隆がカメと誕生日が一緒で驚かされた。
その点、桂三枝はTVの「ヤングOh!Oh!」から見始め、「新婚さんいらっしゃい」はいまでも見ていて、それはもう今年で35年目を迎えるというから、凄いことだと感心しきりだ。1年後輩とはいえ、同世代としてずっと付き合ってきたような思い入れは強い。紫綬褒章の受章は何とも目出度い。

2006/11/02

◆急かせているようですいません・・・

にしても、なぜ、どうして・・・と聞くのは野暮だし、面倒くさい。そんなにややこしい話ではない。いまさら・・・だし、推察できる。多分、的中だ。
昨夕、高校時代の同級生からメールが来て、こんど札幌にカミサン同伴で行くことにした・・・と。3人の子供はすでに独立している。札幌で何をするのかは書いていない。
彼はカメと同様、東京生まれの東京育ちだ。20数年前、仕事の関係で宇都宮に移り、5、6年前からは仙台暮らしだ。で、こんどは札幌、これから部屋を探しに行くそうだ。
一生懸命に生きている、生きようとしている様子は伺える。とはいえ、この歳になって、居を移すとは・・・。それも、寒い土地に・・・。カメには、とても信じられナーイ。
彼を見ていると、人はこれほど変れるものかと、思う。カミサンの力と信心のパワーだろう。元々は、カメと同様、成り行き任せで、さして努力するタイプではなく、のんべんだらり、楽チンが好きなタイプで、意気が合った。
もっとも、いまだにそれを続けているのは、カメだけのようだ。
半年ほど前、彼へのメールにこう書いた。
表題は「急かせているようですいません・・・」
人生50年、夢幻の如くなり・・・で、ロスタイムが意外と長くなっています。
あと、やらなければならないことは、黄泉の国を訪ねるだけになりました。
で、ちょっと振り返ってみたら、人生の先達と仰ぐ方は貴兄唯一人と思いあたったのでした。
大学進学→就職→転職→結婚→集合住宅購入・・・と人生の節目、節目で、そのつど貴兄の背中を追いかけていました。
残る一つが、まだのようですが・・・、これもお手本がないと・・・というか、お手本を欲しくなっているこの頃です。
ま、Netオタクしながら待っています。@kame

その返信が、半年ほど経った、冒頭の札幌移住のメールだ。
確か、カメはバンコク行きの構想をまだ彼に話していない。

2006/11/01

◆そんなに長生きしてどうするの?

にしても、これまで聞いたことのない病名を耳にすることが増えた。昨夕、TVニュースで加齢黄斑変性なる目の病気を紹介していた。黄斑の加齢に伴う変化によっておこる疾患で、高齢者の失明原因の一つだそうだ。取材を受けた若い医者は「私が医者になったころにはなかった病気・・・」と話していた。
高齢化による病気の一つで、何とも、やりきれない思いに捉われた。人生50年で終えていれば罹患しなくてもよかった病気だ。
もう何年前になるか、「骨粗鬆症」という病名を聞いて驚いたことがある。骨の内部がスカスカになるそうで、不謹慎は承知で、長生きし過ぎだ・・・と直感したものだ。背中や腰が曲がる老化現象も実は骨粗鬆症で、骨から少しずつカルシウムが失われていくのだという。予防法は食事・運動など日頃の生活習慣だそうだが、そんなことまでして長生きしてどうするの?と思ったものだし、いまもそう思う。
カメ個人についていえば、50歳を機に独立、フリーの身になって以来、健康診断なるものを一切受診していない。サラリーマンと違い、健康診断は本人の意思だけだ。それまで、健康診断で何かひっかかったこともないし、何か病気で入院したこともない。
この歳になって、この歳まで生き永らえてきて、もう十分じゃないか、いまさら・・・なのである。サッカーの試合なら既にロスタイムに入っている。たとえ、診断の結果、何か異常が見つかったとして、早期発見だが、その治療をして何年寿命が延びるというのか。ロスタイムが延長されたところで・・・である。
この歳だから、目、歯、マラは既にその症状が出ている。その他のお肉の不具合が自覚症状として現れたら、暫らくは我慢して、何処まで我慢できるかだが、いよいよ我慢できなくなって医者に駆け込むかもしれないが、その時は手遅れでいいと思っている。
で、実は一つだけ実践しているカメ流の健康診断、気持ちいい健康法がある。恥ずかしながら、ウフッ、週1回以上のマス・・・だ。マスについては改めて詳述したい。

2006/10/31

◆ねばならないと心密かに決めて1ヶ月・・・

にしても、ねばならないと心密かに決めて1ヶ月、よくぞ続けたと自らを褒めるとともに、やっとその束縛からは解放されそうだ。
何かといえば、本Blogのことで、10月1日から毎日欠かさず10月いっぱいは続けようと自らに課したのだが・・・、はや31日になって、ウフッ。
しんどかったような、楽しかったような、途中でベータ版に移行して継続に黄信号が灯ったりもしたが、とりあえずは終了して・・・ホッ。
元々、熱しやすく冷めやすい性質のカメだけにいつまで続けられるかは不明だが、まぁ、いいでしょう?これだけ続けられれば・・・。
実は、いま、ねばならないことは一つだけ、洗濯だけだ。ワンルームマンションでの独り暮らし、当初、ねばならないことは炊事、洗濯、掃除の3つを思い浮かべていたが、体験的にねばならないことは洗濯だけだった。掃除はしなくても別に、埃で死ぬわけじゃない・・・し、炊事は予想外に高くつく。料理しても量が多くなって食べ過ぎるし、夏場にはとても無理、無駄だ。
洗濯だけは、止めるわけにはいかない。一回着ただけで捨てて困らないほどの稼ぎもないし、そもそも根がケチときているから、もったいないという思いは人一倍強い。
ねばならないことを一つ追加することは、勝手気侭で面倒臭がりのカメにとって大きな負担なのだが、何とかクリアできたわけで、時間の経つのが早いのに驚いている。さて、いつまで続けられるか・・・。

2006/10/30

◆トイレットペーパーでちょっと贅沢・・・

にしても、ブランド品には手を出せない。その商品の機能が満たされていれば、ブランドの有無は気にならない。ブランドにやたらこだわる人も多いが、気が知れない。生来、ブランドものや高価なものには拒否反応が強いのだ。
ただ、日用雑貨品で近ごろ贅沢しているものがある。トイレットペーパーだ。それまでは、ドラッグストアーの目玉になっていて、300円を切っているかどうかが選択基準になっていた。時に、298円(12ロール)で買って帰る際、他の店で同じ品296円の値札が付いているのを見ると、物凄く損した気になるし、300円以上の値札を見てほくそ笑んでしまう。2円、3円・・・、せいぜい10円の範囲内なのだが、その差が気になる。根がケチだから、その程度の差だとわかりやすいのだ。
居酒屋でビールを飲まずに家で飲めばもっと安く飲めるのは承知で、居酒屋で飲むのはこだわらない。
それが日用雑貨品となると、気になるのだ。で、一度試しにトイレットペーパーの高級品を買ってみた。といって、目玉品より100円も高いわけではない。使ってみて、驚いた。何より、肌触りが良く、快適だった。なるほど、と納得したものだ。安ければいい・・・というケチな根性が恨めしくなり、以後、トイレットペーパーは贅沢している。
実は、トイレットペーパーに関してはもう一つ伏線がある。ウオシュレットの登場である。その快適さは信じられないほど・・・で、癖になる。ウオシュレット付きの新築マンションで育った子供など、大人になって旧来のトイレや、キャンプでのキジ打ちなどは信じられないだろうな、心配したものだ。カメも自宅のトイレをウオシュレットにリニューアルしたくなって、よくよく見たら、ワンルームマンションでユニットバスとあっては、そうそう簡単にはいかないのだ。見当も付かないほど、巨額の改修費がかかることは目に見えていて、あっさり断念していた。
で、トイレットペーパーでちょっと贅沢しているわけで、何とも切なく情けない話なのだが・・・。

2006/10/29

◆衝動買い、あと何回、爪を切るのか・・・




にしても、“禁じ手”のはずの衝動買いをしてしまった。
久々の秋晴れに誘われ何となく自転車で蒲田に出かけ、京急蒲田駅前の商店街に入ったら、新潟燕・三条の金物市が間口2間ほどのレンタルショップで開かれていた。確か、新聞の折り込みチラシでも見たような気がしたが、どうせ高価なものばかりだから、はなから見る対象にはならなかった。でも、店頭の賑やかなディスプレイに惹かれて見るだけ・・・と自転車を止め、のぞいてみた。特に、行き先の当てはない。時間潰しのつもりで・・・。と、足がどんどん店の中に入っていく。
いや、さすがに凄い。あんなものも、こんなものも・・・つい、手にしてみたくなるが、いずれも高価・・・。カメご用達の99円ショップにも並んでいるものがほとんどだが、見ているだけでも、品質の違いは一目瞭然だ。何となく、血が騒ぐ。
レジ横の爪切りコーナーで、女性に「ちょっと、切ってみませんか・・・」と声をかけられた。ヤバイ!とは思ったが、爪切りを手にして試してみたら、イャー、凄い、凄い・・・パチパチ (パチンじゃないのだ) と爪の細片が爪切りの腹の部分に吸い込まれていくようだ。その切れ味にウーンと秘かに唸った。なるほど、なるほど、ねぇ、だ。さすが、これが匠の技か、とも。
いま、爪切りは引き出しに大小2本ある。いずれも99円ショップの代物で、これまではいよいよとならないと爪は切らなかった。切る際は、パチーン、パチーンと大きく切る。時には、爪がグニャッとすることもある。慎重に、おそるおそるの感じだった。足は苦手で、面倒臭い。前屈みになって息を詰めて、爪切りの刃と厚い爪の形に合わせて切ることになるので、辛い。時間もかかる。
そんな、こんなを思い浮かべて、ま、いいか・・・、たまには気持ち良く爪を切るのもいいかな・・・って感じで、買ってしまった。
それも手(1260円)と足(1029円)用の二つで合計2289円(税込み)。
その場で財布を開かず、一晩寝て明日にしようとしていれば、多分“明日”はなかったと思う。衝動買いを“禁じ手”にしているカメにとって大出血なのだが、この出費、少なからず快感ではあった。
帰宅して、手と足の爪を切ってみたが、実にスムーズ、音も軽い。前屈みも少なく、時間もかからず、いや、さすがに違うと感心しきり、独りほくそ笑んだのだが、さて、あと何回、爪を切ることになるのか・・・。

2006/10/28

◆秋晴れに「アリとキリギリス」を思い出す

にしても、秋晴れの目覚めは清々しい。いつもは弛緩したままのお肉がいささか疼き、脳細胞もいささかながら目覚めてくる。と、何かしなければという気に駆られる。といって、カメには何もない。それは、もう始めからわかっていることだから、そこで改めて何か・・・とは考えない。だら~んと弛緩した心身の状態が何より気に入っていて、タイの陽気が懐かしく蘇ってくる。四季がない気候風土から生まれ、醸成されたタイの生活文化の空気だ。自然のまま、気紛れに暮らす。また、それが可能なマイペンライの気風だ。
今日一日、いまが良ければ、それでいいじゃないか・・・。明日、明後日、一週間、一ヶ月、一年先、一体どうなっているのか、どうしたいのか・・・なんてことは考えない。考えて、どうなるものでもない。何故、そんな先のことを考えるのかが、わからない。
イソップ物語のアリとキリギリスの寓話を思い出す。夏の間、アリたちは冬の間の食料をためるために働き続け、キリギリスは歌を歌って遊び、働かない。やがて冬が来て、キリギリスは食べ物を探すが見つからず、アリたちに頼んで、食べ物を分けてもらおうとするが「夏には歌っていたんだから、冬には踊ったらどうだ?」断られるお話・・・。
確かに、タイでは勤勉とか、忙しいとか、慌てるとか、あくせくするといった概念が存在しない。それが、日本人の目には怠惰と映るのだが、タイではそれが当たり前の姿なのだ。冬がなく、一年中Tシャツ一枚で暮らしていれば、それはそうだ。キリギリスには例えられない。
Webで検索してみると、アリとキリギリスの原典はギリシア語で「蝉と蟻たち」。セミになじみの薄いドイツ語圏で風土に合わせてセミがキリギリスに置き換えられたらしい。日本でも、戦国時代イエズス会の宣教師が持ち込んだ際は「セミ」だったが、明治以降、英語版が訳され「キリギリス」となったそうだ。で、その結末も、日本ではアリはキリギリスに食べ物をあげ「好きなことばかりしていると、後で後悔するよ」と諭すのだが、国によっては、キリギリスは餓死してアリの餌・・・だ。そうかと思えばアリは働き過ぎで過労死したとか、キリギリスはアリに音楽会の切符を売りつけ、そのアルバイト収入で冬を過ごした・・・といった“現代版”もあるとか。
四季のないタイで、この寓話はどう伝えられているのだろう。

