2007/01/12

◇複雑怪奇、魑魅魍魎が跋扈する世界を垣間見る

にしても、脳外科病床で高齢者の生き様を微かながらに垣間見て、何ともいいようのない複雑怪奇、魑魅魍魎が跋扈する世界に目眩を感じ、このままでは圧死しかねないと一時は体が強張ったものの、直ぐにその世界からは目をそらし、その状態が依然として続いている。
50歳を超した男たちが救急車で運ばれてきて、脳外科の手術を受ければ、その結果について、その評価は本人も含め立場立場によって千差万別・・・まるっきり違ってくるだろうし、カメは他人様のことまで詮索しようとは思わないし、そんな余裕もない。でも、一人ひとりの命の重さは感じさせられる。

カメは麻酔から覚めて、くも膜下の手術を受け成功したと知らされ、ぼんやりとだが、自分の深層の血流の流れを感じ、生命力の紅い灯が灯るのを瞬間的に実感し助かったんだと思うとともに、このまま死んでいてもよかったんだとも・・・。命の不思議、命の神秘を感じさせられた。

4人部屋のカメの場合、同部屋の中でカメの症状が一番軽かった。それは、後遺症がまったく見られず、トイレも独りで用を済ませられたからだ。ことほど左様に、介護とはその程度の差でも大きな違いになってくる。
同室者の様子をうかがっていても、それぞれ個人的なバックグラウンドはわからない。推測では現役で仕事をしているのは50歳代の1人だけ。カメを含め他の3人は国家ニートにしかみえない。

2007/01/11

◇三途の川から戻されました

にしても、一ヵ月余りのご無沙汰となりました。
実は、この間、突然の病魔に襲われ、三途の川の渡し場まで行ったものの、乗車券を持っていないとかで、あっさり戻されてまいりました。

いや、はや、何と申したものやら・・・、ただただ、恐縮・・・お恥ずかしい限りで御座います。

12月3日の昼下がり、蒲田の銭湯で突然倒れ、そのまま救急車で病院に運ばれ入院、検査、手術・・・。病名はくも膜下出血で、動脈瘤にクリッピング手術を施し、成功。後遺症はなし。
手術は全身麻酔で、一週間ほどは個室で夢見心地。ここはどこ、私は誰???状態。状況が飲み込めるようになったのは二週間ほど経ってから・・・。
で、あとは、3度の食事と薬の規則正しい生活を続け、12月28日に退院。主治医からの注意は、禁煙だけ。入浴とか食事など他のことに関する注意事項はなし。
年明け5日にCTスキャンを撮って再度診察してもらいましたが、異常なし・・・とのこと。あとは、投薬だけで、次回の診察は2月2日、以後、診察間隔を空けていくそうです。

一ヶ月の入院生活からのリハビリにはまだ時間がかかりそうです。なんせ、すぐ疲れます。また、結果的に禁煙状態が続いていますが、まだ吸う気が起きてきません。このあたりが、回復度の目安でしょうか?

2006/12/03

◆拾い物だった「ALWAYS 3丁目の夕陽」

にしても、思いがけず良く出来た、いい映画だった。4chの金曜ロードショーで何気なく見た「ALWAYS 3丁目の夕陽」。拾い物だった。いつも夕食後にテレビで見る映画はほとんど途中でゴロンと寝てしまうのだが、しっかり見終えた。
カメが中学時代の昭和33年、東京・下町の庶民の生活と風景を再現してちょっと懐かしくはあったが、山の手育ちのカメの記憶からはほとんど消えている。都電も確かに走っていたが、その風景は覚えていないのだ。東京タワーは見えなかった。駄菓子屋で買い食いしたこともない。一体、カメは何をしていたのか。石原慎太郎が太陽の季節で芥川賞を受賞したことだけは記憶にあるのだが、他の記憶はすっかり飛んでいる。
予備知識なしに観たのだが、まぁ、旧いアルバムを眺めている感じだった。日本人が大好きなよくある人情話で、子役が何より良かったし、大人が食われていた。薬師丸ひろ子は母親役になっていたが、幾つになったのか、相変わらず可愛く、嬉しかった。ただ、集団就職で上京してきた堀北真希の容姿は貧しい時代背景とちょっと違和感があった。
また、ビッグコミックオリジナルの連載漫画「三丁目の夕日(西岸良平)」が原作とも知らなかった。何とも、情けない次第なのだが、もう30年ほど前から漫画のパワーを認識していたカメには、なるほどと納得できた。
邦画でも、これだけの作品を作れるんだ・・・と、世知に疎くなったカメはいたく感心しながらも、ロスタイムの長さについ溜め息がでた。

