2011/10/26

◎ 死にたいというより、むしろ生きていたくない


にしても、凡愚の身は懲りもせず、NHKのハイビジョン特集「早過ぎたひと 世紀の伊達(だて)男 加藤和彦」なるドキュメンタリー番組を視聴してわが身の不明を恥じるばかり、ほぼ同時代の空気を吸ってきて、いまだに無駄に息をしているだけのカメより4歳も若い加藤は功成り名遂げ自死を決断、実践したわけで、加藤については「帰って来たヨッパライ」ぐらいしか知らないカメは番組で不出生のマルチ・ミュージシャンとしての輝かしい功績と強烈な美学に貫かれた生き様を見せられただもうひれ伏す思い、公開された遺書
には「死にたいというより、むしろ生きていたくない」なんてカメの思いそのままに、そして、淡々と実行してしまう潔さ、エッセイの中では「ワイルドは好きなことをする。エレガントはこだわり?」なんて分析して見せて、自らは生涯エレガントを貫いたわけで、浮世の淀みを、それにも気付くことなく、加藤流にいえばワイルドに、気侭に好き勝手に生きてきたつもりのカメにいわせれば「大変だったんだろうなぁ」と感嘆するしかなく、でも、加藤はそんなことはいとも易々と何事もなかったかのようにこなしてみせ、 世紀の伊達男を演じ切ってしまったんだもんねぇ、人生色々、人さまざまはわかるし、確かにその通りなのだが、長生きの厄介なところは、いったん幕を降ろしたつもりなのに、その幕が降りきらずに下の方が少し開いていて、本来なら見なくても良い、見ることも出来なかったはずの舞台がそこここに見えてしまい、心をいささか乱されても如何とも出来ず、加藤和彦の生き様死に様はカメにとってみればまさに理想形で、単純にやっかむしかないのだが、さて、はて・・・。

2011/10/18

◎時間で食うのではなく、腹が減ったら食う・・・


にしても、もはや「食」への関心も薄れ、旨いものを食いたい衝動に駆られることもなくなり、ただただ生きながらえるためだけに何かを口にするような食生活を続けていると、とんと腹が減らないことに気付き、でも、結果的には正午と午後7時のNHKニュースを視聴しながら1日2回、腹具合ではなく、決められた時間によって、スーパーの惣菜売り場で買いおいた、赤札が張られた弁当や丼、惣菜をがつがつ食って、いつも腹の皮を突っ張らせていたことに気付かされていたのだが、
10日ほど前、正午の昼飯をスルーした昼下がり、銭湯の道具を自転車のカゴに入れた自転車でJR蒲田駅近くまで出かけ、最近お気に入りのニンニクたっぷりのラーメン(650円)を食って腹を膨らませてハァハア喘ぎながら、行きつけの黒湯温泉(銭湯=450円)に行き、裸になってヘルスメーターに載ったら、な、何と、75.05kgのデジタル表示にびっくり、75オーバーは生まれて初めてじゃなかったか、36(吋 )のGパンがきつくなっていたわけだと納得すると同時に、これ以上腹が出るのは流石にヤバイと慄きつつ、老い先短いのかどうか、長生きするにしても、いずれにしろ体型はいまのまま保持していかなければならないのが鉄則で、で、思いついたダイエットが「減食」、これまでのように時間がきたから食うのではなく、腹が減った時に食う・・・と、はたして、食い意地が張ったカメにそんなことが出来たのかというと、翌日は不思議なことに空腹感はなし、ま、もう、こんな時間やし、そろそろって感じで・・・20:20、デリッシュリング、ビアサラミとオニオンスライス、潤い野菜ジュース といったさっぱりメニューですまし、その翌日も日記によれば 「ほんに、腹が減らない、ヨ。なぜか、ねぇ。でも、減らないからって、何も食わないっていうのは寂しいよなぁ。でも、こりゃ、減食は暫く続けてみよう」と、銭湯で量ってみたら「 72.35kgで、とりあえず、ほっ・・・。でも、ねぇ、これを継続? 難しいんじゃない?」なんていいつつ、夜9時過ぎてから夜食に冷凍の肉うどんと生卵、「無性に腹減ってきて・・・、旨かった」と・・・、ま、そんな按配でも、1回あたりの食事の量が減り、銭湯での計量で72kg台を維持していることを確かめつつ、減食ダイエットを始めて10日目にあたる昨日昼過ぎ、試しに例のニンニクラーメンを食ってから銭湯に行ってヘルスメーターに載ってみたら「73.40kg}で、入浴後は「73.00kg」、まっ、こんなもんでいいかな・・・。

