2006/10/05

◆金のないカメでも生息できる土地柄・・・


にしても、東京の下町、蒲田人の生命力、活力には仰天する。金はないはずなのに、安いとなれば目の色を変えてどっと殺到する。カメもその一人になっている。よーいドン!の合図は朝刊の折込チラシだ。
この一週間ほどを振り返ると・・・。
まずは、靴流通サービスの日替わり特売品はクロッグサンダルが税込490円(限定10足)。かかとがなく、スッと履けるのが気に入って、以前から狙っていただけに、金曜日の午前11時過ぎに(開店は10時)自転車で駆けつけたが既に完売。仕方なく、日曜日の日替わり特売はピッグスキンで1,490円(限定15足)に走ったら好きなブルーは残り3足、サイズが合うのは1足だけで迷わず購入した。
並びに吉野家があり、チラシで見た復活牛丼に長蛇の列ができていた。その行列を見ての帰り、もう一度靴屋の店頭を見たらブルーのクロッグサンダルは1足しか残っていなかった。
次は、ドラックストア・・・。風邪薬が目玉になっていたので行ってみると、大箱(24カプセル)は残り1箱。やっと間に合った感じで、店内をチェックしてみるとプライスカードに「広告の品」と表示してある商品のほとんどははけていた。平日の午前中の話で、レジにはお客さんの列ができている。チラシを見て走る根性には畏れ入った。
ここに移り住んで10年余、近くにある商店街の値段の安さには当初、度肝を抜かれた。その商店街にも世代交代の波が押し寄せ、廃業が増えて、その後はレンタルショップやドラッグストア、クリーニング取次店、惣菜店に代わった。いくつかあった銭湯は賃貸マンションに建て替えられた。
デフレ下での低価格競争が熾烈になって、同じ商売を長く続けていられなくなるようだ。
つい最近は、持ち帰り専門と思っていたちよだ鮨が駅前通りで回転寿司を始めた。一皿(2貫)オール100円。ランチタイムは一皿(1貫)50円で味噌汁は無料サービス(お代わり自由)。カメはランチタイムがことのほか気に入って通っていたのだが・・・、オープンして3ヶ月ほどだったか、店仕舞いしてしまった。
お客は途切れることなく入っているように見えたが、それでも閉めてしまった。いくらお客さんが立て込んでも、客単価は1,000円は超さない。これで続けるのはボランティアだ。馬鹿馬鹿しくなったのだろうと勝手に思っている。こんな土地柄だから、金のないカメでもまだ生息できている。

2006/10/04

◆入れ歯と付き合うのは、もう疲れた・・・


にしても、このところ食欲も衰えている。旨いものを食っていないし、それどころか、旨いものを食いたいという意欲が湧いてこない。レストランなどで陳列棚をじっくり眺めながら唾液を溜め、世の中、旨いものがいっぱいあると再確認するのだが、食ってみたいというモチベーションがない。
因果関係ははっきりしていて、入れ歯が全て・・・。硬いものを咀嚼できなくなっているのだ。改めて数えてみたら9本。最初は14,5年前に自転車で転んで上の前歯3本抜けたのが始まり。歯茎も弱っているから、その後はグラついてきた歯を抜きながら何回かに分けて・・・現在に至っている。
ずっと保険の効く入れ歯(ブリッジ)を使っていたが、2年ほど前に一念発起して、保険の効かない特殊なプラスチックの入れ歯を作ってもらった。それでも、すぐに噛み合せが上手くいかなくなる。歯肉の形が微妙に変わってくるのだから、仕方がないのだろうが・・・。
硬いものが噛み切れない。回転鮨でネギトロの海苔が切れないのには驚かされた。若いころは肉が大好物で、何はともあれ肉を腹いっぱい食っていれば満足していたし、何より幸せ感に浸れた。特に、モツの串焼きなどを頬張りながら、これが食えなくなったら、死んだほうがいいよなぁ、などとのたまっていたというのに、いまは、どうだ・・・。肉は、特に牛はダメ、豚か鳥ならOK。あとは、ミンチだ。
かつて、それでも堪らず焼肉店に飛び込み、大好きなカルビを口に入れてじっくり味わったこともあるが、振り返れば、その後、何日かして残っている歯に不具合が生じて入れ歯を作り替えることになっている。
いつもグラグラした入れ歯と付き合っていると、ほんと、食事するのも面倒臭くなる。食堂の陳列棚を眺めながら涎を垂らすのは、もう切なくて、何とも情けない。もう、入れ歯と付き合うのは疲れた・・・。