2006/12/02

◆慌てず、焦らず、急がず・・・がカメの流行語大賞

にしても、慌てず、焦らず、急がず・・・の方がカメの06年流行語大賞にずっと相応しい。昨日発表された恒例の流行語大賞のトップテンと大賞を見て、そう思った。
トップテンのうち「たらこ・たらこ・たらこ」「脳トレ」「ミクシィ」「メタボリックシンドローム(メタボ)」の4つは、恥ずかしながら聞いたことがなかった。脳トレだけは、聞いたことがあるような、イメージはできるが、その内容をきちんと捉えてはいなかったし、そんなに流行しているとの認識もなかった。アァ~、なんとも・・・。
イナバウアー(荒川静香)なんて、とても大賞に該当するとも思えない。マスコミで散々繰り返されただけで、首をひねってしまう。カメの耳は右から左に抜けていっただけだ。何より、言葉に新しい内容が何もない。トリノオリンピックの金メダルフィーバーの象徴なのだろうが・・・。
エロカッコイイ、エロカワイイ(倖田來未)は、カメの秘かなお気に入りだ。あの未成熟なエロサは下手なアダルト物などより役立ちそうで、一枚ぐらい買ってみようかと思いつつ、なんせレコード店などには足を踏み入れたことがないので二の足を踏み、いまだに手に入れていないが・・・。カメが流行語大賞の審査員だったら、間違いなく一票を投じていた。
シンジラレナ~イ(トレイ・ヒルマン)とハンカチ王子(斎藤佑樹)の2つは、いかにも流行語大賞らしくて、カメにもしっくりくる。居酒屋などでも口にしたくなる言葉だ。
あと、品格(藤原正彦)と格差社会(山田昌弘)の2つは、はてさて、元々ある言葉で、とても今年流行したとは、ねぇ・・・。数合わせ、苦し紛れに選定したとしか思えなかった。
やっぱり、繰り返しになるが、慌てず、焦らず、急がず・・・の3原則がカメの胸には最もズシンと響く。

2006/12/01

◆「1日は長いが、1年は早い」とはカメの箴言

にしても、はや12月・・・、時の流れは何とも速い。齢を重ねるごとにそのスピードは加速される。
かつて、仕事中に何気なく「1日は長いが、1年は早い」と呟き、耳にした同僚から「そうなんだよなぁ、箴言だな」といたく感心されたことがある。
当時はどうということのない仕事で、ただ待ち時間がやたら長い深夜勤務が続いていて、それは偽りのない実感だった。

光陰矢のごとし、ともいわれるが、時間の長さは時計の刻む物理的時間と、メンタルな時間の2つの時間がある。
子供のころ、早く大人になりたいと思っているときの時間は途方もなく長いが、いざ大人になってしまうと時間の経過はあっという間になる。これは、心理学的にいえば、外界からの刺激量の多寡によるものだ。
子供のころは、見るもの聞くもの全てが新鮮で、常に脳細胞が刺激されているのだが、歳を取るとともに外界の刺激は徐々に薄らいでいく。何だ、またか・・・となって、脳細胞は初体験の時のようには反応しなくなるし、さらに歳を経るとそうした外界の刺激にめったに反応しなくなってくる。
例えば、昨日の食事のメニューを思い出せるかどうか・・・。カメなどは思い出そうとしても、まったく覚えていない。加齢によるいわば脳障害の症状で、困ったことだが、生活に支障はない。
最近、体験したのが時空を駆ける、時空を飛ぶ感覚だ。先日の本ブログで報告したが、脳の時間軸がすっぽり抜け落ちる感覚で、ちょっとした快感だった。
1カ月ぶりで顔を出した居酒屋でも、何か昨日ものぞいたような気がすることがある。物理的な時間は1カ月のご無沙汰であっても、心理的には昨日もこうして女将の顔を見てビールを飲んだばかりのような気がする。女将にしてみれば、もっと頻繁に顔を出してよ・・・となるのだが、カメは毎日来ているはずなのにと勝手に思う。
今春、親父の23回忌をやったが、えっ、もう23年も経ったのかと、その長い時間の経過には思い至らない。もし、親父が亡くなったときに子供が生まれていれば、もう成人式も終わっているわけなのだが・・・。
人生50年、夢幻の如くなり・・・と、以降はロスタイムと決め込んでいるカメは、その物理的時間と心理的時間の乖離に唖然とするばかりだ。

2006/11/30

◆ロダンの考える人のポーズをとっていた・・・

にしても、気がついたらロダンの考える人のポーズをとっていた。右手の甲を右頬にあてウゥーンと呻きながら断続的に荒い息を吐き出し、洋式便器に座ったカメの目の前は霞んでいた。もう一度大きく吸い込み、息を止めて飲み込みつつ踏ん張ると、メリメリ音を立てるように太く硬いモノが押し出されてきた。
昨日の正午前のことで、便秘は前々日から始まっていた。
カメの場合、毎朝、起き抜けに座るのが日課になっている。歯磨き、洗顔の前、新聞を持ち込み、煙草に火を点け、一面下のコラムを読みながら・・・。それがないと1日が始まらない。
で、大体は快便なのだが、このところ年に2、3回は便秘するようになった。因果関係ははっきりしないが、寝酒のつまみにカシューナッツを食べると、便秘につながるような気がしている。前回の体験からの推測だが、今回もやはりカシューナッツを食べていた。
前日の朝も便意は催すものの排出されない。力むのは嫌いなため、新聞の一面に目を通しただけで無理しなかった。と、その日は一日中、残糞感につきまとわれ、突然便意に襲われる。その度に座り、時に力んでみるのだが、ウンともスンともいわなかった。さすがに、ヤバイと思い、寝る前にスティックパックの便秘薬を飲み、念のため牛乳を0.5Lほど飲んだ。
で、昨日朝、起きて座って、力んだものの駄目。そこで、便秘薬をもう1パック飲んで待つことにしたのだ。
その“作品”たるや、1回では流されず、さすがに見事なもので、われながら感嘆。ついデジカメを持ち出して収録、本ブログにアップしようとしたのだが、その画像を眺めつつ考えに考えた挙句、スカトロならいざ知らず・・・と、アップは断念した。
とはいえ、その見事さは何ともいいようがなく、露出癖もあるカメは誰かに見て欲しく、欲しくて・・・ウフッ。ご連絡をいただければメールに添付して送ることに致します。希望者はどうぞ・・・ウフッ。

