2007/01/31

◎生ビールは飲んだが、禁煙はまだ続く

にしても、64歳の誕生日をきっかけにゴロゴロ、ぼんやり・・・しっかりリラクゼーションを確保している。
なにより、慎重に体のケアに取り組まないと、予期せぬ筋肉痛とか、面倒なリハビリを抱え込みかねない。
多分、快方に向かっているからだろうが、ほんのちょっとした行為に、つい無理をして、イテテ!という場面が増えている。脇の方に置いてある新聞や本を取ろうとして体を捻ったり、伸ばしたり・・・、これがいけない。手が届かない。でも、あと、ちょっとだからと、軽く腕を伸ばそうとすると、てき面だ。

一昨日は、仕事を早仕舞いして見舞いに現れた後輩にあれこれ奢られた。
個室居酒屋では、やっぱり生ビール1杯ぐらいなら・・・との想いはつのる。
ほんとに、生ビールとはいえアルコールを口にしたのは、ほぼ2ヶ月ぶり。ちょっと、まだ旨いとも何とも・・・、実は小心者故、医者への後ろめたさ?味はあまり感じられず。ジョッキのお代わりも遠慮してしまい、ちょっと悔いが残った。グイッと旨い生ビールが恋しく、早く思い切り飲みたくなった。

ところが、生ビールに散々ビビッたくせに、煙草には我ながら信じられないほどの強靭な意志が働いているのを感じていた。1本の禁を冒せば、あっという間に元の木阿弥になるのがわかっているからだろう、目の前で後輩が1箱空けてもさして動揺せず、なおかつ、この夜の禁煙は苦痛を伴うものではなかった。はて、さて・・・、驚いた。

2007/01/25

◎いまさらの64歳はぼんやりするしかない

にしても、すきやき弁当が一番性に合っている・・・
誕生日をどう過ごすか・・・。いまさらの64歳はぼんやりするしかない。
とりあえずは、お世話になった皆様方へのメッセージを時間をかけて認め、拙ブログに投稿して、ひと安心。久々にいい原稿になったので、ウフッ、これだけでもよしとするか、とも思うが・・・。
NHKのニュースを見ながら、昼飯を食って、やっぱりどこかへ出かけようとあれこれ考えた。一番近い繁華街は川崎、京急に乗って150円だ。ここなら、あれこれ、裏も表もないものはない街。
とりあえずは、ヨドバシカメラに行ってシェーバーを買うつもり。いま使っているのは、回転刃の交換までして、もう10年以上は使っているお気に入りなのだが・・・、最近はちと切れ味に不満が生じていた。
あと、今回はあまり伝わってこないWindowsの気になる Vistaの盛り上がりも見てみたかった。
整備された川崎駅前のショッピングモールはやたら広く、ただブラブラの無目的な歩きにはちょっと不向きだ。
それくらい承知のカメはとりあえずシェーバーのコーナーに足を向けたが、それでもなかなか見つけられず、たどり着いたときにはかなり草臥れていた。シェーバーは3枚の回転刃と決まっているので、選択肢は限られていて、なおかつ安い。逡巡してみたものの、ま、64歳の誕生日プレゼントにはうってつけか、と・・・。
で、店内をちょっとウロウロしただけなのに、いささか疲れを覚え、パソコンコーナーは素通りして、帰途に・・・。まだ、疲れやすいと、無理は避ける。
実は、川崎でブラブラしながら時間を潰し、何か旨いもの、というか、高いものを食おうかと思っていたが、それは叶わず。
結局、帰宅したものの、夕食が決まらない、決められないまま、外は暗くなって、寒々としてきて、改めて外に出るのはいささかしんどくなって・・・。
先日、食って旨かった、ほっかほっか亭のすきやき弁当(580円)を買いに自転車で出て、やっぱ、このへんが一番性に合っているか・・・と独りごちた。