2006/10/03

◆「皮膚のたるみ」をハサミで切られた・・・


にしても、歯医者以外の医者へ久々に行った。皮膚科・・・。
先週半ばあたりから身体にチクッとした痛みを感じた。原因はわからない。ちょっと不安になってその根源を探したら、何と、二の腕の内側、脇の下あたりにイボを見つけた。色も形も、ちょうど乳首状で、ぶら下がっている感じ。
ほっておいても、いずれ千切れ落ちそうなのだが、身動きしたり、下着に触れて擦れる時に引っ張られて痛みを伴うのだ。応急措置として傷テープを貼り付けてゴルフに臨んだが、押さえつけているので痛みは感じなかった。
でも、何となく気になってWebでイボを検索してみると、皮膚がんのケースもあるとか・・・。
で、近所に皮膚科の専門医がいるので、足を運んでみた。上着を脱いで、イボを見せると、若い医者は即座に「これは、皮膚のたるみ・・・年をとるとよく出てくるんですよね」だって・・・。見守る看護士に「ハサミ、ハサミ」と指示して、鼻毛でも切るような小さなハサミを選んで、イボをチョイチョイという感じで「ハイ、切れました」・・・。切り取ったあとに何か薬でも塗ってくれるのかと待っていたら、あと処理はなし。「終わりです。あと何かあったらまた来てください」でお仕舞い。この間、10分足らず。
支払は、初診料と手術料で4,660円(国保退職、負担率30%)は何とも高かった。でも、とりあえずは、ほっとした。
あとで鏡でチェックしたところ、まだ小さいイボも含め3つ切り取られた痕が赤く残っていた。カメの素人診断でも、ペンチで摘まんで引きちぎってしまおうかとも考えたのだが、それで正解だったようだ。

2006/10/02

◆“臓器売買”とは何とも情けなく腹立たしい

にしても、“臓器売買”が日本で初めて摘発された。やっぱり・・・と思うとともに、人間の命を弄ぶような行為で、何とも情けなく腹立たしい。

愛媛県警は1日、臓器移植法違反容疑で59歳のレシピエント(移植を受ける患者)と、売買を仲介した59歳の女性を逮捕した。臓器売買を禁じた同法違反での立件は、97年10月の施行後初めて。患者は糖尿病で、ドナー(臓器提供者)は借金のある59歳の女性で左の腎臓の摘出手術を受け、現金30万円と乗用車1台(150万円相当)を受け取ったそうだ。

同法制定の際、カメには何故こうした法律が必要になるのか不思議でならなかった。何より、他人の臓器をもらってまで生きたいという気持ちが理解できない。そこに、さまざまな事情があることはわかるが、医療技術が発達したからといって、そこまでやるか・・・というのが率直な思いだ。
人間の身体は機械とは違う。不具合があるからといって、部品を交換してすむものではないだろう。不具合な部品を宥めすかして、それで駄目ならハイ、それまでよ・・・でいいと思う。自然の定めとして何故受け入れられないのか。それが、その人の人生であり、生き様ではないのか。

技術的に可能になったからといって、法律を作ってまでそれを実施しようというのは、人間の驕りでしかない。まさに神を冒涜する所業だ。そもそも、移植手術を受けてまで生きながらえて、一体、何をしようというのか・・・。カメは思いつかない。
臓器移植法を認めてしまったのだから、死ぬ自由も、ある一定の条件の元に法制化して欲しいと思う。

2006/10/01

◆努力は結果となって現れるのだが・・・

にしても、努力という言葉を実感したのはゴルフだった。
46歳の時・・・、川の流れに身を任せるままでそれまで努力とは無縁だったのだが、お客さんのゴルフをセッティングする羽目になった。チンプンカンプンながら、何とか2度ほどこなして気がついた。ゴルフができれば自腹を切らずにラウンドできる、と。何より、健康的だし、楽しそうだった。
で、とりあえず7番アイアンを1本買って近所の練習場に自転車で通い始めたのだが、結構面白かった。レッスン書や専門誌、それに漫画まであれこれ仕入れて・・・。振り返れば、スクールにでも通って3ヶ月でも初歩を教われば違ったのだろうが、そんなタマではない。あくまでも我流だ。
音痴と運痴はDNAと諦めていたが、その酷さは、半端じゃない。さっぱり上達しないどころか、ボールが後ろにこそ飛ばないが、右に左に、それも隣りの打席との仕切りのポールに激突して睨み付けられたり、真上のブリキ製の天井に当たって轟音を発したり・・・。それでも、他の練習場をあちこち探して渡り歩いた。
さらに、優しい先輩、友人の力も借りて練習に励むうちに、何とかラウンドデビュー。ま、それも覚えていないほどに酷いものだったが、そのうち何となく格好はついた。
そんな時、ふっと「努力」という言葉が脳裏に浮かんだのだ。そうか・・・、努力、努力とよくいうが、努力すると結果となって現れるものなのだ、と。改めて、カメ自身、この世に生を受けてこの方、受験にしろ、仕事にしろ、努力したことはないよなぁ・・・としみじみと感慨に耽ったものだった。
で、生来の飽きっぽさから、そんな努力を止めて10数年、誰かに誘われればラウンドしていたのだが、数年前からは基礎体力の衰えが甚だしく、後半は文字通りの腰砕けの状態が続いていて・・・。といって、体力維持の努力なぞ馬鹿馬鹿しい。昨土曜日のプライベートコンペを最後にゴルフも止めることにした。何より、金がかかりすぎる。
いまは唯一、要介護状態に陥っているナニの復活を夢見て、切なくも涙ぐましい努力に専念することにした。

