2006/09/29

◆ここはどこ? 私は誰? 東京でバンコク体験・・・

にしても、タイ語を喋れなくてもバンコクで暮らせるのか・・・。友人からよく聞かれるのだが、今年に入って既に3回訪泰して都合1カ月ぐらいにはなる。この間、食う、寝るに不自由はなく、バスにも乗れた。ボディランゲージというほどのこともなく、指を指したり、目で訴えたりしてほとんど目的は叶えられた。
実は、新宿のタイ語入門コースに3カ月間通って、授業料を払っただけに、使いたかったのだが・・・。もちろん、最初はささやかながら片仮名タイ語を使ってみたが、これがさっぱり通じない。特に、タクシーに乗ったときにそれを強く感じた。運転手に行き先や、ホテル名などが正確に伝わっているのかどうか、不安が募るばかり。何か聞き返されても、タイ語をキチンと聞き取れないし、たどたどしい片仮名タイ語で話を続ければ続けるほど、お互いの勘違いが拡大する一方で、とんでもない方向に向かってしまう。
あくまで向こうは善意なのだろうが、話の途中でタイの微笑を駆使して、開き直ってしまうとしか思えない。悪意がないだけに、始末に悪い。
タイ文字が氾濫する街中で、車がどこをどう走っているのか、確認しようもなく、怒って車を降りたとしても、ここはどこ? 私は誰?状態で、次にどこへ行けばいいのかもわからなくなるに違いない。
で、何とも釈然としないが、カメが学んだ教訓は、タイ語は使わず、拙い英語でコミュニケーションを図った方がお互いに生半可な理解だろうが、その方が錯誤のギャップが少ない・・・と。

ということで、タイでの日常生活なら言葉はさほど必要ないと感じているのだが、先日、東京はJRの駅前にあるクイックレストランに入ってスタミナ定食を注文した際、日本語が通じない体験をさせられた。
自販機で定食と缶ビールの食券を購入してカウンターに出したのだが、女性スタッフがフィリッピン人? だった。定食セットの肉皿だけをもう一皿追加したくて、できないものかどうかを尋ねてみたのだが、いや、はや、さっぱり要領を得ない。カメの説明も下手といえば下手なのだろうが、こちらの意向が通じていないことはわかり、途中で諦めてしまった。
なんだ、なんだ、ここは日本だというのに・・・、バンコクにいるような錯覚に陥ってしまった。

2006/09/28

◆めったに夢を見ない・・・

にしても、カメはめったに夢を見ない。覚えていないだけなのかもしれないが・・・。
というのも、先夜行きつけの居酒屋で同席した古希を過ぎた男性客がいまも在籍した会社でのあれこれを夢に見るという。「私もサラリーマンを長くやったが夢は見ませんね」といったら、「そりゃ、あなたはストレスを感じていなかったんですよ」と・・・。
恥ずかしながら、当たっている。カメは、だから、勤めた会社は一つだけではない。指折り数えて4社・・・。いずれも、確かにストレスが溜まりそうな兆しを感じたときには辞めていた。サラリーマンが自己主張できるのは辞表を書くときだけ・・・と思い込んでいた。いまでも、それは真理だと思っている。
一流大学を卒業して一流企業で60歳まで丸々勤め上げた竹馬の友は、そんなカメを「お前は好き嫌いだけで生きている。サラリーマンはストレスを溜めてナンボの世界なんだから・・・」と自嘲を込めていってくれた。
若いころ同じ職場にいてトラバーユした友人は20年近く経ち、移った先で責任あるポストについた。そのお祝いを兼ねて一献傾け、それぞれのこれまでを報告しあった際、友人は「随分と勝手気侭に生きているなぁ」とカメを評した。
カメはストレスが嫌い・・・というか、ストレスを生理的に受け入れられないと思っている。ストレスを溜め込むくらいなら死んだ方がましだ。それを頑なに通して、人生50年、夢幻の如くなり・・・をとっくに通過して、何と還暦まで迎えてしまった。サッカーの試合でいえば、ロスタイムに入って何とも長いというのが実感だ。
昨年の春だったか、カメは珍しいことに夢を見た。夢に出てきたのは業界で○○地獄といわれる会社にいたころの先輩の奥さんだった。奥さんとカメは面識がない。その奥さんから何故かカメの携帯に電話がかかってきたのだ。不思議といえば不思議なのだが、夢の中だ。奥さんは「主人が昨夜亡くなりまして・・・。生前から俺が死んだら会社には連絡するなといって、連絡して欲しい方のリストをメモしていて、いま連絡させていただいているところです・・・」と。
○○地獄でご一緒して、何度も飲みに連れて行ってもらい、可愛がってくれた先輩だ。夢とはいえ、カメはさもありなん・・・と思い、無性に懐かしくなってその真偽を確認したくて先輩の自宅に電話を入れたら本人が出てきた。「おっちんだと思ったのか・・・、まだピンピンしてるよ」といって笑みをこぼし、一週間ほど経って銀座で飲んだのだが・・・。
夢で覚えているのは、もう一つ・・・。大学時代、京都で下宿していたころ、高校時代のマドンナが看護婦姿で夢に現れ、具体的な映像は判然としないのだが、とにかくあたふたとしていた。夏休みで実家に戻った際、彼女の親父さんが亡くなったことを知らされ、カメがその夢を見た時期と一致していて愕然とした。
あと、見た夢といえば、子供のころ、寝床で見上げた天井の木目模様に巻き込まれて苦しがったことぐらいか・・・。

