2006/11/30

◆ロダンの考える人のポーズをとっていた・・・

にしても、気がついたらロダンの考える人のポーズをとっていた。右手の甲を右頬にあてウゥーンと呻きながら断続的に荒い息を吐き出し、洋式便器に座ったカメの目の前は霞んでいた。もう一度大きく吸い込み、息を止めて飲み込みつつ踏ん張ると、メリメリ音を立てるように太く硬いモノが押し出されてきた。
昨日の正午前のことで、便秘は前々日から始まっていた。
カメの場合、毎朝、起き抜けに座るのが日課になっている。歯磨き、洗顔の前、新聞を持ち込み、煙草に火を点け、一面下のコラムを読みながら・・・。それがないと1日が始まらない。
で、大体は快便なのだが、このところ年に2、3回は便秘するようになった。因果関係ははっきりしないが、寝酒のつまみにカシューナッツを食べると、便秘につながるような気がしている。前回の体験からの推測だが、今回もやはりカシューナッツを食べていた。
前日の朝も便意は催すものの排出されない。力むのは嫌いなため、新聞の一面に目を通しただけで無理しなかった。と、その日は一日中、残糞感につきまとわれ、突然便意に襲われる。その度に座り、時に力んでみるのだが、ウンともスンともいわなかった。さすがに、ヤバイと思い、寝る前にスティックパックの便秘薬を飲み、念のため牛乳を0.5Lほど飲んだ。
で、昨日朝、起きて座って、力んだものの駄目。そこで、便秘薬をもう1パック飲んで待つことにしたのだ。
その“作品”たるや、1回では流されず、さすがに見事なもので、われながら感嘆。ついデジカメを持ち出して収録、本ブログにアップしようとしたのだが、その画像を眺めつつ考えに考えた挙句、スカトロならいざ知らず・・・と、アップは断念した。
とはいえ、その見事さは何ともいいようがなく、露出癖もあるカメは誰かに見て欲しく、欲しくて・・・ウフッ。ご連絡をいただければメールに添付して送ることに致します。希望者はどうぞ・・・ウフッ。

2006/11/29

◆自民の復党問題は“悪女の深情け”

にしても、外道カメは「Web人間」を宣言したくなった。自民党の復党問題を見ていて、そう思った。
筋を通すとか、情だとか、いかにも日本的なやりとりを連日テレビで見せられていると、本当にイライラする。
そもそも、復党問題が起こってくること自体、あまりにも日本的な、日本人が大好きな情の世界であり、悪女の深情けなのだろうが、何ともみっともない。直後に新党を結成した造反組もいるし、その方がずっと潔いし、好感が持てる。主義・信条を貫くのが政治家の本分であるし、国士だ。
いまさら復党願と誓約書を提出するなんて、未練がましいし、それを求める方も求める方で、どっちもどっちだ。新党結成、或いは再編、院内会派など素人でも思いつく選択肢はある。そうした再チャレンジもしないで復党とは、情けない。
このコップの中の嵐、永田町だけの話ではない、夫婦、家族、学校、会社などあらゆる社会に共通する。そして、筋だ、情だ・・・といいながら、結局は情に流されてしまう。
あくまでも頑なに筋を通したのが小泉純一郎前総理であり、奇人・変人だからこそ筋を通せた。それゆえに歴代第3位の長期政権を維持できたのである。
いまの地球上に住む人間をまとめて地球人と呼べば、対するのは宇宙人かもしれないが、その中間にWeb人間が出現しているような気がする。
「Web人間」は一般の地球人とは価値観がかなり違う。どんな人間かといえば、地縁、血縁に頼らず、情に疎く、孤独を愛し、無情の世界に浸り、デジタル・マニュアル思考に耽り、無の空間であるWeb世界を遊弋し、ひたすらリラクゼーションを希求する、いまのカメが典型である。

2006/11/28

◆淫らな妄想に歯止めをかけ悶々と・・・

にしても、淫らな妄想に歯止めをかけ悶々とするのも、ちょっとした快感で御座います。
新橋のとある居酒屋が22日から28日まで丸々1週間店を休んでしまったので御座います。 他のお客さまはどうあれ、カメの行きつけの店で、カウンターに椅子が8つ、4、5人は座れるテーブル席が1つとこじんまりして、可愛い癒し系の女将が1人で切り盛りし、その女将の手料理が何といっても人気の店なので御座います。何より、これまでGWと正月を除いて平日に休んだことはないお店で御座います。
なのに、お店で一体何が起こったのか。こんな時期に、こんなに長期間休むとは、とカメは気がかりなので御座います。何か、それを決意させる何かが隠れている、と考えるのも自然の流れで御座います。 妄想のタネは幾らも御座います。
女将はいま・・・どこで、誰と、何を・・・と妄想が広がる、おっと膨らむばかりで御座います。当然で御座いましょう、何といっても横恋慕するスケベなカメなので御座います。
あの顔、この顔、ひょっとしてあの顔、いや、この顔と、次々と浮かんでは消える常連のお客さまの顔・・・、そんなお店ではないはずなのに・・・と。
といって、さてさて、どんな妄想が、どこまで許されるのか・・・。カメが勝手な妄想を膨らませれば、それはそれは嫌らしく、淫らで、ふしだらな官能の図が広がっていくので御座います。
でも、でも、次の木曜日、カメが恥ずかしくて顔を出せないようなことになってはと、つい歯止めをかけてしまうので御座います。ウフッ。

2006/11/27

◆2DDフロッピーデスク読み込みソフトは断念


にしても、脳細胞がグズグズになったカメの場合、過去はモノで探すしかない。靴箱を空けたら懐かしの3.5インチのFDディスク(MF2DD)が大量に見つかった。机の引き出しからも出てきた。もう10年以上前に愛用していたワープロ専用機で作ったデータの数々である。
各種のカードリーダーが出回っているのだから、MF2DDをいま使っているパソコンで読み込む方法があるはず・・・と期待して、Webにあれこれアクセスしてみたら、なるほど、あった。ワープロ専用機で作成したMF2DDのデータをパソコンのアプリケーションに移すソフトだ。やっぱり、そうしたニーズはあるのだと嬉しくなった。で、そのソフトと外付けFDドライブのセット価格が1万7430円也。かなり高価だ。食指は動いたものの、とりあえず旧いワープロ専用機を引っ張り出して電源を入れFDを挿入してみた。もう、操作は完全に忘れている。といって、マニュアルはどこにいったものか、探す気にもならず、勝手にあれこれ推測しながらキーを押してみたら、やはり単純に反応してくれた。で、FD4、5枚の内容をチェックしてみたが、期待していたデータは見つからなかった。いずれも、仕事で作ったデータばかり。懐かしいことは、懐かしいが・・・、いまさらのデータばかりで、改めて、いまのパソコンに取り込んだところで意味なし・・・と気がついた。実は、その時代に個人的な徒然記など認めていたような気がしたのだが・・・、時間をかけて探しても、それは単なる郷愁でしかないと判定、よって、FD変換ソフトは必要ないと判断した。
確かに、過去は過去として存在したのだが、過去に遡ることは思いとどまった。
過去に遡るにも金がかかるとあっては・・・、やはりケチなのだろう。これで、ちょっとした出費を抑えられることにはなるか・・・と納得した。