2006/09/29

◆ここはどこ? 私は誰? 東京でバンコク体験・・・

にしても、タイ語を喋れなくてもバンコクで暮らせるのか・・・。友人からよく聞かれるのだが、今年に入って既に3回訪泰して都合1カ月ぐらいにはなる。この間、食う、寝るに不自由はなく、バスにも乗れた。ボディランゲージというほどのこともなく、指を指したり、目で訴えたりしてほとんど目的は叶えられた。
実は、新宿のタイ語入門コースに3カ月間通って、授業料を払っただけに、使いたかったのだが・・・。もちろん、最初はささやかながら片仮名タイ語を使ってみたが、これがさっぱり通じない。特に、タクシーに乗ったときにそれを強く感じた。運転手に行き先や、ホテル名などが正確に伝わっているのかどうか、不安が募るばかり。何か聞き返されても、タイ語をキチンと聞き取れないし、たどたどしい片仮名タイ語で話を続ければ続けるほど、お互いの勘違いが拡大する一方で、とんでもない方向に向かってしまう。
あくまで向こうは善意なのだろうが、話の途中でタイの微笑を駆使して、開き直ってしまうとしか思えない。悪意がないだけに、始末に悪い。
タイ文字が氾濫する街中で、車がどこをどう走っているのか、確認しようもなく、怒って車を降りたとしても、ここはどこ? 私は誰?状態で、次にどこへ行けばいいのかもわからなくなるに違いない。
で、何とも釈然としないが、カメが学んだ教訓は、タイ語は使わず、拙い英語でコミュニケーションを図った方がお互いに生半可な理解だろうが、その方が錯誤のギャップが少ない・・・と。

ということで、タイでの日常生活なら言葉はさほど必要ないと感じているのだが、先日、東京はJRの駅前にあるクイックレストランに入ってスタミナ定食を注文した際、日本語が通じない体験をさせられた。
自販機で定食と缶ビールの食券を購入してカウンターに出したのだが、女性スタッフがフィリッピン人? だった。定食セットの肉皿だけをもう一皿追加したくて、できないものかどうかを尋ねてみたのだが、いや、はや、さっぱり要領を得ない。カメの説明も下手といえば下手なのだろうが、こちらの意向が通じていないことはわかり、途中で諦めてしまった。
なんだ、なんだ、ここは日本だというのに・・・、バンコクにいるような錯覚に陥ってしまった。

2006/09/28

◆めったに夢を見ない・・・

にしても、カメはめったに夢を見ない。覚えていないだけなのかもしれないが・・・。
というのも、先夜行きつけの居酒屋で同席した古希を過ぎた男性客がいまも在籍した会社でのあれこれを夢に見るという。「私もサラリーマンを長くやったが夢は見ませんね」といったら、「そりゃ、あなたはストレスを感じていなかったんですよ」と・・・。
恥ずかしながら、当たっている。カメは、だから、勤めた会社は一つだけではない。指折り数えて4社・・・。いずれも、確かにストレスが溜まりそうな兆しを感じたときには辞めていた。サラリーマンが自己主張できるのは辞表を書くときだけ・・・と思い込んでいた。いまでも、それは真理だと思っている。
一流大学を卒業して一流企業で60歳まで丸々勤め上げた竹馬の友は、そんなカメを「お前は好き嫌いだけで生きている。サラリーマンはストレスを溜めてナンボの世界なんだから・・・」と自嘲を込めていってくれた。
若いころ同じ職場にいてトラバーユした友人は20年近く経ち、移った先で責任あるポストについた。そのお祝いを兼ねて一献傾け、それぞれのこれまでを報告しあった際、友人は「随分と勝手気侭に生きているなぁ」とカメを評した。
カメはストレスが嫌い・・・というか、ストレスを生理的に受け入れられないと思っている。ストレスを溜め込むくらいなら死んだ方がましだ。それを頑なに通して、人生50年、夢幻の如くなり・・・をとっくに通過して、何と還暦まで迎えてしまった。サッカーの試合でいえば、ロスタイムに入って何とも長いというのが実感だ。
昨年の春だったか、カメは珍しいことに夢を見た。夢に出てきたのは業界で○○地獄といわれる会社にいたころの先輩の奥さんだった。奥さんとカメは面識がない。その奥さんから何故かカメの携帯に電話がかかってきたのだ。不思議といえば不思議なのだが、夢の中だ。奥さんは「主人が昨夜亡くなりまして・・・。生前から俺が死んだら会社には連絡するなといって、連絡して欲しい方のリストをメモしていて、いま連絡させていただいているところです・・・」と。
○○地獄でご一緒して、何度も飲みに連れて行ってもらい、可愛がってくれた先輩だ。夢とはいえ、カメはさもありなん・・・と思い、無性に懐かしくなってその真偽を確認したくて先輩の自宅に電話を入れたら本人が出てきた。「おっちんだと思ったのか・・・、まだピンピンしてるよ」といって笑みをこぼし、一週間ほど経って銀座で飲んだのだが・・・。
夢で覚えているのは、もう一つ・・・。大学時代、京都で下宿していたころ、高校時代のマドンナが看護婦姿で夢に現れ、具体的な映像は判然としないのだが、とにかくあたふたとしていた。夏休みで実家に戻った際、彼女の親父さんが亡くなったことを知らされ、カメがその夢を見た時期と一致していて愕然とした。
あと、見た夢といえば、子供のころ、寝床で見上げた天井の木目模様に巻き込まれて苦しがったことぐらいか・・・。