2006/09/27

◆Web世界はアイマスクをつけてのぞくよう・・・

にしても、Web世界はアイマスクをつけてのぞくようで、アナログ世代には何とも難しい。
それでも、やっとの思いで、本ブログのAdSenseのアカウントを設定できた。昨日一日かけてトライしたが、目がしょぼしょぼしてきて、さすがにギブアップせざるを得なかったのだが、今朝から再度始めて、やっと・・・。右下に公共広告が表示されたのを見てホッとしたところ。

パソコン歴は10年、Windowsの95から98、その後は98に慣れたせいで2000、meは素通りしてXPに馴染んで、都合5、6台は購入した。いまはノート型XPを2台使っているのだが・・・、いまだにその機能の2、3%ぐらいしか使っていないだろう。
それでも、面白い。Webという無限大の宇宙の存在だけは感覚的に認識できるからだ。ささやかながらネットサーフィンも楽しめるし、ホームページも今年になってやっとアップできた。
ただ、残念なことに問題が一つ、それは新しいことを始めようとすると、同じ操作を繰り返せないのだ。一日経過すると、ちょっと時間が経つと、もうどうやったのか忘れている。

今回2日もかけてトライできたのは、ひとえに広告収入への魅力だ。このスケベ心がなければあっさり断念していただろう。
これまで、魅力的な謳い文句のソフトを何本買ったことか・・・。そのうち、使えたものは一本もない。そうした新しい機能も、パソコンの新製品に買い換えるとほとんどがインストールされていて、勝手に起動してくれるのだから・・・何とも情けない。

AdSenseのアカウントを設定できて、その達成感だけはあるが、うーん、さて、さて・・・いかがなものか・・・。あれっ・・・という感じで広告がアップされてしまい、その手順はもうはっきり覚えていない。結果としては簡単だったのだが、もう一度トライして、同じようにできるのだろうか。不安の方が大きい。
でも、いまのカメはパソコン命、Web命なのだ。

2006/09/26

◆「金なくなれば死ぬつもり」とは・・・

にしても、「金の切れ目が命の切れ目」(外道語録09/17付)は外道カメの専売ではなかったようだ。
昨日、テレビのニュースを見ていたら「金なくなれば死ぬつもり・・・」のテロップ。その内容は・・・。
大阪府豊中市の22歳女性殺害事件で、逃亡先の札幌で24日に逮捕された男は「金がなくなれば死ぬつもりだった」と話していることが分かりました。
殺人容疑で逮捕されたM容疑者(22)は、今月19日、交際していたHさんの胸などを刃物で刺して殺害した疑いが持たれています。そして、自分の口座から、およそ100万円を引き出し、新幹線と夜行列車を乗り継いで逃亡を図りました。M容疑者は札幌に着くと、逃走前に下ろした自分の預金100万円を使い、変装のために頻繁に服を買って着替え、逃げていたということです。M容疑者は4日間の逃亡中、偽名も使ってサウナなどに身を潜めましたが、24日午後3時ごろ、目撃情報を受けた捜査員が札幌市内の繁華街で発見し、逮捕しました。
犯行の動機は別れ話のもつれのようで、M容疑者は「毎日10万円近くを服代に使って、髪を茶色に染めて変装した」「なぜ殺したのか、自分でも分からない」などとも供述、逮捕時の所持金は約3万円だったそうだ。

まさに、外道の仕業だ。分別もなければ、計画性もなし。思いつきだけで行動する。自己中心的で、堪え性がない。臨床心理学的にいっても、外道カメと一緒・・・、精神の発達障害で、大人になりきれていない、我侭なガキ・・・といったところで、社会的には何とも迷惑な、困った存在だ。