2007/01/24

◎よくぞ、ここまで無駄に64歳・・・

ついに、64歳、本日、誕生日・・・。
よくぞ、ここまで無駄に生きてこられたものよ、と驚きます。

先月は、三途の川まで行って、戻されてきたのですが・・・。
以来、煙草は、まだ吸っていません。結果的な禁煙が継続しています。
旨いものは食っていません。というより、なかなか食いたいものが思い浮かびません。
医者から止められたわけでもないのに、ビールなどアルコールは飲んでいません。
退院してからの自然脱糞は、なかなかの快感です。量といい、形といい・・・。
入れ歯の噛み合わせは依然いま1、いま2、いま3・・・。異物感なしを希求しつつ、まあ、こんなもの? のままで、相変わらず推移しています。
目は相変わらず老眼だけ、「3」で変動なし。年齢による他の病因の出現も間もなく?ではないかと、その兆しは感じます。

朝食は、これも習慣? 食べられるようになりました。ベッドの上で食べる、その習慣をまだ維持しています。もっとも、メニューはパンに固定してきましたが・・・。
朝食は多分、カメの心身に色んな面でいい影響を与えている、波及効果は大きいような気がしています。カメの貧脳ではそれ以上は、とても思い至りません。
実は、脳にもA,B,C~Hカップなどの容量、サイズがあり、カメは今回の入院でお恥ずかしいことに貧脳を、思い知らされました。
同時に、こんな貧脳でも、脳細胞は完全には元に戻らないような気がしました。記憶をたどれない、抽象的思考ができない・・・、ひと言でいえば「考える」ことが面倒臭く、集中できない、病床でテレビを見ていて、そんな場面が急に増えました。それは、いまでも続いています。

朝起きて、3度の食事をして寝て・・・のゆっくり、ゆっくりしたリズムが何とも居心地がいい。天下公認の国家ニート、穀潰し、何もしない、何もしなくていい環境というのは最高のリラクゼーション・・・、何より気楽でいい。有り難いこと、と素直に感謝しています。

2007/01/23

◇早くセピア色の絵に染み込みたい・・・

にしても、セピア色の世界を楽しんできたカメに、いま流行のハイビジョンの世界は眩し過ぎて、恥ずかし過ぎ、やはり一日も早くリタイアしたいと思う。
前回は何時だったか、また、また、小学校のクラス会のご案内をいただいた。新宿で3月中旬、土曜日の昼食会のようで、会費は、8,000円とか・・・。
64,65歳が何人、参集するか。もう10年ほど前だったか、幹事が熱心に連絡を取ったところ出席者は30人を超していた。担任の先生が良かったからだと思うが、みんな不思議と仲良しで、卒業後もクラス会は長く途切れることなく続いている。時には特別に1泊旅行なども何回か企画してその度に10人近くが参加しているそうだ。
カメも実は一時このクラス会の常連になっていた時期もあるが、この5年ほどは全て欠席している。
出席して、時に珍しい顔を眺められればいいが、そうはいかない。常連の顔ぶれは変わらない。それに辟易してきてもいたし、クラス会の回数も増え、出かけるのが面倒臭くもなっていた。
そう、そんな大した理由もなかったが、振り返れば、会合での話題が「老後」に凝縮されてきたのだ。カメの大嫌いなテーマだ。おためごかしに話を進める・・・なんてカメの性には合わない。時間の無駄だ。ああいえば、こういう・・・、ああすれば、こう・・・のおためごかしはゴメンだ。
おためごかしの時間を過ごすのなら、やはり、カメは早くセピア色の絵に染み込みたい。

2007/01/22

◇「考える」ことが面倒臭く集中できない

にしても、いつでも、どこでも、目一杯生きていかなければならない人間は凄い存在だと思う。
街に出て人の流れを見ていても、店に入って見ても、人はそれぞれみんな一生懸命だし、何か、目標、目的に向かって進んでいる。そのオーラの外で、もちろん、見えない厚い壁に遮られつつ、カメなぞはその中には入っていけないし、ひたすら、なぜ、どうして・・・と問いかけてみたい衝動に駆られるものの、といって、その答えを待っているわけでもなく、つい、違う希少生物になったような気がしてしまう。
実は、街だけではなく、テレビのニュース画像に対しても、ドラマにも、ワイドショーにも、さらにビデオ画像にも同様の反応をしてしまう。みなさんと同じような格好はしているようにみえるが、もはや異次元の生物に変節してしまったのではないか、と。

