2010/04/09

◎散り始めても春はソメイヨシノ・・・


にしても、今春の寒さは異常としかいいようがないのだが、ポカポカ陽気を待っているうちに、ソメイヨシノが散り始めてしまって、昼から晴れ間がのぞいた6日の昼下がり、慌てて自転車で近くの平和島・平和の森公園へ出かけ、デジカメのシャッターを押してみたのだが・・・。その後も天気は回復せず、風は止まず、再挑戦の時機を逸し、いまいち納得しないままアップしてしまったわけで、なんともお恥ずかしいのだが、これも春恒例のカメの息吹?
写真をアップして浮かんだ一句、恥ずかしながら・・・

はかなさを我が身に擬して幾年か

2010/04/05

◎ シュレッダーにかけた16年分の日記帳


にしても、わが身を切り刻まれるような気がするのではないかと怖気づいていたのだが、やってみれば何のことはない、自らとの決別はあっけらかんとしたもので、拍子抜けした。先夜、スライド式書棚の奥に収納していた1993年から2008年までの我が日記帳16冊を2日がかり、夜の特番テレビを眺めながらシュレッダーにかけたのだ。

2、3ページづつ引き千切りながらも、目はそのページには飛ばず、馬鹿馬鹿しいテレビ画面に向けられていて、もはや何の感慨も湧いてこなかった。ページのどこかへ目を向ければ、この作業はたちまち中断して先に進めなくなることは明らかなので、意識的に目はぼんやりテレビ画面に向けたまま、作業は続けた。そして、改めてこのカメ、息は続けているものの実は死んでいる、もはや生身の血は流れていないことを実感した。

何のことはない、カメが生きてきた?証(のつもりの)16年分が、邪魔な紙屑でしかなかったことを思い知らされた。シュレッターにかけられた日記帳は小紙片に姿を変え、大きく膨れ上がったものの、大きなゴミ袋に入れて空気を抜かれると幾分小さくなったが、それでもノート1冊の10倍以上に嵩張った。マンション1階のゴミ集積所にそれを運んで、部屋に戻るエレベーターの中で、何となく身軽になった気がした。

2010/03/28

◎首をかき切るほどの羞恥心・・・消滅


にしても、最近、あの「西部邁」がお気に入りになった。土曜日の午前11時、たまたま見つけた東京MXテレビのトーク番組「西部邁ゼミナール~戦後タブーをけっとばせ~」を視聴して、はまってしまった。例のぞんざいな口調で森羅万象を滅多切りにして痛快、爽快にして、浅学菲才、浅薄なカメにとっては何とも面白いの一言・・・。MXのHPに西部ゼミのアーカイブが作ってあり、過去の放送分を公開しているので、時々アクセスしている。http://www.mxtv.co.jp/nishibe/
ちょっと笑ったのが、確か、文芸評論家・富岡幸一郎氏がゲストの時。現代人の羞恥心のなさに話が及んだ際、冬季五輪で正装のスラックスを腰骨の下まで下げてはくなど服装の乱れでスノボの国母和宏選手が叱責され日本選手団入村式への参加を自粛した件を取り上げながらフィギュアスケートに話が及び、「女性が丸裸同然の格好で、見ようによっては丸裸で(氷上を)走っている。女性が裸も同然の姿で人前で股を広げたり、ひっくり返ったりしていること自体、昔の羞恥心(からいえば、そんな格好をすることは)、女性は首をかき切るほど恥じ入ったもので・・・、そういったことをやっていながら(JOCやスキー連盟に)国母君にパンツが下がっていたとか、そんなことをいう筋合い、資格があんのかいと・・・冗談を飛ばしたくなるくらい、日本人はおかしくなっている、ね」とお馴染みのニヒルな笑みを浮かべた。
まさに、我が意を得たりだった。女性の奥床しさなど、現代では既に死語に近い。勿論、身近で奥床しさを感じることはない。西部氏には叱られてしまうだろうが、確かにTVでフィギュアスケートの女子は視聴するが、男子は見る気にならない。その女子をそんな視線で見ながら、ひょっとしてロリコンになったかと思ったものだ。

2010/03/23

◎DVD買取135円、あぁ〜恥ずかしき日々ヨ


にしても、135円なんて・・・、あまりのことに溜息をつくしかなかった。ポカポカ陽気になった先日の昼下がり、クローゼットの奥から出てきた手提げ紙袋にいっぱいの中古DVD(25枚)を蒲田駅近くのDVD店に持ち込んで、買取を依頼した時のこと。1枚10円でも250円にはなるなと踏んで自転車に乗ったのだが、結果はそれほど甘くはなかった。もう10年以上前にしまい込んで忘れていたもので、それもカバー写真に釣られて買ったものの役に立たず、まとめて紙袋に詰めていたものだけに、マンションのゴミ集積所に出してもよかったのだが、それは何となく恥ずかしく、憚られて・・・。ぽかぽか陽気を待っていたのだ。
査定の待ち時間は店内の書籍コーナーでアダルト雑誌を手にしていたが、その種類の多いことといったらない。大半はDVDが付録についていて、価格は300円位から上は数千円まで。久々にのぞいたDVD店の品揃えには舌を巻くばかりだ。
査定の結果、10枚についてはモザイクがどうとかで引取不能と告げられ、続けて「古い作品ばかりで・・・」と値段がついたのは15枚で、その合計は135円。1枚10円にも満たぬお粗末さ。何とも情けなく、引取不能の10枚は廃棄を依頼し、135円の硬貨を掌に握り買取書類にボールペンでサインしたものの、何となく納得はいかず、あぁ〜恥ずかしき日々よ、いつまで・・・と慨嘆した。