にしても、22歳で「金なくなれば死ぬつもり・・・」とはいいもいったりで、外道カメはお株をとられたような気分・・・、いまの時代、ひょっとすると若い世代には「普通」の感覚になっているのかも、と思った。

2006/09/25

◆あるがまま川の流れに任せ死ねればいい・・・

にしても、身体的機能の低下が甚だしい。
普段の生活ではあまり気にならないのだが、何か普段と違うことをしたり、しようとすると、それが顕著になる。確かに普段の生活では、ゆっくりゆっくり、体を動かしているようで、自覚することはめったにない。

今日は2カ月ぶり、珍しく近所のゴルフ練習場に自転車で出かけ、クラブを振ったら左手首に軽い痛みを感じた。何か、関節の細かい骨が砕かれたような、音こそ聞こえなかったが、少量の砂がギシギシするような感じ・・・。いや、参った。
そのうち痛みは感じなくなったが・・・、いや、はや、身体が直ぐに疲れる。腰がふらつき、息切れ・・・、その度に休んでクラブを振ったが、それでも約30分、1篭65球を打ち終わったところで、練習はやめた。
永年の課題になっている基礎体力の欠如なのだが、改善する意欲はもうとっくの昔からない。あるがまま、でいいと思っている。もう、ロスタイムに入って何と10余年、あとは死ぬだけだ。
実は、ロスタイムに入った50歳から定期的な健康診断もやめた。定期健診で悪所が見つかったとして、その箇所を治療することを考えると、外道の見地からしてバカバカしいと思う。完治したとして一体どのくらい寿命が延びるのか・・・、自覚症状なしに手遅れになって、それが原因で死んでも、そこが寿命だと思うのだが・・・。なんせ、ロスタイムを生きているのに、早期発見して治療するなんて、潔くないと思うのだ。ただ、カメは痛みにとりわけ弱い。だから、歯医者だけはいまだに通っているのだが・・・。
あとは市販の医薬品に頼っている。特に風邪薬は常備薬になっていて、毎晩、寝る前に飲んでいる。タバコの吸い過ぎからくる喉の痛み、鼻炎を抑え熟睡できるからで、もう10年以上は続いている習慣だ。

あるがまま、川の流れに任せていながら、外道のカメが唯一それに棹差しているのはナニの鍛錬なのだが、情けないことにこちらはずっと要介護状態が続いていて・・・、あぁー。

2006/09/24

◆無知は損・・・2GBのSDカード購入で再認識


にしても、無知は損・・・大きな損失を蒙ると再認識した。
デジカメの記録メディア、それも2GBのSDカードを昨日、川崎の専門店で購入した。4,980円・・・。
嫌味かとも思ったが、やはり気がかりで、レジでアピールして、持参のデジカメにカードを認識させたら660枚と表示され・・・、OK、OK。うぅーん、やったね、といったところ。大満足だった。

通販で買ってもいいかなと思い、前夜「価格.com」で検索。2GBのSDカードは3,948円から28,130円。デジカメと同メーカーの純正品の価格は10,600円 から19,500円で、これでは買う気にならない。最も安い3,948円のSDカードをクリックすると人気ランキングは1位、ユーザーレビューも上々、さらにクチコミ情報も流石に多く、品質面での不安は払拭され、そのサイトにアクセスしたら「1個限定」で3,948円の価格の内訳は消費税込、送料別、手数料別だった。これだと総額5,000円でお釣りかと納得して『買い物かご』に進んだら『品切れ』だった。 欲しいというモチベーションが上がって、京急で近い川崎まで出かけてみたのだった。

2GBのSDカードが急に欲しくなったのは、今週はじめ都心の量販店をのぞいた際、コンパクトで使いやすそうなMPEGムービーが目に留まった。何より、SDカードが使え、価格も手ごろ・・・。いま使っているお気に入りのデジカメは不要になるかもしれないが、なんせ新しもの好きなカメだ。これまでだったら、その場で衝動買いしていたかもしれない。
MPEGムービーのカタログを持ち帰るとともに、もう一度デジカメの取説を開いてみたら、動画撮影モードもついているし、仕様を確認すると記録画素数は同じだった。何ということ・・・、思い込みである。カメラのデザインの違いだけに惑わされていただけだった。念の為、愛用のデジカメ (512MBSDカード)を手に近くでテスト撮影してみたら、ちゃんと動画が撮れていた。あとは2GBのSDカードを買うだけ、というわけだ。

