2010/06/06

◎ クルクルパーに心地良い愚者の楽園


にしても、昨5日のMXテレビ・ 西部邁ゼミナールで西部御大が1人で「緊急提言!」と称し「どこまで続く愚者の楽園」と番組のタイトルをつけ皮肉っぽく嘲笑していたが、まさにその通り、その楽園の温もりが堪らない快感に繋がっていると感じた。
鳩山前首相についてワシントンポストの記者が書いた「loopy」という言葉、元々は「loop」で輪 っか、同じ所をぐるぐる回っているだけ・・・といった意味を持つそうだ。今は亡き喜劇俳優 ・伴淳(伴 淳三郎 )の当たりギャグ、指をくるくると回しながら発する「クルクルパー」がそうで、欧米人は時にそんな所作をして見せるという。
「loopy」と指摘された当の鳩山前首相は国会で「愚かな」と答弁して周囲だけでなく、「わが国の総理大臣は愚者なのか」と全国民までも呆れさせたのだが、愚かなのは鳩山前首相1人だけではなく、みんな、全国民だというのに、それに気がつかない、まさに愚者の楽園といったところだろう。
民主党政権には、「言葉の幼稚化」と「数の権力」の恐ろしさを見せつけられてきたわけで、まさにクルクルパーといったところ。政治とは言葉だともいえるのだが、その言葉が疎かにされ、廃れ、西部流には多数派による討論の絶滅といったところだ。で、そうした「数の権力」が横行するようになれば、例のマニフェストとでもいうか、政策ごとに賛否を問う国民投票でも行い、その結果によって政策を実施していけば、国会はいらなくなり、当然、政党も議員も不要となるわけで、また、それが愚者の楽園といったことになるのか、と思った。