2015/10/24

◎生き死には しょうがないの 積み重ね

にしても、歴史に「タラ、レバ」とか「もし」は禁じ手だが、今回の肺ガン検査で強く感じるのは、長生きし過ぎた事だ。くも膜下で倒れ戻って来た時、オヤジの歳を超えた時、古希を迎えた時・・・等々、その時々に年齢に氣づき、長生きしたものだと思うとともに、もういいのにと心中密かに思ったものだ。かつては長いことヘビースモーカーだったし、その祟りかと思わなくもないが、それにしても長生きしたものだと感慨深くはある。
その検査結果、医師は「残念ながら」と前置きして「ガン細胞がとれました。だから、肺ガン・・・」。続けて「内視鏡で撮った画像を見ますか。左の上の肺のとこ、かなり変形している」タイで売られているたばこのパッケージの写真と一緒だ。爛れも見られエゲツないのだが、自分の肺だとは実感しかねる。「で、手術は難しい」との結論に達したそうだ。とはいわれても、他人事のように聞こえる。医師はこう提案した。
「治すことはできないけれども、悪くなる時期を遅らせて、元気な時期を伸ばすという意味で、6週間の(入院)治療をやりたい。抗がん剤と放射線・・・」
いろいろ説明を聞きながら、「何もしない」選択肢の一つとして民間療法に関心があると話した。前日、セレブ熟女とランチした時、ガンで入院した母親を看取った際の体験を聞いていた。何もしないよりは、気も紛れていいだろう、と興味を持ったのだ。
「やるかやらないかはご本人様が決めること」「ここでは治療以外できないので、その場合はホスピスとかご紹介しています・・・また、考えてみます?」
そういって、11月10日に次回の診察の予約を入れた。多分、それが最後の診察になるだろう。前回のブログでアップした「5・7・5」の2句を単語カードに書いてポケットに忍ばせていたのだが、生憎と見せるチャンスはなかった。


2015/10/16

◎ガン切らず 騙し騙しで 幾つまで

にしても、このところ不覚にも死の淵を必死で駆け巡っていたようだ。目に見えぬ不安、死への恐れ・・・怖いの一色に周章狼狽していたと思う。2泊3日の検査入院で目が覚めた。カメの体の現状が認識でき、ひと安心、妙な不安は消えた。
入院前夜は、さすがに興奮してなかなか眠れず。入院誓約書の親族、連帯保証人についていずれも「なし」、それが通らないようなら検査はキャンセルしようと思った。冷静に振り返れば、現状では、喉の不調を除けば、他に不具合は何もない。タラレバでいえば、「何もしない」選択肢が生きてくる。いま、あちこち手を突っ込んでグチャグチャにするよりも、何もしないのも一理あり、だ。

朝の入院受付時にそれは問題とはされず、胃カメラ検査が終わってベッドに戻ったところから看護師が入れ代わり立ち代わり、身上調査に顔を出し、身内或いは親族の連絡先を聞き出そうとするが、こちらはずっと疎遠になっているので・・・で押し通した。とはいえ、身内もいない、親族もいないというのに、手術してまで健康を回復して、誰が喜んでくれるのか。また、本人に何かやり残したこと、やらなければならないことはあるのか・・・なんていうのはカゲの声だ。
2日目、気管支鏡検査の日、昼過ぎからの検査を前に担当医が、事務方から強要されたのだろう、突然姿を表し「入院には社会的ルールがあり、医師と患者だけの関係ではない。どうしようもない」と身内の連絡先を求めてきた。最後の切り札の登場だ。カメの気持ちは固まっていたが、検査前なので飲み込んだ。

☆ガン切って 抗ガン剤で 延命か
胃カメラは辛い、何とも辛い検査だった。ナースが背中をさすってくれるのが大きな癒しになった。モニターが見られる位置にベットはあったが、チラともみられなかった。気管支鏡検査は、点滴しながら、心電図をとりながら、内視鏡を挿入されたが、胃カメラの時よりも麻酔を多く使ったため、辛さは感じなかった。検査結果は23日になる。

ほんの気まぐれに、里心がついて? 覗いたつもりの世間の風は何とも刺々しい。やっぱり外道の世界がいい、望んで積極的に足を踏み入れてもう10年か。すっかり馴染んできたと思っていたのに、である。これを里心というのかどうかは知らないが、俗世間の風を久々に浴びて、ついつい長居をしてしまったようだ。孤古老には当然ながら居心地は良くない。世間のルールが様々ある。面倒でならない。当然承知の上だったのだがねえ、だ。阿呆らし。ベットの上は5・7・5を撚るにはいいかもしれない。結論が出たよ。どちらを選ぶかは、人それぞれ・・・。
ガン切らず 騙し騙しで 幾つまで
ガン切って 抗ガン剤で 延命か