2006/09/27

◆Web世界はアイマスクをつけてのぞくよう・・・

にしても、Web世界はアイマスクをつけてのぞくようで、アナログ世代には何とも難しい。
それでも、やっとの思いで、本ブログのAdSenseのアカウントを設定できた。昨日一日かけてトライしたが、目がしょぼしょぼしてきて、さすがにギブアップせざるを得なかったのだが、今朝から再度始めて、やっと・・・。右下に公共広告が表示されたのを見てホッとしたところ。

パソコン歴は10年、Windowsの95から98、その後は98に慣れたせいで2000、meは素通りしてXPに馴染んで、都合5、6台は購入した。いまはノート型XPを2台使っているのだが・・・、いまだにその機能の2、3%ぐらいしか使っていないだろう。
それでも、面白い。Webという無限大の宇宙の存在だけは感覚的に認識できるからだ。ささやかながらネットサーフィンも楽しめるし、ホームページも今年になってやっとアップできた。
ただ、残念なことに問題が一つ、それは新しいことを始めようとすると、同じ操作を繰り返せないのだ。一日経過すると、ちょっと時間が経つと、もうどうやったのか忘れている。

今回2日もかけてトライできたのは、ひとえに広告収入への魅力だ。このスケベ心がなければあっさり断念していただろう。
これまで、魅力的な謳い文句のソフトを何本買ったことか・・・。そのうち、使えたものは一本もない。そうした新しい機能も、パソコンの新製品に買い換えるとほとんどがインストールされていて、勝手に起動してくれるのだから・・・何とも情けない。

AdSenseのアカウントを設定できて、その達成感だけはあるが、うーん、さて、さて・・・いかがなものか・・・。あれっ・・・という感じで広告がアップされてしまい、その手順はもうはっきり覚えていない。結果としては簡単だったのだが、もう一度トライして、同じようにできるのだろうか。不安の方が大きい。
でも、いまのカメはパソコン命、Web命なのだ。

2006/09/26

◆「金なくなれば死ぬつもり」とは・・・

にしても、「金の切れ目が命の切れ目」(外道語録09/17付)は外道カメの専売ではなかったようだ。
昨日、テレビのニュースを見ていたら「金なくなれば死ぬつもり・・・」のテロップ。その内容は・・・。
大阪府豊中市の22歳女性殺害事件で、逃亡先の札幌で24日に逮捕された男は「金がなくなれば死ぬつもりだった」と話していることが分かりました。
殺人容疑で逮捕されたM容疑者(22)は、今月19日、交際していたHさんの胸などを刃物で刺して殺害した疑いが持たれています。そして、自分の口座から、およそ100万円を引き出し、新幹線と夜行列車を乗り継いで逃亡を図りました。M容疑者は札幌に着くと、逃走前に下ろした自分の預金100万円を使い、変装のために頻繁に服を買って着替え、逃げていたということです。M容疑者は4日間の逃亡中、偽名も使ってサウナなどに身を潜めましたが、24日午後3時ごろ、目撃情報を受けた捜査員が札幌市内の繁華街で発見し、逮捕しました。
犯行の動機は別れ話のもつれのようで、M容疑者は「毎日10万円近くを服代に使って、髪を茶色に染めて変装した」「なぜ殺したのか、自分でも分からない」などとも供述、逮捕時の所持金は約3万円だったそうだ。

