2014/03/20

◎NETの虚実がまかり通る現実・・・


にしても、日本はいよいよ世紀末に足を踏み入れたようだ。嘘と誠が入り混じったNETの夢幻(ゆめまぼろし)の世界を無邪気に遊弋しているような話が相次いでいて、笑わずにはいられない。もはや日本人は情報の洪水に飲み込まれ、目を白黒するばかりで、何も考えない、考えられなくなっている。嘘も誠も峻別せずに妄信し、虚像を演じているのを見ては心酔し、マスメディアがそれらを無批判に煽り立て、薄っぺらなレジェンド創りに加担した挙句、綻びがのぞけば、手の平返して一斉に引っ剥がし、全ては「自己責任」のひと言で決着させる。何とも安っぽい茶番だ。

あの長髪とサングラスの風貌で現代のベートーベンと呼ばれた佐村河内守(さむらごうち まもる )については、もはや何をかいわんやで、NETのアンサイクロペディア(フリー八百科事典)にアクセスしてみたら、なるほどねぇ、こうあった。佐村河内守(さむらかわちのかみ)は、広島県出身の自称音楽家である。譜面が読めなくても、ピアノが初心者レベルでも大作曲者になれる新しいビジネスモデルを開発したことで注目されている。

STAF細胞は、男好きのする可愛い理系女子に学者男子が勝手に振り回されてしまったお粗末な顛末とみる。先のアンサイクロペディアによれば、論文に対するコピー&ペースト研究の日本における第一人者として知られおり、「盗用の魔女」という異名を持つ・・・と。何のことはない、学識とは別の論文の基本的な書き方、例えば論文の引用のルールとか、図表の扱い方などを多分、教わっていないのだろう、と思う。もっとも、彼女にニッコリして頼られたら、助平心一杯の指導教官は何もいえなくなって当然だろう。論文の書き方を知らないまま放置してしまった周囲の責任は大きい。

ベビーシッター男児死亡事件、世はもはやNET依存症になっている証左だろう。NETがどんなものかまったく理解していない。当初はあれだけ「匿名性」のリスクを云々していたのに、もはやNETが日常生活にも広範に侵入しているというのに、それに対して呆れるほど無警戒、無防備。阿呆や。「見ず知らずの人に預けるなんて」という批判も少なくないそうだが、言わずもがな。いまやパソコンを凌駕するスマホを手に、これから一体、何人、何千人が情報洪水の渦に足を取られ溺れてしまうのか。

2014/03/13

◎啓蟄!? 友人2人から安否確認メール

にしても、こりゃ「啓蟄」かいなと感じた。昨12日、日課のメールチェックをしていたら、友人2人から安否確認の短いメールを受信していたのだ。
1人は年に数回メールをやりとりしている同級生、もう1人はメールの交信はほとんどせず、年に1度ソメイヨシノを愛でながら昼間、居酒屋でホッピーを飲む、とうに還暦は過ぎた後輩だ。
「生きてるぜ」と返信した後、珍しく自転車にまたがって昼飯を食いに出かけたところ、いつもの北風が南風に変わって、ぽかぽか陽気に近い。最近ご無沙汰のロースかつ定食を食って、重くなった胃を揺すりつつ自転車で近所をうろうろしていたら、何となく肌が汗ばんできて、やっぱりこりゃ啓蟄やと感じた次第。
冬眠していた虫たちが気温が上がり、春の陽気に誘われて地上へ出てくることで、多分、ニュース報道などとは違い、土中のモグラは手足を伸ばしているのかもしれない。友人のメールもそんな春の胎動なのだろう。啓蟄とは、上手いことをいうもんだ。
実は、二十四節気なんてほとんど感じないで暮らしているのだが、啓蟄だけは忘れない、というより、大好きな言葉だ。ムズムズ、モゾモゾ・・・っていうか、この擬態語は、モグラというより、そう、ご推察の通りパンツの中身の形態をも表現していて、幻覚、妄想まで喚起し、まるで別物のように活動が活発化する、カメにとって啓蟄とは何とも微笑ましくも、嬉しくてならないのだ。もちろん季語とはいえず、年がら年中だ。