◇『選別』はもう避けて通れない道・・・
にしても、苦渋の表情を隠しつつ、人道・人権主義を唱えながら、間もなく人類は滅びる気がしてきた。
介護制度が機能し始めたからなのか、カメが入院したからなのか、昼間街に出かけて車椅子のお年寄りを見かけることが多くなった。自分のことを棚に上げて・・・カメはその高齢者の一挙手一投足には目蓋が篤くなる。
一体、何をしたいの、何をしようとしているのか・・・さっぱり見当もつかず、歯がゆく、もどかしい。
介護者とのコミュニケーションも取れていない。全ての動作がゆっくりしていてスローだ。それでも、久々に外の空気に触れた肌や筋肉が張り詰めているのは伝わってくる・・・。生きることへの執念は凄まじい。鬼気迫るものがある。もう、脳細胞が正常に機能していなくても、脊椎反応だけは敏感、強固になっているようだ。
介護者の目に映る車椅子に座る方々はモノであって、ヒトではなさそうだ。ヒトとしての意思はない。あっても、それは介護者に伝えられない。車椅子に座って、目は虚ろ、車の揺れに身を委ねているだけといった方々が圧倒的に多そうだ。こうした介護も全てがビジネスの対象としてしか扱われていない。
そんな光景を目にする度に、カメはそんなにまでして必死に生きるよりも、もう『お先に』と棺桶に入ってしまった方がいいんじゃないの・・・と秘かに思う。少子高齢化のこれからは、世のため、人のためになる方々をもっと救える施策を前向きに取り組むべきではないかと思う。
『選別』はもう避けては通れない道なのではないか・・・。人権とか、人道主義とかにいつまでもとらわれていては、そのうち地球上の人類は共倒れだ。この40~50年の世の流れに身を任せている野次馬のカメにはそう見える。それを見ていると、だから、みんなわかっていながら、言いだしっぺの役は買って出ず、どうやら、暗黙の了解の下にその方向に進んでいるようなのだ。
人道・人権主義を唱えて、苦渋を噛み締めつつ人類は滅びる・・・って、か。