◎巨大津波に見舞われ、たまたま生きた・・・
にしても、3.11東日本大震災はどうにかならないのか、いまだに著名人によるチャリティ活動は続いていて辟易するのだが、さらに周章狼狽、無能無策、不作為によって災禍を拡大してしまった時の宰相は厚顔無恥にもSPを引きつれ四国をお詫び行脚とか、とんと消息を耳にしないが、何とも苛立たしい存在だったのだが、昨夜はテレビのSP番組に飽き飽きして、録り溜めたNHKの巨大津波ドキュメンタリーを何本か視聴させてもらった。なかでも、学者が登場してそのメカニズムを探り、検証を重ね、防災対策を説くものよりも、津波の牙に飲み込まれる生の映像の方がずっと見応えがあり、迫力があったのは当然か。
その日、テレビのニュース映像をリアルタイムで見ながら、カメは例によって「こんな災害に見舞われたら、死んじゃったほうが楽、生き残ったらひと苦労や」と思い、阪神大震災の時もそう思ったよなぁと、それは口外しないように過ごしてきたのだが、NHKの番組では津波に見舞われながら生き残った人々の証言をたくさん集めていて、そこで「生死を分けたものは?」なんてお為ごかしに一歩踏み込んでいるのだが、散々怖い思いをし、何度も死を覚悟しながら生き残ってしまった(?)人々の口から出てくる言葉は「安全なところなんてない」「流れに身を任せるしかない」「たまたま生きた」「見守るしかない」と、積極的に生きようとするより流れに身を委ねていた結果のように思った。何人かはその凄まじい威力に「何とかなるレベルじゃない」として、生存本能だけで生き残ったと振り返って、星の流れ、運命とか宿命といったようなものを感じさせた。
同時に、復興にあたっては防潮堤などは建設しないで、平野部には高床式高層住居などを建てて、津波を受け入れてもいいのではないか。今回の被災データなどを基にした防災対策などは無意味・・・と感じた。それは市場主義経済と一緒で、規制はなくても結果は変わらず、落ち着くところに落ち着く。それがどんな形、姿をしているかは見えないが、それが自然、宇宙というもので、運命とどう向き合うか、そりゃ、人さまざまでいいんじゃないの、と思った。カメのように・・・ウフッ。
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