2010/05/13

◎鳩山首相の言葉は天気予報と同じ・・・


にしても、ノー天気仲間と勝手に思い込んでいた鳩山由紀夫首相の言動、もはや歯止めがかからないようだ。13日朝、首相公邸前のぶら下がりで米軍普天間飛行場の移設問題に関し、こう語った。「5月末の期限を作ったので、国民との約束の中でできる限りのことはするが・・・、6月以降も詰める必要があるところがあれば努力する」と、自ら公言してきた「5月末決着」は困難との見方を 表明すると同時に、6月以降も首相として自ら交渉を継続する意思を示したそうだ。
簡単にいえば、5月末までの決着を断念し、6月以降も交渉する、ということだろう。ということは、みんなそう思っていたことで、取り立てて驚くに値しないともいえるのだが、日米首脳会談 で「トラスト・ミー」といった相手はオバマ米大統領であるだけに何ともマンガチック。でも、そんな言葉の重大さは多分忘れてしまっているに違いない。でなければ、こうもスラスラそんな言葉を吐けるはずもない。単純にノー天気仲間と思い込んでいたカメとは、やはり雲泥の差を感じてしまう。
まず、キッチンハートのカメに対して、首相の心臓は図太く、鋼鉄製のようだ。また、恥ずかしがりのカメと違い、羞恥心も希薄。何より、生まれも育ちも違いすぎる。この差は、どうしようもなく大きい。違いすぎるよ、な。幼少のころから、金も使わず、気も使わずに、全ては他人任せで成人したに違いないし、思い通りにならなければ、「どうして」と誰かに聞けば、その通りになったのだろう。カメは、これまで、そんなオーラが漂う何人かは、身近で見たことがあるが、首相の比ではない。
首相になったあと、某氏がテレビで、首相の言葉、思考方法は、気象予報士と同じだと評していた。天気予報である。天気予報は、その時々で、変る。変って当然なのだ。時に、あらぬ方向に低気圧が現れ、天気が急変する。それでも、予報は予報だ。変化するのは想定の範囲内だ。その範囲が地球規模だから、予報の変更などは自由自在だ。かつて、天気予報の専門官に「天気予報って、競馬の予想と同じじゃないですか」と聞いたことがある。その予報官は一瞬口ごもった後、こういった。「天気予報で、大穴はありません。外れても、学問的に何故外れたか、説明できます。それが天気予報で、競馬の予想との違い・・・」と。
「5月末までの決着」を目指していたら、上空に寒気が流れ込んできて・・・、6月以降の交渉もやむなし、とそんなところで「なにか?」とは鳩山首相・・・というわけ、か。

2010/05/11

◎パソコンなしでは生きていけない・・・


にしても、朝、起きてから寝るまでパソコンと睨めっこの毎日、何の不足、不満もないのだが、ふと、もしパソコンがなかったらどう暮らしているんだろうと思った。といって、酸化が進むカメの脳ではもはや妄想力も衰えていて、思いつくのは、朝から焼酎でも飲んでアル中になっているか、もう息はしていないか、多分、そんなところだろうと思った。
現状を見れば、完全にパソコン依存症であることは間違いない。何より金がかからず、妄想力はクリック一つで膨らませてくれるし、浅学菲才は博覧強記に一瞬で変えてくれる優れもの。もはや、パソコンなしでは生きていけないと痛切に感じる、というか、いま使っているパソコンとの一体感を強く意識させられている。
先月、何ということもないのに、本ブログの更新が10日も空いてしまい、ちょっと慌ててしまったのだが、その間、何もしないでぼんやりしていたわけではない。振り返ってみたら、その間、Webの世界であれこれ、実にさまざまなことにトライしていた。各種サイトへの新規登録、新しいソフトのダウンロード、You Tubeの視聴・ダウンロード・・・ウフッ、と実に多彩、忙しくて、面白くて、その上、難しくて、そちらに時間をとられ、とてもブログを書く気にならなかったのだ。
それらの全ては、まだ入り口でウロウロしているだけなのだが、その一部を挙げてみると、▲25GBのファイルをオンラインで保存できるSkype▲基本は「今、何してる?」に答えるだけ、140文字以内の短い発言(つぶやき)を入力、みんなで共有するTwitter▲NHKの番組が見たいときにいつでも見られる 『NHKオンデマンド』会員登録(無料)▲無料の動画共有サイト「zoome」▲J-Channel FM93.75MHz@Bangkok ・・・等々。
魅力的なコンテンツも多いが、いずれも、サイトに登録したり、ソフトをダウンロードして、実はそこまでで、それ以上に進まないのが残念なのだが・・・。もはやパソコンのない世界、パソコンのない人生は考えられなくなっている。