まさに、外道の仕業だ。分別もなければ、計画性もなし。思いつきだけで行動する。自己中心的で、堪え性がない。臨床心理学的にいっても、外道カメと一緒・・・、精神の発達障害で、大人になりきれていない、我侭なガキ・・・といったところで、社会的には何とも迷惑な、困った存在だ。

にしても、22歳で「金なくなれば死ぬつもり・・・」とはいいもいったりで、外道カメはお株をとられたような気分・・・、いまの時代、ひょっとすると若い世代には「普通」の感覚になっているのかも、と思った。

2006/09/25

◆あるがまま川の流れに任せ死ねればいい・・・

にしても、身体的機能の低下が甚だしい。
普段の生活ではあまり気にならないのだが、何か普段と違うことをしたり、しようとすると、それが顕著になる。確かに普段の生活では、ゆっくりゆっくり、体を動かしているようで、自覚することはめったにない。

今日は2カ月ぶり、珍しく近所のゴルフ練習場に自転車で出かけ、クラブを振ったら左手首に軽い痛みを感じた。何か、関節の細かい骨が砕かれたような、音こそ聞こえなかったが、少量の砂がギシギシするような感じ・・・。いや、参った。
そのうち痛みは感じなくなったが・・・、いや、はや、身体が直ぐに疲れる。腰がふらつき、息切れ・・・、その度に休んでクラブを振ったが、それでも約30分、1篭65球を打ち終わったところで、練習はやめた。
永年の課題になっている基礎体力の欠如なのだが、改善する意欲はもうとっくの昔からない。あるがまま、でいいと思っている。もう、ロスタイムに入って何と10余年、あとは死ぬだけだ。
実は、ロスタイムに入った50歳から定期的な健康診断もやめた。定期健診で悪所が見つかったとして、その箇所を治療することを考えると、外道の見地からしてバカバカしいと思う。完治したとして一体どのくらい寿命が延びるのか・・・、自覚症状なしに手遅れになって、それが原因で死んでも、そこが寿命だと思うのだが・・・。なんせ、ロスタイムを生きているのに、早期発見して治療するなんて、潔くないと思うのだ。ただ、カメは痛みにとりわけ弱い。だから、歯医者だけはいまだに通っているのだが・・・。
あとは市販の医薬品に頼っている。特に風邪薬は常備薬になっていて、毎晩、寝る前に飲んでいる。タバコの吸い過ぎからくる喉の痛み、鼻炎を抑え熟睡できるからで、もう10年以上は続いている習慣だ。

あるがまま、川の流れに任せていながら、外道のカメが唯一それに棹差しているのはナニの鍛錬なのだが、情けないことにこちらはずっと要介護状態が続いていて・・・、あぁー。

2006/09/24

◆無知は損・・・2GBのSDカード購入で再認識


にしても、無知は損・・・大きな損失を蒙ると再認識した。
デジカメの記録メディア、それも2GBのSDカードを昨日、川崎の専門店で購入した。4,980円・・・。
嫌味かとも思ったが、やはり気がかりで、レジでアピールして、持参のデジカメにカードを認識させたら660枚と表示され・・・、OK、OK。うぅーん、やったね、といったところ。大満足だった。

通販で買ってもいいかなと思い、前夜「価格.com」で検索。2GBのSDカードは3,948円から28,130円。デジカメと同メーカーの純正品の価格は10,600円 から19,500円で、これでは買う気にならない。最も安い3,948円のSDカードをクリックすると人気ランキングは1位、ユーザーレビューも上々、さらにクチコミ情報も流石に多く、品質面での不安は払拭され、そのサイトにアクセスしたら「1個限定」で3,948円の価格の内訳は消費税込、送料別、手数料別だった。これだと総額5,000円でお釣りかと納得して『買い物かご』に進んだら『品切れ』だった。 欲しいというモチベーションが上がって、京急で近い川崎まで出かけてみたのだった。

2GBのSDカードが急に欲しくなったのは、今週はじめ都心の量販店をのぞいた際、コンパクトで使いやすそうなMPEGムービーが目に留まった。何より、SDカードが使え、価格も手ごろ・・・。いま使っているお気に入りのデジカメは不要になるかもしれないが、なんせ新しもの好きなカメだ。これまでだったら、その場で衝動買いしていたかもしれない。
MPEGムービーのカタログを持ち帰るとともに、もう一度デジカメの取説を開いてみたら、動画撮影モードもついているし、仕様を確認すると記録画素数は同じだった。何ということ・・・、思い込みである。カメラのデザインの違いだけに惑わされていただけだった。念の為、愛用のデジカメ (512MBSDカード)を手に近くでテスト撮影してみたら、ちゃんと動画が撮れていた。あとは2GBのSDカードを買うだけ、というわけだ。

