2006/12/01

◆「1日は長いが、1年は早い」とはカメの箴言

にしても、はや12月・・・、時の流れは何とも速い。齢を重ねるごとにそのスピードは加速される。
かつて、仕事中に何気なく「1日は長いが、1年は早い」と呟き、耳にした同僚から「そうなんだよなぁ、箴言だな」といたく感心されたことがある。
当時はどうということのない仕事で、ただ待ち時間がやたら長い深夜勤務が続いていて、それは偽りのない実感だった。

光陰矢のごとし、ともいわれるが、時間の長さは時計の刻む物理的時間と、メンタルな時間の2つの時間がある。
子供のころ、早く大人になりたいと思っているときの時間は途方もなく長いが、いざ大人になってしまうと時間の経過はあっという間になる。これは、心理学的にいえば、外界からの刺激量の多寡によるものだ。
子供のころは、見るもの聞くもの全てが新鮮で、常に脳細胞が刺激されているのだが、歳を取るとともに外界の刺激は徐々に薄らいでいく。何だ、またか・・・となって、脳細胞は初体験の時のようには反応しなくなるし、さらに歳を経るとそうした外界の刺激にめったに反応しなくなってくる。
例えば、昨日の食事のメニューを思い出せるかどうか・・・。カメなどは思い出そうとしても、まったく覚えていない。加齢によるいわば脳障害の症状で、困ったことだが、生活に支障はない。
最近、体験したのが時空を駆ける、時空を飛ぶ感覚だ。先日の本ブログで報告したが、脳の時間軸がすっぽり抜け落ちる感覚で、ちょっとした快感だった。
1カ月ぶりで顔を出した居酒屋でも、何か昨日ものぞいたような気がすることがある。物理的な時間は1カ月のご無沙汰であっても、心理的には昨日もこうして女将の顔を見てビールを飲んだばかりのような気がする。女将にしてみれば、もっと頻繁に顔を出してよ・・・となるのだが、カメは毎日来ているはずなのにと勝手に思う。
今春、親父の23回忌をやったが、えっ、もう23年も経ったのかと、その長い時間の経過には思い至らない。もし、親父が亡くなったときに子供が生まれていれば、もう成人式も終わっているわけなのだが・・・。
人生50年、夢幻の如くなり・・・と、以降はロスタイムと決め込んでいるカメは、その物理的時間と心理的時間の乖離に唖然とするばかりだ。