2010/05/07

◎テロの恐怖がリアルに迫ってくるロシア映画・・・


にしても、たかがロシア映画と侮って視聴し始めたが、そのシリアスな内容とリアリティある映像に惹き込まれ、ノー天気なカメは脳に鉄槌を下された気がした。2004年に製作された「大統領のカウントダウン」で、去る日、元外交官で作家、佐藤優がラジオでお奨めしていた映画。「抑止力」なんていう言葉が飛び交ったこの連休中に思い出し、つたやで借りてきて二度も見てしまった。
その触れ込みでは、 実在する諜報員をモデルに、ロシア映画史上最高額の製作費700万ドルを投入したアクション超大作。実際にチェチェン問題などを抱える国だからこそできた、リアルな物語に戦慄する。 チェチェンの捕虜、S少佐は女性ジャーナリストの手を借りて逃亡する。同じ頃、イスラム過激派と手を組んだチェチェン独立軍による大規模なテロ計画が進んでいた……。サーカス会場の天井から爆弾を吊るして観客2000人を人質にとるとともにプルトニウムのカプセルまで強奪して、ローマで開催中の反テロリズム・サミットを妨害しようとする半端じゃないテロなのだが・・・。
予想以上にスリリングで、緊迫感が持続する良い映画だった。実際に起きた事件を下敷きに、それと思わせる構成がしっかりしているからだろう、2回目の視聴でそのあたりもじっくり確認した。アメリカのスーパーアクション映画のように、スーパーマンは出てこないし、奇想天外の事態もおきず、ごくごく当たり前にドキュメンタリータッチで進展し、それなりにリアリティーを感じさせる話の展開は上手い。映像はCGなどは使わず、 ロシア軍の全面協力を得ているそうで、本物の戦車や軍用機を投入したスペクタクル描写はリアリティがあり惹き込まれた。それだけに、テロの恐ろしさが浮き彫りになり、テロの危機を身近に感じさせられた。日本の平和呆けはもはや救いがたいよなぁ・・・なんて自嘲気味に呟いて悦に入っている場合ではないと思い知らされた。ロシアですら、これほどのリアリティのある映画を作ってしまうのだからねぇ、くわばら、くわばら・・・ヤ。

2010/05/01

◎検察審査会の「起訴相当」は魔女狩り彷彿・・・


にしても、懸念していたマニュアル化社会はあれよあれよという間に浸透していて、これでもか、これでもかと新たなマニュアルを見せてくれて、不気味なだけではなく、ちょっと息苦しくなるほどだ。
マニュアル化社会とは、匠の人が不要になって素人が大手を振って跋扈する社会、つまり、森羅万象、ありとあらゆること、全ての判断、決断はパソコンに委ね、不都合、不具合が生じたら、その都度、マニュアルを見直し、ソフトを修正していこうという社会で、その象徴がマニュフェストを掲げて選挙戦を制し、政権交代した民主党なのだが、実は、その中にはまだ何人もかつての匠がそのまま残っているのだ。
その代表的存在が、党幹事長の小沢一郎で、資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡る政治資金規正法違反事件で、小沢を不起訴(容疑不十分)とした東京地検特捜部の処分に ついて、東京第5検察審査会が小沢氏を起訴すべきだとして「起訴相当」とする議決を27日、公表したのだ。この議決を受け、特捜部は再捜査を行い、原則3カ月以内 に改めて刑事処分を決めなければならないのだが、これは司法制度改革の一環として、検察審査会法が改正され、昨年5月から議決に拘束力が生じるようになったのだ。素人が検察を指揮できるようになったということで、その危うさは、まさに魔女狩りを彷彿させるのだが・・・。
同じ日、殺人の公訴時効を廃止し、傷害致死など殺人以外で人を死亡させた罪の時効期間を2倍に延長することを柱とする改正刑事訴訟法と刑法が衆院本会議で成立。時効は、一方で、その期間逃げ切れる自信があれば「おやりなさい」という、いわば犯罪の勧めとの見解もあるし、それだけ時間が経つと冤罪を生みかねないとの懸念もあって、それだけに初動捜査の手法の見直し、科学的捜査の導入が重要だ。時効がなくなっては、素人探偵がいつまでも跋扈しかねない。くわばら、くわばら・・・。

2010/04/26

◎91歳、中曽根康弘のテカテカの肌・・・



にしても、人の生き様、死に様はさまざまだと、改めて思い知らされた・・・なんて、外道に身をやつしたカメにいわれたくはないだろうが、先夜、BSテレビで中曽根康弘のインタビューを視聴して、中曽根康弘の91歳とも思えぬテカテカの肌といい、ゆっくりだが歯切れの良い語り口、的確な内容に驚嘆した。さすがに昭和の妖怪も少しソフトになったかなと感じつつも、不気味であったのだが、その後、『徹子の部屋』(テレビ朝日系)が5月からゴールデンに進出すると聞いて、これまたびっくり、黒柳徹子ももう90歳近いよなぁと思って、改めて確認してみたら1933年生まれの76歳とまだまだお若く、またまたびっくりさせられたのだが、長寿は番組の方で1976年にスタート、放送35周年というわけだった。また、カメが尊敬する石原慎太郎は77歳、先日は新党「たちあがれ日本」の結党会見で「おい若僧、ジジイ新党なんて呼ばせねぇ」 と喝を入れ、密かに喝采したものだ。
一方で、「サンデープロジェクト」の76歳、田原総一朗 は売りの不良っぽさも滑舌の乱れが目立つようになってはリタイアも致し方ないだろう。遅過ぎたとの声も聞く。
喜寿を迎えた永六輔はTBSラジオの土曜ワイドでメインパーソナリティをいまも務めているが、マイク越しにも、もはや息も絶え絶え、周りのスタッフがハラハラして見守っている様子が浮かんでくるような放送。時に、ソファーに寝転んで喋るような光景もあるようだ。
これは、今秋に喜寿を迎える同好のオナニストとしても著名な野坂昭如の病床からの手紙が番組内で紹介されると聞いて聴取してみたのだが、往時のウイットは露ほども感じられなかった。
さらに、永六輔のラジオ放送に関しては、アングラNetであれこれ姦しいそうだが、アクセスしてみる気にもならない。
ま、これら月旦は、古希も間近かになったカメの眼といったところで、敬称は勝手に略させていただいた。
と、そんなカメ、一体いつまで、幾つまで生き続けるのか。人道主義が罷り通るいま、手厚いセーフティーネットをあれこれ張り巡らせていただいて、何とも有難いことなのだが、その目的が「長生き」だけにとらわれているのがいささか気懸かりではある。