2006/11/26

◆至上命題はいまの体型維持なのだが・・・

にしても、ヘルスメーターを買わねばなるまい。Gパンを穿く際、腹の出っ張りがちょっと気になりだしたのだ。
Gパンのウエストは「33」インチで、この10数年変っていない。1インチ=2.54cmで計算すると83.82cmだが・・・、34インチはあると思っていた。で、先ほど確認してみたら、はて、さて・・・確かに33インチだったのでカギ括弧をつけた。
Gパン以外のスラックスは86cmか、92cmのものもある。かつて、82cmの時代が長くあり、その後86cmと92cmを行ったり来たりした時期があり、現在に至っている。さすがに、92だとブカブカ、86ではきつい。Gパンではウレタン混紡タイプに逃げ込んだこともあったが、やはり楽なためつい油断してしまうので、綿100%に戻している。
ただ、ロスタイムに入ったカメはウエストが入らなくなったからといって、新しいサイズのGパンを買う気はもうない。というより、買えないといったほうが正しい。もったいないし、1本買えば、2本、3本と買わざるを得なくなる。それに、Gパンのウエストが変るということは、あれも、これも・・・だ。
いまは、食つなぐだけで一杯、一杯だ。とにかく、カメにとっては、いまの体型を維持することは至上命題である。先日、有楽町に出かけた際、駅前の家電量販店をのぞいてみて、驚いた。せいぜい、5000円止まりと思っていたのに、体重のほか体脂肪率、筋肉率、骨格筋率、骨格筋レベル、内臓脂肪レベル・・・など検査項目の機能を増やし、品揃えは1万円前後から上になっていて、大好きな衝動買いはできなかった。
さて、どうするか? 
いまさら、食事に配慮したり、ヘルスメーターに乗ったり、体のケアーに励むなんて・・・、それより、好きなもの、旨いものを腹一杯食って、太りに太って、棺桶に収まりきれなくなってもいいんじゃないの・・・との声も聞こえてきた。

2006/11/25

◆死滅した脳で時空を飛ぶ奇妙な感覚を実感・・・


にしても、脳細胞の死滅度を自ら実感した。23日夜のこと。夕食時に発泡酒を飲んだら、そのまま1時間足らず寝込んでしまった。8時過ぎに目覚めて、おっ、そうだとテレビのチャンネルを「6」にして、ぼんやり見ていた。確か、9時から明石家さんまの新番組・・・と思っていたのだが、9時直前の番宣で流れたのは「渡る世間は・・・」だった。はて、さて??? そんなはずはないよな、放映時間が変わったのか、他のチャンネルだったか、と新聞のテレビ蘭を確認したら、9時からはやっぱり「渡る世間は」だった。またまた???
そんなぁと、脳細胞を揺らしながら前日22日の新聞を見たら、確かにあったのだが・・・。
さんまの新番組は昨日のことだったのだ。それにしても、なぜ・・・こんなことに!!! ちょうどカメの脳が24時間すっぽり抜けた格好だ。軽い目眩がした。それは、ちょっとした快感で、心地良かった。
前夜、何をしていたのか・・・。微かな記憶をたどってみると、前夜の食事で久々に豚バラの焼肉をたらふく食って発泡酒を飲んで、やはり寝込んでいて、目覚めたときにはさんまの新番組のことをすっかり忘れていたのだ。なるほど、なるほど、だ。
さんまの新番組はどうしても見なければならないテレビでもないのだが、このところ面白いテレビがなく、新聞のテレビ欄を眺めては、その日見たい番組をチェックしていただけに、ちょっと残念ではあった。
この奇妙な体験、22日夜から23日夜までの生活時間がカメの脳から喪失していたことになるようだ。
テレビ番組で時間を知覚している? カメの脳に時間軸はもはや喪失しているのかもしれない。「渡る世間」の番宣を目にしたときは、ボーっとした脳で何故、何故と、不思議な感覚に捉われた。
時空を駆ける、時空を飛ぶとは、こんな感覚をいうのかもしれない。

2006/11/24

◆狂犬病はマイペンライとはいかない?


にしても、邦人男性36年ぶり狂犬病発症とのニュースが相次ぎ、タイ・バンコクでの写真を思い出した(左)。
タイも野良犬は多い。写真はバンコクの市街地、高級デパートなどが林立する並びのショッピングセンターの入り口で日向ぼっこをする犬だ。他にも、街中いたるところに展開される屋台が並ぶ歩道には餌を求めてウロウロする犬をよく見かけたが、いずれもおとなしく、吠えたり、暴れたり、絡み付いてくるといったケースは見なかったし、怖いイメージはなかった。
今回、日本で発症した狂犬病は2人、フィリピンで犬に噛まれた京都市と横浜市のいずれも60歳代の男性だから、バンコク移住を目論むカメは無関心ではいられない。2人とも手を噛まれ帰国後に発症しているが、その状況は伝えられていないので、ちょっと気にかかる。頭でも撫ぜようとしたのだろうか。餌でも与えようとしたのか。
外務省・海外安全ホームページによると、狂犬病は南極大陸を除く全ての大陸で発生が確認されている感染症で、アフガニスタン、バングラデシュ、ブラジル、ボリビア、中国、コロンビア、エクアドル、エルサルバドル、グアテマラ、ハイチ、インド、インドネシア、メキシコ、ミャンマー、ネパール、パキスタン、ペルー、フィリピン、スリランカ、タイ、ベトナム、イエメンでは感染のリスクが高い。
列挙された国名の順番に意味があるのかどうか、最初はタイの名前を見落としてちょっとほっとしたが、念の為、もう一度目を凝らして後ろの方に見つけ、やっぱり・・・だった。
また、毎年、世界中で5万人以上が狂犬病で死亡していて、犬に限らず、猫やイタチなど他の哺乳動物からも感染することがあり、狂犬病の動物から咬まれることで、その傷口からウイルスが体内に侵入。人の場合の潜伏期間は9日~数年(通常20~60日程度)で、発病した場合はほぼ100%死亡する。
症状は発熱、頭痛、嘔吐などに始まり、次いで筋肉の緊張、痙攣、幻覚があらわれる。犬の遠吠えのような唸り声をあげ、涎を大量に流し、昏睡、呼吸麻痺が起き、死に至るそうだ。
何とも恐ろしい病気のようで、マイペンライとはいかないようなのだが・・・、ま、恐いことを知っただけでも良しとするか。

2006/11/23

◆公然わいせつ罪で逮捕・・・なんて不運

にしても、公然わいせつ罪で逮捕・・・なんて不運というしかない。
さる18日夜、東京・池袋の「ハプニングバー」で、わいせつな行為を客に見せたとして、航空自衛隊の現役自衛官(30歳)が公然わいせつの現行犯で警視庁に逮捕されたという。
ハプバー大好きなカメにとっては見逃せない事件で、これまでにも何度か同様のニュースを目にしているが、その都度、ほんとにこれは犯罪になるのか、疑問に思いつつ、これは犯罪にはならないと固く信じているのだが・・・。
自衛官逮捕のニュースによると、自衛官は店内で知り合った女性と約1時間にわたりわいせつな行為をしていたところ同庁の捜査員に現行犯逮捕され、また、同様の行為をしていた客6人も逮捕するとともに店の経営者(63歳)も、公然わいせつほう助の現行犯で逮捕したそうだ。
その状況は目に浮かぶが、夕方の電車に乗っていて、サラリーマンが手にしている日刊ゲンダイの見出しが目に入ってきた。ハプバーで「ここまでやると捕まる」「やっていいコト、悪いコト」・・・だって。これまでにも何度かハプバーの摘発はニュースになっているが、これはKC庁に完全に狙われたとしかいいようがない。いわば、一罰百戒だろう。
公然わいせつは「6月以下の懲役若しくは30万円以下の罰金又は拘留若しくは科料」でしかない。逮捕されて、名前が載る方が痛手だ。現役自衛官となれば、なおさら、多分、懲戒処分の対象にもなるだろう。なんとも、不運としかいいようがない。
ハプバーでたまに、お客同士で公然わいせつが話題になることがあった。カメは、誰でも不特定多数のお客さんが入ってこられるバーではなく、会員制のバーだから「公然」には当たらない・・・と説明していたのだが・・・。それに対し別のお客さんから異論はでてこなかったが、といって、納得したようにも見えなかった。で、カメはそれでももし摘発されたら、法廷で「公然」について主張してみせるよ・・・とも。それは、いまでも変わらない。
特別な審査もなく事実上誰でも会員になれるような場合は「不特定」とみなされるようだし、ストリップ・ショーの場合など入場料を払えば誰でも入れるので「公然」に該当するそうだが、いずれもハプバー同様、被害者は存在しない。自衛官とわいせつ行為に及んだ女性も同意の上なのだ。それが、逮捕に至るのだから、何とも不思議なことだ。
「公然」に限らず、最近の法律の解釈、運用には不可解なことが多くなっている。特に、地検による「国策捜査」にいたっては、唖然、呆然といわざるを得ない。これは、何より、地検の驕りだと思う。

