2008/04/10

◎“民放第一声”の宇井アナ、孤老の焼死考・・・

にしても、昔の名前で生き続けるのは何とも難しいような気がしている。幸い、カメの場合は昔も今も認知度は低く、問題はないようなのだが、それでも人生50年をひとまず終えた身には、昔の名前が煩わしくなることもある。特に、功成り名遂げた方はそうだろう。その評価たるや、本人、家族、友人、知人、世間との間ではそれぞれに温度差もあり、まことに悩ましいところではあるだろうが・・・。風呂のない4畳半のアパートで独り暮らし84歳焼死・・・をめぐって、そんな気がした。

3月18日午後10時25分ごろ、東京都江戸川区小松川の木造2階建てアパートから出火、約150平方メートルのうち1階の約50平方メートルが焼けた。1階に独りで住んでいた84歳の男性は救出されたが全身やけどで死亡した。アパート(全6戸)は取り壊しを控えて焼死した男性以外に住人はなく、本人も3月末には立ち退く予定だったという。
この焼死事件、発生時に新聞、TVでは報じられなかった。3日後に行われた告別式で、焼死したのが元CBC(中部日本放送)アナウンサーの宇井昇さんとわかってからメディアが取り上げたのだ。
宇井さんは、東京都墨田区生まれ。大蔵省を経て公募で1951年にCBCへ入社し、同年9月1日午前6時半に民放初のラジオ放送で「中部日本放送、JOAR」「皆さん、おはようございます」などと“民放第一声”を発したことで知られる。54年には中日ドラゴンズが初の日本一に輝いた試合の実況を担当するなど活躍、59年にフリーとなり、81年からはリクルートで企業の社員研修を行うトレーナーを務め、02年に退社した。
その後は、東京都江戸川区に住み、出身地の墨田区でボランティア活動を行なう特定非営利活動法人「てーねん・どすこい倶楽部」の理事を務めながら余生を送っていた。
告別式には、ボランティア仲間や同級生ら約40人が集まり、メディアの取材も入った。が、宇井さんの活動拠点は東京・墨田区で、住まいは江戸川区だから、宇井さんは自宅アパート周辺の人々にとっては名もないおじいちゃんでしかなかった。気になって、ちょっと時間をかけてWebを検索してみたが、家族に関する情報には到達できなかった。あぁ~。