で、総括してみると、いままでのデジカメの撮影機能が活用できることになり、概算5万円ほど『得』した勘定になる。
外道のカメがバンコク暮らしを選択するのも、そうしたあれこれバックデータを比較した結果だ。タイと日本での暮らし・・・、その実態と内容はほとんど変わらないのに、実感として生活費は10分の1くらいで済みそうだから、マイペンライだ。

2006/09/23

◆死ぬ自由ぐらいはあってもいい・・・

にしても、近ごろカメでも知っている著名人の亡者記事を目にすることが増えた。カメもそれだけ歳をとったということでもあるのだろうが・・・。
作家、吉村昭氏(7月31日死去、79歳)の“自決”について今朝の産経新聞「正論」欄で拓殖大学学長の渡辺利夫氏が「尊厳死」でなくてなんであろう・・・と記していた。いまごろ・・・と思ったが、まさに正論だ。“自決”の直後から尊厳死論議が沸騰することを秘かに期待していたのだが・・・。

人間に生まれてくる自由はないのだから、死ぬ自由ぐらいはあってもいい・・・とはカメの箴言のつもりだ。
敬愛する山風氏の警句一つに「人間は管につながれて生まれ、管につながれて死ぬ」とある。山風氏流の警句だが、その真意はそんなバカなことをするな! といっているに違いない。管を外す自由を否定するのは、外道のカメがいうのも不遜だが、理不尽なことだ。
この論に共感してくださる方は多いと思うのだが、この死の問題に関してはみなさん悶々としているばかりで、積極的な発言は少ないし、大声を上げてくださる方もほとんどいない。例の臓器移植法が制定されるときも、人間の根源に関わる大テーマだというのにマスコミはタブー視して静かなものだった。
つい先ごろは、女優・黒柳徹子さんの母で、エッセイストとして活躍した黒柳朝さんは徹子さんに向かって「じゃね」といい残し95歳で亡くなったそうだ。徹子さんがそう明かしたもので、いまわの際のひと言として何とも微笑ましい。
人生色々、死も色々・・・でいいんじゃないかと思う。

2006/09/22

◆生身の肉片をちぎり捨てWeb空間に投棄・・・

にしても、本ブログに出会ってブログの何たるかがやっとわかった。いわば、カメの生身の肉片をちぎり捨てWeb空間に投棄する行為だ。そこには、カメの肉片がいつまでも「ウェブログ(weblog)」として残存するし、折りに触れ、世界中何処からでもアクセスできるから、カメが地上から消滅しても“霊魂”はWeb空間を浮遊しているという図になる。

この10年ほど、蔵書を何度か古書店に持ち込み処分している。身辺整理と居住空間の確保がきっかけで、最初の決断までには時間がかかった。まさに身を切られるようで・・・。が、2度目からはほとんど抵抗感はない。処分したあとはすっきり、何ていうことはなくなった。
蔵書は本人にとって思い入れたっぷり、分身のような気もするが、第3者にとっては邪魔な粗大ゴミでしかない。人生、生きているということは、ゴミ収集車のようなものか、とも思う。

ブログ歴は2年余り。最初の、1年以上続けていたブログは今春、ある日突然「削除」されてしまった。「公序良俗」に反していたようなのだが、理由の説明もなければ、是正の勧告もなく、一方的な削除の衝撃は大きく、1ヵ月ほどは悶々として過ごす羽目になった。
その後、別のサイトでブログを再開したのだが、何故か、更新がままならない。で、もう一つ、ブログをスタートさせてみたのだが、同様で、しっくりこない。
本ブログにいくつかアップして気がついた。他のブログサイトと違い、ここは簡便、単純にして・・・、だから、ワクワクする。
外道カメの死言状にはぴったり、だ。

2006/09/21

◆カードゲームの魅力、魔力の根源は至高体験?

にしても、単純、簡便なものほど奥深い魔力を秘めているようだ。
パソコンにインストールされているカードゲーム、スパイダソリテリアには驚いた。畏れ入った。何も考える余地なし。使うのは、目と指だけ。目はしょぼしょぼ、かすんできても、それでもなおもう一度・・・で終日にらめっこすることも多くなった。
何ともお恥ずかしいが、去る日は出かける予定の銭湯温泉、食品スーパーは中止、出かけたのは腹が減ってきた夕暮れ・・・、近所の99円ショップのみ。唯ひたすら単純複雑なスパイダソリテリアの中級に繰り返し挑んで飽きない。

この魅力、魔力の根源は???
単純でありながら複雑・・・達成感だろうが、ご褒美は何もなし。
例のドク数?だったか、数字のクロスワードパズルも同様な快感があるのだろうと思った。

