2006/10/31

◆ねばならないと心密かに決めて1ヶ月・・・

にしても、ねばならないと心密かに決めて1ヶ月、よくぞ続けたと自らを褒めるとともに、やっとその束縛からは解放されそうだ。
何かといえば、本Blogのことで、10月1日から毎日欠かさず10月いっぱいは続けようと自らに課したのだが・・・、はや31日になって、ウフッ。
しんどかったような、楽しかったような、途中でベータ版に移行して継続に黄信号が灯ったりもしたが、とりあえずは終了して・・・ホッ。
元々、熱しやすく冷めやすい性質のカメだけにいつまで続けられるかは不明だが、まぁ、いいでしょう?これだけ続けられれば・・・。
実は、いま、ねばならないことは一つだけ、洗濯だけだ。ワンルームマンションでの独り暮らし、当初、ねばならないことは炊事、洗濯、掃除の3つを思い浮かべていたが、体験的にねばならないことは洗濯だけだった。掃除はしなくても別に、埃で死ぬわけじゃない・・・し、炊事は予想外に高くつく。料理しても量が多くなって食べ過ぎるし、夏場にはとても無理、無駄だ。
洗濯だけは、止めるわけにはいかない。一回着ただけで捨てて困らないほどの稼ぎもないし、そもそも根がケチときているから、もったいないという思いは人一倍強い。
ねばならないことを一つ追加することは、勝手気侭で面倒臭がりのカメにとって大きな負担なのだが、何とかクリアできたわけで、時間の経つのが早いのに驚いている。さて、いつまで続けられるか・・・。

2006/10/30

◆トイレットペーパーでちょっと贅沢・・・

にしても、ブランド品には手を出せない。その商品の機能が満たされていれば、ブランドの有無は気にならない。ブランドにやたらこだわる人も多いが、気が知れない。生来、ブランドものや高価なものには拒否反応が強いのだ。
ただ、日用雑貨品で近ごろ贅沢しているものがある。トイレットペーパーだ。それまでは、ドラッグストアーの目玉になっていて、300円を切っているかどうかが選択基準になっていた。時に、298円(12ロール)で買って帰る際、他の店で同じ品296円の値札が付いているのを見ると、物凄く損した気になるし、300円以上の値札を見てほくそ笑んでしまう。2円、3円・・・、せいぜい10円の範囲内なのだが、その差が気になる。根がケチだから、その程度の差だとわかりやすいのだ。
居酒屋でビールを飲まずに家で飲めばもっと安く飲めるのは承知で、居酒屋で飲むのはこだわらない。
それが日用雑貨品となると、気になるのだ。で、一度試しにトイレットペーパーの高級品を買ってみた。といって、目玉品より100円も高いわけではない。使ってみて、驚いた。何より、肌触りが良く、快適だった。なるほど、と納得したものだ。安ければいい・・・というケチな根性が恨めしくなり、以後、トイレットペーパーは贅沢している。
実は、トイレットペーパーに関してはもう一つ伏線がある。ウオシュレットの登場である。その快適さは信じられないほど・・・で、癖になる。ウオシュレット付きの新築マンションで育った子供など、大人になって旧来のトイレや、キャンプでのキジ打ちなどは信じられないだろうな、心配したものだ。カメも自宅のトイレをウオシュレットにリニューアルしたくなって、よくよく見たら、ワンルームマンションでユニットバスとあっては、そうそう簡単にはいかないのだ。見当も付かないほど、巨額の改修費がかかることは目に見えていて、あっさり断念していた。
で、トイレットペーパーでちょっと贅沢しているわけで、何とも切なく情けない話なのだが・・・。

2006/10/29

◆衝動買い、あと何回、爪を切るのか・・・




にしても、“禁じ手”のはずの衝動買いをしてしまった。
久々の秋晴れに誘われ何となく自転車で蒲田に出かけ、京急蒲田駅前の商店街に入ったら、新潟燕・三条の金物市が間口2間ほどのレンタルショップで開かれていた。確か、新聞の折り込みチラシでも見たような気がしたが、どうせ高価なものばかりだから、はなから見る対象にはならなかった。でも、店頭の賑やかなディスプレイに惹かれて見るだけ・・・と自転車を止め、のぞいてみた。特に、行き先の当てはない。時間潰しのつもりで・・・。と、足がどんどん店の中に入っていく。
いや、さすがに凄い。あんなものも、こんなものも・・・つい、手にしてみたくなるが、いずれも高価・・・。カメご用達の99円ショップにも並んでいるものがほとんどだが、見ているだけでも、品質の違いは一目瞭然だ。何となく、血が騒ぐ。
レジ横の爪切りコーナーで、女性に「ちょっと、切ってみませんか・・・」と声をかけられた。ヤバイ!とは思ったが、爪切りを手にして試してみたら、イャー、凄い、凄い・・・パチパチ (パチンじゃないのだ) と爪の細片が爪切りの腹の部分に吸い込まれていくようだ。その切れ味にウーンと秘かに唸った。なるほど、なるほど、ねぇ、だ。さすが、これが匠の技か、とも。
いま、爪切りは引き出しに大小2本ある。いずれも99円ショップの代物で、これまではいよいよとならないと爪は切らなかった。切る際は、パチーン、パチーンと大きく切る。時には、爪がグニャッとすることもある。慎重に、おそるおそるの感じだった。足は苦手で、面倒臭い。前屈みになって息を詰めて、爪切りの刃と厚い爪の形に合わせて切ることになるので、辛い。時間もかかる。
そんな、こんなを思い浮かべて、ま、いいか・・・、たまには気持ち良く爪を切るのもいいかな・・・って感じで、買ってしまった。
それも手(1260円)と足(1029円)用の二つで合計2289円(税込み)。
その場で財布を開かず、一晩寝て明日にしようとしていれば、多分“明日”はなかったと思う。衝動買いを“禁じ手”にしているカメにとって大出血なのだが、この出費、少なからず快感ではあった。
帰宅して、手と足の爪を切ってみたが、実にスムーズ、音も軽い。前屈みも少なく、時間もかからず、いや、さすがに違うと感心しきり、独りほくそ笑んだのだが、さて、あと何回、爪を切ることになるのか・・・。

2006/10/28

◆秋晴れに「アリとキリギリス」を思い出す

にしても、秋晴れの目覚めは清々しい。いつもは弛緩したままのお肉がいささか疼き、脳細胞もいささかながら目覚めてくる。と、何かしなければという気に駆られる。といって、カメには何もない。それは、もう始めからわかっていることだから、そこで改めて何か・・・とは考えない。だら~んと弛緩した心身の状態が何より気に入っていて、タイの陽気が懐かしく蘇ってくる。四季がない気候風土から生まれ、醸成されたタイの生活文化の空気だ。自然のまま、気紛れに暮らす。また、それが可能なマイペンライの気風だ。
今日一日、いまが良ければ、それでいいじゃないか・・・。明日、明後日、一週間、一ヶ月、一年先、一体どうなっているのか、どうしたいのか・・・なんてことは考えない。考えて、どうなるものでもない。何故、そんな先のことを考えるのかが、わからない。
イソップ物語のアリとキリギリスの寓話を思い出す。夏の間、アリたちは冬の間の食料をためるために働き続け、キリギリスは歌を歌って遊び、働かない。やがて冬が来て、キリギリスは食べ物を探すが見つからず、アリたちに頼んで、食べ物を分けてもらおうとするが「夏には歌っていたんだから、冬には踊ったらどうだ?」断られるお話・・・。
確かに、タイでは勤勉とか、忙しいとか、慌てるとか、あくせくするといった概念が存在しない。それが、日本人の目には怠惰と映るのだが、タイではそれが当たり前の姿なのだ。冬がなく、一年中Tシャツ一枚で暮らしていれば、それはそうだ。キリギリスには例えられない。
Webで検索してみると、アリとキリギリスの原典はギリシア語で「蝉と蟻たち」。セミになじみの薄いドイツ語圏で風土に合わせてセミがキリギリスに置き換えられたらしい。日本でも、戦国時代イエズス会の宣教師が持ち込んだ際は「セミ」だったが、明治以降、英語版が訳され「キリギリス」となったそうだ。で、その結末も、日本ではアリはキリギリスに食べ物をあげ「好きなことばかりしていると、後で後悔するよ」と諭すのだが、国によっては、キリギリスは餓死してアリの餌・・・だ。そうかと思えばアリは働き過ぎで過労死したとか、キリギリスはアリに音楽会の切符を売りつけ、そのアルバイト収入で冬を過ごした・・・といった“現代版”もあるとか。
四季のないタイで、この寓話はどう伝えられているのだろう。

