◎さっさと金を置いていなくなってくれ!
にしても、ボランティアという言葉を見たり聞いたりすると虫唾が走り、特にマスメディアでのお為ごかしの扱いを見るにつけ、そのおぞましさに背筋が寒くなる。今回の東日本大震災では各界の著名人が我も我もと競い合うように現地入りして、さまざまなボランティア活動に励んでいる様は、こりゃ何なんだというやり切れなさにとらわれるとともに、やはりお為ごかしの胡散臭さが漂ってきた。これじゃ、日本国中、良い人だらけじゃないか。何とも、空恐ろしい。これだけの大災害だから、何かしないではいられないという気持ちもわからないではないが、そうした覚悟は少しも伝わってこない。特に一流アスリート、アーチストは「出来る限りのことをします」と稼ぎの何%かは知らないが、庶民からすれば気が遠くなるほどの大金をはたいて見せる。でも、そうした善行は見ていて空々しいだけで、カメの目には本人のマスタベーションにしか見えない。今後の活動を担保する免罪符にしようとしているのではないか。そんな気さえしてくる。みんながみんなで、ただ見ているだけの庶民をも巻き込んでの良い人のオンパレードだ。自画自賛、もう、歯が浮く、地に足が着いていない。行かざるを得ない空気を蔓延させて、それでも、まだ手付かずの瓦礫の山が放置されたままの現実は一体何なんだと思う。
そもそも、ボランティア活動とは、古典的な定義では自発(自主)性、無償(無給)性、利他(社会、公共、公益)性に基づく活動とされるが、今日ではこれらに先駆(先見、創造、開拓)性を加えた4つを柱とする活動が一般的となっているそうだ。
例の西部進ゼミナール ~戦後タブーをけっとばせ~(TOKYO MX TV)のアーカイブ放送にアクセスしてみると、この5月7日に「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」の三浦小太郎代表をゲストに「ヴォランティア活動とは何か」をテーマに薀蓄を傾けていた。ボランティア活動は「自発的意志」だから、人間は素晴らしいと片付けてしまえば、似非ヒューマニズムになってしまうとし、「できる限りのことをやる」という科白に含まれる嘘を指摘、被災者にしてみれば、お為ごかしの親切をするぐらいなら、さっさと金を置いていなくなってくれと、そういうことでしょうと、いまのボランティア活動の欺瞞性を暴いてみせ、カメは大いに溜飲を下げた。