2006/11/29

◆自民の復党問題は“悪女の深情け”

にしても、外道カメは「Web人間」を宣言したくなった。自民党の復党問題を見ていて、そう思った。
筋を通すとか、情だとか、いかにも日本的なやりとりを連日テレビで見せられていると、本当にイライラする。
そもそも、復党問題が起こってくること自体、あまりにも日本的な、日本人が大好きな情の世界であり、悪女の深情けなのだろうが、何ともみっともない。直後に新党を結成した造反組もいるし、その方がずっと潔いし、好感が持てる。主義・信条を貫くのが政治家の本分であるし、国士だ。
いまさら復党願と誓約書を提出するなんて、未練がましいし、それを求める方も求める方で、どっちもどっちだ。新党結成、或いは再編、院内会派など素人でも思いつく選択肢はある。そうした再チャレンジもしないで復党とは、情けない。
このコップの中の嵐、永田町だけの話ではない、夫婦、家族、学校、会社などあらゆる社会に共通する。そして、筋だ、情だ・・・といいながら、結局は情に流されてしまう。
あくまでも頑なに筋を通したのが小泉純一郎前総理であり、奇人・変人だからこそ筋を通せた。それゆえに歴代第3位の長期政権を維持できたのである。
いまの地球上に住む人間をまとめて地球人と呼べば、対するのは宇宙人かもしれないが、その中間にWeb人間が出現しているような気がする。
「Web人間」は一般の地球人とは価値観がかなり違う。どんな人間かといえば、地縁、血縁に頼らず、情に疎く、孤独を愛し、無情の世界に浸り、デジタル・マニュアル思考に耽り、無の空間であるWeb世界を遊弋し、ひたすらリラクゼーションを希求する、いまのカメが典型である。

2006/11/28

◆淫らな妄想に歯止めをかけ悶々と・・・

にしても、淫らな妄想に歯止めをかけ悶々とするのも、ちょっとした快感で御座います。
新橋のとある居酒屋が22日から28日まで丸々1週間店を休んでしまったので御座います。 他のお客さまはどうあれ、カメの行きつけの店で、カウンターに椅子が8つ、4、5人は座れるテーブル席が1つとこじんまりして、可愛い癒し系の女将が1人で切り盛りし、その女将の手料理が何といっても人気の店なので御座います。何より、これまでGWと正月を除いて平日に休んだことはないお店で御座います。
なのに、お店で一体何が起こったのか。こんな時期に、こんなに長期間休むとは、とカメは気がかりなので御座います。何か、それを決意させる何かが隠れている、と考えるのも自然の流れで御座います。 妄想のタネは幾らも御座います。
女将はいま・・・どこで、誰と、何を・・・と妄想が広がる、おっと膨らむばかりで御座います。当然で御座いましょう、何といっても横恋慕するスケベなカメなので御座います。
あの顔、この顔、ひょっとしてあの顔、いや、この顔と、次々と浮かんでは消える常連のお客さまの顔・・・、そんなお店ではないはずなのに・・・と。
といって、さてさて、どんな妄想が、どこまで許されるのか・・・。カメが勝手な妄想を膨らませれば、それはそれは嫌らしく、淫らで、ふしだらな官能の図が広がっていくので御座います。
でも、でも、次の木曜日、カメが恥ずかしくて顔を出せないようなことになってはと、つい歯止めをかけてしまうので御座います。ウフッ。