2006/10/27

◆チンプンカンプン、HTMLの世界は難しい

にしても、HTMLの世界は難しい。チンプンカンプン、よほど的確、簡単なマニュアルを入手しないと、やりたいことができない。イメージ通りの仕上がりにならない。それどころか、それまで積み重ねてきた自分の貴重なデータを破壊しかねない。
ブログはいくつかトライして、やっと本Bloggerにたどりつき、1ヶ月余り。英語が苦手で奥の奥までアクセスできないから、コンテンツがあれこれ豊富なサイトと違い、何より落ち着いていて、操作も簡単なのが気に入っていた。何より、インターナショナルじゃないか。
で、この間、順調に推移してきたが、最近になって何故か画像を添付できない。最初の最初のページでは簡単だったし、プロフィールにも画像はアップできたのだが・・・。その後は何度トライしても、「アップロード完了」メッセージは表示されるのだが、その画像は何処へ行ってしまうのか、ブログには表示されないのだ。ヘルプなどをじっくりチェックしてみても、マニュアル以上のことはわからない。
あと一つ、サイトマップが送信できない。もう5日間ほど、ウェブマスターツールを何度も繰り返し開いているが進展はない。
で、一昨日だったか、Blogger の新しいバージョン 、Beta版が目に留まり、ちょっと恐ろしかったが、思い切って移行してみた。あれっと思う間もなく完了したものの、ブログを開くと、見事に文字化け。
いや、参った。いささか慌てた。それでも、あれこれマニュアルなどをチェックしながら考え込んで、気がついたのがエンコード設定・・・。日本語のシフトJISからEUCに変更してみたが、文字化けは直らない。
改めて、考え込み、一晩明けてから思いついてエンコードをUnicordUTF-8に設定してみた。恐る恐るブログを開いてみると、何と文字化けはなくなって、ちゃんと表示されているではないか。ホッとするとともに、無性に嬉しくなった。
新規に投稿して、メールで転送されてくる投稿文の表題もちゃんと日本語で表示されている。実は、これまでの投稿文の表題は全て文字化けしていたのだ。
続いて、旧投稿文に画像を添付してみたら、一発で完了、表示されていた。
でも、なぜ修正されたのかは理解できない。だから、いつまでもWebには不安感が付きまとって、自信が持てないのだ。
とりあえずは、一歩前進した感じ、まだサイトマップ、広告掲載も残っている。ま、焦らず、ぼちぼちトライしてみよう。

2006/10/26

◆「要介護老人万国徘徊!!!」とメモ帳にあった


にしても、秋風が冷たくなって、バンコクでのメモ帳を繰っていると、懐かしさが募る。そう、メモ帳に「要介護老人万国徘徊!!!」とあって、つい、思い出し笑い・・・。
深夜便で着いたホテルでの朝食バイキングを食いながらのメモ、続きはこうだ・・・。
ついキョロキョロして、視線が定まらない。不自然で緩慢な動作が多い。何か、次の、そのまた次の行動が決められない・・・、というより無目的。何をしたいのか、何をしようとしているのか・・・。別に何もしなくてもいいのだが、何かしなければならないような気がする。それで、何となく焦っている。
カメが大好きな、私は誰? ここは何処? 状態だ。(後に、この状態は官能の海を漂う快感と、カメは認識するのだが・・・)。将棋に例えれば次の一手・・・、それが大したことはない手に拘るも、次の一手が見えてこない感じだ。
(ホテルの)トイレにしゃがみながら、いま気がついた。シャンプーも石鹸も置いてないよ。カオサン通りに行くつもりなれど、決断が着かない。どうする? アイフル。このままでは、ホームレスや・・・の心境だ。
で、昼過ぎバスでカオサン通りに移り、リニューアルが済んだばかりのような外装が綺麗なゲストハウスに惹かれてチェックイン。カオサンでは中の上クラスか、一泊460BT(1380円)。
カオサン通りはバンコクの繁華街、ビジネス街の西、チャオプラヤー川沿いに位置して、BTS(高架鉄道)も地下鉄もなく、足はバスかタクシーしかない。
早速、バスに乗ってチャオプラヤー川を渡り、大型のデパートへ。店内をウロウロしていたらパソコンブースがあり、探していたタイ文字のキーボードが何と190BT(570円)とあって、迷わず購入した。
カオサン通りに戻ろうと、デパートの前からバスに乗った。聞いてはいたが、いやはやバンコクのバスは難しい。たまたま目にした冷房車で、財布の中身をチェックしていたら、いつの間にか目印にしていたチャオプラヤー川を渡っていたようで、気がついたらワット(寺院)巡りをしていた。そのうち、乗客はカメ一人になって、止まったバス停は終点のよう。車掌も運転手もバスを降りてしまった。タイ語で聞くこともできず、ここは何処? 私は誰? で、カメはバスの中でじっと待つしかない。
再び、バスが発車したら、また乗車券を買わされ、参った、参ったと車外に目を凝らしているとチャオプラヤー川を渡って、また、さっきのデパートのビルが目に入った。そこで、やっと事情が飲み込め、慌ててバスを降りて、向かい側に移って、同じ番号のバスに乗り、カオサン通りの入り口で降りられた。
と、まあ、またまたのドジ・・・で、笑えない思いだった。

2006/10/25

◆劣等感からの逃亡・・・とはいい得て妙だ


にしても、バンコク・カオサン通りのバックパッカー暮らしでは哲学させられることが多かった。当時のメモ帳にこうあった。
「そっかぁ、劣等感からの逃亡・・・あたっているかも、ね」「少しでも優越感を感じられる環境に身を委ねようとする・・・これまでの人生そのものの延長線かも」「癒される環境(カオサン通り)、リラクゼーション追及の旅がこれ、逃亡者ともいうか・・・」
カオサン通りは、バックパッカーのメッカといわれ、世界中から若者を中心に集まってくる国際色豊かな街だ。ゲストハウスと呼ばれる宿(合宿所のイメージ)は一泊80BT(240円)からある。食事は一食50BT(150円)程度で済ませられる。
この街をブラブラしていて日本人の姿はほとんど見かけない。欧米、中近東、アジアから来た学生風の若者が多く、中高年はカメと同じで落ちこぼれのように見えてくる。
で、カメはホッとする。癒される構図だ。メモには、こうある・・・
ボケ老人が哲学している。人生の最高最大の目的はリラクゼーション。その環境を求めて川の流れのように巷をさすらい流れて・・・、流れ流れてバンコクまで。黄泉の国と直感してから惚れ込んで・・・。また、いま、その確認、実証の旅に・・・。いいよなぁ。
劣等感からの逃亡・・・とは、それまで気が付かなかったカメの生き様をいい得て妙だ。川の流れに身を委ねてとは以前から感じて公言もしていたが・・・。
例えば、住処を振り返ると、生まれ育ったのが東京都は杉並区、次いで大学時代は京都市、サラリーマンになってからは横浜市、藤沢市・・・といわば山の手でイメージのいい街、いま、東京は下町の蒲田だ。蒲田で暮らしていると、上流の生活を見なくてもすむから落ち着くし、やはりホッとするのだ。
国家ニートになると、蒲田で同じ暮らしを続けていけるようには思えない。で、また流れ流れてたどり着く先がバンコクでのバックパッカー暮らしというわけだ。マイペンライは、リラクゼーションのキーワードにも思えてくる。

2006/10/24

◆官能の坩堝にはまって漂っている感じ・・・


にしても、バンコクでのバックパッカー暮らしは生活必需品だけでOKの世界で、それ以上でも、それ以下でもない・・・。とは、今年5月のバンコクでのメモだ。続けて、生活、暮らしに不要なものは一切いらない、邪魔だし、余計な荷物になるだけ、と。
カメのバックの中にはパソコン、周辺機器、デジカメ、観光ガイド本類、風邪薬など医薬品、歯ブラシ、シャンプーなど日用雑貨品の他はTシャツ、下着など衣類だけ。これで、2週間余りウロウロできたし、一ヵ月でもOKだ。
カオサン通りの路地にあるゲストハウスに泊まった時(一泊300BT=900円)のメモによると、部屋は狭い、ベッドのみ。エアコン、換気扇あり・・・、洗剤、タオルなし、灰皿なし、ミネラルウォーターなし、テーブルなし、掛け布団なし、テレビなし、コンセントなし、トイレットペーパーなし。さすがに、ここは一泊だけで出て、次のゲストハウスでは事前に部屋を見せてもらい(一泊250BT)、エアコンはなかったものの日当たりは良く綺麗で快適、そこには5連泊したのだが・・・。
さて、これからどうする? といって、バンコク・カオサンでは全てがゆるゆると過ぎていく。カメには、夢もなければ、希望もない、目的もない。特に、やりたいことも、やらなければならないこともない。5分後、10分後の姿すら浮かんでこない。
だだ、ぼんやり・・・前後左右をキョロキョロしながら、ただ歩く。
もちろん、タイ語での会話はチンプンカンプンだし、タイ文字も読めないから、混沌としている。カメ一人きりだから、当然、顔見知りもいない。いつも「ここは何処?」「私は誰?」状態だ。そうした混沌とした空気の中に身を委ねているのは好きだ。いわば、官能の坩堝にはまって漂っている感じ・・・。カメにとっては、ちょっとした快感である。
で、排気ガスとほこりを浴びながら歩き回ってクタクタになって、滅茶苦茶くたびれてバタン、キューだ。
無目的にダラダラ過ごした2週間余は何とも貴重な時の流れだった。
「何していたの?」「何しにいったの?」と友人にはよく聞かれるが、無目的にダラダラ・・・という答えに怪訝そうな顔をするのだが、その通りだし、それが外道のカメにとっては最高のリラクゼーションなのだ。

2006/10/23

◆明日は明日の風が吹く・・・マイペンライってか

にしても、独りって、ほんと、いいな・・・とつくづく思う。
(今年5月、バンコクで2週間余りのバックパッカーにトライした際、カオサン通りのオープンバーでレッドカレーを頼み、ビールを飲みながらのメモ帳から・・・)
他人に気遣いしなくてもいい。勝手気侭・・・、他人に気を遣わせて・・・。もっとも、これは少ないとはいえ金を遣う客だから当然か。グループのお客を見ていると、ほんと、そう思う。
独り旅なら、他人はどうでもいい、自分だけ良ければいい。といって、これは旅に限らず、カメの場合、東京での生活でも同じだ。
寿命も資産も乏しいカメの金の遣い方では、バンコク徘徊が最高なのではないか、とふっと思った。そんなカメの想い・・・、たいした感性でもないが、まだそんなちょっと瑞々しい感性が残っていた? って、自己陶酔して・・・。これも、独り旅の快感だろう。
ここで、こうしてビールを飲みながら、お客の出入り、スタッフの動きをぼんやり眺めているだけで、サヌック(快感)・・・だ。
ここ、バンコク・カオサン通りにはいい女も、いい男もいっぱいいるが・・・、みんな金は持っていないんだよなぁ。
(カメの)川の流れの終着駅がここなのかもしれない・・・と、結構いい感じだ。そろそろ、男女4人のライブが始まりそうだ。この価格でこの環境・・・、東京ではとても考えられないだろうなぁ。
レッドカレー、ビール(小瓶)3本で500BTはちょっと高かったか、なんて・・・。実は、ゲストハウスの宿賃は250BTだから、2泊分が夕食に消えたわけで・・・、何となく、こちらの生活感覚が身についてきた?
で、さて、明日の宿は何処にしようか、と。
明日は明日の風が吹く・・・、マイペンライってか。

2006/10/22

◆「豚ミソ半額鍋」はカメ流なれど旨かった!