2006/10/27

◆チンプンカンプン、HTMLの世界は難しい

にしても、HTMLの世界は難しい。チンプンカンプン、よほど的確、簡単なマニュアルを入手しないと、やりたいことができない。イメージ通りの仕上がりにならない。それどころか、それまで積み重ねてきた自分の貴重なデータを破壊しかねない。
ブログはいくつかトライして、やっと本Bloggerにたどりつき、1ヶ月余り。英語が苦手で奥の奥までアクセスできないから、コンテンツがあれこれ豊富なサイトと違い、何より落ち着いていて、操作も簡単なのが気に入っていた。何より、インターナショナルじゃないか。
で、この間、順調に推移してきたが、最近になって何故か画像を添付できない。最初の最初のページでは簡単だったし、プロフィールにも画像はアップできたのだが・・・。その後は何度トライしても、「アップロード完了」メッセージは表示されるのだが、その画像は何処へ行ってしまうのか、ブログには表示されないのだ。ヘルプなどをじっくりチェックしてみても、マニュアル以上のことはわからない。
あと一つ、サイトマップが送信できない。もう5日間ほど、ウェブマスターツールを何度も繰り返し開いているが進展はない。
で、一昨日だったか、Blogger の新しいバージョン 、Beta版が目に留まり、ちょっと恐ろしかったが、思い切って移行してみた。あれっと思う間もなく完了したものの、ブログを開くと、見事に文字化け。
いや、参った。いささか慌てた。それでも、あれこれマニュアルなどをチェックしながら考え込んで、気がついたのがエンコード設定・・・。日本語のシフトJISからEUCに変更してみたが、文字化けは直らない。
改めて、考え込み、一晩明けてから思いついてエンコードをUnicordUTF-8に設定してみた。恐る恐るブログを開いてみると、何と文字化けはなくなって、ちゃんと表示されているではないか。ホッとするとともに、無性に嬉しくなった。
新規に投稿して、メールで転送されてくる投稿文の表題もちゃんと日本語で表示されている。実は、これまでの投稿文の表題は全て文字化けしていたのだ。
続いて、旧投稿文に画像を添付してみたら、一発で完了、表示されていた。
でも、なぜ修正されたのかは理解できない。だから、いつまでもWebには不安感が付きまとって、自信が持てないのだ。
とりあえずは、一歩前進した感じ、まだサイトマップ、広告掲載も残っている。ま、焦らず、ぼちぼちトライしてみよう。

2006/10/26

◆「要介護老人万国徘徊!!!」とメモ帳にあった


にしても、秋風が冷たくなって、バンコクでのメモ帳を繰っていると、懐かしさが募る。そう、メモ帳に「要介護老人万国徘徊!!!」とあって、つい、思い出し笑い・・・。
深夜便で着いたホテルでの朝食バイキングを食いながらのメモ、続きはこうだ・・・。
ついキョロキョロして、視線が定まらない。不自然で緩慢な動作が多い。何か、次の、そのまた次の行動が決められない・・・、というより無目的。何をしたいのか、何をしようとしているのか・・・。別に何もしなくてもいいのだが、何かしなければならないような気がする。それで、何となく焦っている。
カメが大好きな、私は誰? ここは何処? 状態だ。(後に、この状態は官能の海を漂う快感と、カメは認識するのだが・・・)。将棋に例えれば次の一手・・・、それが大したことはない手に拘るも、次の一手が見えてこない感じだ。
(ホテルの)トイレにしゃがみながら、いま気がついた。シャンプーも石鹸も置いてないよ。カオサン通りに行くつもりなれど、決断が着かない。どうする? アイフル。このままでは、ホームレスや・・・の心境だ。
で、昼過ぎバスでカオサン通りに移り、リニューアルが済んだばかりのような外装が綺麗なゲストハウスに惹かれてチェックイン。カオサンでは中の上クラスか、一泊460BT(1380円)。
カオサン通りはバンコクの繁華街、ビジネス街の西、チャオプラヤー川沿いに位置して、BTS(高架鉄道)も地下鉄もなく、足はバスかタクシーしかない。
早速、バスに乗ってチャオプラヤー川を渡り、大型のデパートへ。店内をウロウロしていたらパソコンブースがあり、探していたタイ文字のキーボードが何と190BT(570円)とあって、迷わず購入した。
カオサン通りに戻ろうと、デパートの前からバスに乗った。聞いてはいたが、いやはやバンコクのバスは難しい。たまたま目にした冷房車で、財布の中身をチェックしていたら、いつの間にか目印にしていたチャオプラヤー川を渡っていたようで、気がついたらワット(寺院)巡りをしていた。そのうち、乗客はカメ一人になって、止まったバス停は終点のよう。車掌も運転手もバスを降りてしまった。タイ語で聞くこともできず、ここは何処? 私は誰? で、カメはバスの中でじっと待つしかない。
再び、バスが発車したら、また乗車券を買わされ、参った、参ったと車外に目を凝らしているとチャオプラヤー川を渡って、また、さっきのデパートのビルが目に入った。そこで、やっと事情が飲み込め、慌ててバスを降りて、向かい側に移って、同じ番号のバスに乗り、カオサン通りの入り口で降りられた。
と、まあ、またまたのドジ・・・で、笑えない思いだった。

2006/10/25

◆劣等感からの逃亡・・・とはいい得て妙だ


にしても、バンコク・カオサン通りのバックパッカー暮らしでは哲学させられることが多かった。当時のメモ帳にこうあった。
「そっかぁ、劣等感からの逃亡・・・あたっているかも、ね」「少しでも優越感を感じられる環境に身を委ねようとする・・・これまでの人生そのものの延長線かも」「癒される環境(カオサン通り)、リラクゼーション追及の旅がこれ、逃亡者ともいうか・・・」
カオサン通りは、バックパッカーのメッカといわれ、世界中から若者を中心に集まってくる国際色豊かな街だ。ゲストハウスと呼ばれる宿(合宿所のイメージ)は一泊80BT(240円)からある。食事は一食50BT(150円)程度で済ませられる。
この街をブラブラしていて日本人の姿はほとんど見かけない。欧米、中近東、アジアから来た学生風の若者が多く、中高年はカメと同じで落ちこぼれのように見えてくる。
で、カメはホッとする。癒される構図だ。メモには、こうある・・・
ボケ老人が哲学している。人生の最高最大の目的はリラクゼーション。その環境を求めて川の流れのように巷をさすらい流れて・・・、流れ流れてバンコクまで。黄泉の国と直感してから惚れ込んで・・・。また、いま、その確認、実証の旅に・・・。いいよなぁ。
劣等感からの逃亡・・・とは、それまで気が付かなかったカメの生き様をいい得て妙だ。川の流れに身を委ねてとは以前から感じて公言もしていたが・・・。
例えば、住処を振り返ると、生まれ育ったのが東京都は杉並区、次いで大学時代は京都市、サラリーマンになってからは横浜市、藤沢市・・・といわば山の手でイメージのいい街、いま、東京は下町の蒲田だ。蒲田で暮らしていると、上流の生活を見なくてもすむから落ち着くし、やはりホッとするのだ。
国家ニートになると、蒲田で同じ暮らしを続けていけるようには思えない。で、また流れ流れてたどり着く先がバンコクでのバックパッカー暮らしというわけだ。マイペンライは、リラクゼーションのキーワードにも思えてくる。

