2010/04/05

◎ シュレッダーにかけた16年分の日記帳


にしても、わが身を切り刻まれるような気がするのではないかと怖気づいていたのだが、やってみれば何のことはない、自らとの決別はあっけらかんとしたもので、拍子抜けした。先夜、スライド式書棚の奥に収納していた1993年から2008年までの我が日記帳16冊を2日がかり、夜の特番テレビを眺めながらシュレッダーにかけたのだ。

2、3ページづつ引き千切りながらも、目はそのページには飛ばず、馬鹿馬鹿しいテレビ画面に向けられていて、もはや何の感慨も湧いてこなかった。ページのどこかへ目を向ければ、この作業はたちまち中断して先に進めなくなることは明らかなので、意識的に目はぼんやりテレビ画面に向けたまま、作業は続けた。そして、改めてこのカメ、息は続けているものの実は死んでいる、もはや生身の血は流れていないことを実感した。

何のことはない、カメが生きてきた?証(のつもりの)16年分が、邪魔な紙屑でしかなかったことを思い知らされた。シュレッターにかけられた日記帳は小紙片に姿を変え、大きく膨れ上がったものの、大きなゴミ袋に入れて空気を抜かれると幾分小さくなったが、それでもノート1冊の10倍以上に嵩張った。マンション1階のゴミ集積所にそれを運んで、部屋に戻るエレベーターの中で、何となく身軽になった気がした。