2006/11/12

◆「社畜」をGoogleで検索してみたら・・・

にしても、サラリーマンは玩具にされている。
カメが最初に会社に入った昭和40年代の初め、定年は55歳だった。それが60歳に引き上げられたもののバブルの崩壊後はリストラが進行、それは空文化していたが、今度は改正高年齢者雇用安定法(平成18年4月施行)によって企業に65歳までの段階的な雇用延長が義務づけられた。
カメは幸い?該当しないが、何とも身勝手なルール改正だと思う。
でも、団塊の世代に属するサラリーマンは何となくホッとしていることだろう。漠然とした不安に駆られながらも定年後の絵を描けないサラリーマンがほとんどだ。社畜と呼ばれ、唯々諾々とするばかりで、自我も尊厳をも喪失してしまっている悲しきサラリーマンの性である。
社畜という言葉は「日本のサラリ-マンは、会社第一主義で自閉症ならぬ社閉症に陥り、会社に飼われた家畜ならぬ社畜となって、会社と社会、あるいは自分と社会との関係を見失ってしまう」と喝破した評論家、佐高信の造語だ。
くだいて云えば、会社に飼いならされ会社の言いなりになって、一般的な倫理観を失ったサラリーマンを揶揄する。
実は、この言葉、初めて聞いたときは鳥肌が起ったものだ。社内で、この言葉を使うことはタブーだと思った。取引先の大企業の役員は「一生懸命、会社のために寝食を忘れて仕事をしている社員に対する冒涜だ。こんなことをいう奴は許せない」と烈火のごとく怒って同意を求められたが、曖昧に応ずるしかなかった。
昨日、本ブログに「人生半分」について書いていて、社畜を思い出し、念の為、Googleで検索してみたところ、結果は多いのか、少ないのか・・・約 6万3100 件。そのうちの幾つかをチェックしてみたが、カメと同様サラリーマンの落ちこぼれだろう、社畜を肯定しながらも自嘲気味なものが多かった。カメはこの言葉を吐いたら、もうオシマイよ・・・とタブー視していただけに、ちょっと意外だったし、嬉しくもあった。
カメは、わが身を振り返り、社畜にならず、なれなくて、本当によかったと改めて思う。