2006/09/18

◆ぼーっとするのは趣味?仕事?


にしても、そう・・・、カメは何もしなくても案外と退屈しないタイプや。
ぼーっとしているのも好きだし、それだけでいい。なにかしなければという思いは希薄だし、ぼーっとするのも何かしているうちの一つなのだろう。
趣味は?とか、趣味がないからとか、不安視する向きが多いが、取り立てていうほどの趣味はない。
第一、趣味っていうやつは金がかかるじゃないか。ブランドを云々するし、当然ステイタスになる。ぼーっとするのに金はいらない。好きなわけだ。
バンコクはバックパッカーのメッカであるカオサンのゲストハウスに滞在中、一泊250BT(750円)の部屋が気に入り、部屋代を3日分前払いしようとしたら、スタッフの女性は怪訝そうな表情になり、「あなたは何をしたいのか」と聞かれたものだ。
そもそもこうした安宿に長期滞在する輩は少なく、結果として長居したとしても宿賃は日払いで何日分も前払いする輩はいないようだ。
で、彼女に「散歩している」と答え、またまた驚かれてしまったのだった。
タイ人こそ日陰でぼんやり、ぼーっとしているのが大好きと聞いていたのだが…、街でそうした姿はほとんど見かけなかった。ただ、屋台で店開きして売る気があるのかないのか、ぼーっとしている奴はよく見かけたが…。
ぼーっとしたり、ゴロゴロしたり・・・という様は怠惰そのものにみえるし、その通りなのだが、それが可能な環境が必要になる。
何より、陽気がよくなくてはならない。気温25℃以上、日本でいう夏日、Tシャツ一枚で終日過ごせるようでなくてはならない。
じっとしていても汗ばんでくるようでなければ、そうはいかない。 ひゅーひゅーと風が吹いたり、しとしとと雨が降ったりでは、とてもぼ?とはしていられないのは当然だ。
バンコクでは、大規模なショッピングモールの出入り口に用意してある灰皿の横で地べた座りしてぼんやりしていると、あっという間に時間は過ぎていったものだ。
それでいいんじゃないの、と思うのだが・・・。
(2006.07.16)

◆黄泉の国・・・バンコク!!!

にしても、あとは死ぬだけ。
やりたいことは、なし。
やらなければならないこともなし。
思い残すこともなし。
人生50年、夢幻の如くなり・・・や。
死んでしまえば、それでお終い。
にしても、ロスタイムが長過ぎる、よ。

あとは野となれ、山となれ・・・、バンコク・・・か。
(2006.07.10)

◆マイペンライの精神・・・

にしても、マイペンライの精神には共鳴した。
明日は明日の風が吹く・・・宵越しの金は持たない・・・それでも食える風土・・・陽気がいいからなぁ。年間通してTシャツ一枚で過ごせるもん、ね。 たまらないよ。
それに、陽気のせいだと思うが、上昇思考が湧いてこない。 贅沢って、なに? なんだよなぁ。
限りなく、野生動物に近い生き方・・・それに疑問を感じない。腹が減らなきゃOK・・・それ以上、何を望むのか? 
あとはゴロゴロして、寝て、遊んで、食って・・・その三つの欲求が満たされていれば、あと、他のことは関心の外・・・というわけ。
気楽が何より。それ以上の欲望とか野心といった社会的な欲望とは無縁、無関心。 これって、バックパッカーの生き様と共通すると思うのだが・・・・いかが?
バックパッカーの中にはセコク、セコク毎日財布の中身を気にしながら、相談しながら、過ごしている方もおられるでしょうが、そうした方は早くバッグを置いて、足を洗った方がいいと思うのですが・・・
                                    (2006.06.28)