2006/11/27

◆2DDフロッピーデスク読み込みソフトは断念


にしても、脳細胞がグズグズになったカメの場合、過去はモノで探すしかない。靴箱を空けたら懐かしの3.5インチのFDディスク(MF2DD)が大量に見つかった。机の引き出しからも出てきた。もう10年以上前に愛用していたワープロ専用機で作ったデータの数々である。
各種のカードリーダーが出回っているのだから、MF2DDをいま使っているパソコンで読み込む方法があるはず・・・と期待して、Webにあれこれアクセスしてみたら、なるほど、あった。ワープロ専用機で作成したMF2DDのデータをパソコンのアプリケーションに移すソフトだ。やっぱり、そうしたニーズはあるのだと嬉しくなった。で、そのソフトと外付けFDドライブのセット価格が1万7430円也。かなり高価だ。食指は動いたものの、とりあえず旧いワープロ専用機を引っ張り出して電源を入れFDを挿入してみた。もう、操作は完全に忘れている。といって、マニュアルはどこにいったものか、探す気にもならず、勝手にあれこれ推測しながらキーを押してみたら、やはり単純に反応してくれた。で、FD4、5枚の内容をチェックしてみたが、期待していたデータは見つからなかった。いずれも、仕事で作ったデータばかり。懐かしいことは、懐かしいが・・・、いまさらのデータばかりで、改めて、いまのパソコンに取り込んだところで意味なし・・・と気がついた。実は、その時代に個人的な徒然記など認めていたような気がしたのだが・・・、時間をかけて探しても、それは単なる郷愁でしかないと判定、よって、FD変換ソフトは必要ないと判断した。
確かに、過去は過去として存在したのだが、過去に遡ることは思いとどまった。
過去に遡るにも金がかかるとあっては・・・、やはりケチなのだろう。これで、ちょっとした出費を抑えられることにはなるか・・・と納得した。

2006/11/26

◆至上命題はいまの体型維持なのだが・・・

にしても、ヘルスメーターを買わねばなるまい。Gパンを穿く際、腹の出っ張りがちょっと気になりだしたのだ。
Gパンのウエストは「33」インチで、この10数年変っていない。1インチ=2.54cmで計算すると83.82cmだが・・・、34インチはあると思っていた。で、先ほど確認してみたら、はて、さて・・・確かに33インチだったのでカギ括弧をつけた。
Gパン以外のスラックスは86cmか、92cmのものもある。かつて、82cmの時代が長くあり、その後86cmと92cmを行ったり来たりした時期があり、現在に至っている。さすがに、92だとブカブカ、86ではきつい。Gパンではウレタン混紡タイプに逃げ込んだこともあったが、やはり楽なためつい油断してしまうので、綿100%に戻している。
ただ、ロスタイムに入ったカメはウエストが入らなくなったからといって、新しいサイズのGパンを買う気はもうない。というより、買えないといったほうが正しい。もったいないし、1本買えば、2本、3本と買わざるを得なくなる。それに、Gパンのウエストが変るということは、あれも、これも・・・だ。
いまは、食つなぐだけで一杯、一杯だ。とにかく、カメにとっては、いまの体型を維持することは至上命題である。先日、有楽町に出かけた際、駅前の家電量販店をのぞいてみて、驚いた。せいぜい、5000円止まりと思っていたのに、体重のほか体脂肪率、筋肉率、骨格筋率、骨格筋レベル、内臓脂肪レベル・・・など検査項目の機能を増やし、品揃えは1万円前後から上になっていて、大好きな衝動買いはできなかった。
さて、どうするか? 
いまさら、食事に配慮したり、ヘルスメーターに乗ったり、体のケアーに励むなんて・・・、それより、好きなもの、旨いものを腹一杯食って、太りに太って、棺桶に収まりきれなくなってもいいんじゃないの・・・との声も聞こえてきた。

2006/11/25

◆死滅した脳で時空を飛ぶ奇妙な感覚を実感・・・


にしても、脳細胞の死滅度を自ら実感した。23日夜のこと。夕食時に発泡酒を飲んだら、そのまま1時間足らず寝込んでしまった。8時過ぎに目覚めて、おっ、そうだとテレビのチャンネルを「6」にして、ぼんやり見ていた。確か、9時から明石家さんまの新番組・・・と思っていたのだが、9時直前の番宣で流れたのは「渡る世間は・・・」だった。はて、さて??? そんなはずはないよな、放映時間が変わったのか、他のチャンネルだったか、と新聞のテレビ蘭を確認したら、9時からはやっぱり「渡る世間は」だった。またまた???
そんなぁと、脳細胞を揺らしながら前日22日の新聞を見たら、確かにあったのだが・・・。
さんまの新番組は昨日のことだったのだ。それにしても、なぜ・・・こんなことに!!! ちょうどカメの脳が24時間すっぽり抜けた格好だ。軽い目眩がした。それは、ちょっとした快感で、心地良かった。
前夜、何をしていたのか・・・。微かな記憶をたどってみると、前夜の食事で久々に豚バラの焼肉をたらふく食って発泡酒を飲んで、やはり寝込んでいて、目覚めたときにはさんまの新番組のことをすっかり忘れていたのだ。なるほど、なるほど、だ。
さんまの新番組はどうしても見なければならないテレビでもないのだが、このところ面白いテレビがなく、新聞のテレビ欄を眺めては、その日見たい番組をチェックしていただけに、ちょっと残念ではあった。
この奇妙な体験、22日夜から23日夜までの生活時間がカメの脳から喪失していたことになるようだ。
テレビ番組で時間を知覚している? カメの脳に時間軸はもはや喪失しているのかもしれない。「渡る世間」の番宣を目にしたときは、ボーっとした脳で何故、何故と、不思議な感覚に捉われた。
時空を駆ける、時空を飛ぶとは、こんな感覚をいうのかもしれない。

2006/11/24

◆狂犬病はマイペンライとはいかない?


