2011/01/26

◎68歳の誕生日、 NSでホ、ホォ~って


にしても、この24日(月)、68歳の誕生日を迎え、これまでのように新たな感慨もなく、何かしなければと悶々と、でも結局は無為に過ごすのも何となく憚られ、今年は、とりあえず、カメの夢とか希望とか目標とかを叶えてみようと、といって、たった一つしかないのだが、アレを何はともあれ達成すべく、早目にその環境を整えておこうと、成人式の10日に川崎のビジネスホテルをインターネットで予約(ほぼ半額)、その日に合わせて節制した性活を続け、さて、さて、その当日、午後3時過ぎにはチェックインし、フロントでモデムを借り(無料)、持参したノートパソコンでNETにアクセスできることを確認してから、そろそろと外出、歩いて20秒ほどの狙いの店に入り、カウンターで「50分待ち」と告げられつつ、目の前に広げられた写真は8枚ほど、フムフム、なかなか良く撮れていて、ちょっと迷っていると、年齢?順に並べ替え、で、ええい、ままよ、とM姫を指名、総額1万3000円を前金で払って、待合室に案内されると、ソファーには先客が1人、カメと同年輩で何とも貧相なメガネ、10分くらいで呼び出されて姿を消し、ここでの待ち時間に備えて購入しておいた岩波新書を開くも頭に少しも入らず上の空・・・、で、暫らくすると、40歳くらいの大柄なムキムキマン、続いて、またカメと同年輩が現れ、さすが盛況な様子、で、間もなくしてカメも呼び出され、M姫に導かれて狭い階段を登って3Fの個室へ入ると、ちょっと大きめな置時計に迎えられて、さあ、これから70分間お楽しみ下さいと促されているようで、初見のM姫を眺めれば、アラフォーの上か下かといえば、肌の色、艶、張り、どうみても上なのだが、そのエロ度、助平度は良し、途中からは感度も良し、嵌まる気になって、まっ、積極的に嵌まらなくちゃ、ねぇ、浴槽に浸かって、あれこれの後、マットプレイに移り、泡、ローションに加えて卑猥な言葉を飛び交わして、いい感じで感情移入、で、挿入、いいタイミングで、Sなし(NS)、ホ、ホォ~~っと、ちょい驚き、感激、珍しく突き突き、出来たヨ、突きに合わせて感じまくり、ちょいリアル、よがり、エロ顔に変わって、反応良し、根元をクッと締められ、吸い付かれ、でも、根元からの白濁液の製造感は残念ながら、なし、というか、こりゃ種切れ感に近い、インターバルのせいばかりでもなさそうで、結局は無理せず、外で手コキで逝くも、噴出感は乏しく・・・、でも、でも、いかった。充実感、満足感、達成感は味わえた、ヨ。

2011/01/22

◎連続23日乾燥注意報発令でカメ乾く


にしても、昨年の大晦日から東京では連続23日間乾燥注意報が出ているそうで、歴代4位の記録だとか、その記録がカメの体に影響を及ぼしていたとは気付かず、カメはただこの2、3日、洗髪していないこともないのに、脳が何故か妙にムズムズ、ヒリヒリして、やはり脳の砂漠化が加速しているのかと嘆きつつ、故知れぬ脳の乾燥だけに不安に慄き、一昨日は何となくいつものサイクルより短い1ヵ月足らずだというのに床屋に足を運び、その足で銭湯まで行き、今日は今日で昼下がりのドンキーでここ何年も使っていなかったスプレー式の育毛トニックを無意識にカゴに入れて、フムフムと何となく独り納得して、自宅に戻って、直ちに頭にトニックを噴射してみたら、な、なんたる快感、そう、何のことはない、乾きに乾いてパンパンに張っていた頭皮がムクムクと波打つようにトニックを吸い取り、更に催促されるように噴射を続けて頭皮がしっとり潤ってみると、ムズムズ、ヒリヒリ感は消え去っていたのでした。そして、この感覚、多分、くも膜下の手術の際、仕上げに頭皮を引っ張って縫い合わせたからに違いないと思ったのですが・・・。
ちなみに、東京での乾燥注意報の歴代連続記録は、65日(S48~S49)が断トツで、第2位が34日(H7)、第3位は28日(H15~H16)で、今回の連続が歴代3位になるのは確実のようだ。

