◇供給が需要を喚起する・・・福祉国家
にしても、三途の川から戻ってきたばかりに、人の命の何たるかをちょっと考えさせられた。何処かで、誰かに選別されたような気がしてならないのだ。
カメの場合、ほぼ身辺整理は済んで、いつお迎えが来ても、そのまま着いて行けるような状況にあった。それこそ、案内図でもいただければ一人で先に行って渡し場で待っていてもいいのだ。
そんな、心身ともに準備万端のカメが戻されてしまったのは何故? なのか。
この世でのお務めをまだ果たし終えていないとか、せいぜいその程度しか思い浮かばないのだが・・・。
先ごろ、軽い脳梗塞と診断された平沼赳夫元経産相(67)の無念さを思うと、お気の毒でならない。平沼氏とは60歳代というだけで個人的な関係は何もないが、それこそ、脳細胞の総取っ替えは無理にしても、平沼氏の悲願を叶える一助ぐらいは出来るかもしれない。
何より、カメはもう勝手ながら人生50年で終えていますから・・・、必要な細胞、使える細胞があればお使いくださいと思う。臓器移植法のようにがんじがらめにされては、実際の運用は難しい。それこそNetオークションにでもかけるほどの気楽なシステムになれば、人の命の軽重に応じたさまざまなランキングも作成可能になるのではないか。
こちとら、カメはこれからも、ずっと飲んで食って寝てだけの生活を続けられるわけで、天下公認の国家ニート、穀潰しだ。ボランティアとか、社会貢献なんていう高邁な理想なんて、頭ではわかっていても、実際にはそんな奉仕の精神は持ち合わせていないし・・・。
そのくせ、他人に面倒を見られるのは好きで、好きで・・・大好きだ。一度でもそうしたサービスを受けてしまうと、もっと、もっと・・・となる。
まさに、供給が需要を喚起する・・・のが福祉国家の鉄則だ。