2006/10/24

◆官能の坩堝にはまって漂っている感じ・・・


にしても、バンコクでのバックパッカー暮らしは生活必需品だけでOKの世界で、それ以上でも、それ以下でもない・・・。とは、今年5月のバンコクでのメモだ。続けて、生活、暮らしに不要なものは一切いらない、邪魔だし、余計な荷物になるだけ、と。
カメのバックの中にはパソコン、周辺機器、デジカメ、観光ガイド本類、風邪薬など医薬品、歯ブラシ、シャンプーなど日用雑貨品の他はTシャツ、下着など衣類だけ。これで、2週間余りウロウロできたし、一ヵ月でもOKだ。
カオサン通りの路地にあるゲストハウスに泊まった時(一泊300BT=900円)のメモによると、部屋は狭い、ベッドのみ。エアコン、換気扇あり・・・、洗剤、タオルなし、灰皿なし、ミネラルウォーターなし、テーブルなし、掛け布団なし、テレビなし、コンセントなし、トイレットペーパーなし。さすがに、ここは一泊だけで出て、次のゲストハウスでは事前に部屋を見せてもらい(一泊250BT)、エアコンはなかったものの日当たりは良く綺麗で快適、そこには5連泊したのだが・・・。
さて、これからどうする? といって、バンコク・カオサンでは全てがゆるゆると過ぎていく。カメには、夢もなければ、希望もない、目的もない。特に、やりたいことも、やらなければならないこともない。5分後、10分後の姿すら浮かんでこない。
だだ、ぼんやり・・・前後左右をキョロキョロしながら、ただ歩く。
もちろん、タイ語での会話はチンプンカンプンだし、タイ文字も読めないから、混沌としている。カメ一人きりだから、当然、顔見知りもいない。いつも「ここは何処?」「私は誰?」状態だ。そうした混沌とした空気の中に身を委ねているのは好きだ。いわば、官能の坩堝にはまって漂っている感じ・・・。カメにとっては、ちょっとした快感である。
で、排気ガスとほこりを浴びながら歩き回ってクタクタになって、滅茶苦茶くたびれてバタン、キューだ。
無目的にダラダラ過ごした2週間余は何とも貴重な時の流れだった。
「何していたの?」「何しにいったの?」と友人にはよく聞かれるが、無目的にダラダラ・・・という答えに怪訝そうな顔をするのだが、その通りだし、それが外道のカメにとっては最高のリラクゼーションなのだ。

2006/10/23

◆明日は明日の風が吹く・・・マイペンライってか

にしても、独りって、ほんと、いいな・・・とつくづく思う。
(今年5月、バンコクで2週間余りのバックパッカーにトライした際、カオサン通りのオープンバーでレッドカレーを頼み、ビールを飲みながらのメモ帳から・・・)
他人に気遣いしなくてもいい。勝手気侭・・・、他人に気を遣わせて・・・。もっとも、これは少ないとはいえ金を遣う客だから当然か。グループのお客を見ていると、ほんと、そう思う。
独り旅なら、他人はどうでもいい、自分だけ良ければいい。といって、これは旅に限らず、カメの場合、東京での生活でも同じだ。
寿命も資産も乏しいカメの金の遣い方では、バンコク徘徊が最高なのではないか、とふっと思った。そんなカメの想い・・・、たいした感性でもないが、まだそんなちょっと瑞々しい感性が残っていた? って、自己陶酔して・・・。これも、独り旅の快感だろう。
ここで、こうしてビールを飲みながら、お客の出入り、スタッフの動きをぼんやり眺めているだけで、サヌック(快感)・・・だ。
ここ、バンコク・カオサン通りにはいい女も、いい男もいっぱいいるが・・・、みんな金は持っていないんだよなぁ。
(カメの)川の流れの終着駅がここなのかもしれない・・・と、結構いい感じだ。そろそろ、男女4人のライブが始まりそうだ。この価格でこの環境・・・、東京ではとても考えられないだろうなぁ。
レッドカレー、ビール(小瓶)3本で500BTはちょっと高かったか、なんて・・・。実は、ゲストハウスの宿賃は250BTだから、2泊分が夕食に消えたわけで・・・、何となく、こちらの生活感覚が身についてきた?
で、さて、明日の宿は何処にしようか、と。
明日は明日の風が吹く・・・、マイペンライってか。

2006/10/22

◆「豚ミソ半額鍋」はカメ流なれど旨かった!


にしても、秋風が冷たくなって、久々に料理がしてみたくなった。独り暮らしゆえ、暑い時期はとりおきが出来ず敬遠している。トン汁でもと思い、夕方のスーパーをのぞいてたちどころにメニューは決まった。
そのスーパーでは常時、食品は賞味期限によって「10%引き」「20%引き」「半額」のステッカーをプライスカードに貼る。それも時間帯で食品が変わるし、ステッカーも時間の経過によって貼り重ねる。それでも「半額」食品の賞味期限は翌日だ。また、貼る時間帯はおおまかに、食肉、鮮魚は遅い時間、練り製品は朝から、だ。惣菜関係は、一日3回ほど出来立てを並べるが、その後はそれまで並んでいた惣菜は値引きの対象になる。
で、常連のお客さんはそのあたりの商法は承知していて、肉、魚コーナーでは横目で見ながら待機していて、ぼんやりしているとたちまちなくなってしまうのだ。
割り引き食品に絶対に手を出さないお客さんも多いのだが、カメは大好きだ。とにかく安いし、タイミングしだいで、5分前に正価でカゴに入れてウロウロしているうちに、同じ食品が「半額」で買えるのだから、嬉しいし、物凄く得した気分になる。
そもそも、賞味期限の表示にしても、実はあまり信用していない。かつては、一年間倉庫に積まれていたタマゴが出回ったこともあるし、メーカーが故意に刻印していた事件もあった。コンビにでは弁当を賞味期限どおりに廃棄処分しているそうだが、何とももったいない話だ。PL法とのからみもあり、安全・安心には金がかかるということでもあるのだが・・・。カメは、そんなに神経質になっても仕方がないと思うし、安い方が有り難い。
その夕、迷わずカゴに入れたのはチクワ、焼き豆腐、油揚げ、刻みネギ、冷凍和風野菜セット・・・、豚肉こま切れは残念ながら割り引きされていなかった。結果的に、トン汁というよりは豚ミソ鍋になって、カメはこれを豚ミソ半額鍋と呼ぶことにした。
いや、久々に熱々の鍋は旨かったし、缶ビールと鍋だけで満腹感も味わった。うどん、米飯で、あと2回は十分食えそうだ。

2006/10/21

◆テレビが全て・・・メディアの威光は国を亡ぼす

にしても、メディアの威光は凄い。亡国のA級戦犯といえるのではないか。特に、テレビだ。最近のテレビを見ていると吉本所属の芸人が番組を席巻している風だ。その芸人のほとんどは頭が良く、才能豊か、人材が揃っている。精魂込めてお笑いを演じているのを見ていると、何とももったいないと思う。
テレビが登場して半世紀・・・、完全に世の中の価値観を根底から変えてしまったのだ。カメなどは、テレビなんて・・・という世代だ。いまの芸人たちはテレビが全て・・・テレビに出ること、映ることが最高に格好いいと思って育った。
昭和天皇のXデイが迫っていたころ、予備校生が皇居前広場でテレビニュースに映されるパフォーマンスを競ったり、東大の合格発表風景の中で胴上げして見せるなど、テレビに映ることに精力を注いでいると知って驚かされたものだが、いまは吉本に入って芸人になることがテレビに映る最も近道になった。
かつては、末は博士か大臣かだったり、良い大学に入ることが若い世代の絶対的な価値観だったが、いまはテレビに出ることに変わってしまった。
何とも、もったいなく、亡国につながる現象だ。テレビに登場する芸人を見ていて、彼らは多分吉本に入ってテレビに出ることだけを最高の価値観として青春を燃焼させてきたのだろう。彼らのうち何人かはその価値観を東大に変えていれば、合格できたのではないかと感じる。
有為の人材がテレビのお笑いに使い捨てにされていくのを見るのは亡国の坂道を垣間見るようで何とも切なく、情けない。
もっとも、メディアの威光はいまやパソコンに取って代わられている。パソコン育ちの代表がホリエモンなのだろうが、パソコンメディアの浸透力、影響力、そのスピードはテレビの比ではない。
かつて、世界共通語としてエスペラント語が提唱されていたものだが、WindowsOSの普及でカメですら英語の必要性を痛感し、その愚かさを嘆いている。
メディアというハードは開発した技術者の想いとは裏腹に、ソフトによって支配されてしまう。そのソフトはまた、大衆の鏡でもあるのだ。亡国の坂道に歯止めをかける術はなさそうだ。

