2015/06/23

◎ノモンハン事件と「浅見短慮」・・・

にしても、先日、本ブログで告白した「浅見短慮」の切っ掛けになった話にやっと決着がついたようで、その経緯を振り返ってみたい。
そもそもの発端は、司馬遼太郎に起因する。もっと長生きして、「坂の上の雲」以降の日本の姿を描いてほしかったのに・・・との思い。「なぜ」とずっと疑問を抱いていたら、今春、テレビの対談番組だったか、司馬の取材旅行にも同行している元文春の半藤一利がその件にちょっと触れ、ノモンハン事件(*)を取材していて嫌になっちゃったようですよと聞いて、奮い立ったのだ。慌ててNetで検索してみたら半藤著の「ノモンハン事件」が見つかり、ならばと、これがまさに浅見短慮なのだが、近所のBOOK-OFF2店で丹念に探したが見つからず、簡単に諦めてしまった。もっとも、たまたま見つけた司馬の「昭和という国家」なるNHK教育テレビでの講演集はゲット、時折眺めつつ、暫くたって、半藤の本は新刊で並んでるんじゃないかと思い至り、文庫の棚を見たらあって、購入したものの厚くて広げず放置している間に、やっとのことで「昭和という国家」を読了。「統帥権」という名の魔法の杖、責任不在の参謀本部、怖ソ病、偏差値といったキーワードによって日ソの戦力を冷静に比較できなくなっていたというお粗末、愚劣な思考、行為に呆れて、司馬は書く気が失せたようだ。
つい先日、NHKスペシャル「沖縄戦 全記録」(06月14日)を視聴していたら、本土決戦で米軍が迫りくる中、首里にある参謀本部の副参謀長が「1人10殺」と島民に檄を飛ばしている様を見て、なるほどと納得した。残っていた武器は竹やりなんだから・・・、司馬さんの胸中を慮ればもう、ねぇ、同時に我が浅学菲才も思い知らされた。

*ノモンハン事件
日本の傀儡(かいらい)国家だった旧満州国(現・中国東北部)と旧ソ連の影響下にあったモンゴル人民共和国(現モンゴル)の国境紛争。1939年(昭和14年)5月11日に起きた小競り合いがエスカレートした。ソ連側が8月20日に大攻勢を開始し、日本側の退却で9月16日に停戦が成立。死傷者は日本側2万人、ソ連側2万6千人とされ、対米開戦に至る日本の「南進政策」の一因にもなった。紛争を拡大させた関東軍参謀の責任は事実上問われず、中心にいた参謀たちは、太平洋戦争では大本営作戦課の課長や参謀としてガダルカナル作戦やインパール作戦を指導した。(2014-07-08 朝日新聞 朝刊 1社会)

2015/06/09

◎20余年ぶりの健診結果に狼狽る

にしても、「そっかぁ、リセットかぁ」と、声にならない溜息を漏らした。この6日昼前、近所の循環器科・内科医院の診察室でのこと。区の健診結果を医者から告げられ、医師の所見に話が及んだ際、カメの顔は強張っていたかもしれない。
なんせ、人生50年夢幻の如くなりと健診は50歳の時に止め、以来一度も健診は受けていない。9年前、銭湯で倒れて救急車で運ばれクモ膜下出血の手術を受け、1カ月近く入院したことがあり、その際不思議なことに後遺症もなく、何と喫煙習慣が消えていた。まっ「快」「不快」を基準に心身をを管理し、それに痛みに極度に弱いだけに、何度か歯医者で治療を受けた程度で、この間、医者とは無縁に過ごしてきた。
ところが、先月中旬から咳き込むことが多くなり気管支炎と素人診断し、いつものように市販薬を服用しても症状に改善は見られず、そんな時に「年に1回は必ず受診を」と区から「健康診査」(無料)の案内状が届き、ついでに、というか欲を出して両方見てもらう気になって・・・。
受診した時、気管支は最後に医者が胸と背中に聴診器を当てて、「変な音はないですね、薬を出しときます」で終了。ホッとして、何となく深い深い安堵感に包まれたのだった。何か、社会復帰したような気もしたし、里心がでたかとも感じたものだ。検診結果も、そんな塩梅ならいいなと微かに期待していた。ところが、医者は、「悪玉コレステロール値がちょっと高い、163。動脈瘤の可能性もある」「レントゲンは前に撮られた時のがあれば比較できるが」など淡々と説明し、所見として「それぞれ別の病気ですから」と3点挙げた。
1.コレステロール 要治療
2.胸 CT 検査 要予約 東邦医大
3.不整脈  24時間心電図 要予約
「せっかく、検査しようという気になったわけですから、考えておいてください」と医者は即答を求めず、カメにボールを静かに投げてきた。思わず「お任せします」と口に出かかったが、それは押しとどめ、診察室を出た。
さて、はて、なのだが、時間が経つごとに気持ちは揺れ動いた。医者のいう通り、あれこれ検査をしてみるかという気持ちに一時は傾いたが、「ちょっと待て、あとは有料だぜ」との影の声が後押して、結局は今更リセットもないだろうと、健診回避の原点に戻ることにした。そして、万一に際しては、これまで通り成り行き任せにし、痛みに対しては堪らず医者に駆け込むなど対症療法でいくしかないよなぁと、独り言ちた。