で、総括してみると、いままでのデジカメの撮影機能が活用できることになり、概算5万円ほど『得』した勘定になる。
外道のカメがバンコク暮らしを選択するのも、そうしたあれこれバックデータを比較した結果だ。タイと日本での暮らし・・・、その実態と内容はほとんど変わらないのに、実感として生活費は10分の1くらいで済みそうだから、マイペンライだ。

2006/09/23

◆死ぬ自由ぐらいはあってもいい・・・

にしても、近ごろカメでも知っている著名人の亡者記事を目にすることが増えた。カメもそれだけ歳をとったということでもあるのだろうが・・・。
作家、吉村昭氏(7月31日死去、79歳)の“自決”について今朝の産経新聞「正論」欄で拓殖大学学長の渡辺利夫氏が「尊厳死」でなくてなんであろう・・・と記していた。いまごろ・・・と思ったが、まさに正論だ。“自決”の直後から尊厳死論議が沸騰することを秘かに期待していたのだが・・・。

人間に生まれてくる自由はないのだから、死ぬ自由ぐらいはあってもいい・・・とはカメの箴言のつもりだ。
敬愛する山風氏の警句一つに「人間は管につながれて生まれ、管につながれて死ぬ」とある。山風氏流の警句だが、その真意はそんなバカなことをするな! といっているに違いない。管を外す自由を否定するのは、外道のカメがいうのも不遜だが、理不尽なことだ。
この論に共感してくださる方は多いと思うのだが、この死の問題に関してはみなさん悶々としているばかりで、積極的な発言は少ないし、大声を上げてくださる方もほとんどいない。例の臓器移植法が制定されるときも、人間の根源に関わる大テーマだというのにマスコミはタブー視して静かなものだった。
つい先ごろは、女優・黒柳徹子さんの母で、エッセイストとして活躍した黒柳朝さんは徹子さんに向かって「じゃね」といい残し95歳で亡くなったそうだ。徹子さんがそう明かしたもので、いまわの際のひと言として何とも微笑ましい。
人生色々、死も色々・・・でいいんじゃないかと思う。

2006/09/22

◆生身の肉片をちぎり捨てWeb空間に投棄・・・

にしても、本ブログに出会ってブログの何たるかがやっとわかった。いわば、カメの生身の肉片をちぎり捨てWeb空間に投棄する行為だ。そこには、カメの肉片がいつまでも「ウェブログ(weblog)」として残存するし、折りに触れ、世界中何処からでもアクセスできるから、カメが地上から消滅しても“霊魂”はWeb空間を浮遊しているという図になる。

この10年ほど、蔵書を何度か古書店に持ち込み処分している。身辺整理と居住空間の確保がきっかけで、最初の決断までには時間がかかった。まさに身を切られるようで・・・。が、2度目からはほとんど抵抗感はない。処分したあとはすっきり、何ていうことはなくなった。
蔵書は本人にとって思い入れたっぷり、分身のような気もするが、第3者にとっては邪魔な粗大ゴミでしかない。人生、生きているということは、ゴミ収集車のようなものか、とも思う。

ブログ歴は2年余り。最初の、1年以上続けていたブログは今春、ある日突然「削除」されてしまった。「公序良俗」に反していたようなのだが、理由の説明もなければ、是正の勧告もなく、一方的な削除の衝撃は大きく、1ヵ月ほどは悶々として過ごす羽目になった。
その後、別のサイトでブログを再開したのだが、何故か、更新がままならない。で、もう一つ、ブログをスタートさせてみたのだが、同様で、しっくりこない。
本ブログにいくつかアップして気がついた。他のブログサイトと違い、ここは簡便、単純にして・・・、だから、ワクワクする。
外道カメの死言状にはぴったり、だ。

2006/09/21

◆カードゲームの魅力、魔力の根源は至高体験?

にしても、単純、簡便なものほど奥深い魔力を秘めているようだ。
パソコンにインストールされているカードゲーム、スパイダソリテリアには驚いた。畏れ入った。何も考える余地なし。使うのは、目と指だけ。目はしょぼしょぼ、かすんできても、それでもなおもう一度・・・で終日にらめっこすることも多くなった。
何ともお恥ずかしいが、去る日は出かける予定の銭湯温泉、食品スーパーは中止、出かけたのは腹が減ってきた夕暮れ・・・、近所の99円ショップのみ。唯ひたすら単純複雑なスパイダソリテリアの中級に繰り返し挑んで飽きない。

この魅力、魔力の根源は???
単純でありながら複雑・・・達成感だろうが、ご褒美は何もなし。
例のドク数?だったか、数字のクロスワードパズルも同様な快感があるのだろうと思った。