最近努めて頭を使わないように、考えないですむように過ごしてはいる。もっともそれは生来のものでもあるのだが・・・。
特にスパイダソリテリアにあたってからは、それが楽に出来る。知力は露ほども使わず・・・朝からニッポン放送、昼からは文化放送のやる気満々・・・をバックMにゲーム三昧の日々・・・、やみくもにただカードを撒いているだけであっという間に一日が過ぎていく。

これって、多分、写経にも通じる心境、境地だろう。パチンコもそうだろうが、この手の単純なゲームに集中していると、それを繰り返していることで「無」の境地に限りなく近付ける。これは至高体験・・・ともいえるだろう。

2006/09/20

◆タイのクーデターはマイペンライな茶番劇

にしても、タイの軍事クーデターは、いかにもタイらしい。国王陛下のお墨付きを掲げ、マイペンライと国民みんなでマジに演じる茶番劇だ。
一夜明けた20日、新聞、ラジオ、テレビとメディアをあちこちサーフィンしてみたが、軍事クーデターの緊迫感がまるでない。首相府の周辺に出動した戦車の写真を見ても平穏そのまま、血の一滴も流れていない。リアリティが感じられなかった。
というのも、今年に入って3回奉泰して、バンコク市街の土地勘はいささかある。首相府の周辺は繁華街からはずっと離れた、由緒あるワット(寺院)が点在する巨大な歴史公園の趣だ。BTS、地下鉄もまだ通っていなくて、夜間は人通りはほとんどなくひっそりしている。首都を制圧・・・といったイメージが湧いてこない。
通信社の写真をみても、観光用の記念撮影風だ。カメラマンは困惑したに違いない。
WEBで情報収集していたら、昼前に見つけた毎日新聞の【バンコク春日孝之】電によると、2台の戦車が待機する首相府北門前で実況していたテレビ局の女性記者(35)に、日本人観光客が「何のイベントですか?」と声をかけた・・・そうだ。
日本人観光客がノー天気なのではない。多分、これが今回の軍事クーデターの真髄だろう。カメがバンコクにはまる由縁だ。
東京に木枯らしが吹くころ、やっぱり予定通りバンコクに行ってみよう。

2006/09/18

◆ぼーっとするのは趣味?仕事?


にしても、そう・・・、カメは何もしなくても案外と退屈しないタイプや。
ぼーっとしているのも好きだし、それだけでいい。なにかしなければという思いは希薄だし、ぼーっとするのも何かしているうちの一つなのだろう。
趣味は?とか、趣味がないからとか、不安視する向きが多いが、取り立てていうほどの趣味はない。
第一、趣味っていうやつは金がかかるじゃないか。ブランドを云々するし、当然ステイタスになる。ぼーっとするのに金はいらない。好きなわけだ。
バンコクはバックパッカーのメッカであるカオサンのゲストハウスに滞在中、一泊250BT(750円)の部屋が気に入り、部屋代を3日分前払いしようとしたら、スタッフの女性は怪訝そうな表情になり、「あなたは何をしたいのか」と聞かれたものだ。
そもそもこうした安宿に長期滞在する輩は少なく、結果として長居したとしても宿賃は日払いで何日分も前払いする輩はいないようだ。
で、彼女に「散歩している」と答え、またまた驚かれてしまったのだった。
タイ人こそ日陰でぼんやり、ぼーっとしているのが大好きと聞いていたのだが…、街でそうした姿はほとんど見かけなかった。ただ、屋台で店開きして売る気があるのかないのか、ぼーっとしている奴はよく見かけたが…。
ぼーっとしたり、ゴロゴロしたり・・・という様は怠惰そのものにみえるし、その通りなのだが、それが可能な環境が必要になる。
何より、陽気がよくなくてはならない。気温25℃以上、日本でいう夏日、Tシャツ一枚で終日過ごせるようでなくてはならない。
じっとしていても汗ばんでくるようでなければ、そうはいかない。 ひゅーひゅーと風が吹いたり、しとしとと雨が降ったりでは、とてもぼ?とはしていられないのは当然だ。
バンコクでは、大規模なショッピングモールの出入り口に用意してある灰皿の横で地べた座りしてぼんやりしていると、あっという間に時間は過ぎていったものだ。
それでいいんじゃないの、と思うのだが・・・。
(2006.07.16)

◆黄泉の国・・・バンコク!!!

