2006/12/03

◆拾い物だった「ALWAYS 3丁目の夕陽」

にしても、思いがけず良く出来た、いい映画だった。4chの金曜ロードショーで何気なく見た「ALWAYS 3丁目の夕陽」。拾い物だった。いつも夕食後にテレビで見る映画はほとんど途中でゴロンと寝てしまうのだが、しっかり見終えた。
カメが中学時代の昭和33年、東京・下町の庶民の生活と風景を再現してちょっと懐かしくはあったが、山の手育ちのカメの記憶からはほとんど消えている。都電も確かに走っていたが、その風景は覚えていないのだ。東京タワーは見えなかった。駄菓子屋で買い食いしたこともない。一体、カメは何をしていたのか。石原慎太郎が太陽の季節で芥川賞を受賞したことだけは記憶にあるのだが、他の記憶はすっかり飛んでいる。
予備知識なしに観たのだが、まぁ、旧いアルバムを眺めている感じだった。日本人が大好きなよくある人情話で、子役が何より良かったし、大人が食われていた。薬師丸ひろ子は母親役になっていたが、幾つになったのか、相変わらず可愛く、嬉しかった。ただ、集団就職で上京してきた堀北真希の容姿は貧しい時代背景とちょっと違和感があった。
また、ビッグコミックオリジナルの連載漫画「三丁目の夕日(西岸良平)」が原作とも知らなかった。何とも、情けない次第なのだが、もう30年ほど前から漫画のパワーを認識していたカメには、なるほどと納得できた。
邦画でも、これだけの作品を作れるんだ・・・と、世知に疎くなったカメはいたく感心しながらも、ロスタイムの長さについ溜め息がでた。

2006/12/02

◆慌てず、焦らず、急がず・・・がカメの流行語大賞

にしても、慌てず、焦らず、急がず・・・の方がカメの06年流行語大賞にずっと相応しい。昨日発表された恒例の流行語大賞のトップテンと大賞を見て、そう思った。
トップテンのうち「たらこ・たらこ・たらこ」「脳トレ」「ミクシィ」「メタボリックシンドローム(メタボ)」の4つは、恥ずかしながら聞いたことがなかった。脳トレだけは、聞いたことがあるような、イメージはできるが、その内容をきちんと捉えてはいなかったし、そんなに流行しているとの認識もなかった。アァ~、なんとも・・・。
イナバウアー(荒川静香)なんて、とても大賞に該当するとも思えない。マスコミで散々繰り返されただけで、首をひねってしまう。カメの耳は右から左に抜けていっただけだ。何より、言葉に新しい内容が何もない。トリノオリンピックの金メダルフィーバーの象徴なのだろうが・・・。
エロカッコイイ、エロカワイイ(倖田來未)は、カメの秘かなお気に入りだ。あの未成熟なエロサは下手なアダルト物などより役立ちそうで、一枚ぐらい買ってみようかと思いつつ、なんせレコード店などには足を踏み入れたことがないので二の足を踏み、いまだに手に入れていないが・・・。カメが流行語大賞の審査員だったら、間違いなく一票を投じていた。
シンジラレナ~イ(トレイ・ヒルマン)とハンカチ王子(斎藤佑樹)の2つは、いかにも流行語大賞らしくて、カメにもしっくりくる。居酒屋などでも口にしたくなる言葉だ。
あと、品格(藤原正彦)と格差社会(山田昌弘)の2つは、はてさて、元々ある言葉で、とても今年流行したとは、ねぇ・・・。数合わせ、苦し紛れに選定したとしか思えなかった。
やっぱり、繰り返しになるが、慌てず、焦らず、急がず・・・の3原則がカメの胸には最もズシンと響く。

2006/12/01

◆「1日は長いが、1年は早い」とはカメの箴言

にしても、はや12月・・・、時の流れは何とも速い。齢を重ねるごとにそのスピードは加速される。
かつて、仕事中に何気なく「1日は長いが、1年は早い」と呟き、耳にした同僚から「そうなんだよなぁ、箴言だな」といたく感心されたことがある。
当時はどうということのない仕事で、ただ待ち時間がやたら長い深夜勤務が続いていて、それは偽りのない実感だった。

光陰矢のごとし、ともいわれるが、時間の長さは時計の刻む物理的時間と、メンタルな時間の2つの時間がある。
子供のころ、早く大人になりたいと思っているときの時間は途方もなく長いが、いざ大人になってしまうと時間の経過はあっという間になる。これは、心理学的にいえば、外界からの刺激量の多寡によるものだ。
子供のころは、見るもの聞くもの全てが新鮮で、常に脳細胞が刺激されているのだが、歳を取るとともに外界の刺激は徐々に薄らいでいく。何だ、またか・・・となって、脳細胞は初体験の時のようには反応しなくなるし、さらに歳を経るとそうした外界の刺激にめったに反応しなくなってくる。
例えば、昨日の食事のメニューを思い出せるかどうか・・・。カメなどは思い出そうとしても、まったく覚えていない。加齢によるいわば脳障害の症状で、困ったことだが、生活に支障はない。
最近、体験したのが時空を駆ける、時空を飛ぶ感覚だ。先日の本ブログで報告したが、脳の時間軸がすっぽり抜け落ちる感覚で、ちょっとした快感だった。
1カ月ぶりで顔を出した居酒屋でも、何か昨日ものぞいたような気がすることがある。物理的な時間は1カ月のご無沙汰であっても、心理的には昨日もこうして女将の顔を見てビールを飲んだばかりのような気がする。女将にしてみれば、もっと頻繁に顔を出してよ・・・となるのだが、カメは毎日来ているはずなのにと勝手に思う。
今春、親父の23回忌をやったが、えっ、もう23年も経ったのかと、その長い時間の経過には思い至らない。もし、親父が亡くなったときに子供が生まれていれば、もう成人式も終わっているわけなのだが・・・。
人生50年、夢幻の如くなり・・・と、以降はロスタイムと決め込んでいるカメは、その物理的時間と心理的時間の乖離に唖然とするばかりだ。