2015/10/12

◎タバコやめ 命永らえ 挙句ガン

にしても、生きているのは面倒くさい、息も止められない、やたら疲れる、全てが億劫になる・・・なんて思いが募るのは、数カ月前の「ゴホン」がきっかけだ。
ついつい外道の道を外れて俗世に出戻りしたら、いや、はや、世の中、ルールが多すぎる。特に、医療の世界はデジタル化が進み、アナログ的反応は弾かれる。厄介でも、デジタル情報に基づいて一つ一つこなしていくしかない。振り返れば、ゴホンに始まり肺がんの疑いまで、どうやら積極的に自らそのレールに乗ったきらいがある。
人生50年、夢幻・・・を契機に、サッカーでいうなら人生のロスタイム入りを気取ったのだった。「50歳まで生きれば、もう十分じゃないか」というわけ。以来、健康診断は一度も受けていない。50歳過ぎて、病気が見つかったとして、それを治療してどうするのってこと、だ。
何と、それがこの有様で、何とも面目ないのだが、何せ、全てはロスタイムが長過ぎたことに尽きる。9年前、銭湯で気を失って倒れ救急車で運ばれクモ膜下出血の手術を受けて3日後だったか、意識を回復してしまったのだ。その辺の経緯は本ブログにアップしている。
あれから9年、この間、これからもだが、特にやらなければならないことはないし、やりたいこともない。パソコンと戯れながら、ただ只管お迎えを待っている。そんな状態でのゴホンだ。ゴホンで救急車はないだろう。挙句は検査漬け、ロスタイムに終了はないのかと思う。
検査入院を前にして・・・。

2015/10/10

◎がん検査 重ねる度に 近づく死

にしても、肺の影をそっくり切り取ればOKなんだろうなぁ・・・なんて努めて気楽な気分で東京労災病院へ、この日は先日のPET検査の結果を中心に肺がん状況の診断、かなりな事が分かるはず。そのカラー画像を見せながら医師の説明はやはり専門用語が多く、浅学非才の脳にはすんなり入ってこない。どうやら、肺に挟まれたところ、縦の隔壁、じゅうかく(縦隔)というんですね、こういったところのリンパ節も取り込みがあって、転移だろうということなんですね。外科の先生とも話したんですが、取れなくはないだろうが、場合によっては、左の肺は全部切除するかもしれない、それを避けてガンのある上肺だけ取って、下肺を助ける、開けてみないとわからないが、下肺だけ残すのもできるかもしれない。縦隔への転移については、術後に取り切れていない場合もあるので、術後に抗がん剤をやった方がベターかもしれない。外科的には、本人がリスクを承知なら手術をすると話していた、と。
続けて、考えは決まりました? もう、お任せ、身を預けようかな、と苦笑いで返していた。正直、そうなんですよ、ね。そんなに選択肢はないんですよねぇ、と。まあ、それなら、一回入院して内視鏡でのぞいて、ブツを取って調べるところからスタートしましょう。来週は大丈夫ですか?
そこで内視鏡検査の手順などを説明しているうちに、水を飲み込む際に激しく咳き込む事が多いと答えたら、それは胃カメラですねともう一日かけて胃カメラ検査もと手配し、二泊三日の検査入院が決まり、その後は、介護士と事務方から改めて手術の概要、入院の注意点などを説明されたのでした。
その夜再び、NET検索して探したところ、似た症状を見つけた。
がんは、発生した場所で大きくなるだけではなく、リンパ管や血管に入り込んで移動し、さらに大きくなることがあります。がんが発生した場所の近くにあるリンパ管に入り込んだがん細胞は、リンパ管からリンパ節に流れ込み、そこでまず止まります。白血球やリンパ球の攻撃によっても排除されず、生き残ったがん細胞はリンパ節で増え始めます・・・と。
いや、はや、恐ろしい。身が竦む、ねぇ。


2015/10/07

◎目を閉じて 俎板の鯉 跳ねもせず

にしても、肺のCD画像一枚持たされ放り出された先は東京労災病院、9年前銭湯で倒れ救急車で運ばれクモ膜下出血の手術を受け、この世に無事生還した病院だけに、心情的には近しい。今度も、生きるか死ぬか、前回との大きな違いは、今度は自転車、自分の足で駆け込んでいる点だ。診察券は手提げ金庫に残っていた。
受付が終わると、とりあえずの検査、血圧測定、血液検査、尿検査、心電図、肺気量、胸部レントゲン撮影・・・、呼吸器科の担当医の診察はそれから。CD画像を見ながら、エネルギッシュな医者は躊躇う事なく、ポンポンとリズム良く懇切丁寧に説明した。
「大きな病気を考えなきゃいけない。左の肺のこの辺に4センチ強の塊、おむすび型の全部、声が涸れるのは反回神経の麻痺、左の神経が引っかかってる」
「まずは、癌かどうかを確定しなきゃいけない。今も昔も、癌細胞があるかどうかは、内視鏡検査で取ってくる。で、それを顕微鏡で見る。一番いいのは手術なんですね。他に転移がなければ、できるかもしれない。転移しているかどうかが分かるPET検査、四谷三丁目のクリニックでやっているので・・・。
もう一つは、放射線、抗がん剤・・・。どれも大変な治療なので、やるからにはちゃんとした根拠が欲しい、出来れば、癌細胞を証明したい、これだけ大きいのがあったら、癌以外考えにくいんですけど・・・」
「何もしないという選択肢・・・ありますねぇ。ほっとけば進行する。声がれ、血痰、痛み、出血、あれこれ出てくるでしょう、ね」
「肺がんは手術が最善の策。右にも出てきちゃうと窒息もある。早い方がいいかな、と思う。もう癌であることは間違いないので、内視鏡検査とかは飛ばしてでも・・・」
午後には頭部のCTスキャン・造影検査を予約、PET検査の手配もして「いまは頭が真っ白だと思うんですが、どうするか暫く考えていただいて、次の診察は9日に入れておきます」と事務的にテキパキ進めた。