2010/04/16

◎オーラたっぷり美少女の妖艶な笑み


にしても、久々に良い女というか、オーラたっぷりの美少女をテレビCMで見つけて、目を見張った。CMの冒頭、そのコはちょっと小首を傾げ、大きな目を寄せ、ふっくらした唇を薄く開いて・・・と、そのカットが妙に妖艶で堪らない。瞬間の虚ろな目線がカメの淫らな妄想を掻き立てる。美少女が醸し出す熟女の色香といった按配か。その落差にカメの敏感エロ肉は疼き、それが何とも心地良く、そして、彼女のヘアーは天女の羽衣のように空を舞って、濃密な蕩けるような色香を漂わせ、カメの鼻腔を擽っているような気がして、画面の前でカメは珍しくウキウキ、ワクワクした。
良い女、可愛いコが出てきたもんだと、暫くそのCMを楽しんでいたのだが、そのコは初めて見る顔で、名前も知らないまま、だ。そのうち、スポンサーはP&Gで、ヘアケア製品「パ ンテーン」 の作品と認識して、得意のNetで検索してみたところ、カメが知らないだけで列記とした女優、タレント、ファッションモデルで名前は夏帆(かほ=1991年生)とあった。小学5年生の時、原宿(表参道)でスカウトされ、2003年にツーカーホン関西のCMでデビュー。その後はCMだけでなく、雑誌モデル、TVドラマ、映画出演など活動の場を広げ、映画『天然コケッコー』(2007年度)では各種新人賞を総なめにするなど、女優としてもかなり期待されている"お宝"のようだ。
ま、それはそれとして、ヘアケア製品のCM出演は初めてとのことで、彼女の空を泳ぐような目線の秘密は判明した。視力が左右0.2~0.3で普段は眼鏡を掛けているとのこと。なぁ~んだ、でカメは納得!!! Netで彼女の画像、動画をいくつか見たが、モノによって酷く印象が違った。なるほど、昨今ではドラマ、CMなどで眼鏡をかけた姿も散見されるとかで、たしかに、パンテーンのCMの冒頭のカットだけが、カメにとっては珠玉のシーンとなった。

2010/04/12

◎やっぱりニュースは気になるが・・・


にしても、生活苦から新聞購読を止めてもう1年になるか、ニュースはYahooトップページで十分と思っていたのだが、昨11日は正午からのTVニュースを見ていて、いささか泡を食った。井上ひさしさんの訃報(75歳、肺がん)と、タイの反政府デモの続報でロイターの日本人記者を含む18人が死亡したというニュースだ。その直前に見たYahooトップページにはなかった話だ。
念のため、直ぐにYahooトップページの[トピックス]を確認すると、11時50分に更新されていて、そのメニューはこうだ。
* 普天間 首相の責任論不可避に
* スーダンに陸自ヘリ派遣検討
* バイクで警官ひき10m引きずる
* 金総書記、三男を幹部に紹介
* 第一生命株価に「初値の壁」
* マスターズ 池田+3で31位浮上
* 高見盛 子どもに負けひざ負傷
* 北陽・伊藤も今月中に結婚へ

パソコンを起動してから、Yahooのトップページは朝から何度も見ていて、首相の責任論と第一生命株価はクリックしていたから、記憶違いではない。カメの最大の関心事であるタイの反政府デモの続報となれば直ちに詳報にアクセスしているはずだし、井上ひさしは「手鎖心中」で直木賞を受賞した際、一時的に読み漁り、その後は嫌いになっただけに彼の動向は気にしていたものだ。その代わりというか、7本目と8本目に高見盛のケガと北陽・伊藤の結婚なんて、ちゃんちゃら可笑しいのだが・・・。
その後、Yahooの[ニュース]にアクセスしたら、勿論この2本のニュースは直ぐに見つかった。これはやはり、 Yahooのニュース担当者のセンス、能力の問題かとも思い、真面目にクレームをつけてみようかとも思ったが、それも大人気ない。確かに世界はグローバル化が急ピッチで進んで、かつてニュースの価値判断で大きな比重を占めていた「距離」「地域」のバリアが既にフリーになっているのだ。例えば、福岡とか札幌での交通事故とか火事はローカルニュースとして、東京では報道、オン・エアされなかったものだ。それが、時間帯によってはTVで明日のニューヨーク、ロンドン、パリ、モスクワの天気予報まで知らせてくれて、つい、笑ってしまうのだが・・・。