2006/11/22

◆氷雨、曇天から一転しての小春日和・・・

にしても、お天気、太陽光のパワーは凄い。氷雨、曇天から一転しての快晴、この時季は小春日和ともいうが、今日で2日目・・・。
お日様、ただ、それだけで起き抜けのカメはウキウキ、ワクワクしてくる。単純といえば単純だが、カメのお肉はそれに敏感に反応する。実に、太陽光に対する生体反応が正直で、カメはそれに素直に従っているだけだ。
さて、では、何をするかって・・・。国家ニートのカメに「ねばならない」ことはない。せいぜい洗濯ぐらい・・・、おっと、本ブロクのアップがあった。そう、この2ヶ月ほど、実に毎日欠かさずアップしている。飽きっぽいカメにしては珍しいこと。といいつつ、このところ、実はそれがプレッシャーにもなってきているのだが・・・。サイトマップも上手くアップできず、AdSenseも上手くいかない。英語の苦手なカメの悩みは多い。
この快晴、久々だと思ってメモで確かめてみたら、何のことはない、2日ぶりで、そんなに曇天や氷雨が長続きしていたわけではなかった。先の土曜の朝にはベランダに布団を干していたのだが、もうすっかり忘れていた。
ことほど左様に、いまのカメはその日その日のお天気のままに過ごしているようだ。ま、脳を全く使っていないということ。実のところ、脳を使いたくても、もはや脳細胞の140%は死滅しているとの脳細胞死滅度テストの結果もあって・・・。その評価によれば、もう既に死んでいるのに、それを認識できない状態なのだそうだ。トホホ・・・。
氷雨、曇天から一転しての小春日和、それに木枯らしが加わって、冬は間近かに迫ってきた。
東南アジアはタイ、バンコクなら、年間通してほぼ毎日が夏日だ。だから、カメは何よりバンコクを気に入っている。そろそろ、訪泰の準備にかからねば・・・なんて思いついた。バンコクなら全てはマイペンライでやり過ごせる。

2006/11/21

◆リアリティの質も時代によって変化する?


にしても、ビデオで映画を見て久々に癒された。チャールズ・ブロンソンの「狼よさらば」(1974年製作)で、映画館で見たような記憶もあったが、新鮮で、面白い、楽しめる人間ドラマだった。
主人公はニューヨークの会社員。ある日、電話が入り、妻と娘が病院に運び込まれたという。病院へ駆けつけた時には妻は死亡、妻が何者かに襲われた挙げ句に殺され、娘も暴行されたことを聞かされて憤り、悲しみに打ちひしがれる。そんな時、ひょんなことから銃を手に入れ、彼はその銃を密かに携え、公園で襲いかかってきたチンピラを射殺。これをきっかけに沈鬱な状態が吹っ切れ、以来、次々とチンピラたちを仕留めていく・・・。
何より、ストーリー展開にリアリティを感じ、何とも懐かしく、近ごろの映画と違い旧き良き時代の映画らしい映画で、嬉しくなった。
例えば、ダイ・ハードでのブルース・ウィリスのように目茶目茶タフなスーパーマンではなく、といってダ・ヴィンチ・コードのように難解ではなく、まさにカメが好きな浅田次郎作品の読後感に似ている。
近ごろの映画は、もう旧来のエンターティメントのネタが出尽くしたのか、奇想天外な作品を狙いすぎているようだ。それもSFX技術などの進歩によって可能になっている。
が、カメはそれら全てにリアリティを感じられない。文字通りの絵空事、バアーチャル世界であって、人間臭さを感じられないのだ。これは、エンターティメントに対する嗜好による差もあるだろうが・・・、なるほど70年代の映画は確かにリアリティがあった。
もっとも、リアリティも時代によって変容するものなのかもしれない。カメのセンスは70年代なのかもしれないと思う。
このリアリティは浅田次郎の作品群ではしっかりと継承されているが、その作品が映画化されるとそれは喪失してしまう。ま、映画なんてそんなものといえば、それまでだが・・・。
多分、いまはバーチャルの世界が本流となり、リアリティは過去の遺物になっているようだ。そう考えると、近ごろの殺伐とした世相も、おためごかしの連鎖も、なんとなくその構図が見えてくる気がする。

2006/11/20

◆懐かしの横浜・清正公通りは消えていた・・・


にしても、横浜・伊勢佐木町通りに近い長者町の清正公通りはアーチ型の看板と洒落た雑居ビルの名前にしか残っていなかった。それも、アルファベッドで・・・。
今日の昼下がり、伊勢佐木町にある有隣堂本店に行った際、懐かしの清正公通りに寄ってみたのだが、その景色は一変、かつての面影は何も残っていなかった。
30年ほど前、横浜勤務の3年余、清正公通りにはよく通ったものだ。当時はいまの洒落たビルの一角は細い路地が入り組んで、小さなスナック、居酒屋が軒を並べ、サラリーマンの憩いの場だったのだが・・・。ちなみに、清正公とはあの加藤清正のことだ。
再開発の話は当時から耳にしていたが、カメなど安サラリーマンは一様に、いつまでもこの小さな飲み屋の一角はなくならない、いつまでも続くような気がしていた。行きつけのスナックのママがお婆ちゃんになった姿も水割りの肴にわいわい楽しんでいたものだ・・・なんて思い出すうちに、当時の飲み仲間の顔なども浮かんできて懐かしさが募り、お目々がちょっとウルウル・・・。
この寒空の元、有隣堂へでかけたのには、朝刊で見たある雑誌広告の刺激的な見出しがきっかけ。ところが、その雑誌は年間予約購読制のため、簡単には手に入らない。とにかく、今日中に読んでおきたくて、ホームページをチェックしてみたら、テスト販売とかで、八重洲ブックセンター本店をはじめ都心のビジネス街にある書店の名前が挙げてあった。交通費を計算すると横浜・有隣堂が最も安いし、時間もかからない。
で、目指す雑誌を見つけたものの、定価1000円(税込み)に、さて、さて・・・。立ち読みしてみたら、おどろおどろしい見出しとは裏腹に、カメが知っていることばかり・・・、なんだぁ、とホッとして、雑誌は買わずに清正公通りに寄ってみた次第・・・。
パソコンで悟った、慌てず、焦らず、急がずの3原則を改めて認識した。

2006/11/19

◆Qちゃんの生写真をアップしたかったが・・・


にしても、氷雨にはさすがにカメも参った。今日昼過ぎにスタートした東京国際女子マラソン。Qちゃんの生写真をアップしようと意気込んでいたのだが、この雨と寒さに迷いに迷った挙句、テレビ観戦を決め込んだのだ。慙愧、慙愧ではあるが・・・。
実は、カメのマンションは第1京浜沿いにあり、国際マラソンの折り返し点である大森海岸交番までは自転車で10分足らず。これまでも、何度か自転車で出かけている。いつもマンションでテレビ観戦しながら、トップ集団が品川・八ツ山橋を通過したあたりで出かければ十分間に合っていた。
生のマラソン観戦は実に難しいが、一度間近に見てみると癖になる。何とも速い。選手は凄いスピードで目の前を通過していくから、人垣の隙間からいまかいまかとのぞいていて、あっという間だ。それでも、選手の息遣いは伝わってくるし、汗と水で体に張り付いたユニホーム姿は艶かしい。
Qちゃんが優勝した昨年も同じころ自転車に乗ったのだが、折り返し点に向かう自転車がやたら多く、Qちゃん人気の高さに驚かされたものだ。歩道に人が溢れていて、自転車の置き場所を探すのにひと苦労し、のぞき窓もなかなか見つけられなかった。
今回は行きつけの居酒屋でQちゃんを生で見に行くぞ!と吹聴もしていただけに、これまでの反省を生かし、国立競技場でのスタートをテレビで見届けて直ぐにでかけ、デジカメを手に最前列に座り込んで胸躍らせながらQちゃんを待つつもりだったのだが・・・。それに、ゴルフのラウンド前夜と同様、天気予報にも気を配り、雨の降り出しは昼過ぎ、それもレースが終了してからと勝手な予想をしていた。
確かに朝起きたとき、空は重く暗い雲が覆っていたが、やっぱり・・・だった。
テレビ観戦で、白い帽子を目深にかぶり、サングラス姿で土佐礼子の後ろにつけたQちゃんの走りにはいつもの軽快な爽やかさが見られなかった。後半、失速してから、アップでとらえられたQちゃんの表情に34歳の年齢を感じてしまったのは、カメだけだろうか。