2010/03/16

◎孤独は極上の幸せ、至福の快感である


にしても、人は何故、孤独を恐れ不安に感じるのか、カメにとって孤独は極上の幸せ、至福の快感であるというのに・・・。昨夜のテレビ「ビートたけしのTVタックル」 で高齢化社会の問題として「孤独死」を取り上げ、千葉の団地ではNPOの会員が1人暮らしの老人宅を巡回しながら生死を確認する活動を紹介していたが、これは余計なお世話、お節介ではないかと感じた。死ぬ時くらいは、1人で心静かに穏やかに死にたい。死んだらお終い。後は野となれ山となれ、だ。
孤独は、人間が社会的動物、社会的存在であるからか、その文脈で語られ、倫理、道徳面からは悪行のようにみられ、おかしなことに寂しいという言葉がついて回ることが多いのだが、果たしてそうか。カメにいわせれば、それらは偏見であって、ちゃんちゃらおかしい。
寒い夜、明かりの点いていない冷え冷えとした暗い部屋に1人帰るのは寂しいとは、よく耳にするのだが、カメはそんなことはない。カメは浮き浮きして、足は軽くなり、誰もいない、気兼ねしなくてもいい、気侭に過ごせる部屋に落ち着ける喜びが沸いてくる。孤独だからこその快感で、共感者は少なくないと思うのだが、この世にはそれを公言することがはばかられる空気がどんよりと漂っているわけだ。ま、それを人の道とでもいうのだろうが、その道を外れた外道のカメには本能の赴くまま、勝手気侭に過ごすのが何より、快楽こそ人生なのだ。それは孤独だからこそで、「孤独は極上の幸せ、至福の快感である」と本外道カメの死言状に加えておく。
Netで探してみたら、仏の小説家・バルザック(1799年 – 1850年)はこんな言い方をしていた。
「孤独はいいものだということを我々は認めざるを得ない。しかし、孤独はいいものだと話し合うことの出来る相手を持つことは一つの喜びである」

2010/03/12

◎孤独というやつ、カメにとっては快感・・・


にしても、 1957年製作のスウェーデン映画『野いちご』を衛星テレビで見て、何となく自らの人生を振り返ってみたくなった。映画は、人生の空しさと孤独を、一人の老教授を通して、現実と回想と悪夢の中に描いたベルイマン監督の傑作。前作「第七の封印」で神の不在を問うたベルイマンは、この作品では人間の愛と憎しみ、生と死といったテーマに鋭く切り込んだとの触れ込みなのだが・・・、どうやら欧米でも輪廻転生は死生観のテーマになっているらしい。それに、老人、死、孤独、勲章、故郷、父母、家族・・・といった言葉がキーワードになっていて、キリスト教も仏教もいずれも根っ子では共通している、と改めて確信した。
映画の中で老教授の息子は「人生に吐き気がする」「好きな時に死ねるよう、身軽でいたい」「望みは死ぬことだけだ」と話し、息子の身重な妻は「この老女(老教授の母親)はまるで屍のよう。でも、生きている。死よりも恐ろしい。そして、息子(老教授)はまるで逆、生きながら死んでいる。夫も孤独で冷たい屍。お腹の子は、
この孤独と死が脈々と続いてしまう」と話し、父母、家族といった身近な人間関係のDNAを解き明かそうとしているようだ。そして、映画の中で老教授は冷淡で自己中心的、無慈悲のため有罪とされ、その罪は孤独と裁定されるのだが・・・。

自分史を振り返ってみて、外道のカメに悔いの残ることはない、なんていうほど真面目に一生懸命生きてきたとも思えない。というか、川の流れに身を任せて何もしていなかったというのが真実で、野いちごの主人公の老教授と重なる部分は多い。もちろん、老教授ほどの知識も、教養もないが、冷淡で自己中心的、無慈悲という情緒面ではピタリと一致する。で、その罪が孤独となり、いま、確かにカメもその罪を受けているようにも見えるのだが、実はその孤独というやつ、カメにとっては快感以外の何ものでもない。外道の外道たる所以でもある。さらに、ねばならないこともなし、最近では、食っちゃ寝・・・の生活リズムが出来たようにも感じている。ウフッ。