にしても、秋風が冷たくなって、久々に料理がしてみたくなった。独り暮らしゆえ、暑い時期はとりおきが出来ず敬遠している。トン汁でもと思い、夕方のスーパーをのぞいてたちどころにメニューは決まった。
そのスーパーでは常時、食品は賞味期限によって「10%引き」「20%引き」「半額」のステッカーをプライスカードに貼る。それも時間帯で食品が変わるし、ステッカーも時間の経過によって貼り重ねる。それでも「半額」食品の賞味期限は翌日だ。また、貼る時間帯はおおまかに、食肉、鮮魚は遅い時間、練り製品は朝から、だ。惣菜関係は、一日3回ほど出来立てを並べるが、その後はそれまで並んでいた惣菜は値引きの対象になる。
で、常連のお客さんはそのあたりの商法は承知していて、肉、魚コーナーでは横目で見ながら待機していて、ぼんやりしているとたちまちなくなってしまうのだ。
割り引き食品に絶対に手を出さないお客さんも多いのだが、カメは大好きだ。とにかく安いし、タイミングしだいで、5分前に正価でカゴに入れてウロウロしているうちに、同じ食品が「半額」で買えるのだから、嬉しいし、物凄く得した気分になる。
そもそも、賞味期限の表示にしても、実はあまり信用していない。かつては、一年間倉庫に積まれていたタマゴが出回ったこともあるし、メーカーが故意に刻印していた事件もあった。コンビにでは弁当を賞味期限どおりに廃棄処分しているそうだが、何とももったいない話だ。PL法とのからみもあり、安全・安心には金がかかるということでもあるのだが・・・。カメは、そんなに神経質になっても仕方がないと思うし、安い方が有り難い。
その夕、迷わずカゴに入れたのはチクワ、焼き豆腐、油揚げ、刻みネギ、冷凍和風野菜セット・・・、豚肉こま切れは残念ながら割り引きされていなかった。結果的に、トン汁というよりは豚ミソ鍋になって、カメはこれを豚ミソ半額鍋と呼ぶことにした。
いや、久々に熱々の鍋は旨かったし、缶ビールと鍋だけで満腹感も味わった。うどん、米飯で、あと2回は十分食えそうだ。

2006/10/21

◆テレビが全て・・・メディアの威光は国を亡ぼす

にしても、メディアの威光は凄い。亡国のA級戦犯といえるのではないか。特に、テレビだ。最近のテレビを見ていると吉本所属の芸人が番組を席巻している風だ。その芸人のほとんどは頭が良く、才能豊か、人材が揃っている。精魂込めてお笑いを演じているのを見ていると、何とももったいないと思う。
テレビが登場して半世紀・・・、完全に世の中の価値観を根底から変えてしまったのだ。カメなどは、テレビなんて・・・という世代だ。いまの芸人たちはテレビが全て・・・テレビに出ること、映ることが最高に格好いいと思って育った。
昭和天皇のXデイが迫っていたころ、予備校生が皇居前広場でテレビニュースに映されるパフォーマンスを競ったり、東大の合格発表風景の中で胴上げして見せるなど、テレビに映ることに精力を注いでいると知って驚かされたものだが、いまは吉本に入って芸人になることがテレビに映る最も近道になった。
かつては、末は博士か大臣かだったり、良い大学に入ることが若い世代の絶対的な価値観だったが、いまはテレビに出ることに変わってしまった。
何とも、もったいなく、亡国につながる現象だ。テレビに登場する芸人を見ていて、彼らは多分吉本に入ってテレビに出ることだけを最高の価値観として青春を燃焼させてきたのだろう。彼らのうち何人かはその価値観を東大に変えていれば、合格できたのではないかと感じる。
有為の人材がテレビのお笑いに使い捨てにされていくのを見るのは亡国の坂道を垣間見るようで何とも切なく、情けない。
もっとも、メディアの威光はいまやパソコンに取って代わられている。パソコン育ちの代表がホリエモンなのだろうが、パソコンメディアの浸透力、影響力、そのスピードはテレビの比ではない。
かつて、世界共通語としてエスペラント語が提唱されていたものだが、WindowsOSの普及でカメですら英語の必要性を痛感し、その愚かさを嘆いている。
メディアというハードは開発した技術者の想いとは裏腹に、ソフトによって支配されてしまう。そのソフトはまた、大衆の鏡でもあるのだ。亡国の坂道に歯止めをかける術はなさそうだ。

2006/10/20

◆サラリーマンが自己主張するのは辞表を書くとき

にしても、ネクタイにスーツ姿のサラリーマンを見るたびに、そんなしかめっ面をしなくてもいいのに・・・と気の毒に思うとともに、気ままな我が身の幸運を想い、密かにほくそ笑んでしまう。で、つい、お疲れ様です・・・とひと声かけてやりたくもなる。続いて、私、国家ニートなんです、ウフッ、とも。
何がサラリーマンのモチベーションになっているのか、外道のカメには不思議でならない。
そんなに急いで、どこへ行くの? そんなに思い悩んでいくらになるの? だ。もっと、肩の力を抜いてリラックス、リラックス、だ。昨夕、電車に乗ってそう思った。
サラリーマンって、本当に気の毒な存在だ。
カメもサラリーマンだった時代もある。といって、サラリーマンとは形だけで、不真面目だった。根本的にカメは飽きやすい。新しい仕事への好奇心だけは強く、それも好き嫌いを基準に選んでいたようだ。で、リクルートという言葉が流行る前から、まだ会社を辞めることが何となく後ろめたいころから、カメは転職を体験した。その際、悟った箴言が「サラリーマンが自己主張をするのは辞表を書くとき・・・一度書けば、何回書いても同じ」だった。で、その後は抵抗感もなく転々として、都合、4つの会社に勤め、累計で30年にはなる。
内1社では18年間勤めたが、社内の異動で2,3年毎に職場が変ったため、その都度人も環境も変って心機一転、カメにとっては異動自体が転職しているような感じではあった。
50歳を契機に一人で有限会社を設立し、社長兼社員兼、トイレ掃除まで一人でこなし13年、このほど会社の解散手続きを終え、サッパリしたのだが・・・。
社長の名詞を刷って二つ気が付いたことがある。「社長」には300万円用意すれば誰でもなれるが、「専務」にはなかなかなれないし、なるのは物凄く難しい。もう一つは、気兼ねしないで使い放題になると思っていた接待費は、売り上げが伴わないと使えないという厳しい現実だ。
ま、この程度の認識だから先は見えていたが、それをさほど深刻には捉えないまま、ささやかながら年金が支給されるようになったら、もう全てが面倒臭くなり、あっさり解散、国家ニートを標榜することは自然の流れだった。
とにかく、仕事が嫌いな上、勤労意欲が皆無ながら、我ながらよくぞここまで・・・というのが率直な感想だ。
何もしないで、ダラダラ、ゴロゴロしているのが何より好きだし、それが苦にならない。本当に性にあっている。ま、そのうち、ハイそれまでよ、だ。

2006/10/19

◆Net通販は何より安いのがいい・・・

にしても、このところNet通販のお世話になることが多い。大物はエアコンと30インチ液晶テレビ、頻度が高いのは裏DVDか・・・。他に、この1年ほどを振り返ってみても、RodeoBoy、強壮サプリメント、手提げ耐火金庫、メモリ、圧力鍋・・・等々。
昨日、偽ソニー記録媒体を販売した容疑で京大の中国人院生らが逮捕されたそうだが、カメは幸い、これまでトラぶったことはない。
確かに、Net通販のサイトを見るといかがわしいものも多い。特に、裏DVDとかサプリメントの類はそうなのだが、それを疑っていたら、いつまでも注文はできない。カメの場合、その点は騙されたらそれでしょうがないと思っている。だから、1万円どまりの商品に限って注文して、まだ、騙されたケースはない。
サプリメントなどをドラッグストアで購入しても、その効能についてはそれこそ個体差によるものが多く、万人に効くとは限らない。効能文に錯誤して買ってしまい、あとで後悔することも多いのだ。これは、まさに自己責任で、諦めるしかない。
カメが購入する高価なものは家電製品だけだ。エアコンの時など、量販店で現物を見て比べて、これと思った製品のカタログを入手して、Webで選択している。もっぱら「価格.Com」のお世話になっているが、実に良くできている。狙ったエアコンについていえば、価格だけの比較だと確か16万円から12万円と4万円ぐらいの差があった。その内容を精査すると、安いものは玄関先に置いていくだけで取り付けはなし、高い方は取り付け代金を含むとか、さまざまだった。もちろん、素人に取り付けは無理な話で、取り付けと取り外したエアコンを持ち帰ってもらえる価格で注文したものだ。
裏DVDはカメのお気に入りなのだが、これは実は厳格にいえば違法行為になる。でも、とにかく安く、品質も劣化していないので、頻度が高くなっている。なにより、ショップで選ぶより、カバー写真をはじめスチール写真、ストーリー、作品の評価まで情報量が多く、じっくり選べて『外れ』が少ないのだ。
もう一つ、支払はいつも現金で代引きを選んでいるから、注文する際の個人情報は住所、氏名だけだ。
なんて、そろそろまた裏DVDを発注したくなった。

2006/10/18

◆『ずさんの連鎖』とはよくぞ・・・と妙に感心

にしても、『ずさんの連鎖』とはよくぞ・・・と感心した。まさに、言い得て妙だ。
この7月末、埼玉県ふじみ野市の市営プールで小2女児が吸水口に吸い込まれて死亡した事故で、市の事故調査委員会は事故原因をそう指摘した。市議会全員協で17日報告された内容は「事故は『ずさんの連鎖』によりもたらされた」とし、吸水口について防護さくを二重構造にするといった改修を怠るなど施設の管理に問題があったとし、さらに、吸水口のふたを針金で固定されていたことを市が確認していなかった点などを挙げ、「(市や管理業者は)吸水口がいかに危険かについて具体的認識が著しく希薄だった」と。 その上で報告書は再発防止に向け、本年度末までに市の全施設の点検マニュアルを作成することなどを提言しているそうだ。
10/06付け本ブログでマニュアル社会が加速・・・と書いた。流水プールの危険性など、一度でも体験してみれば、如何に吸い込む力が大きいかは実感できる。また、それがスリリングでもあるのだが・・・。
ちょっと想像力を働かせれば、この程度の危機認識、危機意識は共有できていたはずだ。ところが、いまの世では、たとえそれに気が付いても、それを敢えてしなくなった。見て見ぬ振りである。
で、事故が起こって初めて、それみたことか・・・と秘かに舌を出している人も多いのではないか。自分と関わりのないことには積極的に関与しようとしない。カメもそうだが、自分さえ良ければいいという自己中心型の人が増えているのだ。当然のことを一々マニュアル化しなければならないというのは、何とも情けない、嫌な世になってしまった。
このマニュアル化はすでにメーカーや交通機関など法人、団体などで定着している。で、何か不都合や事故が起こるとまたそれを見直して、作業、操作方法をがんじがらめにしている。かつての匠の技、職人芸といった人の能力はもはや見られなくなっている。
マニュアルさえあれば、事故が発生しても全てはマニュアルの不備で、誰も責任をとらなくてもよくなる。マニュアルの想定外の事象は免罪されてしまうわけだ。で、こんなことまで・・・と、細々したことまでマニュアルに盛り込まれることになる。
いまや社会生活、暮らしにまでそうしたマニュアルが蔓延してきて、それこそ道の歩き方までマニュアルに頼る日が近づいているようだ。『ずさんの連鎖』がどこまで進展するのか、カメにはますます住み難い世になりそうだ。

2006/10/17

◆タバコはカメの生命力の源・・・


にしても、喫煙量が増えている。銭湯で頭を洗っている時に気が付いた。左手の中指、人差し指、親指の爪がヤニで黄色くなっていたのだ。ヤニに汚れた爪を見るのは何十年ぶりになるのか。この10数年は見ていない。やはり、最近、パソコンとにらめっこしている時間が長くなって、つい、つい、タバコに火をつけることが多くなっているようだ。
タバコはショートピースで、この40数年間浮気はしていない。ハイライトが発売されたときはフィルターが珍しくて吸ってみたことがあるが、紙を燃やしているようで、吸う気にはならなかった。その後、風邪を引いたりして喉に煙が痛くてフィルター付きのタバコを吸ってみたこともあるが、やはり一箱吸いきったことはない。いまではフィルタータバコが全盛で、その上ニコチン量が少ないタイプが相次いで発売されているが、これらはタバコではないと思っている。
家では、ずっとP缶を愛用していたが、家にいる時間が長くなって吸う本数が増えてしまうので、10本入りの箱に替えていた。
この10数年、喫煙派には肩身が狭くなって、喫煙が後ろめたさを感じさせる環境が強くなっているが、禁煙しようと思ったことはないし、タバコとガンの関係を指摘する論調も多いが、気にしたことはない。
カメの場合、禁煙はそれこそ死につながる。酒とどっちにするか聞かれたこともあるが、比較にならない。
完全にニコチン中毒だ。朝、起床してから3本ほど吸わないと体が目覚めない。ニコチンが血液に溶け込んでいくのを自覚できる。それで、やっと体が自由に動き始める感じだ。ニコチンはカメの生命力の源になっているのだ。
それでも、最近吸う本数が減っていたのは喉との関係で、10数年前から喉が正常に機能しなくなり、煙を吸いこめなくなった。喉に直接煙があたると酷くせき込む。慎重に吸わなければならなくなったのだ。それに、タバコ代の値上げもあるにはあるが、カメにとってさほど大きな要因ではない。で、パソコンとの接触時間が増えて、喫煙量が増えているようなのだが、これは本数が増えたというより、パソコン画面に集中していて、タバコが短くなるまで指に挟んでいるせいかもしれない。
タバコの有害説はあくまで個体差であって、この歳まで生き長らえてきたカメには当てはまらないし、タバコだけでなくこうした健康に関する疫学調査は、不安感を煽るだけで胡散臭さを感じる。