2010/04/09

◎散り始めても春はソメイヨシノ・・・


にしても、今春の寒さは異常としかいいようがないのだが、ポカポカ陽気を待っているうちに、ソメイヨシノが散り始めてしまって、昼から晴れ間がのぞいた6日の昼下がり、慌てて自転車で近くの平和島・平和の森公園へ出かけ、デジカメのシャッターを押してみたのだが・・・。その後も天気は回復せず、風は止まず、再挑戦の時機を逸し、いまいち納得しないままアップしてしまったわけで、なんともお恥ずかしいのだが、これも春恒例のカメの息吹?
写真をアップして浮かんだ一句、恥ずかしながら・・・

はかなさを我が身に擬して幾年か

2010/04/05

◎ シュレッダーにかけた16年分の日記帳


にしても、わが身を切り刻まれるような気がするのではないかと怖気づいていたのだが、やってみれば何のことはない、自らとの決別はあっけらかんとしたもので、拍子抜けした。先夜、スライド式書棚の奥に収納していた1993年から2008年までの我が日記帳16冊を2日がかり、夜の特番テレビを眺めながらシュレッダーにかけたのだ。

2、3ページづつ引き千切りながらも、目はそのページには飛ばず、馬鹿馬鹿しいテレビ画面に向けられていて、もはや何の感慨も湧いてこなかった。ページのどこかへ目を向ければ、この作業はたちまち中断して先に進めなくなることは明らかなので、意識的に目はぼんやりテレビ画面に向けたまま、作業は続けた。そして、改めてこのカメ、息は続けているものの実は死んでいる、もはや生身の血は流れていないことを実感した。

何のことはない、カメが生きてきた?証(のつもりの)16年分が、邪魔な紙屑でしかなかったことを思い知らされた。シュレッターにかけられた日記帳は小紙片に姿を変え、大きく膨れ上がったものの、大きなゴミ袋に入れて空気を抜かれると幾分小さくなったが、それでもノート1冊の10倍以上に嵩張った。マンション1階のゴミ集積所にそれを運んで、部屋に戻るエレベーターの中で、何となく身軽になった気がした。

2010/03/28

◎首をかき切るほどの羞恥心・・・消滅


にしても、最近、あの「西部邁」がお気に入りになった。土曜日の午前11時、たまたま見つけた東京MXテレビのトーク番組「西部邁ゼミナール~戦後タブーをけっとばせ~」を視聴して、はまってしまった。例のぞんざいな口調で森羅万象を滅多切りにして痛快、爽快にして、浅学菲才、浅薄なカメにとっては何とも面白いの一言・・・。MXのHPに西部ゼミのアーカイブが作ってあり、過去の放送分を公開しているので、時々アクセスしている。http://www.mxtv.co.jp/nishibe/
ちょっと笑ったのが、確か、文芸評論家・富岡幸一郎氏がゲストの時。現代人の羞恥心のなさに話が及んだ際、冬季五輪で正装のスラックスを腰骨の下まで下げてはくなど服装の乱れでスノボの国母和宏選手が叱責され日本選手団入村式への参加を自粛した件を取り上げながらフィギュアスケートに話が及び、「女性が丸裸同然の格好で、見ようによっては丸裸で(氷上を)走っている。女性が裸も同然の姿で人前で股を広げたり、ひっくり返ったりしていること自体、昔の羞恥心(からいえば、そんな格好をすることは)、女性は首をかき切るほど恥じ入ったもので・・・、そういったことをやっていながら(JOCやスキー連盟に)国母君にパンツが下がっていたとか、そんなことをいう筋合い、資格があんのかいと・・・冗談を飛ばしたくなるくらい、日本人はおかしくなっている、ね」とお馴染みのニヒルな笑みを浮かべた。
まさに、我が意を得たりだった。女性の奥床しさなど、現代では既に死語に近い。勿論、身近で奥床しさを感じることはない。西部氏には叱られてしまうだろうが、確かにTVでフィギュアスケートの女子は視聴するが、男子は見る気にならない。その女子をそんな視線で見ながら、ひょっとしてロリコンになったかと思ったものだ。