2010/03/04

◎のんべんだらりとしていられる幸せ・・・


にしても、今回の確定申告はあまりにもあっけなく終わって、拍子抜けした。昨21年は年金収入だけで、その額たるや、生活保護を受給した方が間違いなく多いに違いないと憶測できるほどだから、申告書への記入はいとも簡単に終わってしまった。源泉徴収額もなければ、必然的に納税額もゼロというわけで、気がかりなのは地方税と固定資産税、国民健康保険料の額といったところ。先の気温が2桁半ばになった昼時、自転車で届けてきたが、受け取った職員はノーチェック、受領印を押した控えを受け取って、何となく物足りなさを感じると同時に、何か身軽になった気がした。
まさに、天下晴れての国家ニートというわけで、初めて国家というか日の丸に対する帰属意識の萌芽を感じた。この国家への依存感というか、もたれかかる心情、安心感というのは、相手が国家だけに、家庭とか会社などと違って、大いに頼りがいがあり、それを意識するのはちょっとした快感だ。セイフティーネットの張り巡らされたところで、のんべんだらりとしていられるというのはこたえられない。といいつつ、この寒さは何とかならないか。何とかしてもらえないものだろうか。ない知恵を絞ってチェンマイに避寒してみたわけだが・・・。

2010/02/26

◎ドラスチックに始まりスピーディに転換・・・


にしても、チェンマイ暮らしから東京暮らしへの切り替え、今回はちょっとドラスチックに始まったが、スピーディに転換できたような気がする。
まずは、成田空港に着いた24日の朝、ロビーに出た解放感から喉の渇きに促されて自販機の前に立ったら、150円のボトルがズラリ、 衝撃の150円というわけで、一瞬頭は真っ白、次に?????が浮かんだ。
おい、おい、どうなってるの? どうして、こんなお茶のボトルが「150」なの・・・、これじゃ買えないよ、っていうか、どうして、なぜ、こんな値段なの? 帰ってこなけりゃよかったよ、と思った。バーツから円への切り替え、頭ではわかっていても、生理的な拒否反応が強く行動がなかなか伴わなかった。
で、買ったお茶は「むぎ茶」で、一気には飲み干せず、結局は、京成から京急に乗り換えても後生大事にボトルを握っていた。
次に、我ながら驚いたのは成田空港から京成の上野行き快速特急電車に乗ったとき、荷物は網棚に乗せてしばらく走ると車窓に外の景色が映ってきて、ぼんやりロングシートに1人で座っていると、何やらムズムズしてきて、フムフム、来た来たってなもんで、空いている車中で屁・・・、へっへっへ、へへへ。腰を浮かせて、フゥッ~~、プスゥ~~ってな感じ。いや、臭かった、ねぇ。まさに、チェンマイの匂い、ニンニクやなぁ。懐かしい・・・。車内を見回しても、他にお客さんは、遠く離れて2、3人・・・程度で、気付かれる懸念はなし。ま、これがチェンマイの最後っ屁、ってわけかと、何となく納得していた。普段、あまり放屁体験は少ないのだが・・・。
昼前に部屋に着いて、留守電をチェック。一件だけで1月31日13:12、再生したら「チェンマイの本人です・・・」。携帯電話の通話テストを兼ねた留守電だった。
32インチの液晶テレビを点けたらバンクーバー五輪、フィギュアスケート女子ショートのライブ中継が映っていて、 荷物をほどきながら、ついつい視聴。 ヨナが真央抑え暫定1位の結果に、確かに紙一重の差を感じさせられていた、よ。
結局、午後2時30分過ぎてから近所のすき家に出かけて鮭トン汁定食(460円)。懐かしの日本食としてこのところの定番メニューとなっているが、郷愁に耽るほどのインパクトはなかった。

2010/02/17

◎難民と 呼ばれて俺か マイペンライ


にしても、ロングスティとかビザの延長とかのキーワードでネットサーフィンをしていたら、先日「チェンマイ難民」なる言葉が飛び込んできた。な、な、なんと、である。テレビ番組でチェンマイ暮らしの日本人老夫婦の節約生活が紹介され、団塊の世代のリタイアで今年は約2000人がチェンマイに押し寄せてくる見通しで、お金を使ってもらえない難民の急増に当局は困惑している・・・といった内容のネット情報だ。
何とも刺激的でストレート、図星を突かれてカメは、その言葉を難民批判と感じたのは過剰反応か。ともあれ、情報の真偽を確かめたくて「チェンマイ難民」をキーワードに検索してみたところ、日本の年金難民とタイ国境の難民の2種類の難民問題が浮上してきた。
カメの関心はもちろん年金難民である。アップされている情報を辿ってみると、その出所は関口宏の「水曜ノンフィクション」(TBS、09年1月29日放映)の「年金で暮らせるか」特集で「“年金難民”が増えている海外へ」。その中で、タイのチェンマイに移住している老夫妻が登場していたという。番組の内容を的確に紹介していると思われるブロガーの報告によると、こうだ。

