2009/08/08

◎女優として生きた大原麗子、孤独死の何が悪い・・・

にしても、孤独死は悪いことなのか、テリー伊藤も吠えていたが、ハスキーボイスの可愛い女、大原麗子の死を巡ってのマスコミの扱い方には憤りを感じずにはいられなかった。
キーワードは一様に「孤独死」で、かつての古き良き時代の価値観に基づくもので、身内もなく、一人ぼっちで・・・可哀相、寂しい、気の毒・・・といった文脈がほとんど。
コレ、勝手な思い込み、世間体というやつで、一人ぼっちは、当の本人にとっては、何の不都合もない。それより、他人に気を使わず、勝手気まま、気楽に過ごしている。それなのに、世間の目には、可哀相、寂しそうと映る。大きなお世話なのに・・・。
象徴的に使われるエピソードが、冬の夜、明かりの点いていない部屋に帰ると寒々として寂しい、温かく迎えてくれる家族がいれば・・・なんていう話だ。でも、そんなことはない。一人の気楽さは、寂しさなんかを消し去る、感じさせないのだが、そんなことは声を大にしていえない雰囲気があるのだ。
最後の最後は誰でも独りっきりになるわけで、それが早いか遅いかだけのこと。核家族化か浸透して、少子高齢化社会が始まっているというのに、孤独死は可哀相といった古い価値観を金科玉条に掲げて報道するマスコミの集中砲火は呆れるばかりだ。
テレビのニュースで、テリー伊藤が、「孤独死のなにが悪い。人間死ぬときはみんな一人。死は人生の旅の途中。たかが死なんです。それよりいかに生きたか。孤独死なんてね、新聞は間抜け!」と怒っているのを見て、溜飲を下げたが、この映像はまもなくお蔵入り?になったのか、目にしない。You Tubeでも探してみたが、引っかかってこなかった。
「寅さん」の会見で彼女は、「最近は遺作だなと思ってやってるの。いつ死んでもいいと。自分らしく自由に生きたい。仕事は限界のない自己闘争。心も体も自由に」といい、さらに、「最期は餓死です。遺書を残さず餓死するのが1番いいんです」とも。
つい、声を潜めてしまうが、カメはカメで、一人暮らしで清々している、っていうか、孤独死やむなし・・・や。
そんなものなのに、日本人、日本人社会の最大、最高の価値観である世間体ってやつは、ままならない。孤独死をなくそうとその対策に奔走する方も多く、ちょっとした市民運動にもなる兆しが紹介されていた。善意の押し売りとしか思えないのだが・・・。