◎羞恥心は隠すものではなく、露出するもの・・・
にしても、例の馬鹿馬鹿しいだけの非常識写真ツイッター投稿騒ぎ、ついに産経新聞の1面トップを張っただけでなく、27日には社説にまで取り上げ、「結果の重さ教えるべきだ」と入れ込んでいる。「世の中には、悪ふざけで済まないことがある。当たり前のことが分からなくなった、インターネット社会に潜む想像力の欠如を憂える。」と書き出しているが、社説氏も想像力の欠如は同様だろうと思う。NETの世界はもうまったくの異次元で、旧来の価値観は通用しない、まさに魑魅魍魎の世界で、これまでの倫理・道徳観を振りかざして糾弾しても滑稽なだけだ。荒っぽくいってしまえば、NET世界は「受け狙い」「受けるかどうか」だけで、それを新聞テレビなどのマスメディアが取り上げるかどうかがポイントになるわけで、某広告マンは「沈黙を嫌い、会話を途切れさせないためにそれぞれが『何かおもしろいこと(ネタ)』を提供する。自分たちでネタを作って笑い合う閉じたコミュニケーションに没頭し、周囲への影響に気がつかないまま、ウケ狙いの過激な投稿に走る」と分析してみせる。
アイスクリームの冷凍ケースに入り込む、ピザ生地で顔面を覆う、大量のパンの上に寝転ぶ、冷凍ソーセージをくわえてウインクする、なんてことに慌てうろたえる方が問題だろう。NET世界に羞恥心なんて殊勝な道徳心なんて存在しない。というか、日本人の美徳ともいえる羞恥心なんてとっくに変質しているのだ。いまや、羞恥心は隠すものではなく、露出するものになっている。
そんな変貌を認めようとしないマスコミに檄を飛ばしてくれたのがあの曾野綾子。産経(8月28日付)での連載コラム「透明な歳月の光」で「若者の悪ふざけ報道」について「平和ぼけ日本象徴する騒動」の見出しで、「こんな若者の悪ふざけの話より、私たちはエジプトやシリア情勢の方を気にしなければならないはずなのに、日本ではだらけたニュースで毎日が過ぎていく。」と最後を閉めている。いつもながら頭が下がる。(カット写真はライブドアブログうぇうぇうぇウェストから)