日本国内で少ない年金での生活は節約、節約の毎日。それならばということで、物価の安い東南アジアに年金生活者が豊かな生活を求めて流出していて、そういった方達を「年金難民」と呼ぶらしいです。なかでもタイのチェンマイには年金難民として2000人以上が生活していて、番組ではチェンマイに住む年金生活者夫妻をクローズアップ。月18万円の年金で、チェンマイでは月10万円の生活。インタビュー当初は、日本よりも楽園だと答えていたものの、バスタブが無く、タイ料理に馴染めないため自炊をするも、調理はキッチンが無いため洗面所で。煮炊きするのは一つの電気鍋だけで、とても不自由な生活を強いられている、といった感じ。社交的な妻に対し、言葉の壁を感じ、なかなか外出したがらない夫が引きこもり状態。インタビューも最後になると、できれば日本で暮らしたいと…。この映像を見る限り、チェンマイには住みたくないなぁ~と思いました。インタビューを受けていたご夫婦を見ている限り年金が問題なのではなく、「言葉」と「食事」、この2つが問題となっているのでは? と思いました。

なるほど、番組制作者の目からすれば、頂きなんだろうが、洗面所で調理する映像などは確かにショッキングだろう。が、これを年金問題と絡めるのは如何なものかと思うのだが、Net上には、ロングステイヤーたちの声が飛び交っていた。

「最近チェンマイあたりに年金で住む人を年金難民というそうです。 ちょっとショックな言い方ですが、あながち当たっているかも知れません」
「テレビで報道されたチェンマイ難民て!! ・・・ロングステイヤーには酷い呼び名・・・、 年金の受け取りが少なくて、とうとうタイのチェンマイで生活しなければ生きて行けない人が今年だけで2000人チェンマイへ訪れると」
「年金難民、日本に帰れず路上生活 ?」
「 ロングスティーヤーは『年金難民』・・・。 そうです。日本でもらう年金では、日本では息たえだえの生活しか出来ません。 私達の仲間は、ロングスティーヤーは、年金難民と呼び合っています」
「タイ日本人社会の最下層を構成するロングステイ難民はチェンマイだけで500人はいるという。不景気な世の中、増えることはあっても減ることはないだろう。ロングステイの影の部分ではある」

で、浮かんだカメの一句・・・
難民と 呼ばれて俺か マイペンライ
チェンマイ 難民暮らし 板に付き
難民の 手にずっしりと バーツ札  *バーツはタイの通過単位

2010/02/16

◎ Tシャツ1枚でノー天気に過ごすため、か


にしても、時の経つのは早いもので、チェンマイ滞在はもう残り1週間となって、はて、さて・・・としていたら、友人からメールで「前回のタイ三昧と違い、また、元のブログに戻ってきましたが、一体、タイを訪れた目的はなんだったのかな??? らしくないよ」なんて、またまた「目的???」を聞かれてしまった。本ブログをしっかり読んでいただいているようで、何とも有り難く、厳しくも、的確なご指摘に感謝感激・・・、まさに、その通りで、自らもチェンマイで何をしたいのかわからない・・・って、混迷の世界へ突入したよう。
何せ、今回は到着翌日に、あまりにも簡単に終の棲家に辿り着いてしまったのが大きい。とりあえずは、終の棲家探しが目的だったのだから・・・。その上、そこではインターネットに24時間無料でアクセスでき、海外でも日本のテレビをライブで見られるソフト、KeyHoleTVをダウンロードしたとあっては、日本での生活環境をそっくりそのままチェンマイに移したような感じになってしまって、つい、つい、大好きなのんべんだらり、Net三昧の日々を送ることになって・・・なかなか外にも出なくなり、日本での生活を2時間遅れでなぞっている感じ。
だから、夜は結局、午前2時ごろまでYouTube(どこのどなたのサービスかは知らないが、ひょうきん族などかつての人気番組が嬉しいことに増えている)を眺め、ダウンロードしていささか疲れ、朝は寝坊してぼんやり、なんていう日が続いている。時には、エロ動画専門サイトなどにアクセスすると、2時間の時差にひっかかって「メンテ中」が何度もあったり。
で、改めて、チェンマイ訪問の目的を振り返ってみると、東京で気温がひとケタ続きの日にも半袖、Tシャツ1枚でノー天気に過ごすため・・・といったところか。ウフッ。

