2006/10/25

◆劣等感からの逃亡・・・とはいい得て妙だ


にしても、バンコク・カオサン通りのバックパッカー暮らしでは哲学させられることが多かった。当時のメモ帳にこうあった。
「そっかぁ、劣等感からの逃亡・・・あたっているかも、ね」「少しでも優越感を感じられる環境に身を委ねようとする・・・これまでの人生そのものの延長線かも」「癒される環境(カオサン通り)、リラクゼーション追及の旅がこれ、逃亡者ともいうか・・・」
カオサン通りは、バックパッカーのメッカといわれ、世界中から若者を中心に集まってくる国際色豊かな街だ。ゲストハウスと呼ばれる宿(合宿所のイメージ)は一泊80BT(240円)からある。食事は一食50BT(150円)程度で済ませられる。
この街をブラブラしていて日本人の姿はほとんど見かけない。欧米、中近東、アジアから来た学生風の若者が多く、中高年はカメと同じで落ちこぼれのように見えてくる。
で、カメはホッとする。癒される構図だ。メモには、こうある・・・
ボケ老人が哲学している。人生の最高最大の目的はリラクゼーション。その環境を求めて川の流れのように巷をさすらい流れて・・・、流れ流れてバンコクまで。黄泉の国と直感してから惚れ込んで・・・。また、いま、その確認、実証の旅に・・・。いいよなぁ。
劣等感からの逃亡・・・とは、それまで気が付かなかったカメの生き様をいい得て妙だ。川の流れに身を委ねてとは以前から感じて公言もしていたが・・・。
例えば、住処を振り返ると、生まれ育ったのが東京都は杉並区、次いで大学時代は京都市、サラリーマンになってからは横浜市、藤沢市・・・といわば山の手でイメージのいい街、いま、東京は下町の蒲田だ。蒲田で暮らしていると、上流の生活を見なくてもすむから落ち着くし、やはりホッとするのだ。
国家ニートになると、蒲田で同じ暮らしを続けていけるようには思えない。で、また流れ流れてたどり着く先がバンコクでのバックパッカー暮らしというわけだ。マイペンライは、リラクゼーションのキーワードにも思えてくる。