2007/01/22

◇「考える」ことが面倒臭く集中できない

にしても、いつでも、どこでも、目一杯生きていかなければならない人間は凄い存在だと思う。
街に出て人の流れを見ていても、店に入って見ても、人はそれぞれみんな一生懸命だし、何か、目標、目的に向かって進んでいる。そのオーラの外で、もちろん、見えない厚い壁に遮られつつ、カメなぞはその中には入っていけないし、ひたすら、なぜ、どうして・・・と問いかけてみたい衝動に駆られるものの、といって、その答えを待っているわけでもなく、つい、違う希少生物になったような気がしてしまう。
実は、街だけではなく、テレビのニュース画像に対しても、ドラマにも、ワイドショーにも、さらにビデオ画像にも同様の反応をしてしまう。みなさんと同じような格好はしているようにみえるが、もはや異次元の生物に変節してしまったのではないか、と。

脳外科病床のベッドに寝ていた時、何となく脳細胞は完全には元に戻らないような気がした。脳細胞をこれまでのようには使えない、といって、それを意識していたわけではないが・・・。記憶をたどれない、抽象的思考ができない・・・、ひと言でいえば「考える」ことが面倒臭く、集中できない。そんな場面が急に増えた。でも、それらは全て面倒臭くて、それ以上進展しなかった。
例が適切かどうか、例えば、足し算・・・6+2=ならOKだけど、8+6+2=になると拒否反応が強くなって、もう暗算にトライしないし、これが二桁、三桁の数字になると、数字を見ただけで全面拒否、もう足し算をする気にもならないし、個人的な体験からは軽い頭痛を催した。
この生体反応ってやつ、脳細胞とはつながらない脊椎反応だけは、確信できるのだ。