2006/10/16

◆グチャグチャの脳細胞で暗算は無理・・・


にしても、小心でケチなカメはえらい損をしたような気がしてならない。
昨日曜日の昼下がり、久々のショッピングに蒲田までいつものように自転車で出かけた。国家ニートになったカメにとって、いまショッピングといえば3,000円超の買い物を指す。かつてのように衝動買いはご法度だ。
予算はあった。この夏、ある団体のお祝いのお裾分けにあずかったJCBのギフトカードが1万円分(1,000円券10枚)。
現金主義のカメはキャッシュカードを始めとしてカード類はほとんど使ったことがない。衝動買いが好きで、欲求に正直なカメがカードを使ったら、歯止めが効かなくなるのは必定、たちまち自己破産の道を転がり落ちることがわかっているからだ。
JCBのカードを見るのは初めてだった。デパートだけではなく、スーパーや大型専門店でも利用できるそうで、驚いた。ま、そのうち、ヨーカ堂あたりで使うつもりでいた。
で、先日、書棚を整理していたら、かつて使っていたドル入れ財布サイズのバインダーシステム手帳(6穴、10mm)に使うリフィールが見つかった。手帳は、もう10年ほど前にスナックで、上着の内ポケットに入れてかけておいて抜かれたのだ。カメにとっては高価な代物で、もう一度買うこともならず、そのまま諦めていたのだ。
見つかったリフィールはさすがに色あせることもなく、これだけあれば寿命が尽きるまで使っても十分な量に思えた。
銀座・伊東屋に行くことも考えたが、交通費がかかるし、思い立ったが吉日だ。
自転車で蒲田の駅ビルにある有隣堂へ・・・。黒光りするバインダー手帳はやはりあった。この皮の感触がたまらなく好きだ。6,000円+消費税300円。レジで、JCBのカード6枚に100円玉3つ出して清算したところまでは良かった。
そうか、このカードで書籍も購入できるんだとわかって、文庫の棚で山田風太郎を探してみた。何と、あるじゃないか。1冊、2冊、3冊・・・、不得手な暗算をしながら、さて、もう1冊?
切りよくしないと、お釣りはもらえないし、半端に超過すれば現金を足さなくてはならなくなる。文庫本の価格表示も本体価格+消費税となっていて、カメの脳ではややこし過ぎる。何度か、暗算を繰り返してみるが、すぐ面倒くさくなる。もともと計算は苦手だし、脳細胞の大半は腐っているのだから、やむを得ない。あとは、決断するだけだ。
行列したレジで打ち出された金額は4冊で総計2,906円となった。カードを3枚出して、お釣りはなし。エェーン。94円の損・・・、それに、さっきの手帳の追加300円を合わせると394円の損。これを一緒に清算していれば・・・、どうなるのか、脳細胞がグチャグチャしていて、判然としない。

2006/10/15

◆涙がドドッと溢れ出て止まらない

にしても、ついに目がショボショボしてきた。パソコン画面とにらめっこしていると涙がドドッと溢れ出て止まらない。拭いても拭いても・・・。
因果関係ははっきりしている。原因は、パソコンへアクセスしている時間が長過ぎるのだ。ゲームにBloggerに、朝から晩まで、食事時間を除き、にらめっこする日々が続いている。
特に、一昨日からは本ブログに写真がアップできなくなっている“不思議”にトライしてみて、はまってしまったのだ。写真だけでなく検索サイトでもヒットしない。実は、ブログを立ち上げた当初は写真もアップできたし、検索サイトでヒットしたのに・・・。
この一週間ほど、ブログに画像をアップしたくて操作しているのだが、「アップ完了」の表示はでるものの、それがブログに反映されない。そんなはずはないと、何回トライしてみても結果は同じだ。一体、画像はどこへ消えてしまうのか・・・。
アップしたい画像がいくつか溜まってきて、ヘルプにアクセスして本格的にブログのシステムをあれこれチェックし始めたら、何と、本ブログがまだ認識されていない。
そのうち、ウェブマスター・ツールにたどり着いて、なるほどと感心しつつ、あれこれトライしているのだが、素人目にはちと酷だ。残念ながら集中力が持続しない。で、涙が溢れ出てくるというわけ。休み、休み、一つづつクリアしていくしかないようだ。
にしても、涙には何とも困った。何なのか・・・。40歳を超して俗説通り、目、歯、マラの順で人並み以上に衰退していったのだが、今回の涙は初めての体験だ。いや、はや、参った、参った・・・。

2006/10/14

◆寒くなると死滅した脳細胞がうごめく・・・

にしても、陽気のせいだろう。秋風が冷たくなって、どうやら死滅していたはずの脳細胞の一部がもぞもぞとうごめき始めたようだ。寒さに震えているのかもしれない。
と、何か、考えなければいけないような脅迫観念にとらわれる。半袖のTシャツ一枚で過ごしていれば、そんなことは脳裏に浮かんでもこないのに・・・。
半袖のTシャツ一枚ではちょっと寒い。もう一枚何か着るか・・・。といって何を着るか、迷ってしまう。いうほど、衣装持ちでもないのに・・・。考えるといっても、その程度のことなのだが・・・、それでもいまのカメにとっては難題だし、面倒臭くもある。
つい、無駄を承知で長袖のTシャツを数枚購入してしまった。バンコクに行っていれば不要な代物だ。そんなことがやたら気になる。
寒い東京で暮らしていると、何より金が出ていくばかりで、入ってこないから厄介だ。バンコクでも金は入ってこないが、そんなに出てはいかない。
暖かい陽気だと、そんな些細なことにはこだわらなくても済む。ぼんやり過ごしていれば、全身のお肉がリラックスしていて全ての事象はマイペンライだ。
そう、お陰で、つい最近一つ決断したことがある。年内の再訪泰を断念したのだ。10月に入ってそろそろまた行こう、今度は1カ月ギリギリ一杯の往復航空券を手に入れて行こうとぼんやり決めて、Webであれこれ検索していたら、10月中の航空券は割安だが、11月以降はかなり高くなる。で、行くなら10月中にしようと、その気になった時は遅かった。まっとうな航空券は3週間前までに購入しなければならないそうだ。知らなかった。といって、向こうに行ってからの予定も、何かやらなければならないこともないのだ。こちらと同じように食って寝て、生活するだけ。
長袖のTシャツも入手したことだし、もうしばらく東京暮らしを続けるかと、考えた次第・・・。

2006/10/13

◆嬉しい・・・さくら水産のサンマの塩焼き

にしても、サンマの塩焼きはこのところさくら水産で食べるのが恒例となっている。食べ盛りの子供のころは2、3本食べないと満足しなかったし、当時は安価な魚だった。成人してからは“高級魚”になってしまい、それなら肉を食った方が満足感は得られた。
それが、さくら水産ではその日のお勧めメニューに載っていて、何と塩焼き一本190円だ。他のメニューと違ってちょっと時間がかかりすぎるのが難だが、それでもカメのお気に入り・・・。感謝感激の味だし、しばし郷愁に浸れる。この時期になると迷わず最初にオーダー、同時に、同じ値段のサンマのたたきも・・・。
で、いつも、さくら水産にはお世話になる感じで、客ヅラは憚れる。客単価はせいぜい2000円と踏んでいるのだが、その満足感からいえば、他の店なら4、5000円は取られても仕方がないボリュームと品揃えだ。時に、これで商売が成り立つのかと、余計な心配までしてしまう。
先夜、銭湯帰りに寄ったら・・・、老人クラブの帰りか、お年寄りの男女10人(男女比5:5)がテーブル席に陣取り大声で何かわめきあっていた。多分、散々飲み食いしたあとだろうが傍若無人・・・、カメがオーダーしてビールの大瓶1本空けて、勘定するまでその席からの新規オーダーはなかった。
カメが店長だったら、とても見逃せないし、何とか席を空けさせようと悶々とするところだが、そこはさすが商売・・・、鷹揚に構えている。
カメはもう腹立たしくて、早く死んじゃえよ、と思ったものだ。確かめたわけではないが、多分、見た目はカメも同じ年恰好に見えただろう。

2006/10/12

◆価値観は「金」ではなく「リラクゼーション」

にしても、1年ぶりのデートがキャンセルになった。日本ファンのフィンランド女性、先週インドネシアから秋風が冷たい日本に着いて風邪を引いたとのこと。メールで連絡していたのだが回復せず、咳が酷く胃が痛いため今日は医者に行くそうだ。で、デートは順延にした。
彼女は、バックパッカーともちょっと違うウーファー。ウーファーとは、WWOOFする人のことで、WWOOFはWilling Workers On Organic Farms の頭文字。「有機農場で働きたいと思っている人たち」という意味。その仕組みは『食事・宿泊場所』と『労働力』を交換、そこに金銭のやりとりはなし。作業は一日約6時間で、一週間以上の滞在であれば毎週一日休みがもらえるそうだ。
1971年イギリスから始まり、ヨーロッパ、オーストラリア、ニュージーランド、カナダなどへと広まり、現在は、世界20カ国以上にWWOOF事務局が設置されていて、日本では1994年から。そこに、食事と宿泊場所を提供するホストとウーファーが登録しておき、条件が合えばウーフすることになる。
彼女は、もっぱらニュージーランドなど暖かい国を回っていて、時々日本にも立ち寄っている。
その生き様、価値観に、カメなどはちょっとしたカルチャーショックを受けたものだ。
そのフィンランドでの価値観は・・・。日本ならまずなにより「金」というところが、何とトップが「リラクゼーション」、次いで「サウナ」、「ウォッカ」とのこと。社会福祉が充実しているフィンランドでは、さほどお金に対するこだわりとか、金儲けといったモチベーションは希薄という。というのも、税金の負担率が高いためで、勤労意欲が湧いてこないという。
カメには何とも憧れのお国柄なのだが、なんせ寒いのは大の苦手で、最近ではバンコクに傾倒しているのだが・・・。
彼女も寒いのは厭で、あちこち暖かい国でウーフしては、サーフィンを楽しんでいる。もう、何年も祖国には帰っていないはずだ。

2006/10/11

◆北朝鮮の核実験余波・・・PCマニュアル本廃棄


にしても、北朝鮮の地下核実験は死期を知らせるメッセージでもあるようだ。その一報にうろたえるだけで、何も出来なかったカメが一夜明けて動いた。
といって、身辺整理の一環である書棚の整理なのだが・・・。パソコンのマニュアル本を抜き出した。付箋があちこち貼ってあるが、ここ5年ほどは手にしていない懐かしの書だ。
当時は、年中、パソコンがトラブって、ハードの不調、不具合ではなく、ほとんどは操作ミスに始まるフリーズ・・・。その度に、書店に駆け込み、マニュアル本を次々に開いては同様のトラブルを探し、購入したものだ。それでも解決しないことが多く、泣く泣く、初期化したことも何度か体験していた。
最近では、システムの何たるかが何となく理解できて、トラブルはほとんどないし、たとえトラブっても、Web検索で問題解決にたどり着けるようになり、マニュアル本を手にすることはなくなっている。
不要となっていながら書棚を飾っていたマニュアル本は15冊あった。付箋を外し、そのままゴミ集積場に運んでもいいのだが、ちょっとスケベ心で自転車のカゴに入れ例のBookOffに運んだ。
店内をウロウロして30分余り、若い女性に告げられた買取価格は・・・。値段が付いたのは4冊だけで70円。いや、参った、参った。中の1冊、定価3500円の分厚い辞書にも値段が付いていない。えっ、どうして?と思わず口にすると、パソコン関係は古くなると使えないんで・・・、と。なるほど、もっともな話。皮算用では1冊10円ぐらいかなと踏んでいたのだが、70円を受け取って、引き上げた。
ま、腐臭漂うカメのお肉と一緒だな・・・と思い知らされた。

2006/10/10

◆北朝鮮の地下核実験にうろたえ、血が騒ぐ・・・


にしても、何とはなしにうろたえ、久々に血が騒いだ。
北朝鮮が地下核実験に成功した・・・と昨日昼前、ラジオで耳にし、NHK・TVのニュースで確認してのこと。あと、民放にチャンネルを回したら、4chだけだったかな、生中継していたのは・・・。で、NHKをつけっぱなしにしていたが、当然ながら情報量は増えない。
国家ニートのカメがあたふたしても、どうなるものでもないのに、ついつい、気になる。やっぱりやったか、やっぱり、ね・・・、こりゃ、安倍総理の門出を祝う祝砲になるんじゃないかとか・・・。
まさに、外道国家だ。外道相手にまっとうな対応は意味がない。道理は通らないのだから・・・。窮鼠猫を噛む、だ。結果は、結果で、そこまで考えないのが外道の世界だ。でも、国際社会はそれなりに、国連安保理のお墨付きがないと何もできないもどかしさ・・・。
カメは、カメで単なる野次馬、愉快犯でしかない。
今回の地下核実験は、まさか、まさかのまだ前兆で、ここまで出来れば、その次の展開は当然ある。それが、必然の流れだ。
外交カードなどと暢気な話ではないのに、いつものごとく、そんな評論家ばかりで、虚しい。もはや、世界の警察官に毅然として出動していただくしかないだろう。
すでに余命を使い果たしているカメには、冥土のいい土産話になりそうなのだが・・・。

2006/10/09

◆社会の荒波でサーフィンは難しい・・・

にしても、社会の荒波でサーフィンするのは難しくなっている。近ごろ、街を歩く度にそう感じる。ウフッ。
特に、ネクタイをして眉間にシワを寄せ足早に歩くサラリーマンの姿などを見ると別の人種に見える。何をそんなに生真面目に・・・、気楽に、気楽に・・・と声をかけてやりたくもなる。カメもそんな格好でつい最近までは歩いていたのだから、昔日の感がある。それは、それでいいのだが、まだちょっと未練が残っているといったところか・・・。といって、懐かしくもないし、後ろめたさもない。勝手気侭ないまの暮らしの気楽さを有り難く思う。

なにより、Netサーフィンの方はずっと易しいし、気侭で、気楽だ。たとえ転んで投げ出されても傷は浅い。全ては自己責任で、他人にその影響は及ばない。そんな気がした。ますます、ひきこもりが進行しているようだ。
この2日間は、2つのパソコン間のデータ移行に使っているSDカードで、これまでは出来ていた読み込みができず、それが操作ミスなのか、相性なのか、メディアの不良なのか、判然としないままあれこれトライして過ごしてしまった。結果的には、読み込みも書き込みも復活したのだが、どうにもその因果関係がはっきりしていないのが不安の種なのだが・・・。
パソコンと向き合っていると、全然飽きないし、疲れない。目はショボショボしてくるのだが、我ながらパソコンオタク、Webオタクになっていると呆れるほどだ。カメも別人種になっているのだろうが、それを気に入っている。

2006/10/08

◆旭岳での遭難死は「事故を装った自殺」?