2011/01/20

◎“笑いの仕掛け人”横澤彪氏追悼番組の怪・・・


にしても、やはり今冬の厳しい寒さのせいもあるのだろう、年明けから、女優・高峰秀子さん86歳、元NHKディレクターの和田勉さん80歳、 ダークダックスの「パクさん」高見沢宏氏77歳、「奥飛騨慕情」の竜鉄也さん74歳、ロカビリー歌手の山下敬二郎さん71歳、俳優の細川俊之さん70歳・・・と、 年齢がカメに近い、心情的にも非常に近い方々の訃報が相次ぐ中、最も気になったのは「オレたちひょうきん族」や「笑っていいとも!」などを手がけた元フジテレビ・プロデューサー、横澤彪氏73歳。ひょうきん族は毎週、楽しみにしていて、テレビを見ながら声を出して笑うことも多く、特に『楽屋落ち』には笑いが止まらなかったし、まさに、現代の“笑いの仕掛け人”と敬愛していたのだが、そこはサラリーマンなのだろう、何故か、定年前に 吉本興業に移って驚かされたものだ。つい最近は、NHKの番組で爆笑問題のインタビューを自宅で受け、横沢氏は照れながら「いまはコレ・・・」と肩書きに「家事手伝い」と刷り込んだ名刺を渡し、爆笑問題の2人を相手に当世お笑い事情を気分良さそうに喋っていたのを、何か”拾い物”をしたような気がして見て安堵していたら・・・の訃報だった。で、ここは当然、フジテレビは追悼番組を企画するだろうし、どんな番組を放映するのか興味津々だったのだが、それが17日の23:00 からBSフジで「横澤彪さん追悼特別番組 堂々現役~巨匠からのメッセージ~」と銘打って放映され、録画して視聴した。それは、BSフジで昨年秋に放映された1時間足らずのインタビュー番組「堂々現役」がそのまま再放送されただけだった。そこでの横沢氏は、お笑いをテーマにしていながら、多分、学者MCの生真面目さと、お笑いに対する上から目線を気遣ったのか、或いは、体調が優れなかったのか、ひょうきん族での自由闊達、奔放さは微塵も見られなかった。これは、“笑いの仕掛け人”に対する冒涜だろうし、何とも情けなく、サラリーマンの悲哀を感じた。もし・・・は許されないが、カメがフジテレビのエライさんだったら、こんな番組は絶対追悼番組にはさせないし、ちょっと再編集するだけで、笑いの渦の中心で弾ける若き横澤彪氏を甦らせただろう。何とも、口惜しく、残念でならない。あぁ~フジテレビ、よ、だなぁ。