2010/02/15

◎岡チャンではもうムリ、見る気にもならない


にしても、サッカー 東アジア選手権の日本Vs.韓国戦(14日、国立)にはガッカリした。酷い、お粗末な試合を見せられた。こんなんで、ほんとにWカップに出る気なのかね、出られるのかねと、にわかサポーターのカメの目から見ても納得できない試合内容だった。見てて、ほんと、勝てる気がしないもん、ね。本当に勝ちたいのか、勝とうとしているのか、そのガッツも、まして戦略、作戦も見えない、伝わってこない。ただ、ミスなくボール回しに専念していて、シュートを蹴ろうともしない。こりゃ監督が悪い、と素人目にも感じた。
この試合のライブ中継はチェンマイで、パソコンにダウンロードしたKeyHoleTVで観戦した。実は、フジテレビ開局記念特番「日本代表踊る大4連戦」はいずれもチェンマイで視聴環境が劣悪にもかかわらず見続け、結果、イライラを募らせていたのだ。韓国戦が終了した際は、もうW杯は見なくてもいい、見ない方がいいよな、と思った。
一夜明けて、パソコンを開きスポーツニュースの見出しを拾ってみたら、あからさまな岡田監督解任論が飛び交っていて・・・。
韓国に惨敗…岡田ジャパン解体へ緊急会談
サポーター岡田監督にクビ要求/東ア選手権
岡田監督、解任論噴出!韓国に惨敗3位
稲本潤一「ブーイングは受け止めないといけない」/日本代表
日本、攻めの形つくれず 守備も崩壊で韓国に惨敗!!/東アジア選手権
さらに、写真はホーム側ゴール裏に立った横断幕「岡チャン不合格 決断セヨ サッカー協会」。
そして、後任候補の1人に浮上している元中国代表監督のボ ラ・ミルチノビッチ氏(65)が会場で視察している姿が目撃された、とも。
で、日本代表の岡田監督の去就問題で、日本サッカー協会の犬飼会長、原技術委員長が15日にも緊急会談を行うとのこと。こりゃ、早く決めて、新たな気持ちで再スタートを切ったほうがいい。

2010/02/14

◎「何をやりたいのかわからない」とまたいわれた・・・


にしても、「何をやりたいのかわからない」と、またまたいわれてしまった。「タイ語を本当にやりたいのか。コミュニケーションをとれるようになりたいのか。発音が出来ていない。1週間の間に復習した跡がない。となれば、こちらではどうしたらいいのかわからない」とも。いやはや、厳しいご指摘に二の句が継げなかった。今回、終の棲家の家主の若女将から、週1回、タイ語会話の個人レッスンをお願いしていたのだが・・・。なんせ、生来の怠け者で、勉強嫌い、なおかつ、努力もしなぃ。のんべんだらりとしているのが一番好きなどうしようもない生徒なのだから、押して知るべし。特に、会話では、結果は誤魔化せない。何だ、何もできていないじゃないか、とあからさまにいうわけにもいかず、教える気も失せるというものだ。で、冒頭の台詞が口をついて出たのだが、それも、熟慮を重ねた挙げ句のようだ。これに対し、さすがに「実は私もわからないんです」とはいえず、何とも面目ないことに除籍と相成った次第なのだが、「何をやりたいのかわからない」と面と向かって真面目にいわれたのは、これで2度目だ。
最初は、もう17年前になる。カメ、50歳になった年のこと。人生50年・・・夢幻の如くなり、なんて感傷に浸りつつ、大きな目標を成し遂げた達成感に高揚して、これでよし、後は余禄で息を続けるだけと、何と何を勘違いしたのか、有限会社を設立してしまったのだ。そして、銀行から紹介された税理士に半年ほど経ってから、「社長が何をやりたいのか、わからない」としみじみといわれたものだ。「なぜ会社にしたのか。フリーでやっていられたのでは・・・」とも。確かに、そうだった。自分でも何をしたいのか、人生50年を成し遂げて、それで終わった気が強くしていた。で、後は、それまでと同様に、いまも時の流れに身を任せ、川の流れのままに漂っている。それが、何より好きだし、心地良い。
それ以上の何を望めというのか・・・。カメも自分自身で何をやりたいのかわからないんです、と独りごちてみたものの、その実、やりたいことといえば、唯一つしかないわけで・・・、ウフッ。

2010/02/11

◎なぜ帰らなければならないのか・・・


にしても、今回の訪チェンマイ、半分を過ぎ、残り2週間を切ったというのに、そんな気がしない。終の棲家に辿り着いてしまったからだろう、すっかり腰が落ち着いてしまい、帰らなければならないという思いは消し飛んでしまった。いつまでもこのままここにいられるような気になっているから、不思議というか、困ったことになった。
東京にいれば、雪が降るのか降らないのかしなくてもいい心配をして、寒い、寒いと身を縮こませていなければならないだろうに、こちらにいれば毎日天気は晴れ、明け方気温は20℃近くに下がって、高原の涼感が漂い、昼間の気温は30℃近くまで上がるものの湿度は低く、Tシャツ1枚で汗ばむほどでもなく、エアコンも必要としない快適な陽気に、考えることといえば何を食うかぐらいか、ノー天気に過ごせる。