2006/10/20

◆サラリーマンが自己主張するのは辞表を書くとき

にしても、ネクタイにスーツ姿のサラリーマンを見るたびに、そんなしかめっ面をしなくてもいいのに・・・と気の毒に思うとともに、気ままな我が身の幸運を想い、密かにほくそ笑んでしまう。で、つい、お疲れ様です・・・とひと声かけてやりたくもなる。続いて、私、国家ニートなんです、ウフッ、とも。
何がサラリーマンのモチベーションになっているのか、外道のカメには不思議でならない。
そんなに急いで、どこへ行くの? そんなに思い悩んでいくらになるの? だ。もっと、肩の力を抜いてリラックス、リラックス、だ。昨夕、電車に乗ってそう思った。
サラリーマンって、本当に気の毒な存在だ。
カメもサラリーマンだった時代もある。といって、サラリーマンとは形だけで、不真面目だった。根本的にカメは飽きやすい。新しい仕事への好奇心だけは強く、それも好き嫌いを基準に選んでいたようだ。で、リクルートという言葉が流行る前から、まだ会社を辞めることが何となく後ろめたいころから、カメは転職を体験した。その際、悟った箴言が「サラリーマンが自己主張をするのは辞表を書くとき・・・一度書けば、何回書いても同じ」だった。で、その後は抵抗感もなく転々として、都合、4つの会社に勤め、累計で30年にはなる。
内1社では18年間勤めたが、社内の異動で2,3年毎に職場が変ったため、その都度人も環境も変って心機一転、カメにとっては異動自体が転職しているような感じではあった。
50歳を契機に一人で有限会社を設立し、社長兼社員兼、トイレ掃除まで一人でこなし13年、このほど会社の解散手続きを終え、サッパリしたのだが・・・。
社長の名詞を刷って二つ気が付いたことがある。「社長」には300万円用意すれば誰でもなれるが、「専務」にはなかなかなれないし、なるのは物凄く難しい。もう一つは、気兼ねしないで使い放題になると思っていた接待費は、売り上げが伴わないと使えないという厳しい現実だ。
ま、この程度の認識だから先は見えていたが、それをさほど深刻には捉えないまま、ささやかながら年金が支給されるようになったら、もう全てが面倒臭くなり、あっさり解散、国家ニートを標榜することは自然の流れだった。
とにかく、仕事が嫌いな上、勤労意欲が皆無ながら、我ながらよくぞここまで・・・というのが率直な感想だ。
何もしないで、ダラダラ、ゴロゴロしているのが何より好きだし、それが苦にならない。本当に性にあっている。ま、そのうち、ハイそれまでよ、だ。

2006/10/19

◆Net通販は何より安いのがいい・・・

にしても、このところNet通販のお世話になることが多い。大物はエアコンと30インチ液晶テレビ、頻度が高いのは裏DVDか・・・。他に、この1年ほどを振り返ってみても、RodeoBoy、強壮サプリメント、手提げ耐火金庫、メモリ、圧力鍋・・・等々。
昨日、偽ソニー記録媒体を販売した容疑で京大の中国人院生らが逮捕されたそうだが、カメは幸い、これまでトラぶったことはない。
確かに、Net通販のサイトを見るといかがわしいものも多い。特に、裏DVDとかサプリメントの類はそうなのだが、それを疑っていたら、いつまでも注文はできない。カメの場合、その点は騙されたらそれでしょうがないと思っている。だから、1万円どまりの商品に限って注文して、まだ、騙されたケースはない。
サプリメントなどをドラッグストアで購入しても、その効能についてはそれこそ個体差によるものが多く、万人に効くとは限らない。効能文に錯誤して買ってしまい、あとで後悔することも多いのだ。これは、まさに自己責任で、諦めるしかない。
カメが購入する高価なものは家電製品だけだ。エアコンの時など、量販店で現物を見て比べて、これと思った製品のカタログを入手して、Webで選択している。もっぱら「価格.Com」のお世話になっているが、実に良くできている。狙ったエアコンについていえば、価格だけの比較だと確か16万円から12万円と4万円ぐらいの差があった。その内容を精査すると、安いものは玄関先に置いていくだけで取り付けはなし、高い方は取り付け代金を含むとか、さまざまだった。もちろん、素人に取り付けは無理な話で、取り付けと取り外したエアコンを持ち帰ってもらえる価格で注文したものだ。
裏DVDはカメのお気に入りなのだが、これは実は厳格にいえば違法行為になる。でも、とにかく安く、品質も劣化していないので、頻度が高くなっている。なにより、ショップで選ぶより、カバー写真をはじめスチール写真、ストーリー、作品の評価まで情報量が多く、じっくり選べて『外れ』が少ないのだ。
もう一つ、支払はいつも現金で代引きを選んでいるから、注文する際の個人情報は住所、氏名だけだ。
なんて、そろそろまた裏DVDを発注したくなった。

2006/10/18

◆『ずさんの連鎖』とはよくぞ・・・と妙に感心

にしても、『ずさんの連鎖』とはよくぞ・・・と感心した。まさに、言い得て妙だ。
この7月末、埼玉県ふじみ野市の市営プールで小2女児が吸水口に吸い込まれて死亡した事故で、市の事故調査委員会は事故原因をそう指摘した。市議会全員協で17日報告された内容は「事故は『ずさんの連鎖』によりもたらされた」とし、吸水口について防護さくを二重構造にするといった改修を怠るなど施設の管理に問題があったとし、さらに、吸水口のふたを針金で固定されていたことを市が確認していなかった点などを挙げ、「(市や管理業者は)吸水口がいかに危険かについて具体的認識が著しく希薄だった」と。 その上で報告書は再発防止に向け、本年度末までに市の全施設の点検マニュアルを作成することなどを提言しているそうだ。
10/06付け本ブログでマニュアル社会が加速・・・と書いた。流水プールの危険性など、一度でも体験してみれば、如何に吸い込む力が大きいかは実感できる。また、それがスリリングでもあるのだが・・・。
ちょっと想像力を働かせれば、この程度の危機認識、危機意識は共有できていたはずだ。ところが、いまの世では、たとえそれに気が付いても、それを敢えてしなくなった。見て見ぬ振りである。
で、事故が起こって初めて、それみたことか・・・と秘かに舌を出している人も多いのではないか。自分と関わりのないことには積極的に関与しようとしない。カメもそうだが、自分さえ良ければいいという自己中心型の人が増えているのだ。当然のことを一々マニュアル化しなければならないというのは、何とも情けない、嫌な世になってしまった。
このマニュアル化はすでにメーカーや交通機関など法人、団体などで定着している。で、何か不都合や事故が起こるとまたそれを見直して、作業、操作方法をがんじがらめにしている。かつての匠の技、職人芸といった人の能力はもはや見られなくなっている。
マニュアルさえあれば、事故が発生しても全てはマニュアルの不備で、誰も責任をとらなくてもよくなる。マニュアルの想定外の事象は免罪されてしまうわけだ。で、こんなことまで・・・と、細々したことまでマニュアルに盛り込まれることになる。
いまや社会生活、暮らしにまでそうしたマニュアルが蔓延してきて、それこそ道の歩き方までマニュアルに頼る日が近づいているようだ。『ずさんの連鎖』がどこまで進展するのか、カメにはますます住み難い世になりそうだ。

