◆淋しい? 独りの方が気楽でいいじゃない・・・
にしても、先夜久しぶりに飲んだあと終電で帰って部屋に着き、電気をつけ、テレビのスイッチを入れ、ほっとした。つくづく、独り暮らしはやっぱりいいよなぁと、思った。
誰もいない、誰も待っていない、暗い冷たい部屋に帰った時、淋しくない?とは、よく聞かれるが、どう答えたものか、戸惑うことも多いのだが、ひと言でいえば、淋しくない。実は、淋しいという情緒が欠落しているといった方が正確かもしれない。
どうして淋しいの? 気楽でいいじゃない・・・とも続けるのだが、怪訝な表情を浮かべる方が多い。それは、それで理解はできるのだが・・・。
それは、生命保険とか不動産会社が提唱する家族団らんCMのイメージであり、旧来からの家族、夫婦、親子の絆からくる呪縛だ。その絆の太さ、細さが淋しさを感じさせるのだろうか。そうした呪縛から解放されているのが外道であり、その選択は個々人の生きざまで、外道はやはり少数派だ。
さて、その実態はどうかといえば、ほのぼのとした一家団らんは、CMだけのいわばバーチャル世界だろう。その乖離があまりにも大きいため、その狭間で人はみな悩み苦しみ、もがき、のた打ち回っている。
それが人生とも、人間らしいともいえるのだが、その呪縛の中で、ある人はストレスを溜め込んでガンに侵されたり、ある人は自暴自棄になって破壊行動に突っ走ったり、ある人は八方塞りになって自らの命を絶ったりして、マスコミの格好の餌食となる。
だから、大半の人は一家団らんからはみ出したり、肌のぬくもりが感じられないと、淋しいと感じるのだろう。いつも誰かにすがっていたいのだ。その最高の形が愛とか、幸福といったものなのだろうが、これらは抽象的な概念で、捉え方は人それぞれだ。当事者がどう思うか、どう感じているか・・・であり、それも多くは他人との関わり、相対的な自己評価でしかない。
他人の目を気にせず、他人への気配り、思いやりといった配慮を止め、自分だけ、自分さえ良ければいい自己中心、我が侭、勝手気まま・・・実のところ、カメはそんな生きざまを続け、いまに至っている。
他人は他人、自分は自分・・・を徹底すると外道というわけだ。外道を名乗ったのは、つい最近のことである。
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