脳外科病床のベッドに寝ていた時、何となく脳細胞は完全には元に戻らないような気がした。脳細胞をこれまでのようには使えない、といって、それを意識していたわけではないが・・・。記憶をたどれない、抽象的思考ができない・・・、ひと言でいえば「考える」ことが面倒臭く、集中できない。そんな場面が急に増えた。でも、それらは全て面倒臭くて、それ以上進展しなかった。
例が適切かどうか、例えば、足し算・・・6+2=ならOKだけど、8+6+2=になると拒否反応が強くなって、もう暗算にトライしないし、これが二桁、三桁の数字になると、数字を見ただけで全面拒否、もう足し算をする気にもならないし、個人的な体験からは軽い頭痛を催した。
この生体反応ってやつ、脳細胞とはつながらない脊椎反応だけは、確信できるのだ。

2007/01/21

◇息を吹き返してあたふたしてしまうよなぁ

にしても、生死の境を彷徨うような手術といわれ、ならば、そんな大手術から生還したのなら、神の啓示を受けたとか・・・それくらいのことはあって、その「前」と「後」とでは何かが変った、変わらなければならないとも思い込んでいたようだ。何も変わる必要はないし、そもそも手術(麻酔)そのものを覚えていないのに・・・と、いま首をひねりつつ、反省を重ねている。

歳を重ねてからの体験は人さまざまだし、それも色々あって、愉快で、楽しく、快感が湧いてくるような体験ばかりではない。できれば体験したくない、遭遇したくない、忘れたままでいたいものも少なくない。
三途の川の渡し場から戻るなんて、その際たるものではないか。いっそ一気に渡ってもらいたかった、と実は瞬間思ったが、当然、口には出来なかった。倫理観がまだ微かに生きていたわけだ。

いまもそうだが、その『前』も、国家ニートのカメにはやらなければならないことはないし、いまさらやりたいこともないし、やり残したこともないし・・・、で、身辺整理は着々と進めていたし・・・、そう、何か食いたいもの、飲んでみたいものもないし、見たいものもないし、行きたい所もないし・・・。
振り返ってみれば、できたら世間の風、世間の空気から一刻も早く遮断され、息を止めて楽になりたいと日々過ごしていた気がする。
それが、あれよあれよという間に、息を吹き返してしまったのだから・・・、あたふたしてしまうよなぁ。

2007/01/20

◇『選別』はもう避けて通れない道・・・

にしても、苦渋の表情を隠しつつ、人道・人権主義を唱えながら、間もなく人類は滅びる気がしてきた。
介護制度が機能し始めたからなのか、カメが入院したからなのか、昼間街に出かけて車椅子のお年寄りを見かけることが多くなった。自分のことを棚に上げて・・・カメはその高齢者の一挙手一投足には目蓋が篤くなる。
一体、何をしたいの、何をしようとしているのか・・・さっぱり見当もつかず、歯がゆく、もどかしい。
介護者とのコミュニケーションも取れていない。全ての動作がゆっくりしていてスローだ。それでも、久々に外の空気に触れた肌や筋肉が張り詰めているのは伝わってくる・・・。生きることへの執念は凄まじい。鬼気迫るものがある。もう、脳細胞が正常に機能していなくても、脊椎反応だけは敏感、強固になっているようだ。
介護者の目に映る車椅子に座る方々はモノであって、ヒトではなさそうだ。ヒトとしての意思はない。あっても、それは介護者に伝えられない。車椅子に座って、目は虚ろ、車の揺れに身を委ねているだけといった方々が圧倒的に多そうだ。こうした介護も全てがビジネスの対象としてしか扱われていない。
そんな光景を目にする度に、カメはそんなにまでして必死に生きるよりも、もう『お先に』と棺桶に入ってしまった方がいいんじゃないの・・・と秘かに思う。少子高齢化のこれからは、世のため、人のためになる方々をもっと救える施策を前向きに取り組むべきではないかと思う。