2006/10/17

◆タバコはカメの生命力の源・・・


にしても、喫煙量が増えている。銭湯で頭を洗っている時に気が付いた。左手の中指、人差し指、親指の爪がヤニで黄色くなっていたのだ。ヤニに汚れた爪を見るのは何十年ぶりになるのか。この10数年は見ていない。やはり、最近、パソコンとにらめっこしている時間が長くなって、つい、つい、タバコに火をつけることが多くなっているようだ。
タバコはショートピースで、この40数年間浮気はしていない。ハイライトが発売されたときはフィルターが珍しくて吸ってみたことがあるが、紙を燃やしているようで、吸う気にはならなかった。その後、風邪を引いたりして喉に煙が痛くてフィルター付きのタバコを吸ってみたこともあるが、やはり一箱吸いきったことはない。いまではフィルタータバコが全盛で、その上ニコチン量が少ないタイプが相次いで発売されているが、これらはタバコではないと思っている。
家では、ずっとP缶を愛用していたが、家にいる時間が長くなって吸う本数が増えてしまうので、10本入りの箱に替えていた。
この10数年、喫煙派には肩身が狭くなって、喫煙が後ろめたさを感じさせる環境が強くなっているが、禁煙しようと思ったことはないし、タバコとガンの関係を指摘する論調も多いが、気にしたことはない。
カメの場合、禁煙はそれこそ死につながる。酒とどっちにするか聞かれたこともあるが、比較にならない。
完全にニコチン中毒だ。朝、起床してから3本ほど吸わないと体が目覚めない。ニコチンが血液に溶け込んでいくのを自覚できる。それで、やっと体が自由に動き始める感じだ。ニコチンはカメの生命力の源になっているのだ。
それでも、最近吸う本数が減っていたのは喉との関係で、10数年前から喉が正常に機能しなくなり、煙を吸いこめなくなった。喉に直接煙があたると酷くせき込む。慎重に吸わなければならなくなったのだ。それに、タバコ代の値上げもあるにはあるが、カメにとってさほど大きな要因ではない。で、パソコンとの接触時間が増えて、喫煙量が増えているようなのだが、これは本数が増えたというより、パソコン画面に集中していて、タバコが短くなるまで指に挟んでいるせいかもしれない。
タバコの有害説はあくまで個体差であって、この歳まで生き長らえてきたカメには当てはまらないし、タバコだけでなくこうした健康に関する疫学調査は、不安感を煽るだけで胡散臭さを感じる。

2006/10/16

◆グチャグチャの脳細胞で暗算は無理・・・


にしても、小心でケチなカメはえらい損をしたような気がしてならない。
昨日曜日の昼下がり、久々のショッピングに蒲田までいつものように自転車で出かけた。国家ニートになったカメにとって、いまショッピングといえば3,000円超の買い物を指す。かつてのように衝動買いはご法度だ。
予算はあった。この夏、ある団体のお祝いのお裾分けにあずかったJCBのギフトカードが1万円分(1,000円券10枚)。
現金主義のカメはキャッシュカードを始めとしてカード類はほとんど使ったことがない。衝動買いが好きで、欲求に正直なカメがカードを使ったら、歯止めが効かなくなるのは必定、たちまち自己破産の道を転がり落ちることがわかっているからだ。
JCBのカードを見るのは初めてだった。デパートだけではなく、スーパーや大型専門店でも利用できるそうで、驚いた。ま、そのうち、ヨーカ堂あたりで使うつもりでいた。
で、先日、書棚を整理していたら、かつて使っていたドル入れ財布サイズのバインダーシステム手帳(6穴、10mm)に使うリフィールが見つかった。手帳は、もう10年ほど前にスナックで、上着の内ポケットに入れてかけておいて抜かれたのだ。カメにとっては高価な代物で、もう一度買うこともならず、そのまま諦めていたのだ。
見つかったリフィールはさすがに色あせることもなく、これだけあれば寿命が尽きるまで使っても十分な量に思えた。
銀座・伊東屋に行くことも考えたが、交通費がかかるし、思い立ったが吉日だ。
自転車で蒲田の駅ビルにある有隣堂へ・・・。黒光りするバインダー手帳はやはりあった。この皮の感触がたまらなく好きだ。6,000円+消費税300円。レジで、JCBのカード6枚に100円玉3つ出して清算したところまでは良かった。
そうか、このカードで書籍も購入できるんだとわかって、文庫の棚で山田風太郎を探してみた。何と、あるじゃないか。1冊、2冊、3冊・・・、不得手な暗算をしながら、さて、もう1冊?
切りよくしないと、お釣りはもらえないし、半端に超過すれば現金を足さなくてはならなくなる。文庫本の価格表示も本体価格+消費税となっていて、カメの脳ではややこし過ぎる。何度か、暗算を繰り返してみるが、すぐ面倒くさくなる。もともと計算は苦手だし、脳細胞の大半は腐っているのだから、やむを得ない。あとは、決断するだけだ。
行列したレジで打ち出された金額は4冊で総計2,906円となった。カードを3枚出して、お釣りはなし。エェーン。94円の損・・・、それに、さっきの手帳の追加300円を合わせると394円の損。これを一緒に清算していれば・・・、どうなるのか、脳細胞がグチャグチャしていて、判然としない。

2006/10/15

◆涙がドドッと溢れ出て止まらない

にしても、ついに目がショボショボしてきた。パソコン画面とにらめっこしていると涙がドドッと溢れ出て止まらない。拭いても拭いても・・・。
因果関係ははっきりしている。原因は、パソコンへアクセスしている時間が長過ぎるのだ。ゲームにBloggerに、朝から晩まで、食事時間を除き、にらめっこする日々が続いている。
特に、一昨日からは本ブログに写真がアップできなくなっている“不思議”にトライしてみて、はまってしまったのだ。写真だけでなく検索サイトでもヒットしない。実は、ブログを立ち上げた当初は写真もアップできたし、検索サイトでヒットしたのに・・・。
この一週間ほど、ブログに画像をアップしたくて操作しているのだが、「アップ完了」の表示はでるものの、それがブログに反映されない。そんなはずはないと、何回トライしてみても結果は同じだ。一体、画像はどこへ消えてしまうのか・・・。
アップしたい画像がいくつか溜まってきて、ヘルプにアクセスして本格的にブログのシステムをあれこれチェックし始めたら、何と、本ブログがまだ認識されていない。
そのうち、ウェブマスター・ツールにたどり着いて、なるほどと感心しつつ、あれこれトライしているのだが、素人目にはちと酷だ。残念ながら集中力が持続しない。で、涙が溢れ出てくるというわけ。休み、休み、一つづつクリアしていくしかないようだ。
にしても、涙には何とも困った。何なのか・・・。40歳を超して俗説通り、目、歯、マラの順で人並み以上に衰退していったのだが、今回の涙は初めての体験だ。いや、はや、参った、参った・・・。

2006/10/14

◆寒くなると死滅した脳細胞がうごめく・・・

にしても、陽気のせいだろう。秋風が冷たくなって、どうやら死滅していたはずの脳細胞の一部がもぞもぞとうごめき始めたようだ。寒さに震えているのかもしれない。
と、何か、考えなければいけないような脅迫観念にとらわれる。半袖のTシャツ一枚で過ごしていれば、そんなことは脳裏に浮かんでもこないのに・・・。
半袖のTシャツ一枚ではちょっと寒い。もう一枚何か着るか・・・。といって何を着るか、迷ってしまう。いうほど、衣装持ちでもないのに・・・。考えるといっても、その程度のことなのだが・・・、それでもいまのカメにとっては難題だし、面倒臭くもある。
つい、無駄を承知で長袖のTシャツを数枚購入してしまった。バンコクに行っていれば不要な代物だ。そんなことがやたら気になる。
寒い東京で暮らしていると、何より金が出ていくばかりで、入ってこないから厄介だ。バンコクでも金は入ってこないが、そんなに出てはいかない。
暖かい陽気だと、そんな些細なことにはこだわらなくても済む。ぼんやり過ごしていれば、全身のお肉がリラックスしていて全ての事象はマイペンライだ。
そう、お陰で、つい最近一つ決断したことがある。年内の再訪泰を断念したのだ。10月に入ってそろそろまた行こう、今度は1カ月ギリギリ一杯の往復航空券を手に入れて行こうとぼんやり決めて、Webであれこれ検索していたら、10月中の航空券は割安だが、11月以降はかなり高くなる。で、行くなら10月中にしようと、その気になった時は遅かった。まっとうな航空券は3週間前までに購入しなければならないそうだ。知らなかった。といって、向こうに行ってからの予定も、何かやらなければならないこともないのだ。こちらと同じように食って寝て、生活するだけ。
長袖のTシャツも入手したことだし、もうしばらく東京暮らしを続けるかと、考えた次第・・・。