2006/11/18

◆おためごかしの連鎖はもうやめてはどうか・・・

にしても、おためごかしの連鎖はもうやめにしてはどうか。本音で喋ることが憚られる世の中はやはり、どうかと思う。核論議だけではない。教育も、医療も、福祉も、少子高齢化も、格差是正も、そうだ。
こんな隔靴掻痒の論議がいつから好きになったのか。もっと、直に患部を引っ掻きまわしてもいいんじゃないか。人権だ、弱者だ、環境だ・・・などタブー視するのはもういい。腫れ物に触るような論議からは、何もうまれない。甘えを増長させるだけだ。
福祉行政について「供給が需要を喚起する」とさる方は喝破した。その通りだと思うし、それは福祉だけにとどまらない。ありとあらゆる分野で、その法則は当てはまる。
一方で、自己責任とか、結果責任とかが問われるようになってきた。かつては、なかった価値観だ。まあまあ、なあなあで済ませてきたものが、そうは問屋がおろさなくなったのだ。
いずれも、欧米化とか、グローバルスタンダードといった、これまで日本にはなかった価値観の積極的な導入、浸透によって、旧き良き日本伝来の価値観があっという間に破棄させられた格好で、何とも釈然としないし、おかしいと思う。これらも世界の潮流といわれれば、そうなのだろうが、何が何でもそうした流れに身を委ねることはあるまい。
日本のいまの現実をなぜ直視しようとしないのか。現実を踏まえながらの具体的な議論がなぜ出来ないのか。抽象的な観念論を披露し合うのは、議論のための議論・・・ゲームでしかなく、具体的な、身になる結論は得られない。ストレスが溜まるばかりだ。
カメは、こうした無益な論議ではない、おためごかしの連鎖を一気にひっくり返す、外道の外道たる腹案を一つ抱えているのだが、稿を改める。

2006/11/17

◆面白くないTV番組・・・中古ビデオ楽しむ


にしても、近ごろテレビ番組が面白くない。
ゴールデンタイムから深夜にかけて、どこの局を選んでもお笑い芸人が跋扈して、同じ顔を何度も見せられるのには辟易する。内容も、作り方も各局とも似たり寄ったりで、いまは、オーバーなナレーション付きの再現ドラマが全盛。そのテーマ設定も下手な誇張が目立ち、腹立たしいだけだ。その手法がバラエティ、ワイドショーだけでなく、報道、ニュース番組まで侵食しているから呆れて、不快感が募る。
先日、近くのレンタルビデオ店で中古ビデオを販売していて、のぞいてみたら何かのキャンペーンとかで、1本100円だった。そんなに多くはなかったが、その中から5本ほど買って、バカバカしいだけのテレビを見ないでビデオを鑑賞したら、これが結構面白い。
以降、中古ビデオを販売している店があれば、のぞいてはあれこれ面白そうなものを手に入れている。ジャンルはミステリーが多いのだが・・・。1本100円は、そのキャンペーン時だけだった。一番安い店は3本500円。あとは1本200円から300円。500円になると、根がケチだけにちょっと手を出せない。それでも、もう全部で30本は超したか・・・。
かつて、若いころは映画好きだった。ロードショーは見ないで、もっぱら2本立て、3本立てで500円ぐらいだった。
でも、この2、30年間はほとんど見ていない。10年ほど前だったか、ロードショーで法廷物を見に行ったところ、冒頭の法廷内のシーンを見つめていて、気がついたらまだ法廷内のシーンが続いている。あれあれと・・・気がついたら、その間ぐっすり寝込んでいたのだ。1800円の入場料は高かった。そんなことが、何度か続いて、映画館から足が遠のいていた。
いまはシルバー料金だから、1000円で見られるようになったのだが、映画館に出かけたくなるほど魅力的な映画の宣伝に触れていない。やはり、娯楽の選択肢が増え、特にカメの場合、それはパソコンであり、Webの世界だ。社会的現象になるほどの映画が登場すれば、考えるだろうが・・・。
もう、予告編に騙されたくはない。いったん映画館に入ってしまえば、途中で出るのも癪の種だ。
中古のビデオなら、居ながらにして見られるし、途中で止めて、そのままにも、もう一度見ることもできる。
溜まり始めたこの中古ビデオ、実はどう廃棄しようかと、悩み始めている。

2006/11/16

◆淋しい? 独りの方が気楽でいいじゃない・・・

にしても、先夜久しぶりに飲んだあと終電で帰って部屋に着き、電気をつけ、テレビのスイッチを入れ、ほっとした。つくづく、独り暮らしはやっぱりいいよなぁと、思った。
誰もいない、誰も待っていない、暗い冷たい部屋に帰った時、淋しくない?とは、よく聞かれるが、どう答えたものか、戸惑うことも多いのだが、ひと言でいえば、淋しくない。実は、淋しいという情緒が欠落しているといった方が正確かもしれない。
どうして淋しいの? 気楽でいいじゃない・・・とも続けるのだが、怪訝な表情を浮かべる方が多い。それは、それで理解はできるのだが・・・。
それは、生命保険とか不動産会社が提唱する家族団らんCMのイメージであり、旧来からの家族、夫婦、親子の絆からくる呪縛だ。その絆の太さ、細さが淋しさを感じさせるのだろうか。そうした呪縛から解放されているのが外道であり、その選択は個々人の生きざまで、外道はやはり少数派だ。
さて、その実態はどうかといえば、ほのぼのとした一家団らんは、CMだけのいわばバーチャル世界だろう。その乖離があまりにも大きいため、その狭間で人はみな悩み苦しみ、もがき、のた打ち回っている。
それが人生とも、人間らしいともいえるのだが、その呪縛の中で、ある人はストレスを溜め込んでガンに侵されたり、ある人は自暴自棄になって破壊行動に突っ走ったり、ある人は八方塞りになって自らの命を絶ったりして、マスコミの格好の餌食となる。
だから、大半の人は一家団らんからはみ出したり、肌のぬくもりが感じられないと、淋しいと感じるのだろう。いつも誰かにすがっていたいのだ。その最高の形が愛とか、幸福といったものなのだろうが、これらは抽象的な概念で、捉え方は人それぞれだ。当事者がどう思うか、どう感じているか・・・であり、それも多くは他人との関わり、相対的な自己評価でしかない。
他人の目を気にせず、他人への気配り、思いやりといった配慮を止め、自分だけ、自分さえ良ければいい自己中心、我が侭、勝手気まま・・・実のところ、カメはそんな生きざまを続け、いまに至っている。
他人は他人、自分は自分・・・を徹底すると外道というわけだ。外道を名乗ったのは、つい最近のことである。