にしても、あとは死ぬだけ。
やりたいことは、なし。
やらなければならないこともなし。
思い残すこともなし。
人生50年、夢幻の如くなり・・・や。
死んでしまえば、それでお終い。
にしても、ロスタイムが長過ぎる、よ。

あとは野となれ、山となれ・・・、バンコク・・・か。
(2006.07.10)

◆マイペンライの精神・・・

にしても、マイペンライの精神には共鳴した。
明日は明日の風が吹く・・・宵越しの金は持たない・・・それでも食える風土・・・陽気がいいからなぁ。年間通してTシャツ一枚で過ごせるもん、ね。 たまらないよ。
それに、陽気のせいだと思うが、上昇思考が湧いてこない。 贅沢って、なに? なんだよなぁ。
限りなく、野生動物に近い生き方・・・それに疑問を感じない。腹が減らなきゃOK・・・それ以上、何を望むのか? 
あとはゴロゴロして、寝て、遊んで、食って・・・その三つの欲求が満たされていれば、あと、他のことは関心の外・・・というわけ。
気楽が何より。それ以上の欲望とか野心といった社会的な欲望とは無縁、無関心。 これって、バックパッカーの生き様と共通すると思うのだが・・・・いかが?
バックパッカーの中にはセコク、セコク毎日財布の中身を気にしながら、相談しながら、過ごしている方もおられるでしょうが、そうした方は早くバッグを置いて、足を洗った方がいいと思うのですが・・・
                                    (2006.06.28)

◆面白かった・・・バンコクでの哲学体験


にしても、5月のバンコクでは大分哲学できた。
なぜ、バックパッカーな暮らしを選択したのか。難しい話ではない。単に、選択肢がなかったから。 国家からの月々のお手当てが10万円。これだけでどうやって暮らしていけばいいのか。答えは簡単だった。10万円で暮らせる環境に身を置けばいい。それだけのことだ。
確かめに訪泰したバンコクはその点、思った通りピッタリの環境だった。
悩むことは元々嫌いだ。悩んで、いい結果が出るのなら、それもいいだろうが・・・。世の中、悩んでどうにもならないことのほうが圧倒的に多い。悩めば、悩んだで、それはストレスとなって蓄積される。中には、悩むことが趣味、楽しんでいるとしか思えないタイプもいるが・・・。カメは、そんなのはご免だ。
これまで、直感だけで判断し? 正確にいえば、体、肉体的な素直な反応に従ってきた。
川の流れであり、川の流れに逆らうほどの気力も体力も、知力も持ち合わせていない。
好き嫌いだけが判断基準ともいえる。好きなもの、ことには体が単純に反応する。快感でもある。
心身の快感に勝るものはない。 生体には拒絶反応が備わっていて、不快なこと、不快なものに対しては敏感に反応する。それこそ、体内に異物が混入すれば排除する。生死に関わるから当然なのだ。生体反応は素早い、瞬時である。
だから、生まれながらにして、どうにもならないことは、そのまま無視するか、そのままどうしようもないと受け入れてきた。 でも、どうにもならないことをあれこれ考えるのが哲学かもしれない。
これも、バンコクで体験してみて、ちょっと面白かった。
(2006.06.21)

◆バックパッカーな暮らしの真髄・・・


にしても、バックパッカーな暮らしは「最高」だ。
バックパッカーはホームレスと一緒じゃないかとみる向きもあろうが、ちょっと違う。
どこが違うかといえば、どこだろう? 実態はバックパッカーもホームレスも、同じといってしまえば、はい、それまぁ?でヨなのだが・・・。
メンタル面の違いだろうか。積極的か、消極的か・・・。
にしても、社会からドロップアウトしている。これは逃避で、いずれも変わりはない。
バックパッカーの中には、積極的に学問、研究などの手段として積極的に取り組んでいる方も少なくないし、社会勉強の一環としている若者も多いことも確かだ。
カメの場合は生活のためだ。豊饒の国では食えない。
全てに金がかかりすぎるのだ。これでは、ホームレスと変わらないだろう。
ただ、日本は寒い。寒いのは苦手だ。寒いと、何だかんだと、つい考えてしまう。陽気が暖かいと、何も考えなくてもいい。明日のことも、明後日のことも、まして1年後のことなど・・・。
いまだけ、いまだけしかない。それこそ、いま体を横たえてゴロゴロしていてもいい。多分、明日も同じことをしているだろうし、それはできる、それがバックパッカーな暮らしの真髄だ。
カメの人生訓は、川の流れに身を任せる・・・だ。 それで、ずっとこれまで流れ流れて来た。いま、一人暮らしで、金なし、家族なし、余命なし、夢もなし・・・ないないづくし。あとは死ぬだけ。
強いて夢を探すと、浮上するのは中出し・・・か。
といって、種なし、中折れでは、これはまた、夢のまた夢。
いま、肩に背負おうのはバックパックだけのバックパッカーな暮らしは、カメにとっては「最高!」なのです。
                                       (2006.06.15)