『選別』はもう避けては通れない道なのではないか・・・。人権とか、人道主義とかにいつまでもとらわれていては、そのうち地球上の人類は共倒れだ。この40~50年の世の流れに身を任せている野次馬のカメにはそう見える。それを見ていると、だから、みんなわかっていながら、言いだしっぺの役は買って出ず、どうやら、暗黙の了解の下にその方向に進んでいるようなのだ。
人道・人権主義を唱えて、苦渋を噛み締めつつ人類は滅びる・・・って、か。

2007/01/19

◇供給が需要を喚起する・・・福祉国家

にしても、三途の川から戻ってきたばかりに、人の命の何たるかをちょっと考えさせられた。何処かで、誰かに選別されたような気がしてならないのだ。
カメの場合、ほぼ身辺整理は済んで、いつお迎えが来ても、そのまま着いて行けるような状況にあった。それこそ、案内図でもいただければ一人で先に行って渡し場で待っていてもいいのだ。
そんな、心身ともに準備万端のカメが戻されてしまったのは何故? なのか。
この世でのお務めをまだ果たし終えていないとか、せいぜいその程度しか思い浮かばないのだが・・・。
先ごろ、軽い脳梗塞と診断された平沼赳夫元経産相(67)の無念さを思うと、お気の毒でならない。平沼氏とは60歳代というだけで個人的な関係は何もないが、それこそ、脳細胞の総取っ替えは無理にしても、平沼氏の悲願を叶える一助ぐらいは出来るかもしれない。
何より、カメはもう勝手ながら人生50年で終えていますから・・・、必要な細胞、使える細胞があればお使いくださいと思う。臓器移植法のようにがんじがらめにされては、実際の運用は難しい。それこそNetオークションにでもかけるほどの気楽なシステムになれば、人の命の軽重に応じたさまざまなランキングも作成可能になるのではないか。

こちとら、カメはこれからも、ずっと飲んで食って寝てだけの生活を続けられるわけで、天下公認の国家ニート、穀潰しだ。ボランティアとか、社会貢献なんていう高邁な理想なんて、頭ではわかっていても、実際にはそんな奉仕の精神は持ち合わせていないし・・・。
そのくせ、他人に面倒を見られるのは好きで、好きで・・・大好きだ。一度でもそうしたサービスを受けてしまうと、もっと、もっと・・・となる。
まさに、供給が需要を喚起する・・・のが福祉国家の鉄則だ。

2007/01/18

◇何より気楽に、ぼんやり、気侭に過ごす

にしても、何もしない、何もしなくていい環境というのは、最高だ。何より気楽でいい。有り難いこと、と素直に感謝できる。
幸いなことに、そんな環境にいられることに後ろめたさなども感じない。まして、当然だ・・・などと傲岸不遜に構えるほどの器でもない。

日々、ただ、ただ、有り難くも、ラッキー・・・と息を続けている。朝起きて、3度の食事をして寝て・・・のゆっくり、ゆっくりしたリズムが何とも居心地がいい。

この環境をちょっと振り返ってみると、カメは本ブログを立ち上げたころから、その環境にこだわっていたようだ。実は、クモ膜下で倒れる前と後で、その価値観に変化が感じられない。それどころか、三途の川端で見聞した体験がそうした価値観を裏付けしているようだ。

何もしない、しなくてもいい一日が大好き・・・、何より気楽でいい、有り難いこととぼんやり、気侭に過ごすカメなのだが・・・、「幸運にも生き返って、よかった」とお見舞いいただくことが多い。当然の文脈なのだろうが、カメは気恥ずかしくてならない。「前」も「後」も何も変わっていないし、何も変える気もない、変えようもない・・・のだから。

2007/01/17

◇軽い脳梗塞では『政治家』引退は必至?