にしても、人の死に様も色々だ。その人の生き様が見えてくる。生き様がそのまま死に様に通じる。
先日、名前とその方の業績だけは知っている著名人が遭難死したニュースに接し、不謹慎なことに、本当だろうか、「事故を装った自殺」ではないかと感じた。
遭難死したのは、初代核燃理事長の都甲(とごう)泰正さんで、78歳だった。

共同通信などによれば、4日午前10時ごろ、北海道の大雪山系で登山中に行方不明となっていた核燃料サイクル開発機構(現日本原子力研究開発機構)の初代理事長都甲(とごう)泰正さん(78)=東京都杉並区=の遺体を、捜索していた北海道警の捜索隊が発見した。
道警によると、遺体は旭岳5合目のロープウエー駅から1キロ下った旭岳4合目の沢で、横向きに倒れていた。顔に擦り傷があり、登山道から約10メートル滑落していたという。死因は凍死。死後2日以上経過していた。道警は誤って滑落したとみている。
都甲さんは9月30日に旭岳のロープウエー駅付近で目撃されて以降、行方不明となっていた。2日に東京の自宅に戻る予定だったが帰らず、家族が警察に届けた。
道警は誤って滑落したとみている。道警は誤って滑落したとみている。道警は誤って滑落したとみている。都甲さんは大分県出身。原子炉工学専攻で、東大教授などを経て1998年10月に発足した核燃料サイクル開発機構の初代理事長に就任した。

都甲さんは海外の山にも登山経験があり、旭岳にも何度か訪れていたそうだが、カメの勝手な憶測ではそこを「死に場所」に選んで出かけたのではないだろうか。功成り名遂げた78歳・・・無理もない、行方不明の報を知った際、カメはそう思った。
時代が大きく変わり、世の中の価値観も変わってから、功成り名遂げた方が時にお縄を頂戴したり、老醜を晒す場面を目にすることが増えて、特にそう感じることが多い。長生きしたばかりに・・・、晩節を汚して・・・、と。
日本では、安楽死とか、尊厳死など死について論議することを憚る風潮が強い。特に、自殺への偏見は強く、本人よりも残された家族の方が後ろめたさを感じるし、世間の好奇の目に晒されてしまう。
だから、「事故を装った自殺」を選択したくなる、選択せざるを得ないケースもあっていいとカメは思う。死ぬ自由であり、それくらい許されてもいい。

2006/10/07

◆脊椎反射のみで生きている・・・

にしても、脳年齢が気になる歳になってきた。
無料ゲームにある脳年齢チェックは反射能力、集中力を測定するタイプで、まぁ年齢相応、繰り返しているうちに徐々に若返ってくるのがちょっと嬉しい。
先日は、検索サイトに「脳年齢 チェック」とに入力したら約468,000件ヒットした。ほとんどはゲームタイプで、どうやら脳年齢チェック市場が生まれているようだ。
そのなかで「脳細胞死滅度チェッカー」に惹かれアクセスしてみて、衝撃を受けた。
20の設問に4つの選択肢の中から答えるタイプ。
その結果は・・・、あなたの脳は90.9%死滅しています・・・と。うぅーん、参った。確かに・・・。見事に、的中されたと畏れ入った次第。
ちなみに、その設問の一部は・・・
問10:今日は、平成何年 何月 何日 何曜日?
□そんなのすぐ分かるって
□ちょっと考えてしまいました
□分からずにカレンダーを見てしまいました(もしくは間違えた)
□やべぇ……カレンダー見ても分からねぇ
問12:暗算して下さい。416÷17=?
□26余り11
□25余り9
□24余り8
□考えるのも面倒なんジャイ!
ま、ご関心のある方はアクセスしてみてください。
実は、脳細胞の死滅度90.9 %のあとに、その解説が述べられていて、その内容がカメの生き様を的確に指摘していて、何とも驚かされ、恥じ入った次第なのだが、その解説・・・
脳がかなり腐敗しています。
もはや脊椎反射のみで生きていると言っても過言ではありません。
いつバイオハザードへの出演依頼が来てもおかしくない状態。
全てにおいて欲望のままに自由に生きている。それが貴方です。
しかし、本来生物というのはそういうものなのでしょう。
貴方はまさに、現代に降り立った“自由の象徴”と言うべき存在なのかもしれません。
カメは、ムフフッ・・・となったのだが、その解説の後に「※」があり「この結果はフィクションです。管理者が適当に作っただけなので、あくまでギャクとして受け止めて下さい。」とあった。
で、そのチェッカーのHPを辿ってみたら「我楽多部屋」とあり、主宰者は心理学者でもなく、占い師でもなく、ゲーム愛好家でもなく「普通のおっさんです。」だと・・・。
いや、Webの世界は才能の宝庫でもあるようだ。

2006/10/06

◆マニュアル社会が加速している・・・

にしても、マニュアル社会が加速している。飲酒運転による悲惨な死傷事故のニュースを見る度に、その感を強くする。
「飲んだら乗るな」は鉄則のはずなのに守られない。こんな鉄則はそもそも道徳の範疇に入る。社会生活を送る上で当たり前のことだ。それが守られないから道路交通法で酒酔い運転に罰則が設けられ、さらに罰則を強化し、刑法改正によって「危険運転致死傷罪」まで新設される事態になったのは、何とも情けない。
「道徳」を国語辞典(大辞泉)で見ると、人々が、善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない規範の総体。外面的・物理的強制を伴う法律と異なり、自発的に正しい行為へと促す内面的原理として働く・・・とある。
道徳の荒廃がいわれて久しい。家庭での躾けから学校教育まで、みんなおかしいと気が付いていながらも、豊穣の世を謳歌するのに忙がし過ぎて、誰もが見てみぬ振りをしてきた付けだ。
カメは運転はできないから、飲酒運転の心配はないが、時に立小便は我慢できなくなるし、横断歩道での信号無視はするし、何よりタバコの投げ捨て、ペットボトルの放置など数え上げれば数限りなく、お恥ずかしい限りなのだが・・・。自分のことしか考えない、自分さえ良ければいい・・・という風潮が蔓延して、そこにカメも埋没しているわけで、残り少ないロスタイムぐらい身勝手、我侭に過ごしたいものと思う。
いまや道徳も罰則を課す法律で律せられるようになるとは、まさにマニュアル社会だ。マニュアルがないと仕事もできない、マニュアルがないと道も歩けない。職場でのマニュアルはいまや必須条件になっている。道路を歩くのに、マニュアルを見ながらとは、何とも息苦しく、住み難い世になったものだ。

2006/10/05

◆金のないカメでも生息できる土地柄・・・


にしても、東京の下町、蒲田人の生命力、活力には仰天する。金はないはずなのに、安いとなれば目の色を変えてどっと殺到する。カメもその一人になっている。よーいドン!の合図は朝刊の折込チラシだ。
この一週間ほどを振り返ると・・・。
まずは、靴流通サービスの日替わり特売品はクロッグサンダルが税込490円(限定10足)。かかとがなく、スッと履けるのが気に入って、以前から狙っていただけに、金曜日の午前11時過ぎに(開店は10時)自転車で駆けつけたが既に完売。仕方なく、日曜日の日替わり特売はピッグスキンで1,490円(限定15足)に走ったら好きなブルーは残り3足、サイズが合うのは1足だけで迷わず購入した。
並びに吉野家があり、チラシで見た復活牛丼に長蛇の列ができていた。その行列を見ての帰り、もう一度靴屋の店頭を見たらブルーのクロッグサンダルは1足しか残っていなかった。
次は、ドラックストア・・・。風邪薬が目玉になっていたので行ってみると、大箱(24カプセル)は残り1箱。やっと間に合った感じで、店内をチェックしてみるとプライスカードに「広告の品」と表示してある商品のほとんどははけていた。平日の午前中の話で、レジにはお客さんの列ができている。チラシを見て走る根性には畏れ入った。
ここに移り住んで10年余、近くにある商店街の値段の安さには当初、度肝を抜かれた。その商店街にも世代交代の波が押し寄せ、廃業が増えて、その後はレンタルショップやドラッグストア、クリーニング取次店、惣菜店に代わった。いくつかあった銭湯は賃貸マンションに建て替えられた。
デフレ下での低価格競争が熾烈になって、同じ商売を長く続けていられなくなるようだ。
つい最近は、持ち帰り専門と思っていたちよだ鮨が駅前通りで回転寿司を始めた。一皿(2貫)オール100円。ランチタイムは一皿(1貫)50円で味噌汁は無料サービス(お代わり自由)。カメはランチタイムがことのほか気に入って通っていたのだが・・・、オープンして3ヶ月ほどだったか、店仕舞いしてしまった。
お客は途切れることなく入っているように見えたが、それでも閉めてしまった。いくらお客さんが立て込んでも、客単価は1,000円は超さない。これで続けるのはボランティアだ。馬鹿馬鹿しくなったのだろうと勝手に思っている。こんな土地柄だから、金のないカメでもまだ生息できている。

2006/10/04

◆入れ歯と付き合うのは、もう疲れた・・・


にしても、このところ食欲も衰えている。旨いものを食っていないし、それどころか、旨いものを食いたいという意欲が湧いてこない。レストランなどで陳列棚をじっくり眺めながら唾液を溜め、世の中、旨いものがいっぱいあると再確認するのだが、食ってみたいというモチベーションがない。
因果関係ははっきりしていて、入れ歯が全て・・・。硬いものを咀嚼できなくなっているのだ。改めて数えてみたら9本。最初は14,5年前に自転車で転んで上の前歯3本抜けたのが始まり。歯茎も弱っているから、その後はグラついてきた歯を抜きながら何回かに分けて・・・現在に至っている。
ずっと保険の効く入れ歯(ブリッジ)を使っていたが、2年ほど前に一念発起して、保険の効かない特殊なプラスチックの入れ歯を作ってもらった。それでも、すぐに噛み合せが上手くいかなくなる。歯肉の形が微妙に変わってくるのだから、仕方がないのだろうが・・・。
硬いものが噛み切れない。回転鮨でネギトロの海苔が切れないのには驚かされた。若いころは肉が大好物で、何はともあれ肉を腹いっぱい食っていれば満足していたし、何より幸せ感に浸れた。特に、モツの串焼きなどを頬張りながら、これが食えなくなったら、死んだほうがいいよなぁ、などとのたまっていたというのに、いまは、どうだ・・・。肉は、特に牛はダメ、豚か鳥ならOK。あとは、ミンチだ。
かつて、それでも堪らず焼肉店に飛び込み、大好きなカルビを口に入れてじっくり味わったこともあるが、振り返れば、その後、何日かして残っている歯に不具合が生じて入れ歯を作り替えることになっている。
いつもグラグラした入れ歯と付き合っていると、ほんと、食事するのも面倒臭くなる。食堂の陳列棚を眺めながら涎を垂らすのは、もう切なくて、何とも情けない。もう、入れ歯と付き合うのは疲れた・・・。

2006/10/03

◆「皮膚のたるみ」をハサミで切られた・・・


にしても、歯医者以外の医者へ久々に行った。皮膚科・・・。
先週半ばあたりから身体にチクッとした痛みを感じた。原因はわからない。ちょっと不安になってその根源を探したら、何と、二の腕の内側、脇の下あたりにイボを見つけた。色も形も、ちょうど乳首状で、ぶら下がっている感じ。
ほっておいても、いずれ千切れ落ちそうなのだが、身動きしたり、下着に触れて擦れる時に引っ張られて痛みを伴うのだ。応急措置として傷テープを貼り付けてゴルフに臨んだが、押さえつけているので痛みは感じなかった。
でも、何となく気になってWebでイボを検索してみると、皮膚がんのケースもあるとか・・・。
で、近所に皮膚科の専門医がいるので、足を運んでみた。上着を脱いで、イボを見せると、若い医者は即座に「これは、皮膚のたるみ・・・年をとるとよく出てくるんですよね」だって・・・。見守る看護士に「ハサミ、ハサミ」と指示して、鼻毛でも切るような小さなハサミを選んで、イボをチョイチョイという感じで「ハイ、切れました」・・・。切り取ったあとに何か薬でも塗ってくれるのかと待っていたら、あと処理はなし。「終わりです。あと何かあったらまた来てください」でお仕舞い。この間、10分足らず。
支払は、初診料と手術料で4,660円(国保退職、負担率30%)は何とも高かった。でも、とりあえずは、ほっとした。
あとで鏡でチェックしたところ、まだ小さいイボも含め3つ切り取られた痕が赤く残っていた。カメの素人診断でも、ペンチで摘まんで引きちぎってしまおうかとも考えたのだが、それで正解だったようだ。

