2011/12/05

◎立川談志の芸はセックスである・・・


にしても、立川談志の訃報(11月21日 喉頭がん =享年75)を聞いて、「ほぉー、75かぁ」と軽く受け止めていたのだが、テレビニュースでの取り上げ方が存外に大きく、追悼番組も相次いで放映され、そんなに「大物」だったのかよと僻みつつ、そんな番組をチラチラ見ていたら、その生き様にカメとの共通項を幾つか見つけ、驚かされるとともに、こりゃ加齢によるものか、老いはやはり同じように訪れるのかと、感慨を新たにしたのだが・・・。なんせ、昔から談志は若いくせに高慢ちきで生意気だったから、カメはずっと大嫌いだったのだが、談志の派手な言動は嫌でも目には触れ、それでもなお生理的な拒否反応は生じていたのだが、テレビでドキュメンタリーの追悼再放送を見ていると、古希のころからの談志の生き様は何故そこまで、そんなところまで晒すのか、晒さなければならないのかとカメなどは羞恥心に舌を噛み切ってしまいたくなるのだが、談志が生と死に正面から向き合い悪戦苦闘する様は、何とも壮絶としかいいようがなく、不埒に生きるカメなどは目を背けたくなるのだった。
「人生50年、夢幻の如く也」と以降はロスタイムとしてG三昧の暮らしを満喫するノー天気な孤老のカメに比して、談志の場合は「人生65年、落語一徹」で以降はやはりロスタイムとしつつも、後には「人間未練で生きている」などとも宣(のたま)い、肉体の老いと病に見舞われながらも、枯れた老境なんぞクソ食らえといわんばかりに「俺様は立川談志なのだ」と稀代の天才落語家、落語界の異端児、反逆児、毒舌といった世に知られた「立川談志」をなお演じ続けていたわけで、こりゃ疲れるよなぁ、と不謹慎なカメは嘆息するしかなかった。
談志の"弟子"を自認するビートたけしは”師匠"の死について、TVのワイド番組で「立川談志は最後まで本当の立川談志ができなかったのが悔しかったろうな」と呟き、同じ毒舌で評価されていた爆笑問題の大田光は「立川談志の芸はセックスである・・・、気持ちイイという瞬間って、ほんと数秒でしょう? このために、何でこんなに苦労して追っかけて、血眼になって追っかけているんだと思いますよ」と、能天気なカメには嬉しいコメントをみつけた。そうだろう? 結果は、同じなんだよなぁ。人間、至高の喜びって「快感」しかないんだよなって、つい、カメの外道語録、箴言が思い浮かんで・・・改めて、カメは外道の道を再認識するのでありました。ウフッ・・・なんて、俺が死んだら新聞の見出しは「だんしがしんだ」だろうな、とも話していたそうだ。