2011/10/13

◎巨大津波に見舞われ、たまたま生きた・・・


にしても、3.11東日本大震災はどうにかならないのか、いまだに著名人によるチャリティ活動は続いていて辟易するのだが、さらに周章狼狽、無能無策、不作為によって災禍を拡大してしまった時の宰相は厚顔無恥にもSPを引きつれ四国をお詫び行脚とか、とんと消息を耳にしないが、何とも苛立たしい存在だったのだが、昨夜はテレビのSP番組に飽き飽きして、録り溜めたNHKの巨大津波ドキュメンタリーを何本か視聴させてもらった。なかでも、学者が登場してそのメカニズムを探り、検証を重ね、防災対策を説くものよりも、津波の牙に飲み込まれる生の映像の方がずっと見応えがあり、迫力があったのは当然か。
その日、テレビのニュース映像をリアルタイムで見ながら、カメは例によって「こんな災害に見舞われたら、死んじゃったほうが楽、生き残ったらひと苦労や」と思い、阪神大震災の時もそう思ったよなぁと、それは口外しないように過ごしてきたのだが、NHKの番組では津波に見舞われながら生き残った人々の証言をたくさん集めていて、そこで「生死を分けたものは?」なんてお為ごかしに一歩踏み込んでいるのだが、散々怖い思いをし、何度も死を覚悟しながら生き残ってしまった(?)人々の口から出てくる言葉は「安全なところなんてない」「流れに身を任せるしかない」「たまたま生きた」「見守るしかない」と、積極的に生きようとするより流れに身を委ねていた結果のように思った。何人かはその凄まじい威力に「何とかなるレベルじゃない」として、生存本能だけで生き残ったと振り返って、星の流れ、運命とか宿命といったようなものを感じさせた。
同時に、復興にあたっては防潮堤などは建設しないで、平野部には高床式高層住居などを建てて、津波を受け入れてもいいのではないか。今回の被災データなどを基にした防災対策などは無意味・・・と感じた。それは市場主義経済と一緒で、規制はなくても結果は変わらず、落ち着くところに落ち着く。それがどんな形、姿をしているかは見えないが、それが自然、宇宙というもので、運命とどう向き合うか、そりゃ、人さまざまでいいんじゃないの、と思った。カメのように・・・ウフッ。

2011/10/06

◎32in液晶TVがノートPCのモニターになった!


にしても、引き篭もり症候群から一時的に脱出、ビッグカメラ(川崎)の店内をうろうろしていたら、LANケーブルの隣に何の商品かは分からないが、興味津々のコピーが大きな文字で書かれたパッケージがぶら下がっていた。
「ノートパソコンの画面と音声を、HDMI変換してフルHDテレビに出力!」
そう、そうなんだよなぁ・・・。となれば、いま使っている32inの液晶テレビをパソコンのモニターに使えるんだよなぁ、と購買意欲をそそられた。なるほど、こういうふうに具体的に説明されれば、箱の中身が何たるかが良く分かる。そうなればいいなと以前から、考えていたことだ。パッケージを手にとって見ると、小さく「VGA to HDMI 変換アダプタ (オーディオ対応)」とあった。ヘビーユーザにはこちらの方がピンとくるのだろうが・・・と思いつつ、忘れないように「HDMI 変換アダプタ」とメモさせてもらった。

で、居室に戻った夕方からNetでそれを検索してみたら、店で見たままの現物が直ぐにヒットした。その機能をじっくり検証して、ますます欲しくなり、とりあえず、TVのマニュアルを探し出し「HDMI 」の入力端子があることを確認し、いけそうな気になって、今度は価格をベースに検索してみると、ほとんど選択肢はなく、早やその気になっているわけで、発注してしまった。
届いた変換アダプタはタバコの箱(フィルター付き)ほどの大きさで、テレビとはHDMIケーブル一本をつなぐだけだ。あとはアダプタとPCをVGAケーブル、3.5mmステレオミニケーブル、USBバスパワーケーブルで接続すればOKだ。あまりの簡単さに訝しい思いを募らせながらも、何はともあれ、TVとPCの電源を入れてみたら、驚いたことに、PCと同じ画面が32inの液晶テレビにあっさり表示されたのだ。なるほど、デカイ! 早速、PCにダウンロードしたお気に入りのお宝動画を再生してみたら、フム、フム、さすが、さすが・・・大満足!!! 勿論、DELLとacerいずれのPCでも同じように作動。カメは余りのあっけなさに驚き、煙に巻かれたようで、その時、達成感は湧き上がってこなかったのだが、2日、3日と日が経つにつれて、達成感がジワッときて、フムフムと自然に笑みが浮かんできて、いまは、デスクトップの背景をカトパンことCXの加藤綾子アナのベストショットに差し替えニヤニヤしている。何たって、可愛い、ウフッ。