で、せっかく見つけた終の棲家を文字通り確かなものにするため、正式なビザを取得してみようと思い立って、大使館のHPにアクセスしてじっくり読んでみたら、カメの経済環境では資格条件に当てはまらないことを、改めて思い知らされた。残念ながら、これまで通り、1ヵ月未満のノービザでの滞在を繰り返すしか方法はないようだ。
ビザの種類とか、提出書類の条件などをみると、カメのような日本での生活困窮者には入国して欲しくはないという本音がチラチラしていた。当然だろうが、定年ビザについていえば、年金受給証明書の金額が以前は確か5万バーツ以上でカメは失格、諦めていたのだが、今回改めて読んでみたら、それが6万5000バーツ以上に引き上げられていて、団塊世代の大量リタイアを控えてハードルを引き上げてきているような気がした。
カメは一体どうしたら・・・なんて、ね。

2010/02/08

◎終の棲家に住み着き、脳の酸化が急加速・・・


にしても、前のブログで一句詠んでみて自らの脳の酸化症状の進行に気付き、愕然とした。脳の萎縮なんていう言葉も脳裏に張り付いているのが見え隠れする。
そもそも一句・・・なんてタマじゃないのに、妙なことだった。で、今回のチェンマイ訪問を振り返ってみると、確かに、前回の11月には連日のようにブログを更新していたというのに、今回はそれが一向に気にもならない。書く気にならない。書くのが面倒臭くなっているのだ。一句なんて持ち出したのも、実は筆が進まなかったから、苦し紛れのような気がする。何とも、情けない。
薄々気が付いていたことがある。終の棲家の存在だ。ここでは終日、インターネットにアクセス出来、それも無料だ。あまりにも早々と、この極少予算でこれ以上は望めないと思う棲家に辿り着き、唯一の老いの生きがいであった終の棲家探しの目標があっという間に達成されてしまったのだ。その達成感は何ともいいようがないほど嬉しく、してやったりなのだが、でも直ぐにいいようのない虚脱感に囚われたのだ。
つまり、あとはもう何もしなくてもよくなったのだ。と、と、あとは、ここで息を引き取るだけじゃないか、というわけだ。
もはや、本も新聞も雑誌も読まない。情報はインターネットだけが頼りのカメだ。7日、日曜日の朝についていえば、Yahooのトップページで最初に目に入ったのは「優木の交際相手はしずる村上」。前日の「次長課長・井上と優木まおみ熱愛発覚!」の続報だから、押して知るべし、だ。もはや、脳は赤錆が浮いているに違いない。
また、24時間インターネットといいながら、ノートパソコンを開いて実際に何をやっているかといえば、トランプゲームのスパイダソリティアにうつつを抜かしていることが多い。単純で簡単なルールのゲームだけに、何も考えなくてもいいから楽で、あっという間に1時間ぐらいは経っていて、自ら驚かされる。時には達成感も味わえる。終の棲家に終日篭っていても、こうした単純明快なゲームは飽きることはない。

棲家はナイトスポットが点在するロイクロー通りを歩いて横道の路地に入ったところ。この通りには妖しいオープン・ビアバーが軒を連ね、そこの止まり木には若い娘たちが屯し、欧米人がビールを飲んでいたりして、ナイト・バザールも直ぐ傍だから夜遊び派には申し分ない立地なのだが、いかんせん、極貧暮らしのカメのこと、そうした光景を目蓋に焼き付け、指を銜えて涎を垂らすしかないというのは、あまりにも悲しい、か。
でも、この現実は現実として厳然と存在し、それは変えようもないし、それを変える気もないし、これまでもそうした現実は何の疑念も抱かずに粛々と受け入れてきた・・・なんて書いて、その現実の写真がないことに気付き、棲家を出て、遠目にシャッターを押してきたが、これがまた、ご覧の通り、何ともお粗末な出来、よ。

終の棲家に腰を落ち着けた途端、脳の酸化が加速したなんて、これももう粛々と受け入れるしかないのだろうなぁ。また、また、トホホ、だ。

2010/02/07

◎堀沿いに 人溜まりけり 木陰の涼



にしても、チェンマイでは時間が経つのが早い。もう、あと2週間余、半分過ぎたとも思えないのだが、確かに、何もしてないもん、ねぇ。ただ、のんべんだらりと・・・、一番好きなコースを漂っている。ま、終の棲家が見つかり、そこで終日インターネットにアクセスできるとなると、ねぇ。今回、自転車を借りたのはまだ3回だけ。前回は連日だった。
昨6日はチェンマイ3大祭りの一つといわれる花祭とかで、午前8時ごろ、花飾りの山車が郊外の鉄道駅近くの公園から出発して旧市街のターペー門を目指し、そこから堀沿いに南下、西の外れまで練り歩き、その数はかなり多く、先頭が出てから最後の山車まで2時間以上はかかるとか。


せっかくだからと、カメは10時30分ごろ、とりあえず棲家から最も近い、ナイトバザール通りとターペー通りが交差する辺りに駆けつけてみると、山車のパレードが延々と続いて、何時果てるとも知れず、強い日差しの中、デジカメのシャーッターを押し続けるのも30分余で飽きてきて、その場から行列の後を追い、ターペー門近くからはお堀沿いに南に向かって歩きつつ、一句・・・。