◆面白かった・・・バンコクでの哲学体験


にしても、5月のバンコクでは大分哲学できた。
なぜ、バックパッカーな暮らしを選択したのか。難しい話ではない。単に、選択肢がなかったから。 国家からの月々のお手当てが10万円。これだけでどうやって暮らしていけばいいのか。答えは簡単だった。10万円で暮らせる環境に身を置けばいい。それだけのことだ。
確かめに訪泰したバンコクはその点、思った通りピッタリの環境だった。
悩むことは元々嫌いだ。悩んで、いい結果が出るのなら、それもいいだろうが・・・。世の中、悩んでどうにもならないことのほうが圧倒的に多い。悩めば、悩んだで、それはストレスとなって蓄積される。中には、悩むことが趣味、楽しんでいるとしか思えないタイプもいるが・・・。カメは、そんなのはご免だ。
これまで、直感だけで判断し? 正確にいえば、体、肉体的な素直な反応に従ってきた。
川の流れであり、川の流れに逆らうほどの気力も体力も、知力も持ち合わせていない。
好き嫌いだけが判断基準ともいえる。好きなもの、ことには体が単純に反応する。快感でもある。
心身の快感に勝るものはない。 生体には拒絶反応が備わっていて、不快なこと、不快なものに対しては敏感に反応する。それこそ、体内に異物が混入すれば排除する。生死に関わるから当然なのだ。生体反応は素早い、瞬時である。
だから、生まれながらにして、どうにもならないことは、そのまま無視するか、そのままどうしようもないと受け入れてきた。 でも、どうにもならないことをあれこれ考えるのが哲学かもしれない。
これも、バンコクで体験してみて、ちょっと面白かった。
(2006.06.21)

◆バックパッカーな暮らしの真髄・・・


にしても、バックパッカーな暮らしは「最高」だ。
バックパッカーはホームレスと一緒じゃないかとみる向きもあろうが、ちょっと違う。
どこが違うかといえば、どこだろう? 実態はバックパッカーもホームレスも、同じといってしまえば、はい、それまぁ?でヨなのだが・・・。
メンタル面の違いだろうか。積極的か、消極的か・・・。
にしても、社会からドロップアウトしている。これは逃避で、いずれも変わりはない。
バックパッカーの中には、積極的に学問、研究などの手段として積極的に取り組んでいる方も少なくないし、社会勉強の一環としている若者も多いことも確かだ。
カメの場合は生活のためだ。豊饒の国では食えない。
全てに金がかかりすぎるのだ。これでは、ホームレスと変わらないだろう。
ただ、日本は寒い。寒いのは苦手だ。寒いと、何だかんだと、つい考えてしまう。陽気が暖かいと、何も考えなくてもいい。明日のことも、明後日のことも、まして1年後のことなど・・・。
いまだけ、いまだけしかない。それこそ、いま体を横たえてゴロゴロしていてもいい。多分、明日も同じことをしているだろうし、それはできる、それがバックパッカーな暮らしの真髄だ。
カメの人生訓は、川の流れに身を任せる・・・だ。 それで、ずっとこれまで流れ流れて来た。いま、一人暮らしで、金なし、家族なし、余命なし、夢もなし・・・ないないづくし。あとは死ぬだけ。
強いて夢を探すと、浮上するのは中出し・・・か。
といって、種なし、中折れでは、これはまた、夢のまた夢。
いま、肩に背負おうのはバックパックだけのバックパッカーな暮らしは、カメにとっては「最高!」なのです。
                                       (2006.06.15)

◆バックパッカーは最高の快楽・・・

にしても、バックパッカーって最高の快楽、快感のような気がする。
バックパッカーは、まだバンコクでの2週間の体験しかないが、バックパッカーはカメの生きざま、お肉の周波数とピッタリ合致して、何ともいえぬ満足感とともに充実感に浸れた。
親しい後輩から「バンコクの何がいいの?」と聞かれた時、まだぼんやりとしていたそのメカニズムにハタと膝をたたいた。
バンコクでは言葉が通じない、聞き取れない、タイ文字は読めない、バスに乗っても何処に連れて行かれるのかわからない、行き先を聞かれることがあっても答えられない、何処に行きたいのか、何処に行こうとしているのかも自分でわからない、四六時中、街中に立って「ここは何処?」「私は誰?」状態で過ごしていた。
アイマスクをつけて歩いているようなものだ。視聴覚に襲いかかるあらゆる刺激を全身のお肉で甘受している。 これって、カメにとっては官能の海を彷徨っているのと一緒で、最高の快楽、快感・・・だ。
そこには道徳観も羞恥心もなければ、まして尊厳とか世間の常識や目も存在していない。
日本での日常生活をおくるのとは全く違う。知り合いだって、一人もいない。 全ては自己責任で、そうした世間の煩わしい制約、束縛から解き放たれて、勝手気侭、自由奔放でいいわけだ。
でも、食う、寝る、やる・・・、生物として生きるための3つの本能だけはしっかり機能している。それらがフル活動して、お肉のたまらない快感につながるのだろう。 カメにとってバックパッカーの効能の一つだ。
(2006.06.14)