2012/03/10

◎東日本被災の感動語はもういいよなぁ


にしても、チェンマイの宿に落ち着いてみればNHKのBS1が受信できるとのこと、ちょっとした宿側のサービスの一つという向きもいるが、カメにとっては日本語放送よりはインターネットの無料化の方が有り難いのだが・・・。
それでも、何となく日本語が懐かしく、NHKを点けっ放しにしてPCと向き合っていることが多く、まさに「ながらTV」なのだが、東日本被災1年話がやたら多くて辟易、特に気になるのが感傷話と感動物語で、これはもういいよなぁと、ふと、思った。同時に、改めて、やはりあれだけの大災害に見舞われたら、その場で死んでしまうのが正解なんだろうなあと確信した。生き残ってしまった不運、こりゃ半端じゃないよ。好奇の目に晒されて、それも、マスコミの不躾な目、庶民の好奇に満ちた目、いずれも善意に満ち、温かそうに迫ってくるが、その目の奥には面白がり、「蜜の味」を探し求める野次馬が群がっている。さらに、マスコミはおくびにも出さないが、功名心に逸っている。
何時だったか、被災者がTwitterでその日の出来事、揺れ動く気持ちを毎日発信して、多くのサポーターを集めている話が紹介されていたが、その通りで頑張る、頑張るだけでは何とも辛過ぎるんだよなぁ。ヒトはロボットじゃないんだから・・・。
マスコミは、被災者がそういわなければならない建前、お為ごかしを振りかざして襲い掛かって、食い散らかしているだけで、マスコミの罪は実に重いのだが、これって、もしかするとマスコミが潜在的に内蔵している性(サガ)なのかもしれない、人間の脳活動そのものなのかもしれない・・・なんて、ちょっと哲学してみて、珍しくいい感じの展開になって、嬉しくなっている。情緒に訴えるだけで、何の役にも立たない、視聴者の好奇心に迎合し、応えているだけなのに・・・。ま、マスコミなんて、そんなもの、か。
先夜は何の番組だったか、福島での復興に向けた取り組みで、避難区域の20歳代の男性の言葉が耳について離れない。福島では「まずは除染ありき」で、他の意見や提言、選択肢を発言できない雰囲気になっているという。除染の内容といったら、家屋、道路、田畑、山林と順番に進めて、終わるのは20年後、その間の予算は1人あたりにすると5000万円かかるという話・・・。その若者、結婚しているので妻と2人なら合計1億円。除染などしないで、新天地で2人で1億円で新しい生活を切り拓いた方がずっといいと思うのだが・・・と。1億円といえば、いまのサラリーマンの生涯賃金にあたるか。この話がどう受け取られ、復興論の俎上に載せられたのかどうかもわからないが、聞き流してもいい話じゃないと思うのだが・・・。何事もなかった「日常」の全てがあっという間に根こそぎ奪われてしまったのだから、そんな気持ちにもなるだろうなぁと、いたく共感したのだが、マスコミはそんな話を垂れ流しにしてみせるだけだ。