2006/10/02

◆“臓器売買”とは何とも情けなく腹立たしい

にしても、“臓器売買”が日本で初めて摘発された。やっぱり・・・と思うとともに、人間の命を弄ぶような行為で、何とも情けなく腹立たしい。

愛媛県警は1日、臓器移植法違反容疑で59歳のレシピエント(移植を受ける患者)と、売買を仲介した59歳の女性を逮捕した。臓器売買を禁じた同法違反での立件は、97年10月の施行後初めて。患者は糖尿病で、ドナー(臓器提供者)は借金のある59歳の女性で左の腎臓の摘出手術を受け、現金30万円と乗用車1台(150万円相当)を受け取ったそうだ。

同法制定の際、カメには何故こうした法律が必要になるのか不思議でならなかった。何より、他人の臓器をもらってまで生きたいという気持ちが理解できない。そこに、さまざまな事情があることはわかるが、医療技術が発達したからといって、そこまでやるか・・・というのが率直な思いだ。
人間の身体は機械とは違う。不具合があるからといって、部品を交換してすむものではないだろう。不具合な部品を宥めすかして、それで駄目ならハイ、それまでよ・・・でいいと思う。自然の定めとして何故受け入れられないのか。それが、その人の人生であり、生き様ではないのか。

技術的に可能になったからといって、法律を作ってまでそれを実施しようというのは、人間の驕りでしかない。まさに神を冒涜する所業だ。そもそも、移植手術を受けてまで生きながらえて、一体、何をしようというのか・・・。カメは思いつかない。
臓器移植法を認めてしまったのだから、死ぬ自由も、ある一定の条件の元に法制化して欲しいと思う。

2006/10/01

◆努力は結果となって現れるのだが・・・

にしても、努力という言葉を実感したのはゴルフだった。
46歳の時・・・、川の流れに身を任せるままでそれまで努力とは無縁だったのだが、お客さんのゴルフをセッティングする羽目になった。チンプンカンプンながら、何とか2度ほどこなして気がついた。ゴルフができれば自腹を切らずにラウンドできる、と。何より、健康的だし、楽しそうだった。
で、とりあえず7番アイアンを1本買って近所の練習場に自転車で通い始めたのだが、結構面白かった。レッスン書や専門誌、それに漫画まであれこれ仕入れて・・・。振り返れば、スクールにでも通って3ヶ月でも初歩を教われば違ったのだろうが、そんなタマではない。あくまでも我流だ。
音痴と運痴はDNAと諦めていたが、その酷さは、半端じゃない。さっぱり上達しないどころか、ボールが後ろにこそ飛ばないが、右に左に、それも隣りの打席との仕切りのポールに激突して睨み付けられたり、真上のブリキ製の天井に当たって轟音を発したり・・・。それでも、他の練習場をあちこち探して渡り歩いた。
さらに、優しい先輩、友人の力も借りて練習に励むうちに、何とかラウンドデビュー。ま、それも覚えていないほどに酷いものだったが、そのうち何となく格好はついた。
そんな時、ふっと「努力」という言葉が脳裏に浮かんだのだ。そうか・・・、努力、努力とよくいうが、努力すると結果となって現れるものなのだ、と。改めて、カメ自身、この世に生を受けてこの方、受験にしろ、仕事にしろ、努力したことはないよなぁ・・・としみじみと感慨に耽ったものだった。
で、生来の飽きっぽさから、そんな努力を止めて10数年、誰かに誘われればラウンドしていたのだが、数年前からは基礎体力の衰えが甚だしく、後半は文字通りの腰砕けの状態が続いていて・・・。といって、体力維持の努力なぞ馬鹿馬鹿しい。昨土曜日のプライベートコンペを最後にゴルフも止めることにした。何より、金がかかりすぎる。
いまは唯一、要介護状態に陥っているナニの復活を夢見て、切なくも涙ぐましい努力に専念することにした。

2006/09/29

◆ここはどこ? 私は誰? 東京でバンコク体験・・・

にしても、タイ語を喋れなくてもバンコクで暮らせるのか・・・。友人からよく聞かれるのだが、今年に入って既に3回訪泰して都合1カ月ぐらいにはなる。この間、食う、寝るに不自由はなく、バスにも乗れた。ボディランゲージというほどのこともなく、指を指したり、目で訴えたりしてほとんど目的は叶えられた。
実は、新宿のタイ語入門コースに3カ月間通って、授業料を払っただけに、使いたかったのだが・・・。もちろん、最初はささやかながら片仮名タイ語を使ってみたが、これがさっぱり通じない。特に、タクシーに乗ったときにそれを強く感じた。運転手に行き先や、ホテル名などが正確に伝わっているのかどうか、不安が募るばかり。何か聞き返されても、タイ語をキチンと聞き取れないし、たどたどしい片仮名タイ語で話を続ければ続けるほど、お互いの勘違いが拡大する一方で、とんでもない方向に向かってしまう。
あくまで向こうは善意なのだろうが、話の途中でタイの微笑を駆使して、開き直ってしまうとしか思えない。悪意がないだけに、始末に悪い。
タイ文字が氾濫する街中で、車がどこをどう走っているのか、確認しようもなく、怒って車を降りたとしても、ここはどこ? 私は誰?状態で、次にどこへ行けばいいのかもわからなくなるに違いない。
で、何とも釈然としないが、カメが学んだ教訓は、タイ語は使わず、拙い英語でコミュニケーションを図った方がお互いに生半可な理解だろうが、その方が錯誤のギャップが少ない・・・と。

ということで、タイでの日常生活なら言葉はさほど必要ないと感じているのだが、先日、東京はJRの駅前にあるクイックレストランに入ってスタミナ定食を注文した際、日本語が通じない体験をさせられた。
自販機で定食と缶ビールの食券を購入してカウンターに出したのだが、女性スタッフがフィリッピン人? だった。定食セットの肉皿だけをもう一皿追加したくて、できないものかどうかを尋ねてみたのだが、いや、はや、さっぱり要領を得ない。カメの説明も下手といえば下手なのだろうが、こちらの意向が通じていないことはわかり、途中で諦めてしまった。
なんだ、なんだ、ここは日本だというのに・・・、バンコクにいるような錯覚に陥ってしまった。

2006/09/28

◆めったに夢を見ない・・・

にしても、カメはめったに夢を見ない。覚えていないだけなのかもしれないが・・・。
というのも、先夜行きつけの居酒屋で同席した古希を過ぎた男性客がいまも在籍した会社でのあれこれを夢に見るという。「私もサラリーマンを長くやったが夢は見ませんね」といったら、「そりゃ、あなたはストレスを感じていなかったんですよ」と・・・。
恥ずかしながら、当たっている。カメは、だから、勤めた会社は一つだけではない。指折り数えて4社・・・。いずれも、確かにストレスが溜まりそうな兆しを感じたときには辞めていた。サラリーマンが自己主張できるのは辞表を書くときだけ・・・と思い込んでいた。いまでも、それは真理だと思っている。
一流大学を卒業して一流企業で60歳まで丸々勤め上げた竹馬の友は、そんなカメを「お前は好き嫌いだけで生きている。サラリーマンはストレスを溜めてナンボの世界なんだから・・・」と自嘲を込めていってくれた。
若いころ同じ職場にいてトラバーユした友人は20年近く経ち、移った先で責任あるポストについた。そのお祝いを兼ねて一献傾け、それぞれのこれまでを報告しあった際、友人は「随分と勝手気侭に生きているなぁ」とカメを評した。
カメはストレスが嫌い・・・というか、ストレスを生理的に受け入れられないと思っている。ストレスを溜め込むくらいなら死んだ方がましだ。それを頑なに通して、人生50年、夢幻の如くなり・・・をとっくに通過して、何と還暦まで迎えてしまった。サッカーの試合でいえば、ロスタイムに入って何とも長いというのが実感だ。
昨年の春だったか、カメは珍しいことに夢を見た。夢に出てきたのは業界で○○地獄といわれる会社にいたころの先輩の奥さんだった。奥さんとカメは面識がない。その奥さんから何故かカメの携帯に電話がかかってきたのだ。不思議といえば不思議なのだが、夢の中だ。奥さんは「主人が昨夜亡くなりまして・・・。生前から俺が死んだら会社には連絡するなといって、連絡して欲しい方のリストをメモしていて、いま連絡させていただいているところです・・・」と。
○○地獄でご一緒して、何度も飲みに連れて行ってもらい、可愛がってくれた先輩だ。夢とはいえ、カメはさもありなん・・・と思い、無性に懐かしくなってその真偽を確認したくて先輩の自宅に電話を入れたら本人が出てきた。「おっちんだと思ったのか・・・、まだピンピンしてるよ」といって笑みをこぼし、一週間ほど経って銀座で飲んだのだが・・・。
夢で覚えているのは、もう一つ・・・。大学時代、京都で下宿していたころ、高校時代のマドンナが看護婦姿で夢に現れ、具体的な映像は判然としないのだが、とにかくあたふたとしていた。夏休みで実家に戻った際、彼女の親父さんが亡くなったことを知らされ、カメがその夢を見た時期と一致していて愕然とした。
あと、見た夢といえば、子供のころ、寝床で見上げた天井の木目模様に巻き込まれて苦しがったことぐらいか・・・。

2006/09/27

◆Web世界はアイマスクをつけてのぞくよう・・・

にしても、Web世界はアイマスクをつけてのぞくようで、アナログ世代には何とも難しい。
それでも、やっとの思いで、本ブログのAdSenseのアカウントを設定できた。昨日一日かけてトライしたが、目がしょぼしょぼしてきて、さすがにギブアップせざるを得なかったのだが、今朝から再度始めて、やっと・・・。右下に公共広告が表示されたのを見てホッとしたところ。

パソコン歴は10年、Windowsの95から98、その後は98に慣れたせいで2000、meは素通りしてXPに馴染んで、都合5、6台は購入した。いまはノート型XPを2台使っているのだが・・・、いまだにその機能の2、3%ぐらいしか使っていないだろう。
それでも、面白い。Webという無限大の宇宙の存在だけは感覚的に認識できるからだ。ささやかながらネットサーフィンも楽しめるし、ホームページも今年になってやっとアップできた。
ただ、残念なことに問題が一つ、それは新しいことを始めようとすると、同じ操作を繰り返せないのだ。一日経過すると、ちょっと時間が経つと、もうどうやったのか忘れている。

今回2日もかけてトライできたのは、ひとえに広告収入への魅力だ。このスケベ心がなければあっさり断念していただろう。
これまで、魅力的な謳い文句のソフトを何本買ったことか・・・。そのうち、使えたものは一本もない。そうした新しい機能も、パソコンの新製品に買い換えるとほとんどがインストールされていて、勝手に起動してくれるのだから・・・何とも情けない。

AdSenseのアカウントを設定できて、その達成感だけはあるが、うーん、さて、さて・・・いかがなものか・・・。あれっ・・・という感じで広告がアップされてしまい、その手順はもうはっきり覚えていない。結果としては簡単だったのだが、もう一度トライして、同じようにできるのだろうか。不安の方が大きい。
でも、いまのカメはパソコン命、Web命なのだ。

2006/09/26

◆「金なくなれば死ぬつもり」とは・・・

にしても、「金の切れ目が命の切れ目」(外道語録09/17付)は外道カメの専売ではなかったようだ。
昨日、テレビのニュースを見ていたら「金なくなれば死ぬつもり・・・」のテロップ。その内容は・・・。
大阪府豊中市の22歳女性殺害事件で、逃亡先の札幌で24日に逮捕された男は「金がなくなれば死ぬつもりだった」と話していることが分かりました。
殺人容疑で逮捕されたM容疑者(22)は、今月19日、交際していたHさんの胸などを刃物で刺して殺害した疑いが持たれています。そして、自分の口座から、およそ100万円を引き出し、新幹線と夜行列車を乗り継いで逃亡を図りました。M容疑者は札幌に着くと、逃走前に下ろした自分の預金100万円を使い、変装のために頻繁に服を買って着替え、逃げていたということです。M容疑者は4日間の逃亡中、偽名も使ってサウナなどに身を潜めましたが、24日午後3時ごろ、目撃情報を受けた捜査員が札幌市内の繁華街で発見し、逮捕しました。
犯行の動機は別れ話のもつれのようで、M容疑者は「毎日10万円近くを服代に使って、髪を茶色に染めて変装した」「なぜ殺したのか、自分でも分からない」などとも供述、逮捕時の所持金は約3万円だったそうだ。

まさに、外道の仕業だ。分別もなければ、計画性もなし。思いつきだけで行動する。自己中心的で、堪え性がない。臨床心理学的にいっても、外道カメと一緒・・・、精神の発達障害で、大人になりきれていない、我侭なガキ・・・といったところで、社会的には何とも迷惑な、困った存在だ。

にしても、22歳で「金なくなれば死ぬつもり・・・」とはいいもいったりで、外道カメはお株をとられたような気分・・・、いまの時代、ひょっとすると若い世代には「普通」の感覚になっているのかも、と思った。