2006/10/13

◆嬉しい・・・さくら水産のサンマの塩焼き

にしても、サンマの塩焼きはこのところさくら水産で食べるのが恒例となっている。食べ盛りの子供のころは2、3本食べないと満足しなかったし、当時は安価な魚だった。成人してからは“高級魚”になってしまい、それなら肉を食った方が満足感は得られた。
それが、さくら水産ではその日のお勧めメニューに載っていて、何と塩焼き一本190円だ。他のメニューと違ってちょっと時間がかかりすぎるのが難だが、それでもカメのお気に入り・・・。感謝感激の味だし、しばし郷愁に浸れる。この時期になると迷わず最初にオーダー、同時に、同じ値段のサンマのたたきも・・・。
で、いつも、さくら水産にはお世話になる感じで、客ヅラは憚れる。客単価はせいぜい2000円と踏んでいるのだが、その満足感からいえば、他の店なら4、5000円は取られても仕方がないボリュームと品揃えだ。時に、これで商売が成り立つのかと、余計な心配までしてしまう。
先夜、銭湯帰りに寄ったら・・・、老人クラブの帰りか、お年寄りの男女10人(男女比5:5)がテーブル席に陣取り大声で何かわめきあっていた。多分、散々飲み食いしたあとだろうが傍若無人・・・、カメがオーダーしてビールの大瓶1本空けて、勘定するまでその席からの新規オーダーはなかった。
カメが店長だったら、とても見逃せないし、何とか席を空けさせようと悶々とするところだが、そこはさすが商売・・・、鷹揚に構えている。
カメはもう腹立たしくて、早く死んじゃえよ、と思ったものだ。確かめたわけではないが、多分、見た目はカメも同じ年恰好に見えただろう。

2006/10/12

◆価値観は「金」ではなく「リラクゼーション」

にしても、1年ぶりのデートがキャンセルになった。日本ファンのフィンランド女性、先週インドネシアから秋風が冷たい日本に着いて風邪を引いたとのこと。メールで連絡していたのだが回復せず、咳が酷く胃が痛いため今日は医者に行くそうだ。で、デートは順延にした。
彼女は、バックパッカーともちょっと違うウーファー。ウーファーとは、WWOOFする人のことで、WWOOFはWilling Workers On Organic Farms の頭文字。「有機農場で働きたいと思っている人たち」という意味。その仕組みは『食事・宿泊場所』と『労働力』を交換、そこに金銭のやりとりはなし。作業は一日約6時間で、一週間以上の滞在であれば毎週一日休みがもらえるそうだ。
1971年イギリスから始まり、ヨーロッパ、オーストラリア、ニュージーランド、カナダなどへと広まり、現在は、世界20カ国以上にWWOOF事務局が設置されていて、日本では1994年から。そこに、食事と宿泊場所を提供するホストとウーファーが登録しておき、条件が合えばウーフすることになる。
彼女は、もっぱらニュージーランドなど暖かい国を回っていて、時々日本にも立ち寄っている。
その生き様、価値観に、カメなどはちょっとしたカルチャーショックを受けたものだ。
そのフィンランドでの価値観は・・・。日本ならまずなにより「金」というところが、何とトップが「リラクゼーション」、次いで「サウナ」、「ウォッカ」とのこと。社会福祉が充実しているフィンランドでは、さほどお金に対するこだわりとか、金儲けといったモチベーションは希薄という。というのも、税金の負担率が高いためで、勤労意欲が湧いてこないという。
カメには何とも憧れのお国柄なのだが、なんせ寒いのは大の苦手で、最近ではバンコクに傾倒しているのだが・・・。
彼女も寒いのは厭で、あちこち暖かい国でウーフしては、サーフィンを楽しんでいる。もう、何年も祖国には帰っていないはずだ。

2006/10/11

◆北朝鮮の核実験余波・・・PCマニュアル本廃棄


にしても、北朝鮮の地下核実験は死期を知らせるメッセージでもあるようだ。その一報にうろたえるだけで、何も出来なかったカメが一夜明けて動いた。
といって、身辺整理の一環である書棚の整理なのだが・・・。パソコンのマニュアル本を抜き出した。付箋があちこち貼ってあるが、ここ5年ほどは手にしていない懐かしの書だ。
当時は、年中、パソコンがトラブって、ハードの不調、不具合ではなく、ほとんどは操作ミスに始まるフリーズ・・・。その度に、書店に駆け込み、マニュアル本を次々に開いては同様のトラブルを探し、購入したものだ。それでも解決しないことが多く、泣く泣く、初期化したことも何度か体験していた。
最近では、システムの何たるかが何となく理解できて、トラブルはほとんどないし、たとえトラブっても、Web検索で問題解決にたどり着けるようになり、マニュアル本を手にすることはなくなっている。
不要となっていながら書棚を飾っていたマニュアル本は15冊あった。付箋を外し、そのままゴミ集積場に運んでもいいのだが、ちょっとスケベ心で自転車のカゴに入れ例のBookOffに運んだ。
店内をウロウロして30分余り、若い女性に告げられた買取価格は・・・。値段が付いたのは4冊だけで70円。いや、参った、参った。中の1冊、定価3500円の分厚い辞書にも値段が付いていない。えっ、どうして?と思わず口にすると、パソコン関係は古くなると使えないんで・・・、と。なるほど、もっともな話。皮算用では1冊10円ぐらいかなと踏んでいたのだが、70円を受け取って、引き上げた。
ま、腐臭漂うカメのお肉と一緒だな・・・と思い知らされた。

2006/10/10

◆北朝鮮の地下核実験にうろたえ、血が騒ぐ・・・


にしても、何とはなしにうろたえ、久々に血が騒いだ。
北朝鮮が地下核実験に成功した・・・と昨日昼前、ラジオで耳にし、NHK・TVのニュースで確認してのこと。あと、民放にチャンネルを回したら、4chだけだったかな、生中継していたのは・・・。で、NHKをつけっぱなしにしていたが、当然ながら情報量は増えない。
国家ニートのカメがあたふたしても、どうなるものでもないのに、ついつい、気になる。やっぱりやったか、やっぱり、ね・・・、こりゃ、安倍総理の門出を祝う祝砲になるんじゃないかとか・・・。
まさに、外道国家だ。外道相手にまっとうな対応は意味がない。道理は通らないのだから・・・。窮鼠猫を噛む、だ。結果は、結果で、そこまで考えないのが外道の世界だ。でも、国際社会はそれなりに、国連安保理のお墨付きがないと何もできないもどかしさ・・・。
カメは、カメで単なる野次馬、愉快犯でしかない。
今回の地下核実験は、まさか、まさかのまだ前兆で、ここまで出来れば、その次の展開は当然ある。それが、必然の流れだ。
外交カードなどと暢気な話ではないのに、いつものごとく、そんな評論家ばかりで、虚しい。もはや、世界の警察官に毅然として出動していただくしかないだろう。
すでに余命を使い果たしているカメには、冥土のいい土産話になりそうなのだが・・・。

2006/10/09

◆社会の荒波でサーフィンは難しい・・・

にしても、社会の荒波でサーフィンするのは難しくなっている。近ごろ、街を歩く度にそう感じる。ウフッ。
特に、ネクタイをして眉間にシワを寄せ足早に歩くサラリーマンの姿などを見ると別の人種に見える。何をそんなに生真面目に・・・、気楽に、気楽に・・・と声をかけてやりたくもなる。カメもそんな格好でつい最近までは歩いていたのだから、昔日の感がある。それは、それでいいのだが、まだちょっと未練が残っているといったところか・・・。といって、懐かしくもないし、後ろめたさもない。勝手気侭ないまの暮らしの気楽さを有り難く思う。

なにより、Netサーフィンの方はずっと易しいし、気侭で、気楽だ。たとえ転んで投げ出されても傷は浅い。全ては自己責任で、他人にその影響は及ばない。そんな気がした。ますます、ひきこもりが進行しているようだ。
この2日間は、2つのパソコン間のデータ移行に使っているSDカードで、これまでは出来ていた読み込みができず、それが操作ミスなのか、相性なのか、メディアの不良なのか、判然としないままあれこれトライして過ごしてしまった。結果的には、読み込みも書き込みも復活したのだが、どうにもその因果関係がはっきりしていないのが不安の種なのだが・・・。
パソコンと向き合っていると、全然飽きないし、疲れない。目はショボショボしてくるのだが、我ながらパソコンオタク、Webオタクになっていると呆れるほどだ。カメも別人種になっているのだろうが、それを気に入っている。

2006/10/08

◆旭岳での遭難死は「事故を装った自殺」?

