2007/03/25

◎高村薫女史のコメントに身が引き締まる

にしても、モノを考えたくないからテレビの“ながら視聴”を続けながらPCのカードゲームに耽っていたようだ。
今朝の産経新聞(25日付)で、あるある捏造問題での調査委員会の報告書の発表を受けた高村薫女史のコメントを読んで、身が引き締まる想いだった。
「私自身がどう考えるか」という作業の手間を惜しんでいる・・・テレビを見ながらモノを考えるのは難しい・・・テレビを消して考える、我に返る作業が必要・・・との指摘だ。
振り返ってみて、元々考えることは嫌いだったし、苦手で、逃げ続けていたように思う。何か問題を深く考えると、頭の芯が熱くなって、何より疲れる。それは、左脳と右脳、理と情、いずれも同じだった。
考えることが面倒臭いのだ。だから、外部からの刺戟に反応するのは生理的なものだけ、生死に関わるものと官能の渦というわけで、それらに対する反応は素直で、敏感・・・、お肉の反応は過剰にも映ったものだ。
時に考えたつもりでも、結果はやはり「つもり」でしかなく・・・、時の流れに身を任せ、翻弄されるだけで、黄泉の国を目前にしながら三途の川も渡り切れない有様だったのだから・・・。