にしても、邦人男性36年ぶり狂犬病発症とのニュースが相次ぎ、タイ・バンコクでの写真を思い出した(左)。
タイも野良犬は多い。写真はバンコクの市街地、高級デパートなどが林立する並びのショッピングセンターの入り口で日向ぼっこをする犬だ。他にも、街中いたるところに展開される屋台が並ぶ歩道には餌を求めてウロウロする犬をよく見かけたが、いずれもおとなしく、吠えたり、暴れたり、絡み付いてくるといったケースは見なかったし、怖いイメージはなかった。
今回、日本で発症した狂犬病は2人、フィリピンで犬に噛まれた京都市と横浜市のいずれも60歳代の男性だから、バンコク移住を目論むカメは無関心ではいられない。2人とも手を噛まれ帰国後に発症しているが、その状況は伝えられていないので、ちょっと気にかかる。頭でも撫ぜようとしたのだろうか。餌でも与えようとしたのか。
外務省・海外安全ホームページによると、狂犬病は南極大陸を除く全ての大陸で発生が確認されている感染症で、アフガニスタン、バングラデシュ、ブラジル、ボリビア、中国、コロンビア、エクアドル、エルサルバドル、グアテマラ、ハイチ、インド、インドネシア、メキシコ、ミャンマー、ネパール、パキスタン、ペルー、フィリピン、スリランカ、タイ、ベトナム、イエメンでは感染のリスクが高い。
列挙された国名の順番に意味があるのかどうか、最初はタイの名前を見落としてちょっとほっとしたが、念の為、もう一度目を凝らして後ろの方に見つけ、やっぱり・・・だった。
また、毎年、世界中で5万人以上が狂犬病で死亡していて、犬に限らず、猫やイタチなど他の哺乳動物からも感染することがあり、狂犬病の動物から咬まれることで、その傷口からウイルスが体内に侵入。人の場合の潜伏期間は9日~数年(通常20~60日程度)で、発病した場合はほぼ100%死亡する。
症状は発熱、頭痛、嘔吐などに始まり、次いで筋肉の緊張、痙攣、幻覚があらわれる。犬の遠吠えのような唸り声をあげ、涎を大量に流し、昏睡、呼吸麻痺が起き、死に至るそうだ。
何とも恐ろしい病気のようで、マイペンライとはいかないようなのだが・・・、ま、恐いことを知っただけでも良しとするか。

2006/11/23

◆公然わいせつ罪で逮捕・・・なんて不運

にしても、公然わいせつ罪で逮捕・・・なんて不運というしかない。
さる18日夜、東京・池袋の「ハプニングバー」で、わいせつな行為を客に見せたとして、航空自衛隊の現役自衛官(30歳)が公然わいせつの現行犯で警視庁に逮捕されたという。
ハプバー大好きなカメにとっては見逃せない事件で、これまでにも何度か同様のニュースを目にしているが、その都度、ほんとにこれは犯罪になるのか、疑問に思いつつ、これは犯罪にはならないと固く信じているのだが・・・。
自衛官逮捕のニュースによると、自衛官は店内で知り合った女性と約1時間にわたりわいせつな行為をしていたところ同庁の捜査員に現行犯逮捕され、また、同様の行為をしていた客6人も逮捕するとともに店の経営者(63歳)も、公然わいせつほう助の現行犯で逮捕したそうだ。
その状況は目に浮かぶが、夕方の電車に乗っていて、サラリーマンが手にしている日刊ゲンダイの見出しが目に入ってきた。ハプバーで「ここまでやると捕まる」「やっていいコト、悪いコト」・・・だって。これまでにも何度かハプバーの摘発はニュースになっているが、これはKC庁に完全に狙われたとしかいいようがない。いわば、一罰百戒だろう。
公然わいせつは「6月以下の懲役若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料」でしかない。逮捕されて、名前が載る方が痛手だ。現役自衛官となれば、なおさら、多分、懲戒処分の対象にもなるだろう。なんとも、不運としかいいようがない。
ハプバーでたまに、お客同士で公然わいせつが話題になることがあった。カメは、誰でも不特定多数のお客さんが入ってこられるバーではなく、会員制のバーだから「公然」には当たらない・・・と説明していたのだが・・・。それに対し別のお客さんから異論はでてこなかったが、といって、納得したようにも見えなかった。で、カメはそれでももし摘発されたら、法廷で「公然」について主張してみせるよ・・・とも。それは、いまでも変わらない。
特別な審査もなく事実上誰でも会員になれるような場合は「不特定」とみなされるようだし、ストリップ・ショーの場合など入場料を払えば誰でも入れるので「公然」に該当するそうだが、いずれもハプバー同様、被害者は存在しない。自衛官とわいせつ行為に及んだ女性も同意の上なのだ。それが、逮捕に至るのだから、何とも不思議なことだ。
「公然」に限らず、最近の法律の解釈、運用には不可解なことが多くなっている。特に、地検による「国策捜査」にいたっては、唖然、呆然といわざるを得ない。これは、何より、地検の驕りだと思う。