☆肺の影 切ってダメなら どないしよう
「PET」とは「陽電子放射断層撮影」との意、PET検査は、がんを検査する方法の一つで最近保険診療が可能になったという。がん細胞が正常細胞に比べて3~8倍のブドウ糖を取り込む性質を利用、ブドウ糖に近い成分(放射性物質)を体内に注入し、しばらくしてから(約1時間)全身をPETで撮影するとブドウ糖が多く集まるところがわかるという。クリニックには新橋で地下鉄銀座線に乗り換えるコースで行った。新橋駅での乗り換え、こんなに遠かったっけ。ラッシュは終った時間帯なのに、人いきれが息苦しい。行き交う人の波がエネルギッシュで、弾き飛ばされそうだ。
PET撮影は、2時間余りで終わった。その結果は、労災病院に送付されるとかで、検査料金の他に500円の送料を払わされた。
で、今はもう、俎板の鯉・・・。真っ白になった頭で考えてみても、特にというか、別にやること、やりたいこともないわけで、この際、手術を受けてみようかという気が仄かに湧き上がってきた、よ。ウフッ。


2015/10/05

◎ 真っ白な 頭に浮かぶ 肺がん死

にしても、あれ以来、頭は真っ白なままだ。人の生き死にについては、昔からあれこれ自己流で考察を重ね、危機管理の備えも万全を期しているつもりだった。でも、イザとなると何も思い浮かばず、思考回路はストップ、性急に結果が欲しくなり、自暴自棄になりかねない。
あれって、前回報告したCT頚部造影の撮影、画像を見ながら耳鼻咽喉科の医師は「肺の中に異変あり。でも、専門分野が違うので・・・。丁度今夜、医大から肺が専門の内科の先生がこちらに来るので、引き継いでおきますので、今夜また来てください。その方が話が早い」。タライ回しやないかと不貞腐れながらも、従わざるを得ないのが情けない。その夜、肺が専門の内科医は画像を眺めながら、こう見立てた。「声が出ないってことで来られたと思うんですが、やはり、肺に影があります。肺がんの疑い、ですね。放射線治療はこの病院ではできない。東京労災病院か。治療して治らないこともありますし・・・。声帯の神経はここに繋がってます・・・」
肺がんの疑いという言葉が脳裏を駆け巡る。疑いって何なんだ!!! 放射線治療って? 訳が分からない。疑いって言いながら、放射線治療って、どういうことなのか。真意を分かってもらえるかどうか、不安ながらも無我夢中で掠れた声で言った。「放っといても大丈夫なんですか・・・」と。
内科医はカメの心中を見透かしたように「何もしないという、その選択肢もあります。紹介状を書きますから、治療してもよし、相談してもよし・・・」と淡々と言った。受け取った紹介状は診療情報提供書とあり、CD-ROM在中ともあった。

茫然自失ってやつか。事態を認識できない。ボーっとして脳が働こうとしない。ただ、何も考えたくない。顔を前に向けたくない。俯いたままだ。何をどうすれば・・・。あれこれ考えていたはずなのに、頭は真っ白のままだ。
NETニュースに「川島なお美さん、抗がん剤治療拒否 最後まで女優としての人生全う」とある。
NKKでは、SONGSスペシャル「矢沢永吉」を流していた。ライブに密着したドキュメンタリーだ。インタビューに矢沢の声が耳に入ってくる。「やればいいじゃん。ドキドキ、ワクワク、声が出て、足腰動いているうちは・・・」
一枚の同じ画像を巡って、医者の言葉は何とも歯切れが悪い。素人のカメに何が見えるというのか。結局、医者は患者にボールを投げ返して責任回避、自己責任で決めろ!ということや。でも、この歳や、医者の言葉にも、何もしないことも選択肢になる、と。ウンウン、そう、自己責任ってやつ、や。瞬間的に浮かんだのは川崎の回春デリヘル。あぁー、あぁー、アァー。
目が冴えて冴えて、眠くならないんだよなあ、夜も麦爽快缶を開けてはみたが・・・。Gも無理。脳がまったく反応しない。いま、00:06、参った、ねぇ。