2006/11/15

◆背任罪なんて、サラリーマンの勲章・・・

にしても、いくつになっても同級生の動静は気になるようだ。先日も本ブログにアップしたが、カメの同級生は小市民ばかりで著名人はいないし、大企業の社長は勿論、役員に昇任したという話も聞いたことがない。
ところが、今春、背任容疑で逮捕された同級生がいた・・・と、昨夕、高校時代の同級生からメールが入った。彼の中学時代の同級生で、当時、一緒に麻雀をして遊んだ仲間だという。東京の中堅信金の理事長になっていたそうだ。
Webで検索してみると、確かにあった。暴力団幹部が関係する会社に約4億円を融資し、大半を焦げ付かせたとして信金の会長と暴力団総長らとともに警視庁に逮捕されていた。
容疑によると、会長と総長が旧い付き合いで、同級生の理事長がどこまで関わっていたかは不明だが、当然、断るに断われなかったのだろう。想像するに、同級生は相当怖い思いをしたと思う。
それだけでなく、信金では他にも同様の暴力団がらみの案件は多かったはずだ。それに直接、間接に関わりながら、胃の痛みを抑えつつ、会長の信任を得て理事長の椅子を禅譲されたのだろう。聞くも涙、語るも涙・・・それこそ棺桶の中まで持ち込まなければならないような話もかなりあるはずだ。
カメも、メールを送ってきた同級生も、サラリーマンの落ちこぼれで、そうした胃が痛くなるほど仕事に没入したことはないし、どちらかといえば、そうしたガチンコ・サラリーマンを冷ややかに眺めて過ごしてきた。
カメは、逮捕された理事長とは面識がないが、これも人生・・・、同級生に筋金入りの金融マンもいたのか、と感心しきりだ。
背任なら5年以下の懲役、 もしくは50万円以下の罰金だが、多分、執行猶予はつくはずだし、マスメディアが判決まで報じるほどの事件でもない。人の噂も75日、関心を持ち続けるのは情報量が少ない同級生同士ぐらいか・・・。
一昨年だったか、千葉のゴルフ場でオープンコンペに参加した際、一緒にラウンドした初対面の初老の男性は貫禄があり、話も面白く、プレイはシングル級で大物の風格を漂わせていた。
帰って、その方の氏名をWebで検索してみたら、やはり・・・、ゼネコンの元取締役で5年ほど前の贈収賄事件で逮捕され、有罪。執行猶予中のラウンドだったのだ。
カメにとって、談合とか、贈収賄とか、横領、背任といった行為は如何に一生懸命仕事をしたか、それこそサラリーマンの勲章に思えるのだが・・・。

2006/11/14

◆慌てず、焦らず、急がずはリラクゼーション・・・

にしても、慌てず、焦らず、急がず・・・はカメの久々の箴言ではないか。これは、パソコンとの付き合い方で悟ったもので、昨日付けのブログにアップして、その含蓄に我ながら感心した。
実は、日常生活でも、それを無意識に実践していることに思い当たったのだ。あらゆる動作がノロノロ、グズグズ・・・、テンポが遅い。ま、何かしなくてはならないことがないのだから、それでも不都合、不具合はない。
いつごろからだったか、起床から体が目覚めるまでに最低1時間はかかっている。タバコに火を点け、新聞を手に、トイレでしゃがみ、次に歯磨き、洗顔、頭皮にトニックを噴射してセット、入れ歯の装着・・・、あとは、アイスコーヒーを飲みながら、タバコを吸いながら新聞に目を通す。これらが朝の定番メニューでたっぷり1時間はかかる。パソコンを開くのは、その後だ。
身体機能の衰えは否めない。そのつもりでも、その通り体が反応しない。ゴルフに例えれば、イメージと実際のスイングが合致せずバラバラというわけ。そこでイライラしても、どうにもならない。結果は、結果で、そんなもの。それは、しょうがないことなのだ。
日々、脳細胞も急ピッチで死滅しているのを実感する。先日は、Webで見つけた脳年齢テストにトライしてみたら、脳細胞はすでに全滅していて、本人が死んでいることにも気付いていない、生体反応だけで生きている・・・との評価に唖然としながらも納得したものだ。
何かをしようと思いついて立ち上がったものの、何をするか失念しているなんてことは日常茶飯事だ。でも、慌てず、焦らず、急がず・・・、目に入った、別のことをして事なかれ、である。
自転車に乗って街に出ても、キョロキョロしてなかなか真っ直ぐ進んでいない。ペタルを目いっぱい踏んでスピードを出すとちょっとした恐怖感に襲われる。ランチタイムの食堂に入っても、食事に時間がかかる。かつては早飯で鳴らしていたというのに、後から合席した若いサラリーマンの方が先に立ち上がる。駅前にある立ち食いソバ屋で食券を買おうと自販機に硬貨を投入したままボタンを押すのに時間がかかり、後ろに行列ができることも多い。肉ソバを食べるつもりが、自販機のボタンを探すうちに他のメニューが目に入って迷ってしまうのだ。
振り返れば、同様のケースはまだまだ数え切れないほどだ。でも、この慌てず、焦らず、急がず・・・3要素のお陰でまだ生き永らえている。まさに、この3要素は、いまのカメの信条であるリラクゼーションに通じている。

2006/11/13

◆週末の土日、一歩も部屋を出ずに過ごす

にしても、先の週末(11、12日)は気がつけば、一歩も部屋を出ずに過ごしていた。土曜日はほぼ終日雨、昨日曜日は晴れたものの木枯らし1号が吹いて(昨年と同じ日)やたら寒かったとはいえ、珍しいことだ。
何をしていたかといえば、2日間ともWebだ。すでにPC歴は10年を超すが相変わらずの超初心者、HTMLの世界はチンプンカンプンだ。でも、いまは慌てず、焦らず、急がず・・・を3大モットーにできるほどには進化していると思う。
で、この1ヶ月余のテーマは、このブログのサイトマップ作成なのだが・・・。Googleウェブマスターのマニュアルを読みながらあれこれトライしているのだが、さっぱり進まない。それも、同じことを何度か繰り返してもいる。
11日の土曜日は、ノルマのブログをアップした昼過ぎからGoogle検索で別の入り口を探したところ「簡単にサイトマップ作成できるツール」を見つけ、新規にトライしてみたら・・・。何と、何と、何も理解できないままに手順に従っていたら、夕方には「サイトマップXMLが完成しました! おめでとうございます」とのメッセージ。
思わずにっこりしたが、続いての難題・・・。それをサーバーにアップロードしなければならない。これが、また理解不能だ。
Q&Aで「ツールを使いサイトマップの作成は出来ましたが、そのサイトマップをどのようにサーバーにUPしたら良いのでしょうか?」とカメと同レベルのQを見つけ期待したが、回答はなし・・・。この世界の怖さだが、あまりにもレベルの低いQは無視される。
いったん休憩して、「FFFTP」を使ったファイルのアップロードにたどりつく。で、こんなメモを作成・・・。
「でもなあ、今回は徐々に進んでいる、手応えを感じながら、だ。もう、一息・・・。ここで、面倒臭くなっては、また、振り出し、や」
そのうち、「お客様の URL が追加されました」。で、「確認ファイルが見つかりませんでした」。日付が変わって「該当するページが見つかりませんでした」。
12日もブログをアップした昼下がりから続き・・・。
その結果は「確認メタ タグを検出しましたが、コンテンツが適切ではありませんでした。完全に Google で必要とするコンテンツにしていただきますよう、お願いいたします」とのメッセージの繰り返しに終始した。
この間、TVで52歳・中嶋常幸の4年ぶりのツアー優勝、伊藤園レディスでの白戸由香の自滅、ヒルマン監督の胴上げ、ジャンクスポーツ、行列のできる法律相談所は“ながら視聴”。12日の日付が変わって直ぐのメモに「眠いよ、もう・・・」と書いていた。

2006/11/12

◆「社畜」をGoogleで検索してみたら・・・

にしても、サラリーマンは玩具にされている。
カメが最初に会社に入った昭和40年代の初め、定年は55歳だった。それが60歳に引き上げられたもののバブルの崩壊後はリストラが進行、それは空文化していたが、今度は改正高年齢者雇用安定法(平成18年4月施行)によって企業に65歳までの段階的な雇用延長が義務づけられた。
カメは幸い?該当しないが、何とも身勝手なルール改正だと思う。
でも、団塊の世代に属するサラリーマンは何となくホッとしていることだろう。漠然とした不安に駆られながらも定年後の絵を描けないサラリーマンがほとんどだ。社畜と呼ばれ、唯々諾々とするばかりで、自我も尊厳をも喪失してしまっている悲しきサラリーマンの性である。
社畜という言葉は「日本のサラリ-マンは、会社第一主義で自閉症ならぬ社閉症に陥り、会社に飼われた家畜ならぬ社畜となって、会社と社会、あるいは自分と社会との関係を見失ってしまう」と喝破した評論家、佐高信の造語だ。
くだいて云えば、会社に飼いならされ会社の言いなりになって、一般的な倫理観を失ったサラリーマンを揶揄する。
実は、この言葉、初めて聞いたときは鳥肌が起ったものだ。社内で、この言葉を使うことはタブーだと思った。取引先の大企業の役員は「一生懸命、会社のために寝食を忘れて仕事をしている社員に対する冒涜だ。こんなことをいう奴は許せない」と烈火のごとく怒って同意を求められたが、曖昧に応ずるしかなかった。
昨日、本ブログに「人生半分」について書いていて、社畜を思い出し、念の為、Googleで検索してみたところ、結果は多いのか、少ないのか・・・約 6万3100 件。そのうちの幾つかをチェックしてみたが、カメと同様サラリーマンの落ちこぼれだろう、社畜を肯定しながらも自嘲気味なものが多かった。カメはこの言葉を吐いたら、もうオシマイよ・・・とタブー視していただけに、ちょっと意外だったし、嬉しくもあった。
カメは、わが身を振り返り、社畜にならず、なれなくて、本当によかったと改めて思う。

2006/11/11

◆「人生半分」・・・サラリーマン症候群の歌?