堀沿いに 人溜まりけり 木陰の涼
・・・なんてね。推敲が足りないのは承知で、不満ながら・・・。ちと、面倒になった。良くなりそうな気はしているんだが、ねぇ。辛抱が足りないし、何より、脳の酸化が加速しているのを痛感している。トホホ・・・。

2010/02/05

◎朝青龍の引退で相撲は完全に消滅する


にしても、朝青龍が辞めて、カメは相撲を見る気がしなくなった。多分、もうテレビで生中継を見ることはないだろう。朝青龍の相撲は面白かった。大きいとはいえないあの体で、足腰だけでなく、腕っ節がめっぽう強く、最後まで勝負を諦めない集中力で相手を薙ぎ倒す。その執念は、日本人にはないものだ。相撲というより、格闘技といった方があたっている。朝青龍の足が俵にかかってからの粘りには、日本人力士は驚いたろう。日本の国技の美学からすれば、そんな粘りは勝負に拘り過ぎで、はなはだ見苦しい、潔く土俵を割るのが相撲道というわけだ。朝青龍には理解出来なくて当然だ。土俵から出されたら負け、土俵に手を付いたら、土俵に倒れたら負け、というのが相撲だ。それを徹底して実践、勝ち続け、横綱を締めたわけだ。
平成11年初場所初土俵。15年初場所後に横綱昇進。優勝25回、殊勲賞3回、敢闘賞3回は輝かしい戦績だ。なかでも、7場所連続優勝には、驚嘆した。朝青龍の強さの証明だし、相撲を改革した革命児の証だ。それに、その挙措動作にまで顰蹙を買った。カメの目には可愛らしく映ったのだが・・・。
それが横綱の品格だ、なんだかんだと姦しい。何とも、ピンと外れなことよ、と思っていたら、引退だと。まだ、
29歳、十分相撲は取れる。何といっても、初場所では優勝しているのだ。相撲が日本の国技だなんて一体誰が思っているのか。白鵬の守りの相撲では、見る気にもならない。これで相撲は完全に消滅する。
朝青龍の引退会見をパソコンで見て、何とも理不尽ないまの日本の現状を憂い、さらば相撲と、1人ごちた。

2010/02/01

◎イマイチだった「KeyHoleTV」


にしても、海外でも日本のテレビがライブで視聴できるというフリーソフト「KeyHoleTV」は使ってみてイマイチ、日本での毎日の生活がいかにテレビに依存、束縛されているか、改めて思い知らされた。
まず、「KeyHoleTV」によるTVのライブ視聴は少々難あり、技術的にまだ検討の余地あり・・・といったところか。もっとも、この評価はタイ国内、Netには無線によるアクセスで、スピードは生憎と知らない。そんな条件下だからなのか、番組放送が安定せず、中断もあり、音声がプッツンと途絶えたり、、画像のブロック崩れ、乱れもある。小さい画面と対峙、睨めっこしているしかない。このソフトを起動していると、他のソフトが使えない。他の作業をしてみたら、画像に乱れが生じたり、ソフト間の齟齬が頻出したため、カメが大好きなTVのナガラ視聴が出来ないのだ。
ちなみに、昨日曜日の夜はいつものように「さんまのスーパーからくりTV」「 ジャンクSPORTS」「行列のできる法律相談所」を視聴したが、さすがに疲れた。ま、見たいと思って見ているのは「さんま」と「紳助」だけで、それも絶対ではない。今回は、そんなフリーソフトに敬意を表し、今後の改善、改良に期待したい。

2010/01/30

◎日本のテレビ番組が無料で見られるとは・・・


にしても、終の棲家が決まってしまうと、時間も気分も余裕ができ、その上、インターネットも無料とあっては、やることは一つ、東京での生活とほとんど変らず、部屋に引き篭もってNet三昧の日々が始まったと思ったのもつかの間、海外で日本のテレビが見られる無料インターネットテレビ視聴ソフトがあると知って、ダウンロードしたら、なるほど、なるほど、リアルタイムで日本のテレビ番組が見られ、ラジオ放送が聴けるじゃないか。いや、驚いた、ね、もう。
ちなみに、このソフト、KeyHoleTV(キーホールテレビ)といって、アンテナもテレビチューナーも不要。P2P技術によってパソコンで地上波アナログ・テレビ放送を視聴することができるソフトウェアで、総務省の「次世代 P2P型コンテンツ流通高度化技術に関する研究開発」によって開発されたそうだ。全く知らなかったが、これをつかって、自分で音声・映像を発信してこの KeyHoleTVに配信することもできるそうだが、こちらはテレビ、ラジオの視聴だけで十分満足だ。何か、原口総務相にお礼のメールでも送りたくなった。
いとも簡単にノートパソコンにダウンロードできてしまい、まずはいつも聞いているラジオ放送、そして民放テレビにアクセスしたら、土曜日の午後とあって、いつも視聴している番組が見当たらず、さて、はて・・・やった。
ま、夜の特番でもあれば、こちらでは2時間の時差があるので夕方からのテレビ三昧ともなりそうな気がしている。