にしても、政治家・平沼赳夫氏はやはり『政治家』の看板を気の毒ながら下ろさざるを得ないだろう。軽い脳梗塞だそうだ。
昨夕、後援会幹部が地元の岡山県津山市内で記者会見して病状を説明、3月末までは治療やリハビリに専念するという。
会見によると、平沼氏は昨年12月6日、自民党に復党した郵政造反組議員らと東京都内で懇談会を開き、席上体調を崩してそのまま入院した。小脳の右側の梗塞と診断され、現在、声がかすれ、後遺症のため歩行に支障があり移動には車椅子を使用しているという。また、食べ物を飲み込むことができないため、点滴で栄養補給を受けていることも明らかにした。さらに、「頭脳は明せきで、家族や私とのジョークのやり取りもでき、主治医は『順調に回復している』と語っている」とも明かしたそうだ。
この内容をそのまま受け取っても、春先から政治家として活動を再開するのはちょっとハード過ぎると感じてしまう。
この時期、こうした会見をせざるを得ないのも魑魅魍魎が跋扈する永田町ならではだし、平沼氏自身と後援会などの再起に賭ける心意気、思惑はうかがえる。
脳梗塞とされた平沼氏にどんな治療が施されたのかは不明だが、カメの体験からすると脳細胞は完全に元には戻らない気がしている。
先日も拙ブログに投稿したが、脳細胞を使う、記憶をたどる、抽象的思考ができない・・・、ひと言でいえば「考える」ことが面倒臭く、集中できない。といって、脊椎反応だけは、確信できるのだ。
平沼氏の無念さを想うと、カメなどは言葉がない。

2007/01/16

◇気になる平沼赳夫元経産相の重病説・・・

にしても、生き馬の目を抜く永田町への関心ではなく、あくまでも病気への関心から平沼赳夫元経産相(67)の重病説は気になる。
なんせカメより4歳年上の60歳代という程度で、他に平沼氏との共通項は何もない。ただ、Webの断片的な情報をまとめると、カメが入院していたのと同じ時期に平沼氏も同様の病気で入院していたのではないか。
「平沼氏が倒れたのは昨年12月上旬」「新幹線の中らしい」「脳梗塞のようだ」「入院していたのはK病院か」といったもの。地元・岡山では「重い肺炎」「言葉はしっかりしているが歩行が困難」との情報も流れているそうだ。
幸い、カメは暮れの仕事納めの日に何事もなかったように独り退院した。一方の平沼氏が年末年始に地元などで予定されていた数多くの会合を欠席しては重病説が流れても止むを得まい。
今日午後には、平沼氏の後援会幹部が地元の岡山県津山市で記者会見し、詳しい病状を説明するそうだが、平沼氏に近い関係者は「命に別条はないが、政界復帰にはかなり時間がかかる」としている。
人の生き死にの現場を微かに垣間見てきたカメの目には死の現場も生の現場と変わらず、裸で顎を引き両膝を抱え羊水に浸っているように見えたような気がした。
カメの略歴を書けば多分1~2行もあれば十分だろうが、平沼氏の場合なら単行本で何冊になるのか・・・なんてことが、ふと脳裏に浮かんだ。

2007/01/15

◇図らずも“結果的な禁煙”が続いて・・・

にしても、なぜ煙草は何時でも何処でも、ありとあらゆる場面で悪玉にされてしまうのか・・・。愛煙家として過ごしてきたカメには不思議でならないし、理不尽だと思う。ひょっとして、社会の苛められっ子役を担わされているのかもしれないとも・・・。
カメは一日、ショートピース20~30本余で推移していたのだが、今回の入院によって、図らずも“結果的な禁煙”が続いて、よくぞ・・・と本人が一番驚いている。
これは、朝昼晩と三食摂取の効果かと・・・。一日を通して、腹が減らない。振り返れば、空腹時に喫煙することが多かったような気がする。あと、独りでいるので、誰かに誘発されることもなく、背中を押されることもないからかな、とも・・・。
この“結果的な禁煙”があと何日続くのか、個人的な関心事にはなっている。
いまは、日に3~4回は無意識に煙草を探しているが、直ぐに気がついて、それ以上の、次の行動には移っていない。でも、それだけでも煙草の上品な芳香が鼻孔に懐かしく蘇ってきて、それで満足している。
なんせ、喫煙が悪いとはとても信じられないし、ここまで喫煙を吸いながら生きてきて、喫煙が悪いとされるのは「何故だ!」との思いも募る。そういえば、その煙を吸わされる周りの人の健康に悪いという。煙草に対するゆえなき苛めだろう。

