◎0系新幹線と一緒にリタイアしたいヨ・・・
にしても、時の流れは速く、師走に入ってあれこれ書いておきたいことが多くて、逡巡している間に、結局は長のご無沙汰になってしまい、猛省している次第なのだが、昨夜、北海道にいる高校の同級生から電話が入って、年末に上京するので一杯飲みたいとのこと、勿論OKしたのだが、改めて振り返ると、カメの容姿は文字通りの爺、精神はガキのままで成長していないし、情緒欠如症候群のまま幕を閉じようとしている身が何とも愛おしく感じてしまった。
実は、前段に0系新幹線がリタイアする話があって、テレビのニュースで何度もそれを見せ付けられて、それをテーマに郷愁でも本欄にと思っていたのに、何も記憶が甦ってこないのだ。0系は昭和39年、カメが大学2年の時、東海道新幹線の開業とともに登場、「夢の超特急」と呼ばれ、世界一の最高時速210キロで、東京-新大阪を3時間10分で結んで、驚かされたものだ。その10日後には、東京オリンピックが開幕している。前年の38年の春には京都での入学式に東京駅から特急「つばめ」に乗って8時間かかっていただけに、新幹線のお目見えは、かなりインパクトがありそうなものだが、ほとんど感銘を受けていないのだろう、記憶は薄い。最初に乗ったときの状況すら思い出せない。
ま、それだけでなく、例の映画、「3丁目の夕日」を観ても、同様に、大して記憶は甦ってこない。単なる走馬灯の1コマでしかないのだ。
その点、還暦を迎えてちょっと振り返ってみた際、思い出したのが電話してきた高校の同級生だった。カメの人生の節目、節目に彼がいた。高校卒業時、彼は進学、カメは一浪して、ずっとそうだ。彼に1年遅れの人生が始まったのだ。大学受験、就職活動、転職、結婚、子づくり、分譲マンション購入、還暦・・・、カメは彼の背中を見ながら、その背を追い続けていたような気がした。
で、残ったのは、あと幕引きだけなのだが・・・、彼がかつて確か「63歳で死ぬ」と”豪語”していたことを思い出し、幕引きも彼の背を見て・・・とメールで督促してみたが、その後、連絡が途絶えてしまっていたのだ。
どんな再会になるのか、楽しみではある。
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