◎石原慎太郎に「ただの無知」とけなされる
にしても、カメは畏敬する石原慎太郎に「ただの無知としかいいえまい」とけなされてしまい、軽い快感に痺れた。
このひと言、産経新聞1面に月1回掲載されているコラム「日本よ」の14日付「現憲法の歴史的正当性」の閉めである。確かに、正鵠を得た指摘で、グウの音も出ない。
安倍首相の公約であった憲法改正についてようやくその議論がかまびすしいが、聞いていていささか空しい思いにさせられる・・・との書き出しで、法律は歴史の所産、いまの改憲論議にはそれを行うための大前提たる歴史認識が欠落している。そして、現憲法に歴史的な正当性があるかないか、全国会議員を対象に決を採り、正当性を認めなかったならば端的に破棄されたらいい・・・と。
確かに、そうなのだ。カメは憲法をはじめ法律というものは、その条文の解釈によっていかようにも運用可能なものだと思っていた。解釈の余地をなくし、厳密に規定した条文は法律に馴染まないのではないかと、長いこと感じてきたのだ。
その点、道路交通法だけは○○○をしてはいけないと禁止項目を列挙していてわかりやすいが、他の法律は色々な角度、視点からさまざまな読み方が可能になる。また、それは検察当局による条文の運用次第ともいえる。
一方、裁判の判決で社会の変化、背景を追認していると感じることが多い。かつては、特に公害関連で多かったが、バブル経済が弾けてからは「談合」裁判で、こちらは気の毒でならない。
カメは現憲法に関し、歴史的正当性は判断できないが、日本語の文脈からその解釈論は不思議でならなかったし、だから、運用でどうにでもなると思っていた。慎太郎に「無知」といわれ、その通りとカメはちょっと心地良かった。
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