最近努めて頭を使わないように、考えないですむように過ごしてはいる。もっともそれは生来のものでもあるのだが・・・。
特にスパイダソリテリアにあたってからは、それが楽に出来る。知力は露ほども使わず・・・朝からニッポン放送、昼からは文化放送のやる気満々・・・をバックMにゲーム三昧の日々・・・、やみくもにただカードを撒いているだけであっという間に一日が過ぎていく。

これって、多分、写経にも通じる心境、境地だろう。パチンコもそうだろうが、この手の単純なゲームに集中していると、それを繰り返していることで「無」の境地に限りなく近付ける。これは至高体験・・・ともいえるだろう。

2006/09/20

◆タイのクーデターはマイペンライな茶番劇

にしても、タイの軍事クーデターは、いかにもタイらしい。国王陛下のお墨付きを掲げ、マイペンライと国民みんなでマジに演じる茶番劇だ。
一夜明けた20日、新聞、ラジオ、テレビとメディアをあちこちサーフィンしてみたが、軍事クーデターの緊迫感がまるでない。首相府の周辺に出動した戦車の写真を見ても平穏そのまま、血の一滴も流れていない。リアリティが感じられなかった。
というのも、今年に入って3回奉泰して、バンコク市街の土地勘はいささかある。首相府の周辺は繁華街からはずっと離れた、由緒あるワット(寺院)が点在する巨大な歴史公園の趣だ。BTS、地下鉄もまだ通っていなくて、夜間は人通りはほとんどなくひっそりしている。首都を制圧・・・といったイメージが湧いてこない。
通信社の写真をみても、観光用の記念撮影風だ。カメラマンは困惑したに違いない。
WEBで情報収集していたら、昼前に見つけた毎日新聞の【バンコク春日孝之】電によると、2台の戦車が待機する首相府北門前で実況していたテレビ局の女性記者(35)に、日本人観光客が「何のイベントですか?」と声をかけた・・・そうだ。
日本人観光客がノー天気なのではない。多分、これが今回の軍事クーデターの真髄だろう。カメがバンコクにはまる由縁だ。
東京に木枯らしが吹くころ、やっぱり予定通りバンコクに行ってみよう。

2006/09/18

◆ぼーっとするのは趣味?仕事?


にしても、そう・・・、カメは何もしなくても案外と退屈しないタイプや。
ぼーっとしているのも好きだし、それだけでいい。なにかしなければという思いは希薄だし、ぼーっとするのも何かしているうちの一つなのだろう。
趣味は?とか、趣味がないからとか、不安視する向きが多いが、取り立てていうほどの趣味はない。
第一、趣味っていうやつは金がかかるじゃないか。ブランドを云々するし、当然ステイタスになる。ぼーっとするのに金はいらない。好きなわけだ。
バンコクはバックパッカーのメッカであるカオサンのゲストハウスに滞在中、一泊250BT(750円)の部屋が気に入り、部屋代を3日分前払いしようとしたら、スタッフの女性は怪訝そうな表情になり、「あなたは何をしたいのか」と聞かれたものだ。
そもそもこうした安宿に長期滞在する輩は少なく、結果として長居したとしても宿賃は日払いで何日分も前払いする輩はいないようだ。
で、彼女に「散歩している」と答え、またまた驚かれてしまったのだった。
タイ人こそ日陰でぼんやり、ぼーっとしているのが大好きと聞いていたのだが…、街でそうした姿はほとんど見かけなかった。ただ、屋台で店開きして売る気があるのかないのか、ぼーっとしている奴はよく見かけたが…。
ぼーっとしたり、ゴロゴロしたり・・・という様は怠惰そのものにみえるし、その通りなのだが、それが可能な環境が必要になる。
何より、陽気がよくなくてはならない。気温25℃以上、日本でいう夏日、Tシャツ一枚で終日過ごせるようでなくてはならない。
じっとしていても汗ばんでくるようでなければ、そうはいかない。 ひゅーひゅーと風が吹いたり、しとしとと雨が降ったりでは、とてもぼ?とはしていられないのは当然だ。
バンコクでは、大規模なショッピングモールの出入り口に用意してある灰皿の横で地べた座りしてぼんやりしていると、あっという間に時間は過ぎていったものだ。
それでいいんじゃないの、と思うのだが・・・。
(2006.07.16)

◆黄泉の国・・・バンコク!!!