2010/01/29

◎ これがまあ終の棲家かロイクロ通り



にしても、チェンマイでやっと終の棲家を手に入れた気がする。これまでの汗と涙の結晶、というか、ご褒美やな。この2ヵ月近く、日がな一日、Netにアクセスして、チェンマイのゲストハウス、サービスアパートメント、ホテルをサーフィンしていた。
その中で、ちょっと目に付いたゲストハウスに年明け早々予約を入れた。チェンマイに到着した夜と翌日の2泊(一泊200B=600円)で、2日目にリストアップした終の棲家候補を見て回ってから、その後の予定を決めるつもりだった。予約したゲストハウスは近くでサービスアパートメントも運営していて、まずは、そこから巡回してみようと思っていた。
予約したゲストハウスに着いたのは午後6時過ぎ。確か、前回訪チェンマイの際、このロイクロ通り近辺は探索していた。チェンマイ唯一の繁華街、ナイトバザールへ徒歩10分圏内で、ビアバー(オープンバー形式の飲み屋)が密集した欧米人の歓楽街、ホテルやゲストハウスも多い地区だ。
ゲストハウスの第一感は古くて、古くて・・・。何せ、1泊200B(600円)、ま、しょうがない、か。とにかく朝4時起きで、トータル8時間余のフライトでクタクタとあっては、別の選択肢を探したり、怒ったりする余力はもうなし。と、ほほ。2日分400B(1200円)を払って、狭い部屋に。荷ほどきする気にもならない。ナイトバザールへ突っかけでブラブラ、ちょっつと迷いつつも、タイレストランでチャングビールのLとカオソイチッキンをオーダー。なかなかのもんやった。170B(510円)。で、早寝、多分、9時過ぎ、や。


    2日目の朝、跡継ぎ息子の案内でそこから歩いて5分足らずのアパートへ。
そこは5階建て、薄いピンク色の洒落たマンションだった。狭いが、中庭には水を張った小さなプールがあって、プールサイドには木製のデッキチェアーまであった。建物に入ると、床はピカピカのタイル張りで、もうそれだけでOKの気になった。
部屋は2階の角部屋で、20㎡余りのワンルームと4㎡余のユニットバスルームにベランダ付き。設備は、ダブルベッド、エアコン、テレビ、冷蔵庫、扇風機、木製のサイドボード、洋服かけ、ソファー、バスタオル2枚、ミニ石鹸、温水シャワー、トイレ、洗面台、とこの値段でこれ以上は望めないというレベルで、OKと即答した。


これまで散々見てきた体験からして、これ以上探してみても、この部屋を上回る物件は、まずないと思った。リストアップした中に、ひょっとしたらあるかもしれないが、それらはいずれも郊外で立地で劣る。何かがないにしても、ロイクロ通りのように、いかにもありそうな、そんな立地がお気に入りのカメだけに迷いはなかった。
で、賃貸契約書を作成し、1ヵ月の家賃6000B(約1万8000円)、他に保証金4000B(退去時に返却)を支払った。あと、水道代が1ヵ月100B、電気代は使用分だけメーターで支払うとのこと。単純に計算すると、実質28日間滞在するとして1泊215B、光熱費を含めても1泊250B(750円)程度だから、こたえられない。ちなみに、この部屋、Daily Use/1dayは600B。
その上、有難いことにインターネットは無料(無線で接続サービス)で、部屋に入ってノートパソコンを開き、パスワードを入力してもらったら、何とあっという間に繋がった。カメにしてみれば、これだけでも大儲けしたような気になった。

で、Yahoo辞書に「終の棲家」を入力してみたら、例句が出てきて、つい拝借したくなって・・・
「これがまあ終の棲家かロイクロ通り」〈チェンマイカメ日記〉

2010/01/24

◎67、ただそれだけ・・・の誕生日


にしても、67・・・、ただそれだけ。 67歳の誕生日とあって、何か、もうちょっと感慨深い想いでも湧き上がってくるかとも思っていたが、何もなし。粛々と、時は流れ、もはや本24日も365分の1でしかない。昨日とも一昨日ともさほど変らぬ1日で、それ以上でも、それ以下でもない。
ちょっと気になって、昨年のブログを開いてみたら、やはり同様で、寒さで引き篭もりを続けているだけで、特別の感慨はない・・・としている。一昨年はどうかといえば、予想通りというか、65歳の「手コキ」を吐露していた。
なるほど、なるほどのこの1年、この2年なのだが、この「年」を、実は「日」に変えても、どうやら何も変らないようなのだ。ただ、毎日、毎日起きて寝て、寝て起きての繰り返しで、それは息が止まるまで続くわけで、日にちの感覚も、時間の感覚も、日々鈍くなっていくのを実感している。
何より、明後日は成田からチェンマイへ飛ぶというのに、荷造りも進んでいない。ま、慌てることもないのだが・・・。