2006/09/25

◆あるがまま川の流れに任せ死ねればいい・・・

にしても、身体的機能の低下が甚だしい。
普段の生活ではあまり気にならないのだが、何か普段と違うことをしたり、しようとすると、それが顕著になる。確かに普段の生活では、ゆっくりゆっくり、体を動かしているようで、自覚することはめったにない。

今日は2カ月ぶり、珍しく近所のゴルフ練習場に自転車で出かけ、クラブを振ったら左手首に軽い痛みを感じた。何か、関節の細かい骨が砕かれたような、音こそ聞こえなかったが、少量の砂がギシギシするような感じ・・・。いや、参った。
そのうち痛みは感じなくなったが・・・、いや、はや、身体が直ぐに疲れる。腰がふらつき、息切れ・・・、その度に休んでクラブを振ったが、それでも約30分、1篭65球を打ち終わったところで、練習はやめた。
永年の課題になっている基礎体力の欠如なのだが、改善する意欲はもうとっくの昔からない。あるがまま、でいいと思っている。もう、ロスタイムに入って何と10余年、あとは死ぬだけだ。
実は、ロスタイムに入った50歳から定期的な健康診断もやめた。定期健診で悪所が見つかったとして、その箇所を治療することを考えると、外道の見地からしてバカバカしいと思う。完治したとして一体どのくらい寿命が延びるのか・・・、自覚症状なしに手遅れになって、それが原因で死んでも、そこが寿命だと思うのだが・・・。なんせ、ロスタイムを生きているのに、早期発見して治療するなんて、潔くないと思うのだ。ただ、カメは痛みにとりわけ弱い。だから、歯医者だけはいまだに通っているのだが・・・。
あとは市販の医薬品に頼っている。特に風邪薬は常備薬になっていて、毎晩、寝る前に飲んでいる。タバコの吸い過ぎからくる喉の痛み、鼻炎を抑え熟睡できるからで、もう10年以上は続いている習慣だ。

あるがまま、川の流れに任せていながら、外道のカメが唯一それに棹差しているのはナニの鍛錬なのだが、情けないことにこちらはずっと要介護状態が続いていて・・・、あぁー。

2006/09/24

◆無知は損・・・2GBのSDカード購入で再認識


にしても、無知は損・・・大きな損失を蒙ると再認識した。
デジカメの記録メディア、それも2GBのSDカードを昨日、川崎の専門店で購入した。4,980円・・・。
嫌味かとも思ったが、やはり気がかりで、レジでアピールして、持参のデジカメにカードを認識させたら660枚と表示され・・・、OK、OK。うぅーん、やったね、といったところ。大満足だった。

通販で買ってもいいかなと思い、前夜「価格.com」で検索。2GBのSDカードは3,948円から28,130円。デジカメと同メーカーの純正品の価格は10,600円 から19,500円で、これでは買う気にならない。最も安い3,948円のSDカードをクリックすると人気ランキングは1位、ユーザーレビューも上々、さらにクチコミ情報も流石に多く、品質面での不安は払拭され、そのサイトにアクセスしたら「1個限定」で3,948円の価格の内訳は消費税込、送料別、手数料別だった。これだと総額5,000円でお釣りかと納得して『買い物かご』に進んだら『品切れ』だった。 欲しいというモチベーションが上がって、京急で近い川崎まで出かけてみたのだった。

2GBのSDカードが急に欲しくなったのは、今週はじめ都心の量販店をのぞいた際、コンパクトで使いやすそうなMPEGムービーが目に留まった。何より、SDカードが使え、価格も手ごろ・・・。いま使っているお気に入りのデジカメは不要になるかもしれないが、なんせ新しもの好きなカメだ。これまでだったら、その場で衝動買いしていたかもしれない。
MPEGムービーのカタログを持ち帰るとともに、もう一度デジカメの取説を開いてみたら、動画撮影モードもついているし、仕様を確認すると記録画素数は同じだった。何ということ・・・、思い込みである。カメラのデザインの違いだけに惑わされていただけだった。念の為、愛用のデジカメ (512MBSDカード)を手に近くでテスト撮影してみたら、ちゃんと動画が撮れていた。あとは2GBのSDカードを買うだけ、というわけだ。

で、総括してみると、いままでのデジカメの撮影機能が活用できることになり、概算5万円ほど『得』した勘定になる。
外道のカメがバンコク暮らしを選択するのも、そうしたあれこれバックデータを比較した結果だ。タイと日本での暮らし・・・、その実態と内容はほとんど変わらないのに、実感として生活費は10分の1くらいで済みそうだから、マイペンライだ。

2006/09/23

◆死ぬ自由ぐらいはあってもいい・・・

にしても、近ごろカメでも知っている著名人の亡者記事を目にすることが増えた。カメもそれだけ歳をとったということでもあるのだろうが・・・。
作家、吉村昭氏(7月31日死去、79歳)の“自決”について今朝の産経新聞「正論」欄で拓殖大学学長の渡辺利夫氏が「尊厳死」でなくてなんであろう・・・と記していた。いまごろ・・・と思ったが、まさに正論だ。“自決”の直後から尊厳死論議が沸騰することを秘かに期待していたのだが・・・。

人間に生まれてくる自由はないのだから、死ぬ自由ぐらいはあってもいい・・・とはカメの箴言のつもりだ。
敬愛する山風氏の警句一つに「人間は管につながれて生まれ、管につながれて死ぬ」とある。山風氏流の警句だが、その真意はそんなバカなことをするな! といっているに違いない。管を外す自由を否定するのは、外道のカメがいうのも不遜だが、理不尽なことだ。
この論に共感してくださる方は多いと思うのだが、この死の問題に関してはみなさん悶々としているばかりで、積極的な発言は少ないし、大声を上げてくださる方もほとんどいない。例の臓器移植法が制定されるときも、人間の根源に関わる大テーマだというのにマスコミはタブー視して静かなものだった。
つい先ごろは、女優・黒柳徹子さんの母で、エッセイストとして活躍した黒柳朝さんは徹子さんに向かって「じゃね」といい残し95歳で亡くなったそうだ。徹子さんがそう明かしたもので、いまわの際のひと言として何とも微笑ましい。
人生色々、死も色々・・・でいいんじゃないかと思う。

2006/09/22

◆生身の肉片をちぎり捨てWeb空間に投棄・・・

にしても、本ブログに出会ってブログの何たるかがやっとわかった。いわば、カメの生身の肉片をちぎり捨てWeb空間に投棄する行為だ。そこには、カメの肉片がいつまでも「ウェブログ(weblog)」として残存するし、折りに触れ、世界中何処からでもアクセスできるから、カメが地上から消滅しても“霊魂”はWeb空間を浮遊しているという図になる。

この10年ほど、蔵書を何度か古書店に持ち込み処分している。身辺整理と居住空間の確保がきっかけで、最初の決断までには時間がかかった。まさに身を切られるようで・・・。が、2度目からはほとんど抵抗感はない。処分したあとはすっきり、何ていうことはなくなった。
蔵書は本人にとって思い入れたっぷり、分身のような気もするが、第3者にとっては邪魔な粗大ゴミでしかない。人生、生きているということは、ゴミ収集車のようなものか、とも思う。

ブログ歴は2年余り。最初の、1年以上続けていたブログは今春、ある日突然「削除」されてしまった。「公序良俗」に反していたようなのだが、理由の説明もなければ、是正の勧告もなく、一方的な削除の衝撃は大きく、1ヵ月ほどは悶々として過ごす羽目になった。
その後、別のサイトでブログを再開したのだが、何故か、更新がままならない。で、もう一つ、ブログをスタートさせてみたのだが、同様で、しっくりこない。
本ブログにいくつかアップして気がついた。他のブログサイトと違い、ここは簡便、単純にして・・・、だから、ワクワクする。
外道カメの死言状にはぴったり、だ。

2006/09/21

◆カードゲームの魅力、魔力の根源は至高体験?

にしても、単純、簡便なものほど奥深い魔力を秘めているようだ。
パソコンにインストールされているカードゲーム、スパイダソリテリアには驚いた。畏れ入った。何も考える余地なし。使うのは、目と指だけ。目はしょぼしょぼ、かすんできても、それでもなおもう一度・・・で終日にらめっこすることも多くなった。
何ともお恥ずかしいが、去る日は出かける予定の銭湯温泉、食品スーパーは中止、出かけたのは腹が減ってきた夕暮れ・・・、近所の99円ショップのみ。唯ひたすら単純複雑なスパイダソリテリアの中級に繰り返し挑んで飽きない。

この魅力、魔力の根源は???
単純でありながら複雑・・・達成感だろうが、ご褒美は何もなし。
例のドク数?だったか、数字のクロスワードパズルも同様な快感があるのだろうと思った。

最近努めて頭を使わないように、考えないですむように過ごしてはいる。もっともそれは生来のものでもあるのだが・・・。
特にスパイダソリテリアにあたってからは、それが楽に出来る。知力は露ほども使わず・・・朝からニッポン放送、昼からは文化放送のやる気満々・・・をバックMにゲーム三昧の日々・・・、やみくもにただカードを撒いているだけであっという間に一日が過ぎていく。

これって、多分、写経にも通じる心境、境地だろう。パチンコもそうだろうが、この手の単純なゲームに集中していると、それを繰り返していることで「無」の境地に限りなく近付ける。これは至高体験・・・ともいえるだろう。

2006/09/20

◆タイのクーデターはマイペンライな茶番劇

にしても、タイの軍事クーデターは、いかにもタイらしい。国王陛下のお墨付きを掲げ、マイペンライと国民みんなでマジに演じる茶番劇だ。
一夜明けた20日、新聞、ラジオ、テレビとメディアをあちこちサーフィンしてみたが、軍事クーデターの緊迫感がまるでない。首相府の周辺に出動した戦車の写真を見ても平穏そのまま、血の一滴も流れていない。リアリティが感じられなかった。
というのも、今年に入って3回奉泰して、バンコク市街の土地勘はいささかある。首相府の周辺は繁華街からはずっと離れた、由緒あるワット(寺院)が点在する巨大な歴史公園の趣だ。BTS、地下鉄もまだ通っていなくて、夜間は人通りはほとんどなくひっそりしている。首都を制圧・・・といったイメージが湧いてこない。
通信社の写真をみても、観光用の記念撮影風だ。カメラマンは困惑したに違いない。
WEBで情報収集していたら、昼前に見つけた毎日新聞の【バンコク春日孝之】電によると、2台の戦車が待機する首相府北門前で実況していたテレビ局の女性記者(35)に、日本人観光客が「何のイベントですか?」と声をかけた・・・そうだ。
日本人観光客がノー天気なのではない。多分、これが今回の軍事クーデターの真髄だろう。カメがバンコクにはまる由縁だ。
東京に木枯らしが吹くころ、やっぱり予定通りバンコクに行ってみよう。

2006/09/18

◆ぼーっとするのは趣味?仕事?


にしても、そう・・・、カメは何もしなくても案外と退屈しないタイプや。
ぼーっとしているのも好きだし、それだけでいい。なにかしなければという思いは希薄だし、ぼーっとするのも何かしているうちの一つなのだろう。
趣味は?とか、趣味がないからとか、不安視する向きが多いが、取り立てていうほどの趣味はない。
第一、趣味っていうやつは金がかかるじゃないか。ブランドを云々するし、当然ステイタスになる。ぼーっとするのに金はいらない。好きなわけだ。
バンコクはバックパッカーのメッカであるカオサンのゲストハウスに滞在中、一泊250BT(750円)の部屋が気に入り、部屋代を3日分前払いしようとしたら、スタッフの女性は怪訝そうな表情になり、「あなたは何をしたいのか」と聞かれたものだ。
そもそもこうした安宿に長期滞在する輩は少なく、結果として長居したとしても宿賃は日払いで何日分も前払いする輩はいないようだ。
で、彼女に「散歩している」と答え、またまた驚かれてしまったのだった。
タイ人こそ日陰でぼんやり、ぼーっとしているのが大好きと聞いていたのだが…、街でそうした姿はほとんど見かけなかった。ただ、屋台で店開きして売る気があるのかないのか、ぼーっとしている奴はよく見かけたが…。
ぼーっとしたり、ゴロゴロしたり・・・という様は怠惰そのものにみえるし、その通りなのだが、それが可能な環境が必要になる。
何より、陽気がよくなくてはならない。気温25℃以上、日本でいう夏日、Tシャツ一枚で終日過ごせるようでなくてはならない。
じっとしていても汗ばんでくるようでなければ、そうはいかない。 ひゅーひゅーと風が吹いたり、しとしとと雨が降ったりでは、とてもぼ?とはしていられないのは当然だ。
バンコクでは、大規模なショッピングモールの出入り口に用意してある灰皿の横で地べた座りしてぼんやりしていると、あっという間に時間は過ぎていったものだ。
それでいいんじゃないの、と思うのだが・・・。
(2006.07.16)

◆黄泉の国・・・バンコク!!!

