2006/11/10

◆自殺予告は“おためごかし”の連鎖だ

にしても、マスメディアは“おためごかし”の煽り屋だ。文部大臣宛ての自殺予告の手紙が2通になったが、まだまだ増えそうな雲行きだ。
これはまさに“おためごかし”の連鎖ではないのか。改めていうまでもないが、家庭、学校、社会、それぞれの絆がズタズタに切れてしまった結果、やはり、それぞれが“おためごかし”を決め込んでいる。何とも、腹立たしい連鎖だ。
大臣に手紙を送るという発想が生まれてくるのは、まさにマスメディアの責任だろう。表面は人のためにするように見せかけて、実は自分の利益を図ることしか考えていない“おためごかし”の煽り屋の正体がとうに露呈しているのだ。
いまや、子供の目から見れば・・・、大人にも通じるが、何より、個々人にとっての両親、友達、先生、上司、社長といった存在がその役割を果たしていない。子供と直接、生で関わることを避けている。見て見ぬ振りである。悩みを抱えた子供は孤立するばかりだ。
そうした関係、或いは愛とか信頼、喜怒哀楽とかは、メディアが提供する低俗なドラマや、ニュース、ワイドショーで展開される劇画的、簡略化された建前、おためごかしの世界を通じて何となくイメージするしかない。それも、バーチャルの世界と承知の上で・・・だ。
だから、子供も大人も、実際の自分の周囲の現実を現実として受け入れられず、また、その現実と向き合うことが出来なくなって、人と人の関係はもう煩わしいだけになっている。
自分の悩みを誰にも相談できず、大臣に手紙を送ることによってしか、みんなにその悩みを打ち明けられなくなっているのだ。その手紙を巡って、役人が右往左往し、大臣がテレビを通じて呼びかけたり・・・の茶番劇を見て秘かに溜飲を下げたところで、その悩みの解決にはならない。
悩みは当事者が一人で悩み苦しんで、結論を出すしかない。甘ったれるな、だ。ほっとけばいい。生きようが、死のうが・・・自己責任に任せればいい。外道のカメはそうしているし、そのつもりだ。
自殺予告の手紙を報じるマスコミはただその現象を面白がっているだけだ。