2010/03/23

◎DVD買取135円、あぁ〜恥ずかしき日々ヨ


にしても、135円なんて・・・、あまりのことに溜息をつくしかなかった。ポカポカ陽気になった先日の昼下がり、クローゼットの奥から出てきた手提げ紙袋にいっぱいの中古DVD(25枚)を蒲田駅近くのDVD店に持ち込んで、買取を依頼した時のこと。1枚10円でも250円にはなるなと踏んで自転車に乗ったのだが、結果はそれほど甘くはなかった。もう10年以上前にしまい込んで忘れていたもので、それもカバー写真に釣られて買ったものの役に立たず、まとめて紙袋に詰めていたものだけに、マンションのゴミ集積所に出してもよかったのだが、それは何となく恥ずかしく、憚られて・・・。ぽかぽか陽気を待っていたのだ。
査定の待ち時間は店内の書籍コーナーでアダルト雑誌を手にしていたが、その種類の多いことといったらない。大半はDVDが付録についていて、価格は300円位から上は数千円まで。久々にのぞいたDVD店の品揃えには舌を巻くばかりだ。
査定の結果、10枚についてはモザイクがどうとかで引取不能と告げられ、続けて「古い作品ばかりで・・・」と値段がついたのは15枚で、その合計は135円。1枚10円にも満たぬお粗末さ。何とも情けなく、引取不能の10枚は廃棄を依頼し、135円の硬貨を掌に握り買取書類にボールペンでサインしたものの、何となく納得はいかず、あぁ〜恥ずかしき日々よ、いつまで・・・と慨嘆した。

2010/03/16

◎孤独は極上の幸せ、至福の快感である


にしても、人は何故、孤独を恐れ不安に感じるのか、カメにとって孤独は極上の幸せ、至福の快感であるというのに・・・。昨夜のテレビ「ビートたけしのTVタックル」 で高齢化社会の問題として「孤独死」を取り上げ、千葉の団地ではNPOの会員が1人暮らしの老人宅を巡回しながら生死を確認する活動を紹介していたが、これは余計なお世話、お節介ではないかと感じた。死ぬ時くらいは、1人で心静かに穏やかに死にたい。死んだらお終い。後は野となれ山となれ、だ。
孤独は、人間が社会的動物、社会的存在であるからか、その文脈で語られ、倫理、道徳面からは悪行のようにみられ、おかしなことに寂しいという言葉がついて回ることが多いのだが、果たしてそうか。カメにいわせれば、それらは偏見であって、ちゃんちゃらおかしい。
寒い夜、明かりの点いていない冷え冷えとした暗い部屋に1人帰るのは寂しいとは、よく耳にするのだが、カメはそんなことはない。カメは浮き浮きして、足は軽くなり、誰もいない、気兼ねしなくてもいい、気侭に過ごせる部屋に落ち着ける喜びが沸いてくる。孤独だからこその快感で、共感者は少なくないと思うのだが、この世にはそれを公言することがはばかられる空気がどんよりと漂っているわけだ。ま、それを人の道とでもいうのだろうが、その道を外れた外道のカメには本能の赴くまま、勝手気侭に過ごすのが何より、快楽こそ人生なのだ。それは孤独だからこそで、「孤独は極上の幸せ、至福の快感である」と本外道カメの死言状に加えておく。
Netで探してみたら、仏の小説家・バルザック(1799年 – 1850年)はこんな言い方をしていた。
「孤独はいいものだということを我々は認めざるを得ない。しかし、孤独はいいものだと話し合うことの出来る相手を持つことは一つの喜びである」

2010/03/12

◎孤独というやつ、カメにとっては快感・・・


にしても、 1957年製作のスウェーデン映画『野いちご』を衛星テレビで見て、何となく自らの人生を振り返ってみたくなった。映画は、人生の空しさと孤独を、一人の老教授を通して、現実と回想と悪夢の中に描いたベルイマン監督の傑作。前作「第七の封印」で神の不在を問うたベルイマンは、この作品では人間の愛と憎しみ、生と死といったテーマに鋭く切り込んだとの触れ込みなのだが・・・、どうやら欧米でも輪廻転生は死生観のテーマになっているらしい。それに、老人、死、孤独、勲章、故郷、父母、家族・・・といった言葉がキーワードになっていて、キリスト教も仏教もいずれも根っ子では共通している、と改めて確信した。
映画の中で老教授の息子は「人生に吐き気がする」「好きな時に死ねるよう、身軽でいたい」「望みは死ぬことだけだ」と話し、息子の身重な妻は「この老女(老教授の母親)はまるで屍のよう。でも、生きている。死よりも恐ろしい。そして、息子(老教授)はまるで逆、生きながら死んでいる。夫も孤独で冷たい屍。お腹の子は、
この孤独と死が脈々と続いてしまう」と話し、父母、家族といった身近な人間関係のDNAを解き明かそうとしているようだ。そして、映画の中で老教授は冷淡で自己中心的、無慈悲のため有罪とされ、その罪は孤独と裁定されるのだが・・・。

自分史を振り返ってみて、外道のカメに悔いの残ることはない、なんていうほど真面目に一生懸命生きてきたとも思えない。というか、川の流れに身を任せて何もしていなかったというのが真実で、野いちごの主人公の老教授と重なる部分は多い。もちろん、老教授ほどの知識も、教養もないが、冷淡で自己中心的、無慈悲という情緒面ではピタリと一致する。で、その罪が孤独となり、いま、確かにカメもその罪を受けているようにも見えるのだが、実はその孤独というやつ、カメにとっては快感以外の何ものでもない。外道の外道たる所以でもある。さらに、ねばならないこともなし、最近では、食っちゃ寝・・・の生活リズムが出来たようにも感じている。ウフッ。