にしても、人の死に様も色々だ。その人の生き様が見えてくる。生き様がそのまま死に様に通じる。
先日、名前とその方の業績だけは知っている著名人が遭難死したニュースに接し、不謹慎なことに、本当だろうか、「事故を装った自殺」ではないかと感じた。
遭難死したのは、初代核燃理事長の都甲(とごう)泰正さんで、78歳だった。

共同通信などによれば、4日午前10時ごろ、北海道の大雪山系で登山中に行方不明となっていた核燃料サイクル開発機構(現日本原子力研究開発機構)の初代理事長都甲(とごう)泰正さん(78)=東京都杉並区=の遺体を、捜索していた北海道警の捜索隊が発見した。
道警によると、遺体は旭岳5合目のロープウエー駅から1キロ下った旭岳4合目の沢で、横向きに倒れていた。顔に擦り傷があり、登山道から約10メートル滑落していたという。死因は凍死。死後2日以上経過していた。道警は誤って滑落したとみている。
都甲さんは9月30日に旭岳のロープウエー駅付近で目撃されて以降、行方不明となっていた。2日に東京の自宅に戻る予定だったが帰らず、家族が警察に届けた。
道警は誤って滑落したとみている。道警は誤って滑落したとみている。道警は誤って滑落したとみている。都甲さんは大分県出身。原子炉工学専攻で、東大教授などを経て1998年10月に発足した核燃料サイクル開発機構の初代理事長に就任した。

都甲さんは海外の山にも登山経験があり、旭岳にも何度か訪れていたそうだが、カメの勝手な憶測ではそこを「死に場所」に選んで出かけたのではないだろうか。功成り名遂げた78歳・・・無理もない、行方不明の報を知った際、カメはそう思った。
時代が大きく変わり、世の中の価値観も変わってから、功成り名遂げた方が時にお縄を頂戴したり、老醜を晒す場面を目にすることが増えて、特にそう感じることが多い。長生きしたばかりに・・・、晩節を汚して・・・、と。
日本では、安楽死とか、尊厳死など死について論議することを憚る風潮が強い。特に、自殺への偏見は強く、本人よりも残された家族の方が後ろめたさを感じるし、世間の好奇の目に晒されてしまう。
だから、「事故を装った自殺」を選択したくなる、選択せざるを得ないケースもあっていいとカメは思う。死ぬ自由であり、それくらい許されてもいい。

2006/10/07

◆脊椎反射のみで生きている・・・

にしても、脳年齢が気になる歳になってきた。
無料ゲームにある脳年齢チェックは反射能力、集中力を測定するタイプで、まぁ年齢相応、繰り返しているうちに徐々に若返ってくるのがちょっと嬉しい。
先日は、検索サイトに「脳年齢 チェック」とに入力したら約468,000件ヒットした。ほとんどはゲームタイプで、どうやら脳年齢チェック市場が生まれているようだ。
そのなかで「脳細胞死滅度チェッカー」に惹かれアクセスしてみて、衝撃を受けた。
20の設問に4つの選択肢の中から答えるタイプ。
その結果は・・・、あなたの脳は90.9%死滅しています・・・と。うぅーん、参った。確かに・・・。見事に、的中されたと畏れ入った次第。
ちなみに、その設問の一部は・・・
問10:今日は、平成何年 何月 何日 何曜日?
□そんなのすぐ分かるって
□ちょっと考えてしまいました
□分からずにカレンダーを見てしまいました(もしくは間違えた)
□やべぇ……カレンダー見ても分からねぇ
問12:暗算して下さい。416÷17=?
□26余り11
□25余り9
□24余り8
□考えるのも面倒なんジャイ!
ま、ご関心のある方はアクセスしてみてください。
実は、脳細胞の死滅度90.9 %のあとに、その解説が述べられていて、その内容がカメの生き様を的確に指摘していて、何とも驚かされ、恥じ入った次第なのだが、その解説・・・
脳がかなり腐敗しています。
もはや脊椎反射のみで生きていると言っても過言ではありません。
いつバイオハザードへの出演依頼が来てもおかしくない状態。
全てにおいて欲望のままに自由に生きている。それが貴方です。
しかし、本来生物というのはそういうものなのでしょう。
貴方はまさに、現代に降り立った“自由の象徴”と言うべき存在なのかもしれません。
カメは、ムフフッ・・・となったのだが、その解説の後に「※」があり「この結果はフィクションです。管理者が適当に作っただけなので、あくまでギャクとして受け止めて下さい。」とあった。
で、そのチェッカーのHPを辿ってみたら「我楽多部屋」とあり、主宰者は心理学者でもなく、占い師でもなく、ゲーム愛好家でもなく「普通のおっさんです。」だと・・・。
いや、Webの世界は才能の宝庫でもあるようだ。

2006/10/06

◆マニュアル社会が加速している・・・

にしても、マニュアル社会が加速している。飲酒運転による悲惨な死傷事故のニュースを見る度に、その感を強くする。
「飲んだら乗るな」は鉄則のはずなのに守られない。こんな鉄則はそもそも道徳の範疇に入る。社会生活を送る上で当たり前のことだ。それが守られないから道路交通法で酒酔い運転に罰則が設けられ、さらに罰則を強化し、刑法改正によって「危険運転致死傷罪」まで新設される事態になったのは、何とも情けない。
「道徳」を国語辞典(大辞泉)で見ると、人々が、善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない規範の総体。外面的・物理的強制を伴う法律と異なり、自発的に正しい行為へと促す内面的原理として働く・・・とある。
道徳の荒廃がいわれて久しい。家庭での躾けから学校教育まで、みんなおかしいと気が付いていながらも、豊穣の世を謳歌するのに忙がし過ぎて、誰もが見てみぬ振りをしてきた付けだ。
カメは運転はできないから、飲酒運転の心配はないが、時に立小便は我慢できなくなるし、横断歩道での信号無視はするし、何よりタバコの投げ捨て、ペットボトルの放置など数え上げれば数限りなく、お恥ずかしい限りなのだが・・・。自分のことしか考えない、自分さえ良ければいい・・・という風潮が蔓延して、そこにカメも埋没しているわけで、残り少ないロスタイムぐらい身勝手、我侭に過ごしたいものと思う。
いまや道徳も罰則を課す法律で律せられるようになるとは、まさにマニュアル社会だ。マニュアルがないと仕事もできない、マニュアルがないと道も歩けない。職場でのマニュアルはいまや必須条件になっている。道路を歩くのに、マニュアルを見ながらとは、何とも息苦しく、住み難い世になったものだ。

2006/10/05

◆金のないカメでも生息できる土地柄・・・


にしても、東京の下町、蒲田人の生命力、活力には仰天する。金はないはずなのに、安いとなれば目の色を変えてどっと殺到する。カメもその一人になっている。よーいドン!の合図は朝刊の折込チラシだ。
この一週間ほどを振り返ると・・・。
まずは、靴流通サービスの日替わり特売品はクロッグサンダルが税込490円(限定10足)。かかとがなく、スッと履けるのが気に入って、以前から狙っていただけに、金曜日の午前11時過ぎに(開店は10時)自転車で駆けつけたが既に完売。仕方なく、日曜日の日替わり特売はピッグスキンで1,490円(限定15足)に走ったら好きなブルーは残り3足、サイズが合うのは1足だけで迷わず購入した。
並びに吉野家があり、チラシで見た復活牛丼に長蛇の列ができていた。その行列を見ての帰り、もう一度靴屋の店頭を見たらブルーのクロッグサンダルは1足しか残っていなかった。
次は、ドラックストア・・・。風邪薬が目玉になっていたので行ってみると、大箱(24カプセル)は残り1箱。やっと間に合った感じで、店内をチェックしてみるとプライスカードに「広告の品」と表示してある商品のほとんどははけていた。平日の午前中の話で、レジにはお客さんの列ができている。チラシを見て走る根性には畏れ入った。
ここに移り住んで10年余、近くにある商店街の値段の安さには当初、度肝を抜かれた。その商店街にも世代交代の波が押し寄せ、廃業が増えて、その後はレンタルショップやドラッグストア、クリーニング取次店、惣菜店に代わった。いくつかあった銭湯は賃貸マンションに建て替えられた。
デフレ下での低価格競争が熾烈になって、同じ商売を長く続けていられなくなるようだ。
つい最近は、持ち帰り専門と思っていたちよだ鮨が駅前通りで回転寿司を始めた。一皿(2貫)オール100円。ランチタイムは一皿(1貫)50円で味噌汁は無料サービス(お代わり自由)。カメはランチタイムがことのほか気に入って通っていたのだが・・・、オープンして3ヶ月ほどだったか、店仕舞いしてしまった。
お客は途切れることなく入っているように見えたが、それでも閉めてしまった。いくらお客さんが立て込んでも、客単価は1,000円は超さない。これで続けるのはボランティアだ。馬鹿馬鹿しくなったのだろうと勝手に思っている。こんな土地柄だから、金のないカメでもまだ生息できている。