2006/11/22

◆氷雨、曇天から一転しての小春日和・・・

にしても、お天気、太陽光のパワーは凄い。氷雨、曇天から一転しての快晴、この時季は小春日和ともいうが、今日で2日目・・・。
お日様、ただ、それだけで起き抜けのカメはウキウキ、ワクワクしてくる。単純といえば単純だが、カメのお肉はそれに敏感に反応する。実に、太陽光に対する生体反応が正直で、カメはそれに素直に従っているだけだ。
さて、では、何をするかって・・・。国家ニートのカメに「ねばならない」ことはない。せいぜい洗濯ぐらい・・・、おっと、本ブロクのアップがあった。そう、この2ヶ月ほど、実に毎日欠かさずアップしている。飽きっぽいカメにしては珍しいこと。といいつつ、このところ、実はそれがプレッシャーにもなってきているのだが・・・。サイトマップも上手くアップできず、AdSenseも上手くいかない。英語の苦手なカメの悩みは多い。
この快晴、久々だと思ってメモで確かめてみたら、何のことはない、2日ぶりで、そんなに曇天や氷雨が長続きしていたわけではなかった。先の土曜の朝にはベランダに布団を干していたのだが、もうすっかり忘れていた。
ことほど左様に、いまのカメはその日その日のお天気のままに過ごしているようだ。ま、脳を全く使っていないということ。実のところ、脳を使いたくても、もはや脳細胞の140%は死滅しているとの脳細胞死滅度テストの結果もあって・・・。その評価によれば、もう既に死んでいるのに、それを認識できない状態なのだそうだ。トホホ・・・。
氷雨、曇天から一転しての小春日和、それに木枯らしが加わって、冬は間近かに迫ってきた。
東南アジアはタイ、バンコクなら、年間通してほぼ毎日が夏日だ。だから、カメは何よりバンコクを気に入っている。そろそろ、訪泰の準備にかからねば・・・なんて思いついた。バンコクなら全てはマイペンライでやり過ごせる。

2006/11/21

◆リアリティの質も時代によって変化する?


にしても、ビデオで映画を見て久々に癒された。チャールズ・ブロンソンの「狼よさらば」(1974年製作)で、映画館で見たような記憶もあったが、新鮮で、面白い、楽しめる人間ドラマだった。
主人公はニューヨークの会社員。ある日、電話が入り、妻と娘が病院に運び込まれたという。病院へ駆けつけた時には妻は死亡、妻が何者かに襲われた挙げ句に殺され、娘も暴行されたことを聞かされて憤り、悲しみに打ちひしがれる。そんな時、ひょんなことから銃を手に入れ、彼はその銃を密かに携え、公園で襲いかかってきたチンピラを射殺。これをきっかけに沈鬱な状態が吹っ切れ、以来、次々とチンピラたちを仕留めていく・・・。
何より、ストーリー展開にリアリティを感じ、何とも懐かしく、近ごろの映画と違い旧き良き時代の映画らしい映画で、嬉しくなった。
例えば、ダイ・ハードでのブルース・ウィリスのように目茶目茶タフなスーパーマンではなく、といってダ・ヴィンチ・コードのように難解ではなく、まさにカメが好きな浅田次郎作品の読後感に似ている。
近ごろの映画は、もう旧来のエンターティメントのネタが出尽くしたのか、奇想天外な作品を狙いすぎているようだ。それもSFX技術などの進歩によって可能になっている。
が、カメはそれら全てにリアリティを感じられない。文字通りの絵空事、バアーチャル世界であって、人間臭さを感じられないのだ。これは、エンターティメントに対する嗜好による差もあるだろうが・・・、なるほど70年代の映画は確かにリアリティがあった。
もっとも、リアリティも時代によって変容するものなのかもしれない。カメのセンスは70年代なのかもしれないと思う。
このリアリティは浅田次郎の作品群ではしっかりと継承されているが、その作品が映画化されるとそれは喪失してしまう。ま、映画なんてそんなものといえば、それまでだが・・・。
多分、いまはバーチャルの世界が本流となり、リアリティは過去の遺物になっているようだ。そう考えると、近ごろの殺伐とした世相も、おためごかしの連鎖も、なんとなくその構図が見えてくる気がする。