2010/03/04

◎のんべんだらりとしていられる幸せ・・・


にしても、今回の確定申告はあまりにもあっけなく終わって、拍子抜けした。昨21年は年金収入だけで、その額たるや、生活保護を受給した方が間違いなく多いに違いないと憶測できるほどだから、申告書への記入はいとも簡単に終わってしまった。源泉徴収額もなければ、必然的に納税額もゼロというわけで、気がかりなのは地方税と固定資産税、国民健康保険料の額といったところ。先の気温が2桁半ばになった昼時、自転車で届けてきたが、受け取った職員はノーチェック、受領印を押した控えを受け取って、何となく物足りなさを感じると同時に、何か身軽になった気がした。
まさに、天下晴れての国家ニートというわけで、初めて国家というか日の丸に対する帰属意識の萌芽を感じた。この国家への依存感というか、もたれかかる心情、安心感というのは、相手が国家だけに、家庭とか会社などと違って、大いに頼りがいがあり、それを意識するのはちょっとした快感だ。セイフティーネットの張り巡らされたところで、のんべんだらりとしていられるというのはこたえられない。といいつつ、この寒さは何とかならないか。何とかしてもらえないものだろうか。ない知恵を絞ってチェンマイに避寒してみたわけだが・・・。

2010/02/26

◎ドラスチックに始まりスピーディに転換・・・


にしても、チェンマイ暮らしから東京暮らしへの切り替え、今回はちょっとドラスチックに始まったが、スピーディに転換できたような気がする。
まずは、成田空港に着いた24日の朝、ロビーに出た解放感から喉の渇きに促されて自販機の前に立ったら、150円のボトルがズラリ、 衝撃の150円というわけで、一瞬頭は真っ白、次に?????が浮かんだ。
おい、おい、どうなってるの? どうして、こんなお茶のボトルが「150」なの・・・、これじゃ買えないよ、っていうか、どうして、なぜ、こんな値段なの? 帰ってこなけりゃよかったよ、と思った。バーツから円への切り替え、頭ではわかっていても、生理的な拒否反応が強く行動がなかなか伴わなかった。
で、買ったお茶は「むぎ茶」で、一気には飲み干せず、結局は、京成から京急に乗り換えても後生大事にボトルを握っていた。
次に、我ながら驚いたのは成田空港から京成の上野行き快速特急電車に乗ったとき、荷物は網棚に乗せてしばらく走ると車窓に外の景色が映ってきて、ぼんやりロングシートに1人で座っていると、何やらムズムズしてきて、フムフム、来た来たってなもんで、空いている車中で屁・・・、へっへっへ、へへへ。腰を浮かせて、フゥッ~~、プスゥ~~ってな感じ。いや、臭かった、ねぇ。まさに、チェンマイの匂い、ニンニクやなぁ。懐かしい・・・。車内を見回しても、他にお客さんは、遠く離れて2、3人・・・程度で、気付かれる懸念はなし。ま、これがチェンマイの最後っ屁、ってわけかと、何となく納得していた。普段、あまり放屁体験は少ないのだが・・・。
昼前に部屋に着いて、留守電をチェック。一件だけで1月31日13:12、再生したら「チェンマイの本人です・・・」。携帯電話の通話テストを兼ねた留守電だった。
32インチの液晶テレビを点けたらバンクーバー五輪、フィギュアスケート女子ショートのライブ中継が映っていて、 荷物をほどきながら、ついつい視聴。 ヨナが真央抑え暫定1位の結果に、確かに紙一重の差を感じさせられていた、よ。
結局、午後2時30分過ぎてから近所のすき家に出かけて鮭トン汁定食(460円)。懐かしの日本食としてこのところの定番メニューとなっているが、郷愁に耽るほどのインパクトはなかった。

2010/02/17

◎難民と 呼ばれて俺か マイペンライ


にしても、ロングスティとかビザの延長とかのキーワードでネットサーフィンをしていたら、先日「チェンマイ難民」なる言葉が飛び込んできた。な、な、なんと、である。テレビ番組でチェンマイ暮らしの日本人老夫婦の節約生活が紹介され、団塊の世代のリタイアで今年は約2000人がチェンマイに押し寄せてくる見通しで、お金を使ってもらえない難民の急増に当局は困惑している・・・といった内容のネット情報だ。
何とも刺激的でストレート、図星を突かれてカメは、その言葉を難民批判と感じたのは過剰反応か。ともあれ、情報の真偽を確かめたくて「チェンマイ難民」をキーワードに検索してみたところ、日本の年金難民とタイ国境の難民の2種類の難民問題が浮上してきた。
カメの関心はもちろん年金難民である。アップされている情報を辿ってみると、その出所は関口宏の「水曜ノンフィクション」(TBS、09年1月29日放映)の「年金で暮らせるか」特集で「“年金難民”が増えている海外へ」。その中で、タイのチェンマイに移住している老夫妻が登場していたという。番組の内容を的確に紹介していると思われるブロガーの報告によると、こうだ。

