2011/06/23

◎久々に朝から晴れ渡り、気分爽快・・・


にしても、人間、お天道様には敵わないよなぁと思い知らされたのが、昨22日の朝からの晴れ間で、チェンマイから帰ってきてから、初めての快晴、何とも爽快・・・、それまでの鬱々とした湿った心身はともにあっという間に晴れ渡ったのだから、現金なもの、お天道サマサマ、だ。日記には、久々朝から晴れ渡り、気分爽快・・・と無意識のうちに記していた。
何せ、チェンマイから帰ってまもなく2週間になるというのに、カメのお肉には全然、力が湧いてこない。パワー消滅!!! 意気消沈、チン・・・、体は骨が抜けたようで、グンニャリ、クラゲ状態。脳細胞も死滅?してしまったかのように、脳内がスカスカで風が吹き抜ける。そんな日が続いて、いつも、まずは、食欲からとは思うものの、朝から腹は減らず、空腹感を感じないまま、夕方までいって、食事を抜いてしまうこともある。その日もやはり、昼のニュースをテレビで見たあと、腹が減ったらどこか途中で食うか、と自転車で大森方面に出かけたものの、結局は空腹感に至らず、何となく、スーパーを2つ、3つグルッと見て回り、何か買うわけでもなく、何か触るわけでもなく、でも、まだ朝からコーヒーを飲んだだけで何も食っていないので、何か食わねば・・・との義務感から、それならと目に触れた看板に触発されて喜多方ラーメンが思い浮かび、軽いからそれにするかと、店に入って腰を下ろしたのはもう16:00過ぎで、それが、ま、一応昼食と相成ったのだが・・・。夜は夜で、午後9時過ぎから優良作品が多い無料エロサイトにアクセスしてダウンロードを始めたものの、カメとしたことが、ちょっと、何度も苦闘、葛藤を重ねた結果、逝かずを選択。勇気あるというか、何というか、カメとしては非常に珍しい選択、ま、それだけ意欲の減退、意欲の喪失ともいえるか・・・と独りゴチていた。ほんと、参ったというか、困ったもんだ。昨日、今日と、お天道様に顔をのぞかせていただき、ひとまずは安心、か。

2011/06/15

◎終日ぼんやり、昼寝は昼食後と夕食後の2回・・・


にしても、毎日自転車でチェンマイ市街を走り回っていた疲れがかなり蓄積していたようで、帰国してこのかた、体を動かすのが億劫で、またムシムシ陽気で何となく気だるく、終日ぼんやりしているうちに、気がつけば毎日、昼寝、それも昼食後と夕食後の2回で、夜は夜でちゃんと寝て、結果、食っちゃ寝、食っちゃ寝ののんべんだらりとした生活習慣のリズムが定着してきている。チェンマイでも、東京でも、特にやらなければならないことはなく、敢ていえば、食うことと寝ることの2つだけなのだが、チェンマイではお肉の筋肉に血が漲り、全身の細胞が生き生き活性化していた気がする。何より、訪泰2日目に決断して安売りで知られるスーパーへ出かけて最安値の自転車を買い、毎日乗り回しては、疲れて当然の暮らし。とうに、自転車の元は取ったろうが、その代償として顔と手の日焼けはやむを得まい。元々、自転車での散策はやる気で、そのために長袖のTシャツを5枚ほど用意、チェンマイではカウボーイハットまで買ったものの、陽射しは強く、日焼け防止の役には立たなかったのだが・・・。東京では、そうしたちょっとした緊張感もたちまちにして失せ、全身の筋肉は弛緩し、脳細胞も活動を休止、そのうち腐臭を発する、そんなマニュアルが完成してしまったようだ。食う、寝るだけなのに、ねぇ。ウフッ。