にしても、あとは死ぬだけ。
やりたいことは、なし。
やらなければならないこともなし。
思い残すこともなし。
人生50年、夢幻の如くなり・・・や。
死んでしまえば、それでお終い。
にしても、ロスタイムが長過ぎる、よ。

あとは野となれ、山となれ・・・、バンコク・・・か。
(2006.07.10)

◆マイペンライの精神・・・

にしても、マイペンライの精神には共鳴した。
明日は明日の風が吹く・・・宵越しの金は持たない・・・それでも食える風土・・・陽気がいいからなぁ。年間通してTシャツ一枚で過ごせるもん、ね。 たまらないよ。
それに、陽気のせいだと思うが、上昇思考が湧いてこない。 贅沢って、なに? なんだよなぁ。
限りなく、野生動物に近い生き方・・・それに疑問を感じない。腹が減らなきゃOK・・・それ以上、何を望むのか? 
あとはゴロゴロして、寝て、遊んで、食って・・・その三つの欲求が満たされていれば、あと、他のことは関心の外・・・というわけ。
気楽が何より。それ以上の欲望とか野心といった社会的な欲望とは無縁、無関心。 これって、バックパッカーの生き様と共通すると思うのだが・・・・いかが?
バックパッカーの中にはセコク、セコク毎日財布の中身を気にしながら、相談しながら、過ごしている方もおられるでしょうが、そうした方は早くバッグを置いて、足を洗った方がいいと思うのですが・・・
                                    (2006.06.28)

◆面白かった・・・バンコクでの哲学体験


にしても、5月のバンコクでは大分哲学できた。
なぜ、バックパッカーな暮らしを選択したのか。難しい話ではない。単に、選択肢がなかったから。 国家からの月々のお手当てが10万円。これだけでどうやって暮らしていけばいいのか。答えは簡単だった。10万円で暮らせる環境に身を置けばいい。それだけのことだ。
確かめに訪泰したバンコクはその点、思った通りピッタリの環境だった。
悩むことは元々嫌いだ。悩んで、いい結果が出るのなら、それもいいだろうが・・・。世の中、悩んでどうにもならないことのほうが圧倒的に多い。悩めば、悩んだで、それはストレスとなって蓄積される。中には、悩むことが趣味、楽しんでいるとしか思えないタイプもいるが・・・。カメは、そんなのはご免だ。
これまで、直感だけで判断し? 正確にいえば、体、肉体的な素直な反応に従ってきた。
川の流れであり、川の流れに逆らうほどの気力も体力も、知力も持ち合わせていない。
好き嫌いだけが判断基準ともいえる。好きなもの、ことには体が単純に反応する。快感でもある。
心身の快感に勝るものはない。 生体には拒絶反応が備わっていて、不快なこと、不快なものに対しては敏感に反応する。それこそ、体内に異物が混入すれば排除する。生死に関わるから当然なのだ。生体反応は素早い、瞬時である。
だから、生まれながらにして、どうにもならないことは、そのまま無視するか、そのままどうしようもないと受け入れてきた。 でも、どうにもならないことをあれこれ考えるのが哲学かもしれない。
これも、バンコクで体験してみて、ちょっと面白かった。
(2006.06.21)

◆バックパッカーな暮らしの真髄・・・


にしても、バックパッカーな暮らしは「最高」だ。
バックパッカーはホームレスと一緒じゃないかとみる向きもあろうが、ちょっと違う。
どこが違うかといえば、どこだろう? 実態はバックパッカーもホームレスも、同じといってしまえば、はい、それまぁ?でヨなのだが・・・。
メンタル面の違いだろうか。積極的か、消極的か・・・。
にしても、社会からドロップアウトしている。これは逃避で、いずれも変わりはない。
バックパッカーの中には、積極的に学問、研究などの手段として積極的に取り組んでいる方も少なくないし、社会勉強の一環としている若者も多いことも確かだ。
カメの場合は生活のためだ。豊饒の国では食えない。
全てに金がかかりすぎるのだ。これでは、ホームレスと変わらないだろう。
ただ、日本は寒い。寒いのは苦手だ。寒いと、何だかんだと、つい考えてしまう。陽気が暖かいと、何も考えなくてもいい。明日のことも、明後日のことも、まして1年後のことなど・・・。
いまだけ、いまだけしかない。それこそ、いま体を横たえてゴロゴロしていてもいい。多分、明日も同じことをしているだろうし、それはできる、それがバックパッカーな暮らしの真髄だ。
カメの人生訓は、川の流れに身を任せる・・・だ。 それで、ずっとこれまで流れ流れて来た。いま、一人暮らしで、金なし、家族なし、余命なし、夢もなし・・・ないないづくし。あとは死ぬだけ。
強いて夢を探すと、浮上するのは中出し・・・か。
といって、種なし、中折れでは、これはまた、夢のまた夢。
いま、肩に背負おうのはバックパックだけのバックパッカーな暮らしは、カメにとっては「最高!」なのです。
                                       (2006.06.15)