2006/11/11

◆「人生半分」・・・サラリーマン症候群の歌?

にしても、先夜、カラオケスナックで初めてサラリーマン症候群ともいえる歌を聴いて目頭が熱くなった。湯原昌幸の「人生半分」・・・。サラリーマン失格のカメには泣ける? 笑える歌詞だった。

おまえも知ってのとおり/いつもガムシャラだった/雨の日も風の日もろくに休まず眠らずに/家族の笑顔を励みにしながら/会社に尽くしてきたのは云うまでもない・・・人生半分/まだまだ半分/人生半分50で始まる夢がある・・・この先まだまだ続く人生/今やっと見えてきた気がする・・・
だって、さ。
歌っていたのは、まさにこの歌詞と同世代の常連のサラリーマン。真面目なんだろうな、と思う。一生懸命サラリーマンをしている・・・と思うと、泣けてくるのだ。
我慢に我慢を重ねて、それに慣れて、それが当たり前になって・・・、そうならないとサラリーマンは続けられない。それが、まさにサラリーマン症候群であり、それが嫌でカメは辞めた、落ちこぼれた、とも。
サラリーマンのどこがそんなにいいの? とは触れてはいけないと、わかってはいても聞いてみたくなる。そのくせ、「人生半分50で始まる夢がある」なんてフレーズに自らの本来の想いを託しているのだろうが、実は、サラリーマン症候群の症状は、そんなに軽いものではない。重症だ。幾つになっても、抜けられない。抜けたくもないのだ。もう体の芯まで沁み込んでいる。
退職しても、サラリーマン症候群を引きずったままで、まず治らない。治りたくないのだ。時に、居酒屋で会社の同窓会などに居合わせることがある。その席を見ても、相変わらずそこには上下関係が存在し、それが心地いいのだろう、活き活きして見えるのだ。昔に戻って安心でき、癒されるのである。
「50で始まる夢がある」なんて夢には誰も触れようともしない。50でロスタイム入りなんて外道の発想なんだよなぁと思うが、カメはカメでそれを気に入っている。