2011/01/15

◎我欲を捨て、我慢せよ・・・って


にしても、今冬の厳しい寒さのせいばかりでもないだろうが、脳はカラカラに乾いて硬直し、「生存確認」のつもりで1ヵ月間更新がなければ、そう思って・・・と始めてみたこのブログも最近では更新のモチベーションは下がり、息も絶え絶え、ようよう更新する有様で、特に年初にあたっては、やはり今年はどんな年になるのか、時には大風呂敷を広げてみようかと意気込んではみたのだが、自堕落な日々を続けているうちに1月も早や半ばとなって、それもままならず、それでも、石原慎太郎・東京都知事の年頭記者会見(1月7日=都庁HPで録画映像公開)と、石原知事と中曽根康弘・元首相の日テレでの新春対談(1月8日 10:30 ~)は生真面目に視聴して、78歳・石原と92歳・中曽根両氏の博覧強記、闊達自在な姿にただただ驚き、恐れ入り、記者会見で「厄介な時代になってきた。情報がこれだけ早く伝わると、人間の願望が露呈してきて、物事を理不尽に動かすようになってきた気がする。特に、日本人は我欲が強過ぎ・・・、我欲とは金銭欲、物欲、性欲だが、このままでは国が持たない。そんな気がする」と話していた慎太郎は、中曽根を前にしては更に踏み込み、「日本人は平和の毒に侵されて堕落した・・・世界に通用しない国民になっちゃった」「今の政権では沈没する」「混迷の年、我欲を捨て、我慢すること」などと饒舌になり、中曽根は「国を任せていけぬ」と現政権を憂いつつも、核について問われ「核は万能ではない。日本は核を持たないのが賢明な政策。日本が核を持てば、近隣諸国との緊張関係、或いは周りの国、世界の動きがガラッと変わってくる。日本が自重していることが、現状的平和を維持している元になっている」と淡々と話し、浅学菲才のカメは『現状的平和』といった言葉に恐れ入るしかなく、こんな含蓄ある言葉は国会運営だけに汲々とする現政権ではとても理解できないだろうなと、日本の危うさを感じながら、カメはカメで年初に思い浮かべた「衰退加速」とか「混沌とした危機」といった今年のキーワードに苦笑するしか術はなかった、ヨ。

2011/01/11

◎自堕落なカメが愛おしい外道のカメ


にしても、年明け10日過ぎても、夜更かしは止まず、起床時間は9時過ぎで、今朝起きたのは9時30分と、我ながら由なくも流石に後ろめたく感じたのか、何となく苦笑いしつつ、極自然に「自堕落よのう」と独りごちて、ちよっと高揚感にとらわれ、久々に嬉しくなってYahooの辞書検索窓に念のため「じだらく」と入力してみたら漢字で「自堕落」とあり、その意味は「我が儘」「だらしない」「ふしだら」「淫ら」とあって、「おぉ、そう、そう、全てあてはまるヨ」と妙に納得して「自堕落」という言葉に感動し、書棚に目を移すと、例の黒木香著「自堕落にもほどがある」という彼女の自伝的「書き下ろし処女長編」が残っていて、奥付を確認すると「1987年」の初版で、発行者には何と「田中健五」とあっていささか郷愁に耽り、ブログ更新も1週間余滞っていて、そろそろ・・・と少し煽られるプレッシャーを感じつつあり、自堕落について書き留めて置きたくなったわけで、ホント自堕落っていいよなぁと、改めて自堕落なカメを愛おしくなったのでした。

2011/01/02

◎親父が鬼籍に入りたる歳にあと1年・・・


にしても、改めて「新年」といわれても新たな感慨が湧いてくるはずもなく、雑煮の餅を見て黄泉への一里塚とでもいうか、そうした映像がひしひしと迫ってくる感じで、もう25~6年前に親父が鬼籍に入りたる歳にちょうどあと1年、齢だけ親父超えしても恥ずかしきことのみ増すようで、身を屈めてみても、こんな調子では時の移ろいを体に刻む術もなく、あれよあれよという間にまた1年、また1年と生き永らえてしまい、気がつけば古希の人となり、張り巡らされたセーフティネットの心地良さをよいことに、ぬくぬくと老いさらばえることもなく喜寿を迎え、更にナニをテカテカ光らせ独り弄んで傘寿と思えば、胸を反らして逝きつつ直ぐ米寿、光は鈍りつつも嗚咽は鋭さを増して卒寿を超し、そして喜悦は漏らし続けてもいよいよ指が思うに力を無くして白寿となる・・・か、と カメはこの正月、夢幻(ゆめまぼろし)のライフプランを描いてみたのだが・・・、ひと言、これって、妄想と片付けるわけにもいくまいよ、なぁ。