◆バックパッカーは最高の快楽・・・

にしても、バックパッカーって最高の快楽、快感のような気がする。
バックパッカーは、まだバンコクでの2週間の体験しかないが、バックパッカーはカメの生きざま、お肉の周波数とピッタリ合致して、何ともいえぬ満足感とともに充実感に浸れた。
親しい後輩から「バンコクの何がいいの?」と聞かれた時、まだぼんやりとしていたそのメカニズムにハタと膝をたたいた。
バンコクでは言葉が通じない、聞き取れない、タイ文字は読めない、バスに乗っても何処に連れて行かれるのかわからない、行き先を聞かれることがあっても答えられない、何処に行きたいのか、何処に行こうとしているのかも自分でわからない、四六時中、街中に立って「ここは何処?」「私は誰?」状態で過ごしていた。
アイマスクをつけて歩いているようなものだ。視聴覚に襲いかかるあらゆる刺激を全身のお肉で甘受している。 これって、カメにとっては官能の海を彷徨っているのと一緒で、最高の快楽、快感・・・だ。
そこには道徳観も羞恥心もなければ、まして尊厳とか世間の常識や目も存在していない。
日本での日常生活をおくるのとは全く違う。知り合いだって、一人もいない。 全ては自己責任で、そうした世間の煩わしい制約、束縛から解き放たれて、勝手気侭、自由奔放でいいわけだ。
でも、食う、寝る、やる・・・、生物として生きるための3つの本能だけはしっかり機能している。それらがフル活動して、お肉のたまらない快感につながるのだろう。 カメにとってバックパッカーの効能の一つだ。
(2006.06.14)

2006/09/17

◆カメの外道語録は如何?

バンコク一人旅で最もお世話になったのがバンコク・タイ風俗情報サイト「外道の細道」です。
文字が詰め込み過ぎで読み難くはありますが、背に腹はかえられないカメはPCとじっくりにらめっこ・・・。いや、はや、凄い情報量です。それも、具体的で・・・。
外道の細道=http://hage.momo-club.com/index2.htm#new
カメのお気に入りは、そうした情報の内容よりも、何といっても、そのタイトルの「外道」とその心意気でしょうか。

実は、カメがバンコク行きを決断した心情をひと言、箴言風にいえば「金の切れ目が命の切れ目」・・・、ふっとそんな言葉が浮かんできました。
親しい友人にそう話すと、「そんなこと、いうもんじゃないよ」と軽く窘められたのですが・・・、
これって、まさに外道の世界じゃないですか。
カメが「外道の細道」にはまっていくのも、ごく自然の流れ。
そこで、今回カメが感じた、カメの目に留まった外道語録をご披露してみます。
(2006/03/30)

◇金の切れ目が命の切れ目(カメ)

◇快楽こそ人生、日々、楽しみましょう(カメ)

◇チップでわかる遊び心(カメ)

◇人生、マイ・ペン・ライ(カメ) 
マイ・ペン・ライは、英語でいえば、"Never mind"、日本語では「まっ、いっか」との意味合いが強く、何事にも適当なことが多いタイ人気質を表す言葉としてよく使われ、カメのお気に入り。
また、タイでは何か迷惑をかけた張本人が使うことが多い。
辞書による本来の意味は、「どういたしまして(大丈夫!平気!)」「だいじょうぶ」「気にしない」「問題ない」といったところ。

◇夢は中出し・・・(カメ)

◇死して屍拾う者なし (外道者タンクトップ=外道の細道に写真あり)

◇ぼられる奴はどこでもぼられる(外道の細道)

◆恥ずかしながら、カメ、バンコクに死す


9月1日から3泊5日でバンコクに行って参りました。今回は、仲良しの後輩(56歳)と二人で、ホテルは「4★」と豪華版。カラオケクラブ2回、マッサージパーラー1回、タイマッサージ(+玉もみ)3回というメニューで頑張りましたが、不発のまま帰ってきました。グスン、グスン・・・。止むに止まれず、深夜便のバンコク空港待合室で「死言状」をメモ帳に認めてしまいました。
恥ずかしながら、メモのまま修正を加えずそのままアップいたします。