2006/10/04

◆入れ歯と付き合うのは、もう疲れた・・・


にしても、このところ食欲も衰えている。旨いものを食っていないし、それどころか、旨いものを食いたいという意欲が湧いてこない。レストランなどで陳列棚をじっくり眺めながら唾液を溜め、世の中、旨いものがいっぱいあると再確認するのだが、食ってみたいというモチベーションがない。
因果関係ははっきりしていて、入れ歯が全て・・・。硬いものを咀嚼できなくなっているのだ。改めて数えてみたら9本。最初は14,5年前に自転車で転んで上の前歯3本抜けたのが始まり。歯茎も弱っているから、その後はグラついてきた歯を抜きながら何回かに分けて・・・現在に至っている。
ずっと保険の効く入れ歯(ブリッジ)を使っていたが、2年ほど前に一念発起して、保険の効かない特殊なプラスチックの入れ歯を作ってもらった。それでも、すぐに噛み合せが上手くいかなくなる。歯肉の形が微妙に変わってくるのだから、仕方がないのだろうが・・・。
硬いものが噛み切れない。回転鮨でネギトロの海苔が切れないのには驚かされた。若いころは肉が大好物で、何はともあれ肉を腹いっぱい食っていれば満足していたし、何より幸せ感に浸れた。特に、モツの串焼きなどを頬張りながら、これが食えなくなったら、死んだほうがいいよなぁ、などとのたまっていたというのに、いまは、どうだ・・・。肉は、特に牛はダメ、豚か鳥ならOK。あとは、ミンチだ。
かつて、それでも堪らず焼肉店に飛び込み、大好きなカルビを口に入れてじっくり味わったこともあるが、振り返れば、その後、何日かして残っている歯に不具合が生じて入れ歯を作り替えることになっている。
いつもグラグラした入れ歯と付き合っていると、ほんと、食事するのも面倒臭くなる。食堂の陳列棚を眺めながら涎を垂らすのは、もう切なくて、何とも情けない。もう、入れ歯と付き合うのは疲れた・・・。

2006/10/03

◆「皮膚のたるみ」をハサミで切られた・・・


にしても、歯医者以外の医者へ久々に行った。皮膚科・・・。
先週半ばあたりから身体にチクッとした痛みを感じた。原因はわからない。ちょっと不安になってその根源を探したら、何と、二の腕の内側、脇の下あたりにイボを見つけた。色も形も、ちょうど乳首状で、ぶら下がっている感じ。
ほっておいても、いずれ千切れ落ちそうなのだが、身動きしたり、下着に触れて擦れる時に引っ張られて痛みを伴うのだ。応急措置として傷テープを貼り付けてゴルフに臨んだが、押さえつけているので痛みは感じなかった。
でも、何となく気になってWebでイボを検索してみると、皮膚がんのケースもあるとか・・・。
で、近所に皮膚科の専門医がいるので、足を運んでみた。上着を脱いで、イボを見せると、若い医者は即座に「これは、皮膚のたるみ・・・年をとるとよく出てくるんですよね」だって・・・。見守る看護士に「ハサミ、ハサミ」と指示して、鼻毛でも切るような小さなハサミを選んで、イボをチョイチョイという感じで「ハイ、切れました」・・・。切り取ったあとに何か薬でも塗ってくれるのかと待っていたら、あと処理はなし。「終わりです。あと何かあったらまた来てください」でお仕舞い。この間、10分足らず。
支払は、初診料と手術料で4,660円(国保退職、負担率30%)は何とも高かった。でも、とりあえずは、ほっとした。
あとで鏡でチェックしたところ、まだ小さいイボも含め3つ切り取られた痕が赤く残っていた。カメの素人診断でも、ペンチで摘まんで引きちぎってしまおうかとも考えたのだが、それで正解だったようだ。

2006/10/02

◆“臓器売買”とは何とも情けなく腹立たしい

にしても、“臓器売買”が日本で初めて摘発された。やっぱり・・・と思うとともに、人間の命を弄ぶような行為で、何とも情けなく腹立たしい。

愛媛県警は1日、臓器移植法違反容疑で59歳のレシピエント(移植を受ける患者)と、売買を仲介した59歳の女性を逮捕した。臓器売買を禁じた同法違反での立件は、97年10月の施行後初めて。患者は糖尿病で、ドナー(臓器提供者)は借金のある59歳の女性で左の腎臓の摘出手術を受け、現金30万円と乗用車1台(150万円相当)を受け取ったそうだ。

同法制定の際、カメには何故こうした法律が必要になるのか不思議でならなかった。何より、他人の臓器をもらってまで生きたいという気持ちが理解できない。そこに、さまざまな事情があることはわかるが、医療技術が発達したからといって、そこまでやるか・・・というのが率直な思いだ。
人間の身体は機械とは違う。不具合があるからといって、部品を交換してすむものではないだろう。不具合な部品を宥めすかして、それで駄目ならハイ、それまでよ・・・でいいと思う。自然の定めとして何故受け入れられないのか。それが、その人の人生であり、生き様ではないのか。

技術的に可能になったからといって、法律を作ってまでそれを実施しようというのは、人間の驕りでしかない。まさに神を冒涜する所業だ。そもそも、移植手術を受けてまで生きながらえて、一体、何をしようというのか・・・。カメは思いつかない。
臓器移植法を認めてしまったのだから、死ぬ自由も、ある一定の条件の元に法制化して欲しいと思う。

2006/10/01

◆努力は結果となって現れるのだが・・・

にしても、努力という言葉を実感したのはゴルフだった。
46歳の時・・・、川の流れに身を任せるままでそれまで努力とは無縁だったのだが、お客さんのゴルフをセッティングする羽目になった。チンプンカンプンながら、何とか2度ほどこなして気がついた。ゴルフができれば自腹を切らずにラウンドできる、と。何より、健康的だし、楽しそうだった。
で、とりあえず7番アイアンを1本買って近所の練習場に自転車で通い始めたのだが、結構面白かった。レッスン書や専門誌、それに漫画まであれこれ仕入れて・・・。振り返れば、スクールにでも通って3ヶ月でも初歩を教われば違ったのだろうが、そんなタマではない。あくまでも我流だ。
音痴と運痴はDNAと諦めていたが、その酷さは、半端じゃない。さっぱり上達しないどころか、ボールが後ろにこそ飛ばないが、右に左に、それも隣りの打席との仕切りのポールに激突して睨み付けられたり、真上のブリキ製の天井に当たって轟音を発したり・・・。それでも、他の練習場をあちこち探して渡り歩いた。
さらに、優しい先輩、友人の力も借りて練習に励むうちに、何とかラウンドデビュー。ま、それも覚えていないほどに酷いものだったが、そのうち何となく格好はついた。
そんな時、ふっと「努力」という言葉が脳裏に浮かんだのだ。そうか・・・、努力、努力とよくいうが、努力すると結果となって現れるものなのだ、と。改めて、カメ自身、この世に生を受けてこの方、受験にしろ、仕事にしろ、努力したことはないよなぁ・・・としみじみと感慨に耽ったものだった。
で、生来の飽きっぽさから、そんな努力を止めて10数年、誰かに誘われればラウンドしていたのだが、数年前からは基礎体力の衰えが甚だしく、後半は文字通りの腰砕けの状態が続いていて・・・。といって、体力維持の努力なぞ馬鹿馬鹿しい。昨土曜日のプライベートコンペを最後にゴルフも止めることにした。何より、金がかかりすぎる。
いまは唯一、要介護状態に陥っているナニの復活を夢見て、切なくも涙ぐましい努力に専念することにした。