◎生き死には しょうがないの 積み重ね
にしても、歴史に「タラ、レバ」とか「もし」は禁じ手だが、今回の肺ガン検査で強く感じるのは、長生きし過ぎた事だ。くも膜下で倒れ戻って来た時、オヤジの歳を超えた時、古希を迎えた時・・・等々、その時々に年齢に氣づき、長生きしたものだと思うとともに、もういいのにと心中密かに思ったものだ。かつては長いことヘビースモーカーだったし、その祟りかと思わなくもないが、それにしても長生きしたものだと感慨深くはある。
その検査結果、医師は「残念ながら」と前置きして「ガン細胞がとれました。だから、肺ガン・・・」。続けて「内視鏡で撮った画像を見ますか。左の上の肺のとこ、かなり変形している」タイで売られているたばこのパッケージの写真と一緒だ。爛れも見られエゲツないのだが、自分の肺だとは実感しかねる。「で、手術は難しい」との結論に達したそうだ。とはいわれても、他人事のように聞こえる。医師はこう提案した。
「治すことはできないけれども、悪くなる時期を遅らせて、元気な時期を伸ばすという意味で、6週間の(入院)治療をやりたい。抗がん剤と放射線・・・」
いろいろ説明を聞きながら、「何もしない」選択肢の一つとして民間療法に関心があると話した。前日、セレブ熟女とランチした時、ガンで入院した母親を看取った際の体験を聞いていた。何もしないよりは、気も紛れていいだろう、と興味を持ったのだ。
「やるかやらないかはご本人様が決めること」「ここでは治療以外できないので、その場合はホスピスとかご紹介しています・・・また、考えてみます?」
そういって、11月10日に次回の診察の予約を入れた。多分、それが最後の診察になるだろう。前回のブログでアップした「5・7・5」の2句を単語カードに書いてポケットに忍ばせていたのだが、生憎と見せるチャンスはなかった。
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