◎老醜無残・・・タモリ、たけし、さんま、和田アキ子
にしても、アナログ期に功成り名遂げた、その“昔の名前”のままいまだに生き続けている方が何人か目に付く。老醜無残としかいいようがないのだが、その名前を支える周囲の必死の形相には悲壮感が漂っているし、その“介護陣”を気の毒に感じてしまう。
いわば、その名前が一種の企業体そのもの、ブランド化してしまったといえるだろう。タモリ、ビートたけし、明石家さんま、それに和田アキ子・・・といった面々で、若手にとっては大きな壁、それを突き破るだけのタマが出てこないのは何とも残念だ。それどころか、一緒になってよいしょしている様は目を覆いたくなる。
なんせ、カメにしてみれば、これらの名前との付き合いは学生時代からだから、女房、子供よりも長いし、女房とは離婚しているわけだから、ちょっと息が長過ぎるヨ。特に、タモリが司会を務める『笑っていいとも!』は最長寿テレビ番組としてギネスブックに登録されているほどだ。もう、いいっ! っという気になる。でも、テレビのスイッチを入れると、相変わらずの顔ぶれだから、仕方なく見ていて、老醜無残といった心境に陥ってしまう。で、最近ではビデオ録画しておいた映画を見ることが増えている。
いつまでも世間と向かい合って生きている・・・と生涯現役を称えることは簡単だが、それを支える近親者、関係者、ファンの迷惑、困惑に少しでも想いをはせて欲しいのだ。
森光子(1920年5月9日~)とか黒柳徹子(1933年8月9日~)もそうだが、芸人は生涯現役で“引き時”というものがないのかもしれないが、中には原節子、山口百恵・・・のように潔いケースがないわけではない。
アスリートの引き際は肉体的限界とされ、特に野球ではその選手の生き様が反映される。現役でバリバリの時だったり、ボロボロになるまでやったり・・・。いわば、雪道を歩いてきたのに、振り返ってみると足跡がない・・・という光景をどう感じるか、それがまさにその人の生き様、死に様だろう。
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