2007/01/14

◇限りなくヒトに近い生物で、決してヒトではない

にしても、脳外科病床のベッドに寝ているとほとんど脳細胞を使わなくてもいいため、脊椎反射のみで生きている感覚だけは敏感になってくる。
ベッドにいると、脳細胞のほとんどが休息していることがわかる。全てはデジタル反応で、二者択一の選択肢にならないと脳細胞を刺戟しない。
将棋に例えれば「次の一手」の本当に次の一手だけで、三手先までは読んでいない。次の一手に対する相手の手も考えなければ、ましてその次の一手にまで想いが至らない。それをやろうとすると目茶目茶疲れるし、そう思うだけで面倒臭い。脳皮が突っ張り、脳の中にズシズシといったノイズというか、軋みを生じるのだ。
つまり、脊椎反射だけの生物というわけで、この状態では限りなくヒトに近い生物であって、決してヒトではない。
そんな脳の状態のまま、ボーっとテレビの画面を眺めていたら、前東京都知事の青島幸男さんが都内の病院で逝ったそうだ。74歳。青島さんは11月初旬、自宅で転倒し、頭部を強打。救急車で運ばれ、8針を縫った。その際、骨髄異形成症候群と診断され、入院。積極的な延命処置はしなかったという。
放送作家としてバラエティー番組「シャボン玉ホリデー」を手掛け、「意地悪ばあさん」では主演俳優、「人間万事塞翁が丙馬」で直木賞を受賞。また、参院議員として庶民の目線での政治を訴えるなど、昭和期を代表するまさに「マルチ人間」。
実は・・・当然ほとんど知られていないが、青島さんはカメと同じ高校の同窓生で、その中でも数少ない著名人・・・、カメは秘かにずっとそのマルチぶりに驚嘆し敬愛の念を抱いていたものだ。
とはいえ、テレビの画面で繰り返される青島さんの業績を見ていると、人の生き様、死に様は本人自身の評価、感想とは無縁のもの・・・。カメにとっては、いまでも「青島ダァ~」と顎を突き出しているような気がした。

2007/01/13

◇命の値段・・・100万円也は高いか、安いか

にしても、命の値段・・・100万円也は高いのか、安いのか。

銭湯から裸で救急車で運び込まれ、くも膜下出血の手術を受けたカメの場合・・・。余病を併発したわけでもなく、後遺症が発症したわけでもなく、多分、標準価格だったのではないか、と思う。
その価格は手術、入院(25日間)費の合計で約300万円。国民健康保険の適用(3割負担)を受け、退院時に100万余円を支払ったのだが、これが高いのか、安いのか? 何とも難しく、悩ましい。

命の値段・・・、事故の補償の際の逸失利益や生涯賃金などとは違い、直接、命を生で取り扱う価格だ。が、医者にとって値段は関係なく、現代医学の最先端技術を駆使して患者の延命策に奮闘するのが脳外科医だ。

ある日突然・・・の状態で、そんな患者が次から次から運び込まれているのが実状のようだ。特に、高齢者の生き様、死に様・・・は千差万別で、それこそ他人が口出しできるものでもない。そのレベル、温度差は実に人様々、何ともいいようがない。