2011/10/05

◎HTMLは「無」「空」の世界に通じる


にしても、HTMLの世界は奥深く、幅広い・・・、それだけに酢のたったカメの脳には桃源郷のようで居心地が良く、長居が高じて、どうやら極度の引き篭もり症候群に陥っていたようだ。朝起きてから寝るまで、ずっとノートパソコンと向き合っていて、その間、飯と糞でしか中座していない。そんな日々が続いていた。HTMLの何がそんなにいいのかというと、特に何も考えなくてもいいこと、だ。その上、結果はともあれ、何か目的達成のために精一杯日々努力しているように感じられることだ。この心境は「無」「空」の世界と通じるのではないかと思う。何か、達成感に近いものが、ふと感じられることもある。HTMLの世界に迷い込んで、あまりのことに眩暈を感じてそこに佇んでしまったことも多い。
そんなこんなで引き篭もり症候群が悪化していったようだ。肉体的に気になったのは、両足首周りの赤黒い血だまりだ。特に右足が酷い。何時ごろからなのかは記憶になく、大分古くからのような気もするが、我ながら気味が悪い。軽くマッサージしてみたが、改善は見られない。
パソコン環境を見ると、座卓にノートパソコンを置いて、座っていた。なるほど、長時間になると辛い姿勢だ。狭いワンルームマンションでは選択の余地は少ない。ベッドサイドに腰掛けて、サイドテーブルでパソコンをやろうと思い立ち、そのためにはもう少し長いLANテーブルが必要になるため、さる好天の午後、自転車で川崎駅前の量販店まで足を伸ばした。
ショッピングモールの華やかな照明にクラクラしながら人混みにまみれていると、徐々にウキウキ、ワクワクしてきて、引き篭もり症候群には何よりの薬になった。700円余の買い物だが、ちょっと社会復帰したような気がした。

2011/10/04

◎「暴力団は社会が排除」「子供は社会が育てる」


にしても、警察庁が全力をあげる暴力団排除の動きは亡国の末期症状といえるのではないか、そんな気がする。島田紳助の突然の引退劇に何となく胡散臭さを感じていたのだが、暴力団排除条例(暴排条例)がこの10月1日から東京都と沖縄県でも施行され、全国一斉に暴力団排除に積極的に取り組んでいくというのだが・・・、どういうことなのか。TVのニュースやCFでは明るく楽しい市民社会のムードを盛り上げながら「社会から暴力団を締め出そう」とか「市民の手で排除」とか唱えていたが、こりゃ、警察の職務怠慢、或いは職務放棄ではないのか。これまで一般市民が日常生活でほとんど無意識に接していた暴力団との関係を特定し、公にして、関わりを持たないようにしなければならないというのだから無茶苦茶だ。親が我が子に「あの苛めっ子と遊んじゃ駄目だよ」というようなものだ。噴飯物のこの条例、一体、誰の発案なのか、特に芸能界では戦々恐々として生真面目に取り組んでいるというのだから茶番も極まれりだ。暴力団排除をいうなら、パチンコの景品買いや風俗営業関係の取締りが先なのではないか、と思う。こちらを黙認していて、市民に排除の責務を負わせるとは何とも腹立たしい。大災害に被災しても、市民個人個人の命と財産を国は守ってくれず、安穏と市民生活を送っていても警察は市民の命も財産も守ってくれない、自己責任だよ、となれば、そんな国はやはり消滅していくしかないだろう。
民主党は「こどもは社会が育てる」といい、警察は「暴力団は社会が排除する」といい、「社会」さんって一体どこの誰? 何処にいるの?