2011/06/10

◎チェンマイと東京の距離が縮まった・・・


にしても、昨夜10:30pm、タイから羽田に着いて、一夜明けても、何となく大きな変化を感じなくなっていた。これまでなら、海外から帰国したとなればちょっとしたカルチャーショックが生じていたものだが、今回は1ヵ月とはいえ、新橋に行って戻ってきたような感じ、だ。チェンマイが、それほどカメの中では近くなっている。独りチェンマイ暮らしは面白いし、何より楽しい。今回は、何かブログに拘りすぎてしまった気はしているが、ま、なに、これも独り善がりの世界で、自分さえよければいいわけで、これもご愛敬といったところ、か。
実は、1ヵ月間世話になった宿の主人が誰なのかはわからないが、宿のスタッフよりも馴染みになっている、斜め向かい側のランドリーのちょっと太めの女将には、ほぼ一日おきには洗濯物を届けては、受け取るの繰り返し、1kgにつき25バーツ(75円)とは重宝しているし、有り難い、その女将にはチェンマイ人らしくなった、ね・・・といった意味のことをいわれたような気がしている。それは、カメにとっては嬉しい評価だし、自分でも積極的にチェンマイ人になろうとしたし、言葉はチンプンカンプンなのに、苦もなく、スムーズになれたような気がしていた。

何より、衣食住の「食」だ。チェンマイ風とかNORTH THAILANDとかいわれる料理をいや、はや、食った、食った。何せ、チェンマイソーセージ(写真左、クリックして拡大して見て)に象徴されるように、ドバッと味付けが濃くて、やたら、しつこい。これでもか、これでもか、だ。何より、中に何が入ってるのか、何を使ってるのかが、さっぱり見えてこない。食感でコリッとしたかと思うと、グチャッとしたりもする。時々、首を捻りながら、フォークで切り身を差し、赤いタレをつけてまで、口に運ぶのだが、何かわからないが、これがやたら旨い。癖になる。時に、製造現場を見せられたら、食えなくなるかもしれないなと、思ったりもした。
で、一夜明けた東京で、昼は近所のすき家で「牛皿豚汁セット」、夜はマルエツの「具だくさん天重」を食ってみたのだが、日本料理は醤油ばかり使ってねぇ、味がないっていうか、旨くないよなぁ。早くも、チェンマイ料理が懐かしく、恋しい、ヨ。

2011/06/08

◎迂闊!!! カメもカン総理も同じ穴の狢だった・・・


にしても、「死して屍拾う者なし…」のプロフィール画像を本編にアップしてからの2、3日、何故か思考停止に陥ってしまった。阿比留記者のカンカラカン叩きに乗っかったつもりだったのに、ふと、これって自家撞着ではないのかと我に返ったのだが・・・。カンカラカンの喉元狙って投げたつもりのブーメランが、何と我が喉元に戻ってきた感じ。クワバラ、クワバラであり、よくよく考えてみれば、なるほど、カンカラカンも外道のカメも、元をただせば同じ穴の狢かって・・・、それを鋭く指摘した阿比留記者には頭が下がる、よ。
確かに、比べてみれば、ほぼ同世代、片や理系だから少々カメよりも成績は良かったかもしれないが、ラルフネーダーが脚光を浴びている最中に、市川房枝女史の秘書になろうというのは、青雲の志とはとてもいえず、何やら魂胆が透けて見え情けない。それでも、潮流に身を任せながらも、周囲に権力志向の腐臭を撒き散らしながら、気がついたら目標としていた、権力の頂点、総理の椅子に座っていたという次第で、有頂天になり、我を忘れてしまうのも無理はないかもしれない。一方のカメはといえば、ノンポリの無気力、無能学生のまま社会人となり、サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ!!!と転職を重ね、行き着いた先はいまの年金難民、そこで、ひっそりと息をひそめる日々、これも気楽でいいと思っているのだが・・・。で、「首相の恐ろしさは特にやりたいことがない空虚さにある」との阿比留記者のもう一つの指摘は、実に含蓄に富む言い方で、深い意味合いを内包しているように感じ、カンカラカン総理に対して、そうした重厚で意味深い表現は使って欲しくなかったと思う。たとえば、『空虚さ』を『薄らトンカチさ』にするとか・・・。ウフッ。
そんなこんなでも、カンカラカン政権は発足からこの8日で1年を迎え、在職日数では小泉政権の後では最も長かった安倍元首相の366日に並んだそうだ。