昨年秋、カメは脊椎反射のみで生きている・・・と拙ブログに投稿した(06/10/7)。某氏のWebサイト「脳年齢チェック」体験で、「脳がかなり腐敗しています。もはや脊椎反射のみで生きているといっても過言ではありません。全てにおいて欲望のままに自由に生きている。」と解説されてしまった。
まさに、的中である。今風に国家ニートと称してみても、その実態は昔ながらの穀潰しだ。なのに、いまの時代、この歳になると、それを社会が容認し、サポートしてくれる。
これが、社会保障制度の充実なのだろう。脳外科病床での短期間の体験から見ても、これからは高齢者が1人生活するために最低でも1人の介護人が必要になるだろうと感じた。

三途の川から戻されてしまったカメなど、まだまだ穀潰しをしていいよとお墨付きを頂いたような気もしている。
こんなことを続けていて、この国は今後何年、立ち行くのか。みんな、わかっていながら、誰もまっとうに見ようとはしないし、発言しようともしない。
生きるべきか、死ぬべきか、その決断は医者個人に出来ないのは当然だが、当の患者本人には可能となるようなマニュアルを制度化しておくことはできるし、どこかでそうした線を引く政治的決断力がいま求められている。

2007/01/12

◇複雑怪奇、魑魅魍魎が跋扈する世界を垣間見る

にしても、脳外科病床で高齢者の生き様を微かながらに垣間見て、何ともいいようのない複雑怪奇、魑魅魍魎が跋扈する世界に目眩を感じ、このままでは圧死しかねないと一時は体が強張ったものの、直ぐにその世界からは目をそらし、その状態が依然として続いている。
50歳を超した男たちが救急車で運ばれてきて、脳外科の手術を受ければ、その結果について、その評価は本人も含め立場立場によって千差万別・・・まるっきり違ってくるだろうし、カメは他人様のことまで詮索しようとは思わないし、そんな余裕もない。でも、一人ひとりの命の重さは感じさせられる。

カメは麻酔から覚めて、くも膜下の手術を受け成功したと知らされ、ぼんやりとだが、自分の深層の血流の流れを感じ、生命力の紅い灯が灯るのを瞬間的に実感し助かったんだと思うとともに、このまま死んでいてもよかったんだとも・・・。命の不思議、命の神秘を感じさせられた。

4人部屋のカメの場合、同部屋の中でカメの症状が一番軽かった。それは、後遺症がまったく見られず、トイレも独りで用を済ませられたからだ。ことほど左様に、介護とはその程度の差でも大きな違いになってくる。
同室者の様子をうかがっていても、それぞれ個人的なバックグラウンドはわからない。推測では現役で仕事をしているのは50歳代の1人だけ。カメを含め他の3人は国家ニートにしかみえない。

2007/01/11

◇三途の川から戻されました

にしても、一ヵ月余りのご無沙汰となりました。
実は、この間、突然の病魔に襲われ、三途の川の渡し場まで行ったものの、乗車券を持っていないとかで、あっさり戻されてまいりました。

いや、はや、何と申したものやら・・・、ただただ、恐縮・・・お恥ずかしい限りで御座います。

12月3日の昼下がり、蒲田の銭湯で突然倒れ、そのまま救急車で病院に運ばれ入院、検査、手術・・・。病名はくも膜下出血で、動脈瘤にクリッピング手術を施し、成功。後遺症はなし。
手術は全身麻酔で、一週間ほどは個室で夢見心地。ここはどこ、私は誰???状態。状況が飲み込めるようになったのは二週間ほど経ってから・・・。
で、あとは、3度の食事と薬の規則正しい生活を続け、12月28日に退院。主治医からの注意は、禁煙だけ。入浴とか食事など他のことに関する注意事項はなし。
年明け5日にCTスキャンを撮って再度診察してもらいましたが、異常なし・・・とのこと。あとは、投薬だけで、次回の診察は2月2日、以後、診察間隔を空けていくそうです。

一ヶ月の入院生活からのリハビリにはまだ時間がかかりそうです。なんせ、すぐ疲れます。また、結果的に禁煙状態が続いていますが、まだ吸う気が起きてきません。このあたりが、回復度の目安でしょうか?