2016/01/16

◎末期がん サプリで消えた なんてねぇ

にしても、肺がんドックの結果が先日郵送で届いた。もはや過剰な期待もしていなかったが、恐る恐る見たら、やはり予想通り、か。「ガンが消えた」なんて妄言が飛び交うNet空間とは違った。
まず、喀痰細胞診検査の結果は「核小体が目立つ異型細胞を多数認め、悪性を考えます。組織型としては腺癌を考えます」
胸部CT検査の結果は・左肺上葉肺癌:癌性リンパ管腫症疑い。・同側肺門部、気管分岐部リンパ節転移。・対側肺転移は明らかではない。・左副腎結節:転移の否定には至らず。
医師の所見もついているが、簡単に咀嚼してしまえば、「左肺にかなり悪性の癌があり、リンパ節への転移も広がっている」といったところか、と書きながらも、これはさすがに気が滅入る、ヨ。
先の病院での医師の話そのままで、新たな発見はなし、このままお迎えを待つ日々を過ごすことになるわけで、この2~3か月の民間療法は全く効果が見られなかったということ、や。といって、すべて止める潔さもない。サプリではなく、喉を対象にした風邪薬(第2類医薬品)の中には少しは症状を和らげてくれているようなものもあり、そんな対症療法を続けていくしかないよなぁと、独りごちている。
で、肺がんドックをきっかけに今の医療に関しひとこと言いたくなった。どこまで進化するかわからない医療技術に対する疑問でもあるが、新しい医療倫理の確立だ。「延命が全て」で突き進んできた医療技術はもうすでに究極の極地に達しているのだろう。そこに、肺がんドックのような新たなビジネスも生まれている一方で、延命技術によって、どうすればいいかわからない彷徨える命も増えているのではないか。ここは、新たな生命倫理の誕生が必要ではないのか。
命とは何か、命とはどんなものか。永遠の課題で、軽々に論ずるのも憚れるが、その一方で医療技術は日進月歩で、生命倫理の域をとうに超しているのではないか。このへんで、国による繊細な選別、線引きを実施する大胆な決断が求められていると思う。
不備ながら、叩き台にはなると思う一行を・・・。
「後期高齢者には自己申告による尊厳死を認め、病院の緩和科にて施行する。」