2006/11/20

◆懐かしの横浜・清正公通りは消えていた・・・


にしても、横浜・伊勢佐木町通りに近い長者町の清正公通りはアーチ型の看板と洒落た雑居ビルの名前にしか残っていなかった。それも、アルファベッドで・・・。
今日の昼下がり、伊勢佐木町にある有隣堂本店に行った際、懐かしの清正公通りに寄ってみたのだが、その景色は一変、かつての面影は何も残っていなかった。
30年ほど前、横浜勤務の3年余、清正公通りにはよく通ったものだ。当時はいまの洒落たビルの一角は細い路地が入り組んで、小さなスナック、居酒屋が軒を並べ、サラリーマンの憩いの場だったのだが・・・。ちなみに、清正公とはあの加藤清正のことだ。
再開発の話は当時から耳にしていたが、カメなど安サラリーマンは一様に、いつまでもこの小さな飲み屋の一角はなくならない、いつまでも続くような気がしていた。行きつけのスナックのママがお婆ちゃんになった姿も水割りの肴にわいわい楽しんでいたものだ・・・なんて思い出すうちに、当時の飲み仲間の顔なども浮かんできて懐かしさが募り、お目々がちょっとウルウル・・・。
この寒空の元、有隣堂へでかけたのには、朝刊で見たある雑誌広告の刺激的な見出しがきっかけ。ところが、その雑誌は年間予約購読制のため、簡単には手に入らない。とにかく、今日中に読んでおきたくて、ホームページをチェックしてみたら、テスト販売とかで、八重洲ブックセンター本店をはじめ都心のビジネス街にある書店の名前が挙げてあった。交通費を計算すると横浜・有隣堂が最も安いし、時間もかからない。
で、目指す雑誌を見つけたものの、定価1000円(税込み)に、さて、さて・・・。立ち読みしてみたら、おどろおどろしい見出しとは裏腹に、カメが知っていることばかり・・・、なんだぁ、とホッとして、雑誌は買わずに清正公通りに寄ってみた次第・・・。
パソコンで悟った、慌てず、焦らず、急がずの3原則を改めて認識した。

2006/11/19

◆Qちゃんの生写真をアップしたかったが・・・


にしても、氷雨にはさすがにカメも参った。今日昼過ぎにスタートした東京国際女子マラソン。Qちゃんの生写真をアップしようと意気込んでいたのだが、この雨と寒さに迷いに迷った挙句、テレビ観戦を決め込んだのだ。慙愧、慙愧ではあるが・・・。
実は、カメのマンションは第1京浜沿いにあり、国際マラソンの折り返し点である大森海岸交番までは自転車で10分足らず。これまでも、何度か自転車で出かけている。いつもマンションでテレビ観戦しながら、トップ集団が品川・八ツ山橋を通過したあたりで出かければ十分間に合っていた。
生のマラソン観戦は実に難しいが、一度間近に見てみると癖になる。何とも速い。選手は凄いスピードで目の前を通過していくから、人垣の隙間からいまかいまかとのぞいていて、あっという間だ。それでも、選手の息遣いは伝わってくるし、汗と水で体に張り付いたユニホーム姿は艶かしい。
Qちゃんが優勝した昨年も同じころ自転車に乗ったのだが、折り返し点に向かう自転車がやたら多く、Qちゃん人気の高さに驚かされたものだ。歩道に人が溢れていて、自転車の置き場所を探すのにひと苦労し、のぞき窓もなかなか見つけられなかった。
今回は行きつけの居酒屋でQちゃんを生で見に行くぞ!と吹聴もしていただけに、これまでの反省を生かし、国立競技場でのスタートをテレビで見届けて直ぐにでかけ、デジカメを手に最前列に座り込んで胸躍らせながらQちゃんを待つつもりだったのだが・・・。それに、ゴルフのラウンド前夜と同様、天気予報にも気を配り、雨の降り出しは昼過ぎ、それもレースが終了してからと勝手な予想をしていた。
確かに朝起きたとき、空は重く暗い雲が覆っていたが、やっぱり・・・だった。
テレビ観戦で、白い帽子を目深にかぶり、サングラス姿で土佐礼子の後ろにつけたQちゃんの走りにはいつもの軽快な爽やかさが見られなかった。後半、失速してから、アップでとらえられたQちゃんの表情に34歳の年齢を感じてしまったのは、カメだけだろうか。

2006/11/18

◆おためごかしの連鎖はもうやめてはどうか・・・

にしても、おためごかしの連鎖はもうやめにしてはどうか。本音で喋ることが憚られる世の中はやはり、どうかと思う。核論議だけではない。教育も、医療も、福祉も、少子高齢化も、格差是正も、そうだ。
こんな隔靴掻痒の論議がいつから好きになったのか。もっと、直に患部を引っ掻きまわしてもいいんじゃないか。人権だ、弱者だ、環境だ・・・などタブー視するのはもういい。腫れ物に触るような論議からは、何もうまれない。甘えを増長させるだけだ。
福祉行政について「供給が需要を喚起する」とさる方は喝破した。その通りだと思うし、それは福祉だけにとどまらない。ありとあらゆる分野で、その法則は当てはまる。
一方で、自己責任とか、結果責任とかが問われるようになってきた。かつては、なかった価値観だ。まあまあ、なあなあで済ませてきたものが、そうは問屋がおろさなくなったのだ。
いずれも、欧米化とか、グローバルスタンダードといった、これまで日本にはなかった価値観の積極的な導入、浸透によって、旧き良き日本伝来の価値観があっという間に破棄させられた格好で、何とも釈然としないし、おかしいと思う。これらも世界の潮流といわれれば、そうなのだろうが、何が何でもそうした流れに身を委ねることはあるまい。
日本のいまの現実をなぜ直視しようとしないのか。現実を踏まえながらの具体的な議論がなぜ出来ないのか。抽象的な観念論を披露し合うのは、議論のための議論・・・ゲームでしかなく、具体的な、身になる結論は得られない。ストレスが溜まるばかりだ。
カメは、こうした無益な論議ではない、おためごかしの連鎖を一気にひっくり返す、外道の外道たる腹案を一つ抱えているのだが、稿を改める。