にしても、あとは死ぬだけ。
やりたいことは、なし。
やらなければならないこともなし。
思い残すこともなし。
人生50年、夢幻の如くなり・・・や。
死んでしまえば、それでお終い。
にしても、ロスタイムが長過ぎる、よ。

あとは野となれ、山となれ・・・、バンコク・・・か。
(2006.07.10)

◆マイペンライの精神・・・

にしても、マイペンライの精神には共鳴した。
明日は明日の風が吹く・・・宵越しの金は持たない・・・それでも食える風土・・・陽気がいいからなぁ。年間通してTシャツ一枚で過ごせるもん、ね。 たまらないよ。
それに、陽気のせいだと思うが、上昇思考が湧いてこない。 贅沢って、なに? なんだよなぁ。
限りなく、野生動物に近い生き方・・・それに疑問を感じない。腹が減らなきゃOK・・・それ以上、何を望むのか? 
あとはゴロゴロして、寝て、遊んで、食って・・・その三つの欲求が満たされていれば、あと、他のことは関心の外・・・というわけ。
気楽が何より。それ以上の欲望とか野心といった社会的な欲望とは無縁、無関心。 これって、バックパッカーの生き様と共通すると思うのだが・・・・いかが?
バックパッカーの中にはセコク、セコク毎日財布の中身を気にしながら、相談しながら、過ごしている方もおられるでしょうが、そうした方は早くバッグを置いて、足を洗った方がいいと思うのですが・・・
                                    (2006.06.28)

◆面白かった・・・バンコクでの哲学体験


にしても、5月のバンコクでは大分哲学できた。
なぜ、バックパッカーな暮らしを選択したのか。難しい話ではない。単に、選択肢がなかったから。 国家からの月々のお手当てが10万円。これだけでどうやって暮らしていけばいいのか。答えは簡単だった。10万円で暮らせる環境に身を置けばいい。それだけのことだ。
確かめに訪泰したバンコクはその点、思った通りピッタリの環境だった。
悩むことは元々嫌いだ。悩んで、いい結果が出るのなら、それもいいだろうが・・・。世の中、悩んでどうにもならないことのほうが圧倒的に多い。悩めば、悩んだで、それはストレスとなって蓄積される。中には、悩むことが趣味、楽しんでいるとしか思えないタイプもいるが・・・。カメは、そんなのはご免だ。
これまで、直感だけで判断し? 正確にいえば、体、肉体的な素直な反応に従ってきた。
川の流れであり、川の流れに逆らうほどの気力も体力も、知力も持ち合わせていない。
好き嫌いだけが判断基準ともいえる。好きなもの、ことには体が単純に反応する。快感でもある。
心身の快感に勝るものはない。 生体には拒絶反応が備わっていて、不快なこと、不快なものに対しては敏感に反応する。それこそ、体内に異物が混入すれば排除する。生死に関わるから当然なのだ。生体反応は素早い、瞬時である。
だから、生まれながらにして、どうにもならないことは、そのまま無視するか、そのままどうしようもないと受け入れてきた。 でも、どうにもならないことをあれこれ考えるのが哲学かもしれない。
これも、バンコクで体験してみて、ちょっと面白かった。
(2006.06.21)

◆バックパッカーな暮らしの真髄・・・


にしても、バックパッカーな暮らしは「最高」だ。
バックパッカーはホームレスと一緒じゃないかとみる向きもあろうが、ちょっと違う。
どこが違うかといえば、どこだろう? 実態はバックパッカーもホームレスも、同じといってしまえば、はい、それまぁ?でヨなのだが・・・。
メンタル面の違いだろうか。積極的か、消極的か・・・。
にしても、社会からドロップアウトしている。これは逃避で、いずれも変わりはない。
バックパッカーの中には、積極的に学問、研究などの手段として積極的に取り組んでいる方も少なくないし、社会勉強の一環としている若者も多いことも確かだ。
カメの場合は生活のためだ。豊饒の国では食えない。
全てに金がかかりすぎるのだ。これでは、ホームレスと変わらないだろう。
ただ、日本は寒い。寒いのは苦手だ。寒いと、何だかんだと、つい考えてしまう。陽気が暖かいと、何も考えなくてもいい。明日のことも、明後日のことも、まして1年後のことなど・・・。
いまだけ、いまだけしかない。それこそ、いま体を横たえてゴロゴロしていてもいい。多分、明日も同じことをしているだろうし、それはできる、それがバックパッカーな暮らしの真髄だ。
カメの人生訓は、川の流れに身を任せる・・・だ。 それで、ずっとこれまで流れ流れて来た。いま、一人暮らしで、金なし、家族なし、余命なし、夢もなし・・・ないないづくし。あとは死ぬだけ。
強いて夢を探すと、浮上するのは中出し・・・か。
といって、種なし、中折れでは、これはまた、夢のまた夢。
いま、肩に背負おうのはバックパックだけのバックパッカーな暮らしは、カメにとっては「最高!」なのです。
                                       (2006.06.15)

◆バックパッカーは最高の快楽・・・

にしても、バックパッカーって最高の快楽、快感のような気がする。
バックパッカーは、まだバンコクでの2週間の体験しかないが、バックパッカーはカメの生きざま、お肉の周波数とピッタリ合致して、何ともいえぬ満足感とともに充実感に浸れた。
親しい後輩から「バンコクの何がいいの?」と聞かれた時、まだぼんやりとしていたそのメカニズムにハタと膝をたたいた。
バンコクでは言葉が通じない、聞き取れない、タイ文字は読めない、バスに乗っても何処に連れて行かれるのかわからない、行き先を聞かれることがあっても答えられない、何処に行きたいのか、何処に行こうとしているのかも自分でわからない、四六時中、街中に立って「ここは何処?」「私は誰?」状態で過ごしていた。
アイマスクをつけて歩いているようなものだ。視聴覚に襲いかかるあらゆる刺激を全身のお肉で甘受している。 これって、カメにとっては官能の海を彷徨っているのと一緒で、最高の快楽、快感・・・だ。
そこには道徳観も羞恥心もなければ、まして尊厳とか世間の常識や目も存在していない。
日本での日常生活をおくるのとは全く違う。知り合いだって、一人もいない。 全ては自己責任で、そうした世間の煩わしい制約、束縛から解き放たれて、勝手気侭、自由奔放でいいわけだ。
でも、食う、寝る、やる・・・、生物として生きるための3つの本能だけはしっかり機能している。それらがフル活動して、お肉のたまらない快感につながるのだろう。 カメにとってバックパッカーの効能の一つだ。
(2006.06.14)

2006/09/17

◆カメの外道語録は如何?

バンコク一人旅で最もお世話になったのがバンコク・タイ風俗情報サイト「外道の細道」です。
文字が詰め込み過ぎで読み難くはありますが、背に腹はかえられないカメはPCとじっくりにらめっこ・・・。いや、はや、凄い情報量です。それも、具体的で・・・。
外道の細道=http://hage.momo-club.com/index2.htm#new
カメのお気に入りは、そうした情報の内容よりも、何といっても、そのタイトルの「外道」とその心意気でしょうか。

実は、カメがバンコク行きを決断した心情をひと言、箴言風にいえば「金の切れ目が命の切れ目」・・・、ふっとそんな言葉が浮かんできました。
親しい友人にそう話すと、「そんなこと、いうもんじゃないよ」と軽く窘められたのですが・・・、
これって、まさに外道の世界じゃないですか。
カメが「外道の細道」にはまっていくのも、ごく自然の流れ。
そこで、今回カメが感じた、カメの目に留まった外道語録をご披露してみます。
(2006/03/30)

◇金の切れ目が命の切れ目(カメ)

◇快楽こそ人生、日々、楽しみましょう(カメ)

◇チップでわかる遊び心(カメ)

◇人生、マイ・ペン・ライ(カメ) 
マイ・ペン・ライは、英語でいえば、"Never mind"、日本語では「まっ、いっか」との意味合いが強く、何事にも適当なことが多いタイ人気質を表す言葉としてよく使われ、カメのお気に入り。
また、タイでは何か迷惑をかけた張本人が使うことが多い。
辞書による本来の意味は、「どういたしまして(大丈夫!平気!)」「だいじょうぶ」「気にしない」「問題ない」といったところ。

◇夢は中出し・・・(カメ)

◇死して屍拾う者なし (外道者タンクトップ=外道の細道に写真あり)

◇ぼられる奴はどこでもぼられる(外道の細道)

◆恥ずかしながら、カメ、バンコクに死す


9月1日から3泊5日でバンコクに行って参りました。今回は、仲良しの後輩(56歳)と二人で、ホテルは「4★」と豪華版。カラオケクラブ2回、マッサージパーラー1回、タイマッサージ(+玉もみ)3回というメニューで頑張りましたが、不発のまま帰ってきました。グスン、グスン・・・。止むに止まれず、深夜便のバンコク空港待合室で「死言状」をメモ帳に認めてしまいました。
恥ずかしながら、メモのまま修正を加えずそのままアップいたします。

カメは死にました。ウンともスンともいわず、お肉も反応しません。頭の中はスカスカで、ヘチマのよう。お肉はカラカラに乾いて、指で弾けばボロボロ崩れそうです。水分が足りないのではなく、水は流れ落ちてしまって留まりません。酢がたっている・・・というのでしょうか。4あ?5年前だったでしょうか、あの瑞々しいお肉の張りは何処へいってしまったのでしょう?ぁ?懐かしい・・・。あのHちゃんに玩具にされて、のけ反り、ペニスを反り返らせ、亀頭を光らせ、身を捩らせていたカメはどこへ行ってしまったのか・・・。情けなくて、切なくて・・・齢60を超えたいま、お肉の衰えにただ驚き、慄き・・・、涙いたします。どうやらカメも死言状を認める頃なのかもしれません。東京で半立ちのままオナニーに耽っていても・・・、もはや、詮無きこと。大富豪が大金を積んで寿命を買う・・・、それはもう一度、最後の噴出をしたいということ。その為だったら、金は幾らかかってもかまわない・・・と。カメもそんな気持ちになりました。
なんて、カメにそんな大金はないし、用意も出来ませんが・・・。その願い・・・、誰が叶えてくれるのでしょうか。
玉モミでカメが夢想したことといえば・・・、玉を弄われ、玉袋を伸ばしたり縮めたり、玉を握ったり、擦ったりして・・・、その挙句、ペニスが隆と屹立すると・・・。勝手に、そんな絵柄を・・・Hちゃんとの画像に残っているワンカットを・・・。現実は、トンでも発奮で、昨日のMでは内股を掌で圧せられて、それが最も反応した・・・。ムズムズ感が微かに湧き上がったのですが・・・。ムラムラではなく・・・。淡く、微かな希望の光に見えたのですが・・・、やはり、ハイそれまでよ・・、半立ちのまま、それ以上の進展はありませんでした。
素っ裸にひん剥かれ、両手首を拘束されて吊るされて・・・、さて、醜いカメの裸体をみなさまのいいように玩具にされる・・・、そんな図は可能なのでしょうか・・・。これも、カメの白昼夢なのでございます。
やはり、カメはバンコクでほんと、死んでしまったようです・・・。
(06/9/4 於・バンコク_メモそのまま)

◆カメの願い (^_^;)「早く来い」

還暦を迎えた大先輩から、聞いた話です。

「そろそろ如何でしょうか?」 といいながら、死神は還暦を迎えた方を一人づつ訪ね歩いているそうです。そのセールストークはオレオレ詐欺なみに巧みな上、時には手を引っ張って強引に連れて行こうとしたりもするとか・・・。そこで、大先輩は死神が玄関まできた時、妻女にこういえと教えていたそうです。
還暦(干支が60年で一回りして、元に帰るところから、数え61歳)
60才でお迎えが来た時は 「只今留守」と云へ
古希(杜甫の「曲江詩」中の「人生七十古来稀」の句から70歳)
70才でお迎えが来た時は 「まだまだ早い」と云へ
喜寿(喜の字の草体が「77」と分解できるところから数え77歳)
77才でお迎えがきた時は 「せくな老楽これからよ」と云へ
傘寿(傘の略体が「80」と分解できることから数え80歳)
80才でお迎えが来た時は 「なんのまだまだ役に立つ」と云へ
米寿(米の字が八十八に分解できることから88歳)
88才でお迎えが来た時は 「もう少しお米を食べてから」と云へ
卒寿(卆が「九十」と分解できることから、90歳)
90才でお迎えが来た時は 「そう急がずともよい」と云へ
白寿(百の字から一をとると白の字になることから99歳)
99才でお迎えが来た時は 「頃をみてこちらからボツボツ行く」と云へ 
(06/05/30)

◆死言状・・・しごんじょう


死言状とは、山田風太郎の造語のようだ。
国語辞典にはないし、Google、Yahooなどの検索サイトでは彼の「死言状」なるタイトルのエッセー集(文庫)だけが引っかかってくる。
「死言状」の検索結果は「すべての辞書検索で該当する情報は見つかりませんでした」とのメッセージに加えて、類語として「遺言状」などが表示された。
遺言状となると何とも生々しくリアリティに溢れるが、死言状の方はかなりいい加減でありながら、曖昧模糊で漠然とした徒然記と違って狙いが凝縮されていて、カメの生き様にぴったり合致する。
エッセー集のタイトルになった死言状には「しごん」とルビがふってある。これだ・・・と大いに気に入りパクラせていただくことにした。で、考えついたタイトルが「外道カメの死言状」なのだが、さて・・・。