2011/11/01

◎100円玉の重さが何となく感じられた


にしても、銭湯に行って100円の重さを何となく考えさせられた。行きつけの銭湯にある脱衣ボックスは100円玉を入れて鍵をかける(鍵を開けると受け皿に100円玉が戻ってくる)タイプなのだが、昨日の昼下がり、人影もまばらな時間帯、脱衣ボックスを開けようとしたら100円玉が受け皿に残っているのに気が付いた。取り忘れだ。それとおぼしき人影がないのを確かめ、100円玉を指でつまんで、衣服を脱ぎ始めたのだが・・・。
振り返ってみれば、はや年金暮らしが板についてン年、微かな年金の銀行振り込みのほか収入はゼロだ。もちろん、現金を手にするといえば、スーパーのレジで釣りを受け取る位だ。それに、今年に入って、というよりこの2、3年で現金収入といえば、この100円玉一つじゃないか。咄嗟に指でつまんでしまったものの、存外、その重さを感じてしまった。
そう、単なる重さであって、現金の有り難さとか価値とかではない。年金暮らしが長くなると、年金は当然決められた日に振り込まれるもので、何か陽はまた昇るような気がしていて、金銭感覚は日々疎くなって、徐々に失せてくるものらしい。湯を浴びた後、着替えて小銭入れに100円玉をしまったら、その重みは消えた。