日本国内で少ない年金での生活は節約、節約の毎日。それならばということで、物価の安い東南アジアに年金生活者が豊かな生活を求めて流出していて、そういった方達を「年金難民」と呼ぶらしいです。なかでもタイのチェンマイには年金難民として2000人以上が生活していて、番組ではチェンマイに住む年金生活者夫妻をクローズアップ。月18万円の年金で、チェンマイでは月10万円の生活。インタビュー当初は、日本よりも楽園だと答えていたものの、バスタブが無く、タイ料理に馴染めないため自炊をするも、調理はキッチンが無いため洗面所で。煮炊きするのは一つの電気鍋だけで、とても不自由な生活を強いられている、といった感じ。社交的な妻に対し、言葉の壁を感じ、なかなか外出したがらない夫が引きこもり状態。インタビューも最後になると、できれば日本で暮らしたいと…。この映像を見る限り、チェンマイには住みたくないなぁ~と思いました。インタビューを受けていたご夫婦を見ている限り年金が問題なのではなく、「言葉」と「食事」、この2つが問題となっているのでは? と思いました。

なるほど、番組制作者の目からすれば、頂きなんだろうが、洗面所で調理する映像などは確かにショッキングだろう。が、これを年金問題と絡めるのは如何なものかと思うのだが、Net上には、ロングステイヤーたちの声が飛び交っていた。

「最近チェンマイあたりに年金で住む人を年金難民というそうです。 ちょっとショックな言い方ですが、あながち当たっているかも知れません」
「テレビで報道されたチェンマイ難民て!! ・・・ロングステイヤーには酷い呼び名・・・、 年金の受け取りが少なくて、とうとうタイのチェンマイで生活しなければ生きて行けない人が今年だけで2000人チェンマイへ訪れると」
「年金難民、日本に帰れず路上生活 ?」
「 ロングスティーヤーは『年金難民』・・・。 そうです。日本でもらう年金では、日本では息たえだえの生活しか出来ません。 私達の仲間は、ロングスティーヤーは、年金難民と呼び合っています」
「タイ日本人社会の最下層を構成するロングステイ難民はチェンマイだけで500人はいるという。不景気な世の中、増えることはあっても減ることはないだろう。ロングステイの影の部分ではある」

で、浮かんだカメの一句・・・
難民と 呼ばれて俺か マイペンライ
チェンマイ 難民暮らし 板に付き
難民の 手にずっしりと バーツ札  *バーツはタイの通過単位

2010/02/16

◎ Tシャツ1枚でノー天気に過ごすため、か


にしても、時の経つのは早いもので、チェンマイ滞在はもう残り1週間となって、はて、さて・・・としていたら、友人からメールで「前回のタイ三昧と違い、また、元のブログに戻ってきましたが、一体、タイを訪れた目的はなんだったのかな??? らしくないよ」なんて、またまた「目的???」を聞かれてしまった。本ブログをしっかり読んでいただいているようで、何とも有り難く、厳しくも、的確なご指摘に感謝感激・・・、まさに、その通りで、自らもチェンマイで何をしたいのかわからない・・・って、混迷の世界へ突入したよう。
何せ、今回は到着翌日に、あまりにも簡単に終の棲家に辿り着いてしまったのが大きい。とりあえずは、終の棲家探しが目的だったのだから・・・。その上、そこではインターネットに24時間無料でアクセスでき、海外でも日本のテレビをライブで見られるソフト、KeyHoleTVをダウンロードしたとあっては、日本での生活環境をそっくりそのままチェンマイに移したような感じになってしまって、つい、つい、大好きなのんべんだらり、Net三昧の日々を送ることになって・・・なかなか外にも出なくなり、日本での生活を2時間遅れでなぞっている感じ。
だから、夜は結局、午前2時ごろまでYouTube(どこのどなたのサービスかは知らないが、ひょうきん族などかつての人気番組が嬉しいことに増えている)を眺め、ダウンロードしていささか疲れ、朝は寝坊してぼんやり、なんていう日が続いている。時には、エロ動画専門サイトなどにアクセスすると、2時間の時差にひっかかって「メンテ中」が何度もあったり。
で、改めて、チェンマイ訪問の目的を振り返ってみると、東京で気温がひとケタ続きの日にも半袖、Tシャツ1枚でノー天気に過ごすため・・・といったところか。ウフッ。