にしても、先夜、カラオケスナックで初めてサラリーマン症候群ともいえる歌を聴いて目頭が熱くなった。湯原昌幸の「人生半分」・・・。サラリーマン失格のカメには泣ける? 笑える歌詞だった。

おまえも知ってのとおり/いつもガムシャラだった/雨の日も風の日もろくに休まず眠らずに/家族の笑顔を励みにしながら/会社に尽くしてきたのは云うまでもない・・・人生半分/まだまだ半分/人生半分50で始まる夢がある・・・この先まだまだ続く人生/今やっと見えてきた気がする・・・
だって、さ。
歌っていたのは、まさにこの歌詞と同世代の常連のサラリーマン。真面目なんだろうな、と思う。一生懸命サラリーマンをしている・・・と思うと、泣けてくるのだ。
我慢に我慢を重ねて、それに慣れて、それが当たり前になって・・・、そうならないとサラリーマンは続けられない。それが、まさにサラリーマン症候群であり、それが嫌でカメは辞めた、落ちこぼれた、とも。
サラリーマンのどこがそんなにいいの? とは触れてはいけないと、わかってはいても聞いてみたくなる。そのくせ、「人生半分50で始まる夢がある」なんてフレーズに自らの本来の想いを託しているのだろうが、実は、サラリーマン症候群の症状は、そんなに軽いものではない。重症だ。幾つになっても、抜けられない。抜けたくもないのだ。もう体の芯まで沁み込んでいる。
退職しても、サラリーマン症候群を引きずったままで、まず治らない。治りたくないのだ。時に、居酒屋で会社の同窓会などに居合わせることがある。その席を見ても、相変わらずそこには上下関係が存在し、それが心地いいのだろう、活き活きして見えるのだ。昔に戻って安心でき、癒されるのである。
「50で始まる夢がある」なんて夢には誰も触れようともしない。50でロスタイム入りなんて外道の発想なんだよなぁと思うが、カメはカメでそれを気に入っている。

2006/11/10

◆自殺予告は“おためごかし”の連鎖だ

にしても、マスメディアは“おためごかし”の煽り屋だ。文部大臣宛ての自殺予告の手紙が2通になったが、まだまだ増えそうな雲行きだ。
これはまさに“おためごかし”の連鎖ではないのか。改めていうまでもないが、家庭、学校、社会、それぞれの絆がズタズタに切れてしまった結果、やはり、それぞれが“おためごかし”を決め込んでいる。何とも、腹立たしい連鎖だ。
大臣に手紙を送るという発想が生まれてくるのは、まさにマスメディアの責任だろう。表面は人のためにするように見せかけて、実は自分の利益を図ることしか考えていない“おためごかし”の煽り屋の正体がとうに露呈しているのだ。
いまや、子供の目から見れば・・・、大人にも通じるが、何より、個々人にとっての両親、友達、先生、上司、社長といった存在がその役割を果たしていない。子供と直接、生で関わることを避けている。見て見ぬ振りである。悩みを抱えた子供は孤立するばかりだ。
そうした関係、或いは愛とか信頼、喜怒哀楽とかは、メディアが提供する低俗なドラマや、ニュース、ワイドショーで展開される劇画的、簡略化された建前、おためごかしの世界を通じて何となくイメージするしかない。それも、バーチャルの世界と承知の上で・・・だ。
だから、子供も大人も、実際の自分の周囲の現実を現実として受け入れられず、また、その現実と向き合うことが出来なくなって、人と人の関係はもう煩わしいだけになっている。
自分の悩みを誰にも相談できず、大臣に手紙を送ることによってしか、みんなにその悩みを打ち明けられなくなっているのだ。その手紙を巡って、役人が右往左往し、大臣がテレビを通じて呼びかけたり・・・の茶番劇を見て秘かに溜飲を下げたところで、その悩みの解決にはならない。
悩みは当事者が一人で悩み苦しんで、結論を出すしかない。甘ったれるな、だ。ほっとけばいい。生きようが、死のうが・・・自己責任に任せればいい。外道のカメはそうしているし、そのつもりだ。
自殺予告の手紙を報じるマスコミはただその現象を面白がっているだけだ。

2006/11/09

◆これが見納め? 夕陽と富士山


にしても、夕陽を浴びる富士山の雄姿は、怖れ多くも悠然として、何ともいえず恭しい。アップした画像は昨夕、東京・蒲田にあるマンション10階からデジカメで撮った。
夕陽と日の出はどう違うのか。カメは断然夕陽のほうが好きだ。今春、ホームページを立ち上げようと、その背景に夕陽のイメージを探したが、フリーのサイトだからなのか、なかなか見つからない。やっと見つけて、どれにしようか迷ったのだが、夕焼け空と朝焼け空の区別がつかなかった。
結局、不満なまま選んでみたのだが、居酒屋でよく一緒になるビデオプロダクションの社長に聞いてみると、その区別はつかない・・・とのこと。
なぁ~んだ、なのだが、カメには朝焼けにはギラギラした透明感があり、夕焼けはギラギラ感がなく、落ち着いて穏やかな温かみを感じるのだが、如何だろうか。
竜巻から一夜明けての秋晴れの夕方、カメの住むマンションから富士山が見えることを思い出し、日の入りの時間を新聞で探したが、これまで天気図の下あたりにあったはずなのに見当たらない。はて、いつからなくなったのか。
Webで天気のコンテンツを探してみたが、日の出、日の入りの時刻は、やはりない。結局、天文台のホームページで見つけたのだが、一体どうしたことか。釣りのページなら掲載されているのかもしれないが・・・。
富士山はマンション10階廊下の外れから、西方に望める。デジカメを持って待機した画像は、ご覧の通りだ。欲をいえば、富士山の背後に夕陽が沈むカットが欲しかったのだが・・・。
やはり、富士山に注ぐ夕陽はあくまでも暖かく、優しく、心が和む。富士山には悠々自適の余裕まで感じた。
太陽は何事もなかったように、また明日の夜明け、日の入りを未来永劫に知らせてくれる。カメは、この夕陽と富士山をあと何回見ることができるのだろうか。これが、見納めになるかもしれない。あぁ~。