2011/06/05

◎「死して屍拾う者なし…」とはオレのことかと総理いい


にしても、とうの昔に世俗を離脱しチェンマイ暮らしを安穏と満喫しているつもりだったのに、何と、何と、この『外道のカメ』が俄かに脚光を浴び、新聞の見出しになっているではないか・・・って、ちと戸惑い、驚き、魂消ている。その見出し・・・「死して屍(しかばね)拾う者なし…」 証明された「誠意なき」首相
外道のカメがプロフィールにUPしている、タンクトップの写真の血文字そのままだ。といって、これ、カメの専売特許でもないが、新聞の見出しに「死して屍(しかばね)拾う者なし…」とは、よくぞである。それも、缶カラ菅とはいえ、時の総理に対してである。まさに、『人としてどうか・・・』なのだ。カメは、総理と同列に論じられたようで、何ともこそばゆくはある。
この見出し、その缶カラ菅総理にとっては憎々しい、産経新聞、 阿比留記者による「政論」だ。その論の中で、「勝海舟は『世の中に無神経ほど強いものはない』とも述べたが、(缶カラ菅)首相の恐ろしさは特にやりたいことがない空虚さにある」「(かつての総理には)政治理念があった。ところが、(缶カラ菅)首相にはそれが全くない。だから国会で法案が通らず政策を実現できなくても、外国首脳にいくら『空手形』を切っても、へっちゃら。ただ、一日でも長く首相の座に居座ることができれば満足なのだ」「人心が離れた指導者の行く末はどうなるのか。国会中継を見つめる私の脳裏に時代劇『大江戸捜査網』のナレーションが流れ続けた」とし、「死して屍(しかばね)拾う者なし、死して屍拾う者なし…」と文末を締めくくったのだ。
おい、おい、こりゃ、外道のカメのことだぜ、時の総理に比し、論じられているようで、何とも恥ずかしい。その上、「首相の恐ろしさは特にやりたいことがない空虚さにある」とは、人間観察のけだし炯眼であろう。こりゃ、ハルマゲドンに通じる怖さだ。そんな、同じ俎上に載せられて、カメがジタバタするのも見苦しい・・・かぁ。大の字になって、マイペンライを決め込むのがよさそうだ。

2011/06/03

◎モノの本質を有りの儘に見たくない日本人・・・


にしても、昨日の内閣不信任案否決の茶番劇は、あまりのお粗末さ、情けなさに「またか」と言葉を失うとともに、タイ・チェンマイで目撃したタバコの警告表示の衝撃が強く甦ってきた。日本人は・・・と、大上段に振り被ってもいいだろう、やはり、日本人はモノの本質を有りの儘に見ようとしない、見たがらない国民性が生まれながらに育まれているようだ。醜ければ見られるようになってから、不利な状況や危機が及ぶ際は言葉をいい換えてそれを薄めて、或いは別物のイメージで伝える。そうしないと、心臓が飛び出しかねない。安心できない。その象徴が「自衛隊」の存在であり、そんな言葉のすり替え術には実に長けている。そして、その齟齬を埋めるためには100万語を費やすことも厭わない。「絶対安全」からスタートした原子力発電にそもそも「防災」なんて言葉は存在し得なかったわけだ。とってつけたように、後からあんなことも、こんなことも・・・では、文字通りの泥縄で、追いつくわけはない。
もはや、市民活動そのままの手法を導入して憚らぬ缶からカンへの危機感がつのるのは当然だが、実はそれも曖昧模糊として判然としない。メルトダウンした釜の底に本気で手を突っ込もうという骨太の将は現れない。与野党とも政局遊びが好きなだけで、それもお遊戯程度、それこそ時局を誰も見極めようとしないし、誰も事態をとことん詰めようとしない。尻軽なまま、結局は右往左往して、烏合の衆と化す。これなら、本質から目を逸らしたまま、傷は浅く、血を見ることもなく、また赤絨毯の上をのうのうと闊歩できる。そんな安穏とした政治活動に慣れ痺れてしまっているのだ。

先日、チェンマイの街角のタバコ店で見かけた販売ケース、思わずぞっとデジカメのシャッターを押していた。な、何なんだ、である。ほんとに、これ、タバコなの、と思った。衝撃のその画像を思い切って、アップする。タバコの警告表示写真版である。警告表示はタバコの包装やタバコ関連商品に表示されている健康に関する警告で、喫煙の危険性を広く知らしめるためのもの。写真入りのタバコ警告表示は既に世界30数ヵ国で展開されていて、最初に採用したのはカナダ(2000年12月)で、 ブラジル、シンガポール、ベネズエラと続き、タイは世界で5番目、2005年の3月に現行の絵入り警告表示を導入、2006年には「 喫煙は肺がんの原因となる」の他、 喫煙は「心臓病の原因」「肺気腫の原因」「麻薬的な依存症」「性的能力を減少」「老化を早める」「死を招く」「あなたの家族や友人に害を及ぼす」「胎児に害を及ぼす」の新たな9種類の警告表示を導入、実施している。

