2010/05/13

◎鳩山首相の言葉は天気予報と同じ・・・


にしても、ノー天気仲間と勝手に思い込んでいた鳩山由紀夫首相の言動、もはや歯止めがかからないようだ。13日朝、首相公邸前のぶら下がりで米軍普天間飛行場の移設問題に関し、こう語った。「5月末の期限を作ったので、国民との約束の中でできる限りのことはするが・・・、6月以降も詰める必要があるところがあれば努力する」と、自ら公言してきた「5月末決着」は困難との見方を 表明すると同時に、6月以降も首相として自ら交渉を継続する意思を示したそうだ。
簡単にいえば、5月末までの決着を断念し、6月以降も交渉する、ということだろう。ということは、みんなそう思っていたことで、取り立てて驚くに値しないともいえるのだが、日米首脳会談 で「トラスト・ミー」といった相手はオバマ米大統領であるだけに何ともマンガチック。でも、そんな言葉の重大さは多分忘れてしまっているに違いない。でなければ、こうもスラスラそんな言葉を吐けるはずもない。単純にノー天気仲間と思い込んでいたカメとは、やはり雲泥の差を感じてしまう。
まず、キッチンハートのカメに対して、首相の心臓は図太く、鋼鉄製のようだ。また、恥ずかしがりのカメと違い、羞恥心も希薄。何より、生まれも育ちも違いすぎる。この差は、どうしようもなく大きい。違いすぎるよ、な。幼少のころから、金も使わず、気も使わずに、全ては他人任せで成人したに違いないし、思い通りにならなければ、「どうして」と誰かに聞けば、その通りになったのだろう。カメは、これまで、そんなオーラが漂う何人かは、身近で見たことがあるが、首相の比ではない。
首相になったあと、某氏がテレビで、首相の言葉、思考方法は、気象予報士と同じだと評していた。天気予報である。天気予報は、その時々で、変る。変って当然なのだ。時に、あらぬ方向に低気圧が現れ、天気が急変する。それでも、予報は予報だ。変化するのは想定の範囲内だ。その範囲が地球規模だから、予報の変更などは自由自在だ。かつて、天気予報の専門官に「天気予報って、競馬の予想と同じじゃないですか」と聞いたことがある。その予報官は一瞬口ごもった後、こういった。「天気予報で、大穴はありません。外れても、学問的に何故外れたか、説明できます。それが天気予報で、競馬の予想との違い・・・」と。
「5月末までの決着」を目指していたら、上空に寒気が流れ込んできて・・・、6月以降の交渉もやむなし、とそんなところで「なにか?」とは鳩山首相・・・というわけ、か。