2006/11/08

◆なるほど、なるほど、久々の“堀江節”楽しむ


にしても、久々の“堀江節”を楽しめた。なるほど、なるほど、ねぇ・・・である。
ライブドア(LD)事件の第21回公判が昨日、東京地裁で開かれホリエモンに対する被告人質問が始まり、ホリエモンは宮内亮治被告について「辞められたら困るので腫れ物に触るように扱った」と供述、「軍隊じゃないんで(私が)グループ全体を強力に指揮統括していたというのは実態と違う」と検察側の構図を否定し、実際は宮内被告の顔色をうかがいながらの経営だったことを強調したそうだ。これまでの公判でも、LDの経営戦略は大学のサークルのノリだったとも伝えられたが、多分、その通りだろう。
ただ、浅学菲才、付和雷同型のカメはLDの株価の動きに魅入られ、昨年秋から持ち株を全部LDに乗り換える準備をしていた。その時、500円前後で入手したLD株が確か200株ほどあり、カメの他の保有株全てをLD株にしようと決断したのだった。加熱相場の雰囲気に呑まれ、いずれ近いうちに急騰間違いなしと確信したのだ。
が、当時の株価は700円超で推移していてなかなか踏ん切りがつかず、模様眺めを続けていた。それでも、ちょこちょこ、10株、20株と買い増しして、全部で500株ほど集めただろうか。
年が明けて、根拠はないが何となくキナ臭さは感じたものの、LDに便乗して高値で売り逃げすればいいやと思っていた矢先に、突然、地検の強制捜査が入って茫然自失である。やられた! それはないよなぁと地検の不当捜査と感じ、ホリエモンには“出る杭は打たれる”かと同情したものだ。
ノリとも知らず、LD便乗したカメの自己責任ではあるのだが、ニッポン放送に始まるホリエモンがらみの損はトータルで100万円ほどにはなろうか。もっとも、強制捜査が入らなければ、カメの損はもっと膨らんでいたかもしれないとも思う。
それでも、ホリエモンへの憎しみはない。あくまでも、愛すべき、可愛らしい得なキャラだ。逮捕についても不思議だし、不当と感じた。検察の傲慢、思い上がりもここまで・・・と何とも不快だった。
その後、ダイヤモンド社から刊行された田中慎一氏による「ライブドア監査人の告白 私はなぜ粉飾を止められなかったのか」を読んで、検察の筋書きがやっと読めた。ノリだ、何だかんだといったところで、決算書に社長として署名押印したら、知らなかった、報告を受けていなかった・・・では通らない。確かに、ホリエモンは粉飾など知らなかったと思う。
でも、結果責任は負わなければならないわけで、ホリエモンの有罪判決はやむを得ないだろう。ロスタイムに入っているカメと違い、ホリエモンはいまハーフタイム・・・、後半も奇想天外なプレーでファンを沸かせて欲しい。

2006/11/07

◆ミネラルウォーター飲んで結果的に禁酒状態・・・

にしても、このところ自宅でアルコールを飲まなくなった。夕食時、就寝前に飲むのが習慣になっていたのだが・・・。もちろん、ビール、ウィスキー、焼酎の買い置きはあるのに、なぜか。もったいない、金がかかるからではない。
ミネラルウォーターを飲むようになってからのようだ。当初は、ウィスキー、焼酎をミネラルウォーターで割って飲んでいた。そのために、2Lのペットボトルを買っていたのだが、なかなか減らない。で、ミネラルウォーターを生のまま朝から飲むようになった。と、案外と旨い。つい、そのまま、ミネラルウォーターだけを飲み続けている。
タバコと違って、アルコールはそんなに量を飲む方ではない。何となく飲んでいた。軽い酔い心地を楽しむ程度だ。日本酒、ワインは頭にきて、駄目だ。
ある量を超すと、コップのビールをチビチビと飲む。友人にウィスキーみたいに飲んでいると、呆れられたこともある。
それでも気分がいいと、居酒屋やスナックで時に足をとられるほどに酔うこともあり、それはそれで気持ちのいいものだ。
結果的には、禁酒状態になるのだが、体調に何か変化があるのかといえば、まだはっきりしていない。ただ、微弱ながらこれまでなかった朝勃ちが見られるようになり、不思議に感じている。この因果関係について結論を出すのにはまだ時間がかかりそうだ。
それより何より、ミネラルウォーターを買って飲むなんて、カメにとっては信じられないことだ。かつて、イザヤ・ベンダサンが指摘したように“水と安全はただ”と思って暮らしてきたのだ。が、最近の水道水は、カメの歳、体調にもよるのかもしれないが、あまり旨くない。タイはバンコクに行くとペットボトル詰めのミネラルウォーターがないと暮らせない。バンコクではアイスコーヒーや水割りウィスキーの氷も水道水で製氷しているとあってコップから取り出す人も多いし、オーダーの際、氷の有無を聞かれることがある。
日本ミネラルウォーター協会のホームページにアクセスしてみたら、ミネラルウォーター市場は平成元年からの13年間で10倍あまりに拡大しており、今やミネラルウォーターは生活必需品となりつつあるそうだ。
「shop99」でカメの手が2Lのペットボトルに伸びるのも、時代の流れなのかな、とも感じる。

2006/11/06

◆ゴーストライターは影の存在でしかないのに


にしても、役者の格の違い、器の違いを思い知らされた。だから、キャスティングの段階ですでに失敗作・・・、お粗末でしたとしかいいようがない。松本幸四郎主演のテレビ朝日系スペシャルドラマ「信長の棺」、珍しく原作を読んでいて、期待して見たのに・・・、幸四郎の存在感が原作をぶち壊してしまった。
幸四郎の役回りは織田信長の実在の側近であり、いわば信長のゴーストライターである太田牛一なる事務官なのに、その存在感があまりにも大きすぎる。

ゴーストライターとは、そもそも影の存在、黒子役だ。天下をうかがう巨大な存在である信長役がTOKIOの松岡昌宏あたりでは勝負にならない。主従関係が逆転して見え、それだけでドラマに入っていけない。何とも、がっかりした。これは、プロデューサーの責任だろう。何より、幸四郎の役どころではないのだ。原作を読んでいるからこその感想だ。

小泉首相が愛読したと知って、「信長の棺」は読んでみた。
信長、秀吉、家康の話は、カメでもこれまであれこれ親しんできただけに、その生涯、時代背景など、ある程度は知っている。
ところが、火を放たれ全焼した本能寺の焼け跡のどこを捜しても、不思議なことに信長の遺骸は発見されなかったという・・・ゴーストライターがその謎に迫っていくという新たな視点に驚かされ、久々にワクワクして読んだ。
と同時に、作者・加藤廣、75歳の処女小説と聞いて、よくぞ!参った・・・と感服したものだ。
加藤さんがテレビドラマ化された「信長の棺」を見ていたら、感想を聞いてみたいものだ。

2006/11/05

◆日本で2番目に旨いラーメン見つけた・・・


にしても、久々に旨いものを食った。嬉しくて、嬉しくて、目蓋が熱くなった。感激だった。
近所の商店街にある中華料理店の広東麺・・・。肉、筍、白菜、キクラゲ、椎茸たっぷりのうま煮が載った細麺のラーメンで、豚バラ肉の厚切りがふんだんに使っているのが嬉しい。スープはうま煮のタレをベースにしていて、コクがありながら、さっぱりしている。カメにとっては、まさに感涙のラーメンだ。
700円は決して安くはないが、懐かしい味とコクで、やっと旨いものにたどりついた感じだ。
元々、ラーメンは大好き・・・。が、このところのラーメンブームに乗って相次いで登場する新興ラーメンではない。昔ながらの鶏がらスープに縮れ細麺タイプ・・・。
東京は荻窪生まれのカメは、いわばラーメンのメッカで育ったようなもので、当時ラーメンは御馳走だったし、その味についてはちょっと一言ある。なんせ、本当に旨い、癖になる、荻窪を離れてからも思い出す、日本一のラーメンだ。もっとも、それはあくまでもカメ個人の味覚である。それを吹聴するつもりはない。でも、マスコミでラーメン特集などが始まった当初はよく紹介されていて、秘かにほくそ笑んだものだ。
東京に札幌ラーメンが進出、その後は新興のラーメンが次々に登場して、その度にカメは一度はその味を試しているが、もはや、それらはラーメンではないと思った。まず何より高価で、ラーメンとは呼べない別の料理だ。だから、一度は試食してみるが、リピートする店は少ない。
そのうち気がついた。ラーメンに関して「日本一」というのは実に人さまざまで、ほぼ全員がそれぞれの「日本一」を持っているのだ。かつて、通勤途上の東京駅八重洲口にちょっと気に入っているラーメン店があり、スポンサー筋のエライさんに「日本で二番目に旨いラーメン屋」といってそこに案内し、感心されたこともある。
入れ歯の所為で食べる楽しみを失ったカメに、今回見つけた広東麺は何よりのご馳走になりそうだ。