そうしたタバコの包装を見れば、一目瞭然、手にするどころか、見ただけで反吐が出そうになるし、ヘビースモーカーを自認していたカメがいうのも憚られるが、それでもなお吸う喫煙者の気が知れない。さすがに、カメはそうした過剰表現の写真がタバコの実像の全てだとは思わないが、禁煙に効果があるだろうとは感じるし、そうした調査結果も報告されている。
一方、日本の警告表示については財務省が所管し定めていて、例の「喫煙は、あなたにとって肺がんの原因の一つ・・・」の文言のみで、タバコの本質、実像とはかけ離れていて、何とも綺麗なパッケージで恐怖心は湧き上がってこない。日本では多分、それで、何となくバランスが取れているのだろう。危ないものほど美味しいとか面白いとかいう輩もいるし、ほんと、日本人って奴は!!!

2011/06/01

◎明かりが足りない夜は暗く、侘びしいだけ・・・


にしても、気がつけば、はや6月・・・、電力危機で節電、節電、クールビズといった言葉が飛び交う日本を離れてタイはチェンマイで暮らしていると、今日はこれから何を食うかで、当然ながら電力危機なんてどこ吹く風だ。
ただ、先夜乗車した、バンコク18:10発チェンマイ行き(07:45着)寝台特急の車窓からの景色はバンコクの光と陰が交互に現われ印象的だった。寝台特急の座席に座り、車掌がチケットを確認して、パンチを入れたら、スルスルっと定刻に出発進行・・・は、珍しいとか。寝台特急は薄暗い夕暮れ時のバンコクの光と陰の中をゆっくりと進む。

窓から外の景色をのぞくと、線路の中を普通に歩いている買い物帰りの小母さんもいれば、高校生ぐらいの少年もいて、線路脇に家畜舎とも見紛うバラックの住居が連なり・・・、コースは、さながら街中を走る江ノ電風なれど、いかんせん、どうにもならない貧困の格差を見せつけられた。時には、当然ながら、明かりを煌々と照らしている豪邸もある。旅情といっても、景色が貧困格差の図では、それに浸るわけにもいかず、移り変わる景色を黙々見続けているしかない。次の駅で、ボックス席の向かい(上段の寝台)に、体育会系のがっしりした男性が座った。教員か、綴じた厚いコピー用紙の束に目を落として動かない。

車窓の遠くには明かりの点いた高層ビルがポツンポツンと映し出され、並行して走る線路上では幼い女の子が3人しゃがんで、遊んでいるのだろう、何かしている。線路脇の空き地に明かりを煌々とつけた屋台群、やはり、これだけ明かりが豊富だと、貧しさもぶっ飛ぶ、印象・・・。明かりは豊かさなり、豊かさは明かりなりやな、と痛感。日本の現状に思いを馳せ、何せ、一時的にとはいえ、これでもかというほどの豊穣の世を体験したんだから、節電もやむなしかといえば、決してそんなことはない。街が暗くなって良いことは何もない。人の心も気分も暗くなって当然だし、いまや、ウオシュレットに尻を洗ってもらっているんだぜ、このカメは・・・。時間を巻き戻せるはずもないじゃん!!! 寝台特急が出発して30分余りで陽は落ちた。Gジャンに腕を通す。やはり、エアコンがそこそこ効いてきた。駅に止まるたびにお客が乗り込んできて、何だかんだ、けっこうお客はいる。この辺のクラス(2等、エアコン)にしておいて、正解だったかな。外は、完全に真っ暗・・・。また、線路脇に屋台群、今度は明かりが少ない。と、寂れて映る。明かりが煌々としていると、それだけで豊かで、愉しげで、賑やかそうで、人々の哄笑まで聞こえてきそうな気がする。そんな大切な明かりは安心して、思う存分、贅沢に使いまくりたい。節電の掛け声が聞こえてきそうな日本に帰らなければならないとは、何とも憂鬱だ。