◆サラリーマンが自己主張するのは辞表を書くとき
にしても、ネクタイにスーツ姿のサラリーマンを見るたびに、そんなしかめっ面をしなくてもいいのに・・・と気の毒に思うとともに、気ままな我が身の幸運を想い、密かにほくそ笑んでしまう。で、つい、お疲れ様です・・・とひと声かけてやりたくもなる。続いて、私、国家ニートなんです、ウフッ、とも。
何がサラリーマンのモチベーションになっているのか、外道のカメには不思議でならない。
そんなに急いで、どこへ行くの? そんなに思い悩んでいくらになるの? だ。もっと、肩の力を抜いてリラックス、リラックス、だ。昨夕、電車に乗ってそう思った。
サラリーマンって、本当に気の毒な存在だ。
カメもサラリーマンだった時代もある。といって、サラリーマンとは形だけで、不真面目だった。根本的にカメは飽きやすい。新しい仕事への好奇心だけは強く、それも好き嫌いを基準に選んでいたようだ。で、リクルートという言葉が流行る前から、まだ会社を辞めることが何となく後ろめたいころから、カメは転職を体験した。その際、悟った箴言が「サラリーマンが自己主張をするのは辞表を書くとき・・・一度書けば、何回書いても同じ」だった。で、その後は抵抗感もなく転々として、都合、4つの会社に勤め、累計で30年にはなる。
内1社では18年間勤めたが、社内の異動で2,3年毎に職場が変ったため、その都度人も環境も変って心機一転、カメにとっては異動自体が転職しているような感じではあった。
50歳を契機に一人で有限会社を設立し、社長兼社員兼、トイレ掃除まで一人でこなし13年、このほど会社の解散手続きを終え、サッパリしたのだが・・・。
社長の名詞を刷って二つ気が付いたことがある。「社長」には300万円用意すれば誰でもなれるが、「専務」にはなかなかなれないし、なるのは物凄く難しい。もう一つは、気兼ねしないで使い放題になると思っていた接待費は、売り上げが伴わないと使えないという厳しい現実だ。
ま、この程度の認識だから先は見えていたが、それをさほど深刻には捉えないまま、ささやかながら年金が支給されるようになったら、もう全てが面倒臭くなり、あっさり解散、国家ニートを標榜することは自然の流れだった。
とにかく、仕事が嫌いな上、勤労意欲が皆無ながら、我ながらよくぞここまで・・・というのが率直な感想だ。
何もしないで、ダラダラ、ゴロゴロしているのが何より好きだし、それが苦にならない。本当に性にあっている。ま、そのうち、ハイそれまでよ、だ。
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