2006/11/17

◆面白くないTV番組・・・中古ビデオ楽しむ


にしても、近ごろテレビ番組が面白くない。
ゴールデンタイムから深夜にかけて、どこの局を選んでもお笑い芸人が跋扈して、同じ顔を何度も見せられるのには辟易する。内容も、作り方も各局とも似たり寄ったりで、いまは、オーバーなナレーション付きの再現ドラマが全盛。そのテーマ設定も下手な誇張が目立ち、腹立たしいだけだ。その手法がバラエティ、ワイドショーだけでなく、報道、ニュース番組まで侵食しているから呆れて、不快感が募る。
先日、近くのレンタルビデオ店で中古ビデオを販売していて、のぞいてみたら何かのキャンペーンとかで、1本100円だった。そんなに多くはなかったが、その中から5本ほど買って、バカバカしいだけのテレビを見ないでビデオを鑑賞したら、これが結構面白い。
以降、中古ビデオを販売している店があれば、のぞいてはあれこれ面白そうなものを手に入れている。ジャンルはミステリーが多いのだが・・・。1本100円は、そのキャンペーン時だけだった。一番安い店は3本500円。あとは1本200円から300円。500円になると、根がケチだけにちょっと手を出せない。それでも、もう全部で30本は超したか・・・。
かつて、若いころは映画好きだった。ロードショーは見ないで、もっぱら2本立て、3本立てで500円ぐらいだった。
でも、この2、30年間はほとんど見ていない。10年ほど前だったか、ロードショーで法廷物を見に行ったところ、冒頭の法廷内のシーンを見つめていて、気がついたらまだ法廷内のシーンが続いている。あれあれと・・・気がついたら、その間ぐっすり寝込んでいたのだ。1800円の入場料は高かった。そんなことが、何度か続いて、映画館から足が遠のいていた。
いまはシルバー料金だから、1000円で見られるようになったのだが、映画館に出かけたくなるほど魅力的な映画の宣伝に触れていない。やはり、娯楽の選択肢が増え、特にカメの場合、それはパソコンであり、Webの世界だ。社会的現象になるほどの映画が登場すれば、考えるだろうが・・・。
もう、予告編に騙されたくはない。いったん映画館に入ってしまえば、途中で出るのも癪の種だ。
中古のビデオなら、居ながらにして見られるし、途中で止めて、そのままにも、もう一度見ることもできる。
溜まり始めたこの中古ビデオ、実はどう廃棄しようかと、悩み始めている。

2006/11/16

◆淋しい? 独りの方が気楽でいいじゃない・・・

にしても、先夜久しぶりに飲んだあと終電で帰って部屋に着き、電気をつけ、テレビのスイッチを入れ、ほっとした。つくづく、独り暮らしはやっぱりいいよなぁと、思った。
誰もいない、誰も待っていない、暗い冷たい部屋に帰った時、淋しくない?とは、よく聞かれるが、どう答えたものか、戸惑うことも多いのだが、ひと言でいえば、淋しくない。実は、淋しいという情緒が欠落しているといった方が正確かもしれない。
どうして淋しいの? 気楽でいいじゃない・・・とも続けるのだが、怪訝な表情を浮かべる方が多い。それは、それで理解はできるのだが・・・。
それは、生命保険とか不動産会社が提唱する家族団らんCMのイメージであり、旧来からの家族、夫婦、親子の絆からくる呪縛だ。その絆の太さ、細さが淋しさを感じさせるのだろうか。そうした呪縛から解放されているのが外道であり、その選択は個々人の生きざまで、外道はやはり少数派だ。
さて、その実態はどうかといえば、ほのぼのとした一家団らんは、CMだけのいわばバーチャル世界だろう。その乖離があまりにも大きいため、その狭間で人はみな悩み苦しみ、もがき、のた打ち回っている。
それが人生とも、人間らしいともいえるのだが、その呪縛の中で、ある人はストレスを溜め込んでガンに侵されたり、ある人は自暴自棄になって破壊行動に突っ走ったり、ある人は八方塞りになって自らの命を絶ったりして、マスコミの格好の餌食となる。
だから、大半の人は一家団らんからはみ出したり、肌のぬくもりが感じられないと、淋しいと感じるのだろう。いつも誰かにすがっていたいのだ。その最高の形が愛とか、幸福といったものなのだろうが、これらは抽象的な概念で、捉え方は人それぞれだ。当事者がどう思うか、どう感じているか・・・であり、それも多くは他人との関わり、相対的な自己評価でしかない。
他人の目を気にせず、他人への気配り、思いやりといった配慮を止め、自分だけ、自分さえ良ければいい自己中心、我が侭、勝手気まま・・・実のところ、カメはそんな生きざまを続け、いまに至っている。
他人は他人、自分は自分・・・を徹底すると外道というわけだ。外道を名乗ったのは、つい最近のことである。