2011/03/14

◎未曾有の地震に見舞われ、原発は”安楽死”


にしても、今回の東日本大震災に伴う東電の福島第一原子力発電所での原発事故に関して受け止め方は人さまざまだろうが、原発周辺にいささか関わってきた身には、東電が1号機にホウ素を投入するという決断の報にうろたえ、俄かには信じられなかった。
20年近く前、初めて原発を見学した際、教わった話で、原発にホウ素を投入すれば動かなくなると・・・、いわば、人間なら青酸カリを飲ませるようなもので、原発の安楽死というわけだ。最後の手段として、そんな手があるのなら、なるほど、最後の最後に安全は確保できると思ったものだし、まず、そんなことは起こりえないよなぁと、根拠もなく、”安全神話”を信じ込んでいたのだ。
それが、未曾有の地震に見舞われたとはいえ、多分、原子炉建屋の外に設置された安全対策に不可欠な周辺機器が被災してしまったのだろう、”安全神話”はあっという間に押し流されて、どれほど苦渋の選択、決断となったのか、何とも痛ましく、気の毒でならない。中には、原子力の平和利用の謳い文句の下、原発とともに誇り高く歩んできたこれまでの人生を全否定されるような気持ちになっている方も多いのではないか。
ただ、テレビ報道を見ていて、1号機に続いて3号機、そして多分2号機まで廃炉の道へ送り出す決断を当事者たちが案外、甘く、軽く、責任転嫁しながら、実は最後の選択肢にまで追い込まれていて、気がついたらホウ素を投入していた、なんてことじゃなきゃいいと思うのだが、その決断と並行して、計画停電ときては妙な開き直りとしか見えないのだが・・・。駄々っ子と一緒で、どうにでもしてくれって、わけ?