カメは死にました。ウンともスンともいわず、お肉も反応しません。頭の中はスカスカで、ヘチマのよう。お肉はカラカラに乾いて、指で弾けばボロボロ崩れそうです。水分が足りないのではなく、水は流れ落ちてしまって留まりません。酢がたっている・・・というのでしょうか。4あ?5年前だったでしょうか、あの瑞々しいお肉の張りは何処へいってしまったのでしょう?ぁ?懐かしい・・・。あのHちゃんに玩具にされて、のけ反り、ペニスを反り返らせ、亀頭を光らせ、身を捩らせていたカメはどこへ行ってしまったのか・・・。情けなくて、切なくて・・・齢60を超えたいま、お肉の衰えにただ驚き、慄き・・・、涙いたします。どうやらカメも死言状を認める頃なのかもしれません。東京で半立ちのままオナニーに耽っていても・・・、もはや、詮無きこと。大富豪が大金を積んで寿命を買う・・・、それはもう一度、最後の噴出をしたいということ。その為だったら、金は幾らかかってもかまわない・・・と。カメもそんな気持ちになりました。
なんて、カメにそんな大金はないし、用意も出来ませんが・・・。その願い・・・、誰が叶えてくれるのでしょうか。
玉モミでカメが夢想したことといえば・・・、玉を弄われ、玉袋を伸ばしたり縮めたり、玉を握ったり、擦ったりして・・・、その挙句、ペニスが隆と屹立すると・・・。勝手に、そんな絵柄を・・・Hちゃんとの画像に残っているワンカットを・・・。現実は、トンでも発奮で、昨日のMでは内股を掌で圧せられて、それが最も反応した・・・。ムズムズ感が微かに湧き上がったのですが・・・。ムラムラではなく・・・。淡く、微かな希望の光に見えたのですが・・・、やはり、ハイそれまでよ・・、半立ちのまま、それ以上の進展はありませんでした。
素っ裸にひん剥かれ、両手首を拘束されて吊るされて・・・、さて、醜いカメの裸体をみなさまのいいように玩具にされる・・・、そんな図は可能なのでしょうか・・・。これも、カメの白昼夢なのでございます。
やはり、カメはバンコクでほんと、死んでしまったようです・・・。
(06/9/4 於・バンコク_メモそのまま)

◆カメの願い (^_^;)「早く来い」

還暦を迎えた大先輩から、聞いた話です。

「そろそろ如何でしょうか?」 といいながら、死神は還暦を迎えた方を一人づつ訪ね歩いているそうです。そのセールストークはオレオレ詐欺なみに巧みな上、時には手を引っ張って強引に連れて行こうとしたりもするとか・・・。そこで、大先輩は死神が玄関まできた時、妻女にこういえと教えていたそうです。
還暦(干支が60年で一回りして、元に帰るところから、数え61歳)
60才でお迎えが来た時は 「只今留守」と云へ
古希(杜甫の「曲江詩」中の「人生七十古来稀」の句から70歳)
70才でお迎えが来た時は 「まだまだ早い」と云へ
喜寿(喜の字の草体が「77」と分解できるところから数え77歳)
77才でお迎えがきた時は 「せくな老楽これからよ」と云へ
傘寿(傘の略体が「80」と分解できることから数え80歳)
80才でお迎えが来た時は 「なんのまだまだ役に立つ」と云へ
米寿(米の字が八十八に分解できることから88歳)
88才でお迎えが来た時は 「もう少しお米を食べてから」と云へ
卒寿(卆が「九十」と分解できることから、90歳)
90才でお迎えが来た時は 「そう急がずともよい」と云へ
白寿(百の字から一をとると白の字になることから99歳)
99才でお迎えが来た時は 「頃をみてこちらからボツボツ行く」と云へ 
(06/05/30)

◆死言状・・・しごんじょう


死言状とは、山田風太郎の造語のようだ。
国語辞典にはないし、Google、Yahooなどの検索サイトでは彼の「死言状」なるタイトルのエッセー集(文庫)だけが引っかかってくる。
「死言状」の検索結果は「すべての辞書検索で該当する情報は見つかりませんでした」とのメッセージに加えて、類語として「遺言状」などが表示された。
遺言状となると何とも生々しくリアリティに溢れるが、死言状の方はかなりいい加減でありながら、曖昧模糊で漠然とした徒然記と違って狙いが凝縮されていて、カメの生き様にぴったり合致する。
エッセー集のタイトルになった死言状には「しごん」とルビがふってある。これだ・・・と大いに気に入りパクラせていただくことにした。で、考えついたタイトルが「外道カメの死言状」なのだが、さて・・・。