◆死ぬ自由ぐらいはあってもいい・・・
にしても、近ごろカメでも知っている著名人の亡者記事を目にすることが増えた。カメもそれだけ歳をとったということでもあるのだろうが・・・。
作家、吉村昭氏(7月31日死去、79歳)の“自決”について今朝の産経新聞「正論」欄で拓殖大学学長の渡辺利夫氏が「尊厳死」でなくてなんであろう・・・と記していた。いまごろ・・・と思ったが、まさに正論だ。“自決”の直後から尊厳死論議が沸騰することを秘かに期待していたのだが・・・。
人間に生まれてくる自由はないのだから、死ぬ自由ぐらいはあってもいい・・・とはカメの箴言のつもりだ。
敬愛する山風氏の警句一つに「人間は管につながれて生まれ、管につながれて死ぬ」とある。山風氏流の警句だが、その真意はそんなバカなことをするな! といっているに違いない。管を外す自由を否定するのは、外道のカメがいうのも不遜だが、理不尽なことだ。
この論に共感してくださる方は多いと思うのだが、この死の問題に関してはみなさん悶々としているばかりで、積極的な発言は少ないし、大声を上げてくださる方もほとんどいない。例の臓器移植法が制定されるときも、人間の根源に関わる大テーマだというのにマスコミはタブー視して静かなものだった。
つい先ごろは、女優・黒柳徹子さんの母で、エッセイストとして活躍した黒柳朝さんは徹子さんに向かって「じゃね」といい残し95歳で亡くなったそうだ。徹子さんがそう明かしたもので、いまわの際のひと言として何とも微笑ましい。
人生色々、死も色々・・・でいいんじゃないかと思う。