2010/02/15

◎岡チャンではもうムリ、見る気にもならない


にしても、サッカー 東アジア選手権の日本Vs.韓国戦(14日、国立)にはガッカリした。酷い、お粗末な試合を見せられた。こんなんで、ほんとにWカップに出る気なのかね、出られるのかねと、にわかサポーターのカメの目から見ても納得できない試合内容だった。見てて、ほんと、勝てる気がしないもん、ね。本当に勝ちたいのか、勝とうとしているのか、そのガッツも、まして戦略、作戦も見えない、伝わってこない。ただ、ミスなくボール回しに専念していて、シュートを蹴ろうともしない。こりゃ監督が悪い、と素人目にも感じた。
この試合のライブ中継はチェンマイで、パソコンにダウンロードしたKeyHoleTVで観戦した。実は、フジテレビ開局記念特番「日本代表踊る大4連戦」はいずれもチェンマイで視聴環境が劣悪にもかかわらず見続け、結果、イライラを募らせていたのだ。韓国戦が終了した際は、もうW杯は見なくてもいい、見ない方がいいよな、と思った。
一夜明けて、パソコンを開きスポーツニュースの見出しを拾ってみたら、あからさまな岡田監督解任論が飛び交っていて・・・。
韓国に惨敗…岡田ジャパン解体へ緊急会談
サポーター岡田監督にクビ要求/東ア選手権
岡田監督、解任論噴出!韓国に惨敗3位
稲本潤一「ブーイングは受け止めないといけない」/日本代表
日本、攻めの形つくれず 守備も崩壊で韓国に惨敗!!/東アジア選手権
さらに、写真はホーム側ゴール裏に立った横断幕「岡チャン不合格 決断セヨ サッカー協会」。
そして、後任候補の1人に浮上している元中国代表監督のボ ラ・ミルチノビッチ氏(65)が会場で視察している姿が目撃された、とも。
で、日本代表の岡田監督の去就問題で、日本サッカー協会の犬飼会長、原技術委員長が15日にも緊急会談を行うとのこと。こりゃ、早く決めて、新たな気持ちで再スタートを切ったほうがいい。

2010/02/14

◎「何をやりたいのかわからない」とまたいわれた・・・


にしても、「何をやりたいのかわからない」と、またまたいわれてしまった。「タイ語を本当にやりたいのか。コミュニケーションをとれるようになりたいのか。発音が出来ていない。1週間の間に復習した跡がない。となれば、こちらではどうしたらいいのかわからない」とも。いやはや、厳しいご指摘に二の句が継げなかった。今回、終の棲家の家主の若女将から、週1回、タイ語会話の個人レッスンをお願いしていたのだが・・・。なんせ、生来の怠け者で、勉強嫌い、なおかつ、努力もしなぃ。のんべんだらりとしているのが一番好きなどうしようもない生徒なのだから、押して知るべし。特に、会話では、結果は誤魔化せない。何だ、何もできていないじゃないか、とあからさまにいうわけにもいかず、教える気も失せるというものだ。で、冒頭の台詞が口をついて出たのだが、それも、熟慮を重ねた挙げ句のようだ。これに対し、さすがに「実は私もわからないんです」とはいえず、何とも面目ないことに除籍と相成った次第なのだが、「何をやりたいのかわからない」と面と向かって真面目にいわれたのは、これで2度目だ。
最初は、もう17年前になる。カメ、50歳になった年のこと。人生50年・・・夢幻の如くなり、なんて感傷に浸りつつ、大きな目標を成し遂げた達成感に高揚して、これでよし、後は余禄で息を続けるだけと、何と何を勘違いしたのか、有限会社を設立してしまったのだ。そして、銀行から紹介された税理士に半年ほど経ってから、「社長が何をやりたいのか、わからない」としみじみといわれたものだ。「なぜ会社にしたのか。フリーでやっていられたのでは・・・」とも。確かに、そうだった。自分でも何をしたいのか、人生50年を成し遂げて、それで終わった気が強くしていた。で、後は、それまでと同様に、いまも時の流れに身を任せ、川の流れのままに漂っている。それが、何より好きだし、心地良い。
それ以上の何を望めというのか・・・。カメも自分自身で何をやりたいのかわからないんです、と独りごちてみたものの、その実、やりたいことといえば、唯一つしかないわけで・・・、ウフッ。

2010/02/11

◎なぜ帰らなければならないのか・・・


にしても、今回の訪チェンマイ、半分を過ぎ、残り2週間を切ったというのに、そんな気がしない。終の棲家に辿り着いてしまったからだろう、すっかり腰が落ち着いてしまい、帰らなければならないという思いは消し飛んでしまった。いつまでもこのままここにいられるような気になっているから、不思議というか、困ったことになった。
東京にいれば、雪が降るのか降らないのかしなくてもいい心配をして、寒い、寒いと身を縮こませていなければならないだろうに、こちらにいれば毎日天気は晴れ、明け方気温は20℃近くに下がって、高原の涼感が漂い、昼間の気温は30℃近くまで上がるものの湿度は低く、Tシャツ1枚で汗ばむほどでもなく、エアコンも必要としない快適な陽気に、考えることといえば何を食うかぐらいか、ノー天気に過ごせる。

で、せっかく見つけた終の棲家を文字通り確かなものにするため、正式なビザを取得してみようと思い立って、大使館のHPにアクセスしてじっくり読んでみたら、カメの経済環境では資格条件に当てはまらないことを、改めて思い知らされた。残念ながら、これまで通り、1ヵ月未満のノービザでの滞在を繰り返すしか方法はないようだ。
ビザの種類とか、提出書類の条件などをみると、カメのような日本での生活困窮者には入国して欲しくはないという本音がチラチラしていた。当然だろうが、定年ビザについていえば、年金受給証明書の金額が以前は確か5万バーツ以上でカメは失格、諦めていたのだが、今回改めて読んでみたら、それが6万5000バーツ以上に引き上げられていて、団塊世代の大量リタイアを控えてハードルを引き上げてきているような気がした。
カメは一体どうしたら・・・なんて、ね。