2006/11/04

◆曇り空には体の生理が反応しない・・・

にしても、曇り空には体の生理が反応しない。眠ったままだ。今朝は8時にいったん目覚めたものの、再びそのまま寝て起きたのは10時10分だった。
早起きしてもやらなければならないことは何もない。おっと、このブログのアップだけだ。それに予定もないとあっては、寝るっきゃないか・・・。
もっとも、目覚めたときに晴れていると、自然に体が反応して起きてしまう。体は正直なものだと思う。生体のリズムは太陽の活動と連動しているのだ。

かつて、数年間、深夜勤務が続き、明け方、タクシーで帰宅する日々が続いた。で、寝て、勤務は夕方からだった。日没から日の出までが仕事という太陽活動とはまったく逆の生活リズムだ。
その当時、気付いたことだが、帰宅時間は午前3時から4時ごろで、蒲団に入るのが4時前だと直ぐに眠れるのだが、4時を過ぎてしまうとなかなか寝付けない。
夏場など、日の出の時間と重なることが多くなる。と、体は疲れているはずなのに、体が日の出を感じて目覚めてしまい、寝るのに苦労したものだ。なるほど、生体のバイオリズムは太陽活動と連動しているのだと実感して、帰宅後は日の出前に床に着くようにしていた。
何としても、太陽には逆らえない。何とも巨大な宇宙のパワーだ。
体だけではなく脳までも同様に反応する。晴れていると、それだけでウキウキ、ワクワクしているし、何となく活力が湧いてくるし、何か嬉しくなる。
曇っていたり、雨だと、体からは腐臭が漂ってくるようだし、気分は鬱陶しく、全てがダラダラと推移する。
外道の世界に足を踏み入れても、カメの生体は太陽のパワーに束縛され、支配されている。こればかりは、どうあがいてみても、どうすることも出来ない。

2006/11/03

◆同級生になぜ著名人が少ないのか・・・

にしても、秋の褒章で桂三枝(63歳)が紫綬褒章を受章したそうで、改めてカメの同級生に著名人が少ないことを認識した。
昔から、この世代に著名人がいないのは時代背景が大きな要因になっていると感じていた。敗戦時は乳飲み子でその記憶はなく、小中学校時代は親も学校も価値観の大きな変革期でどうしつけたらいいか、どう教育したらいいのか、その指針を失い戸惑っていた時代だ。確固とした信念、信条をもてない時代だったからだろう、のんべんだらり、右顧左眄しながら、何となく育ってしまった気がする。
それを痛感させられるのは、60年安保と大学紛争だ。60年安保の際は高校生で何を騒いでいるのか理解できなかったし、大学紛争の際は京都にいてパチンコ三昧、いまもそうだが、自我が確立していなかった。
社会人になってから、60年安保を体験した先輩と大学紛争を体験した後輩をみて、強くそれを感じさせられたものだ。
カメの世代はほとんどが日和って、シラケていて、そうした体験をしている先輩、後輩が何とも逞しく映ったものだ。そんな時、マスコミを通じて初めて同級生の名前を見たのが青木功(1942.8生まれ)で、いささか誇らしく思ったものだ。が、文学芸術分野からは現れなかった。
その後、桂三枝(1943.7生まれ)、米長邦雄(1943.6生まれ)が同じ歳と知ったのだが、カメは早生まれだから、学年は一つ下だ。
同学年を認識したのは、小沢一郎(1942.5生まれ)が脚光を浴びてからだ。小泉純一郎(1942.1生まれ)も同級生かと思ったが、ちょうど1年上だった。ちなみに、Webで検索したら、何と作家の広瀬隆がカメと誕生日が一緒で驚かされた。
その点、桂三枝はTVの「ヤングOh!Oh!」から見始め、「新婚さんいらっしゃい」はいまでも見ていて、それはもう今年で35年目を迎えるというから、凄いことだと感心しきりだ。1年後輩とはいえ、同世代としてずっと付き合ってきたような思い入れは強い。紫綬褒章の受章は何とも目出度い。

2006/11/02

◆急かせているようですいません・・・

にしても、なぜ、どうして・・・と聞くのは野暮だし、面倒くさい。そんなにややこしい話ではない。いまさら・・・だし、推察できる。多分、的中だ。
昨夕、高校時代の同級生からメールが来て、こんど札幌にカミサン同伴で行くことにした・・・と。3人の子供はすでに独立している。札幌で何をするのかは書いていない。
彼はカメと同様、東京生まれの東京育ちだ。20数年前、仕事の関係で宇都宮に移り、5、6年前からは仙台暮らしだ。で、こんどは札幌、これから部屋を探しに行くそうだ。
一生懸命に生きている、生きようとしている様子は伺える。とはいえ、この歳になって、居を移すとは・・・。それも、寒い土地に・・・。カメには、とても信じられナーイ。
彼を見ていると、人はこれほど変れるものかと、思う。カミサンの力と信心のパワーだろう。元々は、カメと同様、成り行き任せで、さして努力するタイプではなく、のんべんだらり、楽チンが好きなタイプで、意気が合った。
もっとも、いまだにそれを続けているのは、カメだけのようだ。
半年ほど前、彼へのメールにこう書いた。
表題は「急かせているようですいません・・・」
人生50年、夢幻の如くなり・・・で、ロスタイムが意外と長くなっています。
あと、やらなければならないことは、黄泉の国を訪ねるだけになりました。
で、ちょっと振り返ってみたら、人生の先達と仰ぐ方は貴兄唯一人と思いあたったのでした。
大学進学→就職→転職→結婚→集合住宅購入・・・と人生の節目、節目で、そのつど貴兄の背中を追いかけていました。
残る一つが、まだのようですが・・・、これもお手本がないと・・・というか、お手本を欲しくなっているこの頃です。
ま、Netオタクしながら待っています。@kame

その返信が、半年ほど経った、冒頭の札幌移住のメールだ。
確か、カメはバンコク行きの構想をまだ彼に話していない。

2006/11/01

◆そんなに長生きしてどうするの?

にしても、これまで聞いたことのない病名を耳にすることが増えた。昨夕、TVニュースで加齢黄斑変性なる目の病気を紹介していた。黄斑の加齢に伴う変化によっておこる疾患で、高齢者の失明原因の一つだそうだ。取材を受けた若い医者は「私が医者になったころにはなかった病気・・・」と話していた。
高齢化による病気の一つで、何とも、やりきれない思いに捉われた。人生50年で終えていれば罹患しなくてもよかった病気だ。
もう何年前になるか、「骨粗鬆症」という病名を聞いて驚いたことがある。骨の内部がスカスカになるそうで、不謹慎は承知で、長生きし過ぎだ・・・と直感したものだ。背中や腰が曲がる老化現象も実は骨粗鬆症で、骨から少しずつカルシウムが失われていくのだという。予防法は食事・運動など日頃の生活習慣だそうだが、そんなことまでして長生きしてどうするの?と思ったものだし、いまもそう思う。
カメ個人についていえば、50歳を機に独立、フリーの身になって以来、健康診断なるものを一切受診していない。サラリーマンと違い、健康診断は本人の意思だけだ。それまで、健康診断で何かひっかかったこともないし、何か病気で入院したこともない。
この歳になって、この歳まで生き永らえてきて、もう十分じゃないか、いまさら・・・なのである。サッカーの試合なら既にロスタイムに入っている。たとえ、診断の結果、何か異常が見つかったとして、早期発見だが、その治療をして何年寿命が延びるというのか。ロスタイムが延長されたところで・・・である。
この歳だから、目、歯、マラは既にその症状が出ている。その他のお肉の不具合が自覚症状として現れたら、暫らくは我慢して、何処まで我慢できるかだが、いよいよ我慢できなくなって医者に駆け込むかもしれないが、その時は手遅れでいいと思っている。
で、実は一つだけ実践しているカメ流の健康診断、気持ちいい健康法がある。恥ずかしながら、ウフッ、週1回以上のマス・・・だ。マスについては改めて詳述したい。